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航 海 日 誌 ~Log Book~

仕事や旅行で訪れた国や街の思い出、日々の小さなできごとをつづります。

Wedding in Guam ~笑う結婚式 ・ 写真撮影編

2009年09月24日 | 航海日誌・海外編



カメラマンの指示通り、ミツメアッテいるところ


さてさて、ごぶさたしておりました。
もう今さらこのネタでもないだろうと思いつつ、書きかけのまま1年以上ほったらかしだったので、終わらせてしまうことに。

グアム結婚式の最終編、挙式後の写真撮影のお話。



早いもので入籍から2年、挙式してからあっという間に1年以上がたち、新妻は早くも糟糠の妻と化した。

今年のお正月は家族、親戚総勢11名で台湾へ旅行してきた。昨年挙式に参加してくれたメンバーとは多少の入れ替わりがあったものの、ほぼ同じ顔ぶれ。

「去年は結婚式だったんだよね~」

飛行機の中で思い出話がかわされたりもしたけれど、私はまだまだ、心の中で新鮮に思い出すことができる。



挙式当日、スコールの予報が出ていた

みなさんご存知のように、空が青くなければ海も青くない。




     挙式中のスコール直後。よく見ると、外は暗い・・・
カメラマンの指示どおり、クビニテヲマワシテいるところ



     挙式行事すべて終了後、プールサイドで。入道雲がもこもこ



     挙式1時間半後のビーチ、すっかり青空



南国のお天気は、変わりやすい。

挙式、式後の撮影中はうっすらと外は暗かった。
なので、出来上がってきた写真は明るさにかなり修整を加えてあり、白っぽくなっていた。

ま、いいでしょ。

日々の生活を淡々とこなしていると、結婚式をしたことすら、すっかり忘れていた。

そんなころ、結婚式の写真がアルバムになって届いた。写真35枚のアルバムと、それらの写真を含む100枚分がCDがセット。

アルバムをさっそく開いてびっくり!さすがはプロが撮った写真。
そして、自分の顔のほうれい線がくっきりと写っているのにがっかり・・・。

さっそくCD-ROMをパソコンに入れて残りの写真も見た。



カメラマンは現地、グアムの男性だった。

「ハナヨメサマ、ハヲミセテワラッテクダサイ」
(花嫁様、歯を見せて笑ってください)

「シンロウサマ、ハナヨメサマノコシヲダイテクダサイ」
(新郎様、花嫁様の腰を抱いてください)

「ハナヨメサマ、シンロウサマノクビニ、テヲマワシテクダサイ」
(花嫁様、新郎様の首に、手をまわしてください)

少しイントネーションが違う日本語で、古風な日本人の私達にはありえないような、ハズカシイポーズを次々と要求。



このポーズにどんな意味が・・・?




親戚一同が見ている中、初めは恥ずかしくてモジモジしていたが、そんな時ふっと、昔の感覚が戻ってきた。


知っている人はほどんどいないのだけれど、むか~し、むか~し、そのまた昔。
ほんの一瞬だけ、モデルの仕事をしていたことがある。


ぎょえ~、でしょ?


いちおう、スカウトだったのだが、自分には向いていないことを早々に悟り、早々にやめた。

でもシャッターやライト、ポージングなど、ちょっとなつかしくなってしまったのだ。
そしてこのあたりから、夫までもがその気になり、要求されることを次々とこなす。

夫のほうが、資質、あり?

最後のほうでは

”もう、どうにでもなれっ”

ってかんじで開き直り、夫はカメラマンに頼まれもしないのに、私にちゅ~までした。

夫の姪たちは

「あ゛~。あんなとこで、キスしてるよ~」

と、言っていたらしい・・・ 。




夫が図にのって、ちゅ~している写真




ついにこらえきれず、大爆笑してしまった花嫁・・・。ひどい2重アゴだよ~



高校時代の国語の先生曰く、

「”恥ずかしい”という感情は、人間最後の理性よっ!」

とおっしゃっていた。この言葉を教訓として、”恥ずかしいと思う気持ち”をなくさずに生きてきたつもりだったけれど、この時の私達にはもはや、その最後の理性くらいしか残っていなかった・・・。


自分の結婚式の写真をこんなところに出すのはヒジョーに恥ずかしいけれど、考えてみたら、ブログを読んでくださっている方の半分は私の夫にすでに会っている人ばかり。

ということで、露出しちゃいました。



さてさて、無事に写真撮影も終わり控え室に戻るときのこと。
ずっと付き添ってくださっていたチヒロさんが、私に話しかけてきた。

「ご新婦さまは撮影に慣れていらっしゃるようですけど、モデルさんの経験がおありなんですか?」


・・・・・。

経験とよべるほどもないのに、わかっちゃった?
この時、私は式が無事に終わって、ちょっと気をぬいていた。
だからつい

大昔にちょっとだけ。

と、返事をした。

ところがこの会話、義母が聞いていた
私たちの後ろを歩いていたらしい。
壁に耳あり、障子に目あり?

「母」と名の付く人に、隠し事はできないようになっているらしい・・・。

義母がその話題を持ち出したのは、よりによって全員揃った夕食のテーブル。

「麦ちゃん、さっきの会話聞こえたんだけど、モデルさんしてたんですって?」

・・・・・

全員が、こちらを向いた。




あぁ~。全員にバレちゃった。




道理で慣れてると思ったのよね。
いつ頃の話?
何に出てたの?


みんながたたみかけるように聞いてきた。


・・・・・。忘れました。封印した過去なので。


なんとかみんなの気をそらしたものの、夫は気になってしょうがない様子。
食事が終わって、部屋に戻る途中に再度。

「何に出てたの?」

まったくもって、興味深々な顔。

ナイショ。

なぜ、男性ってこうなの?
私たちが年頃の時代は、こんなカタカナ職業が人気だったっけ。
モデル、タレント、スチュワーデス・・・。
あ、でも漢字の受付嬢とか、秘書なんていうのも人気職業?

今ではあなたの妻も、ふつーのおばさんよ

納得がいかないながらも、思いがけない妻の過去を知ってご満悦な夫。




これで「笑う結婚式」シリーズはおしまい。
今さらながらの話題、読んでくださった方、ありがとう。




航海日誌 2008年10月 ニューヨーク ~ハロウィン色ニューヨーク

2008年11月01日 | 航海日誌・海外編



エンパイア・ステートビルもハロウィン色


再び、NY行きの季節がやってきた。

枯葉のにおいのする秋のNYが、私は大好きだ。

それを言うなら、初夏のNYも、クリスマス前のNYも、大好きなのだけれどね

最初の写真はちょっとブレているけど、ハロウィン色にライトアップされたエンパイア・ステートビル。

オレンジと紫色で、ほうきに乗った魔女がビルの周りを飛んでいそうな雰囲気がある。



もちろん今回も買い付けの旅。

でも、仕事の合間に楽しんだって、バチはあたらないでしょ?

アメリカは今、サブプライム問題で経済が大混乱になっていて、その影響が街にも現れているかと思って出かけたのだけれど、それほどでもなかった。

というか、1週間滞在している間には、それを感じることはなかった。

それもそのはず。ハロウィンを皮切りに、サンクス・ギヴィング、そしてクリスマスへと、アメリカでは”ホリディ・シーズン”と呼ばれるお祭り気分が続く。

みんな早めのクリスマス・プレゼントをゲットしようと、週末のデパートでのお買い物に余念がない。

文字通り、命がけ。

昨年のブログで、アッパー・イーストサイドの名物飾り付けをご紹介したのは、みなさんご記憶だろうか?



◆ 航海日誌 2007年10月24日 ニューヨーク ~オータム・イン・ニューヨーク参照


その影響というわけでもないのだろうけれど、今年はアッパー・イーストサイドででも、すいぶんとハロウィンの飾り付けに力を入れている家を見かけた。



こ~んなのや



こ~んなのも



こ~んなのまで


飾るお家は、”やるなら徹底的に”といったかんじだ。

みなさんご存知のとおり、ハロウィンは10月31日に行われる行事だ。

万聖節の前の晩、この夜には死者の霊が家族を訪ねたり、悪霊や精霊、魔女が出てくると信じられていた。そしてこれらから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。

つまり悪霊を驚かせて追い払うために怪物など、恐ろしげなものに仮装したり、家の前に焚き火⇒怖い顔をしたかぼちゃのランタンを置くようになったもの。

もともとはケルト人の習慣なので、本当の意味で由来を知っている日本人は、私も含めてあまり多くないだろう。

でも、楽しいから、大好きだ。

ちっちゃい子供達が仮装をしたり、顔にペイントして歩いている姿は、自分の子供でなくても写真を撮りたくなってしまう。

きっと今夜は金曜日だし、私のお店のまわりでも、そういった子供達がたくさん見られることだろう。



悪霊が入ってこられないほど、クモの巣が・・・


日本ではまだ、家にまで飾り付けをする人は少ないようだけれど、10月にアメリカにおいでになる機会があったら、夕暮れの街を散歩してみるのもオススメ。

おどろおどろしい雰囲気を存分に味わえること、請け合いです






Wedding in Guam ~笑う結婚式 ・ 挙式編

2008年05月30日 | 航海日誌・海外編



息子の先導で入場



”Will you give this woman to be marrie to this man? ”
"あなたは娘が、この男性と結婚することに同意しますか?"



Ring Bearer を務めてくれた息子の先導で、チャペルへ入場する。

リング・ピローを持って入場するだけのことを、息子は大げさなほど嫌がってみせた。でも

「親戚の中で、一番小さい男の子がすることになってるの!」(ほんとかぁ~?)

という母の喝で渋々と同意した

光にあふれるチャペルの中では Wedding Singer の美しい歌声が響いていた。

父と腕を組んで歩く、バージン・ロード。

父もまさか、一人娘なのに2回もバージン・ロードを歩かされることになるとは、思ってもみなかっただろう

挙式の冒頭に、とても印象的な場面があった。それが上に記した、祭壇にたどり着いた花嫁の父への、牧師さまからの質問。

私の今回の結婚を、両親はとても喜んでくれた。年内に入籍するはずだったのに、夫の気が変わらないうちに ”とっとと、もらってもらえ!”といった雰囲気で入籍が早まったので、父が

”そんな当たり前のことを聞くな!”

と内心思っているだろうと考え、おかしくなってしまった。それでも父が

”I do.”

と答えてくれた時には、じわ~~と目が熱くなった。



まだなにも記されていない結婚証明書


いくつかの聖書朗読、お祈りの後、式はいよいよ佳境にはいる。

”健やかなる時も、病める時も・・・”

誰もが知っている、結婚式の誓いの詞。グアムでの挙式。でもその誓いの重みは日本語であれ、英語であれ、変わらない。そして私は、今度こそ、その誓いをずっと守り続けようと気持ちを新たにしていた。

さて、列席してくれた家族、親戚の間でずっとささやかれていたギモンがあった。

 誓いのキスはするのか?
 するとしたら、どこにするのか?

まさか、賭け金は飛んでいなかっただろうと思いたい・・・

指輪はしたくないという夫の気持ちをいれて、指輪の交換ではなく、昨年夏からはめている指輪を、あらためて結婚指輪としていただく。

いよいよ、だ。

夫が私のヴェールを上げるところで、まず、誰かが吹き出す音が聞こえた。笑ったのは息子だ。

そう、夫よりも背が高い私のヴェールをめくって後ろへあげるためには、私がかなり身をかがめないといけないのだ・・・。

夫が苦心しているのと、私がかなり膝をかがめたのを見て、息子が吹き出してしまったのだ。それにつられて、みんながクスクス・・・。

この笑いで場が和んだところで、誓いのキス。俳句をする義母に言わせると”接吻”。この古風な言葉はなんて、ロマンティックなんだろう。

予想していた通り、額にキスだった。

ほんの一瞬、キスを額に感じたところで、夫は唇を離した。と思ったら、会場から大爆笑!私はワケもわからず、肩をすくめた。

もう一度、やりなおし。

今度はしっかりと、キスをしてもらった。

後になって聞いたところによると、夫は一瞬額にキスをした後、

”唇じゃないよ~

と言わんばかりに、みんなの方を向いて、にたぁ~っと笑ったのだそうだ。なんて、夫らしい・・・。



かなり上を向いている夫と、相当かがんでいるワタシ・・・


笑いで場が和んだところで、結婚証明書の署名、いや、キャンドルに灯を点すんだったっけ?このあたりの記憶はあいまい。緊張していたからで、決して歳のせいだとは思いたくない・・・。



"I declare that H and Y are now husband and wife, according to the ordinance of God"
”神の儀式のもと、HとYは夫婦となったことを宣言する”

牧師さまの高らかな声とともに、式は終了する。

メンデルスゾーンの結婚行進曲が流れ、みんなの拍手の中退場する。

ほんの30分前に、ヴェールをかぶって父と入場した通路を、こんどは夫と腕を組んで戻る。景色までちがって見えるようだった。

こうして笑う挙式は無事、終了。

挙式後のお話は、次回 ”笑う記念撮影編”に続く。








Wedding in Guam ~笑う結婚式 ・ 準備編

2008年04月26日 | 航海日誌・海外編



ホテル敷地内のチャペル


すでにみなさまご存知のとおり、1月3日にグアムで挙式してきました。

総勢12名。

上は85歳(義父)から、下は13歳(息子)まで、年齢層の広いご一行様。ちなみにちょっと気になって平均年齢を計算してみたら(そんなもの、計算すなっ!)53歳、ちょうど夫の年齢だった。

夫とは14歳も年が離れてるからね。

それはさておき、マリッジ・ブルーにくわえ少々の心配をかかえて出発当日を迎えた。というのも、12月に京都へ紅葉を見に行った時、義母が肋骨を骨折してしまったのだ。

日頃ベッドで寝ているのに、旅館ではお布団。なので、夜中にトイレに起きた時、掛け布団に足を取られて転んでしまったのだ。肋骨左右両方骨折・・・私も経験があるのだけれど、肋骨は24時間呼吸をする肺を保護しているため、24時間動き続け、治りにくいのだ。

でもそこは気丈な義母。待ちに待った長男の結婚式とあって、”不安がある”とは決して口に出さなかった。

お見事

高齢で、けが人の義理の両親のために、航空会社に車椅子の手配やら、思いつく限りのサービスをリクエストした。ま、そこは元専門ですからね 私達の結婚式のためにはるばるグアムまで行っていただくのに、”もう2度と行きたくない!!”なんて思ってほしくないもの。

運よく双方の両親4名分をビジネスクラスでチケットを取っていた。たった3時間半だけれど快適に過ごしてほしかったので、これは怪我が治りかけた義母にとってとてもよかった。

さらに私の両親が、ビジネスクラスには挙式を控えた2人が乗るようにと、強く勧めてくれたこともあり、私たちまでリッチな気分を味わってしまった。

夜出発の便しか取れなかったので、ホテルに入ったのは午前3時近く。バタバタと荷物の整理をしてしばしの仮眠 そして翌朝7時半から式の打ち合わせ。



控え室の様子


ホテル内のブライダル会社のサロンで、日本人コーディネーター、チヒロさんと最終のチェックを行う。持ち物、出来上がっているブーケやそれに合わせた生花のヘッドピース、アクセサリーなどの確認。

挙式、(結局自分で購入したけれど)レンタルウェディング・ドレス、ブーケなど込み込みのパッケージにしたので、日本で挙式するよりはずぅ~っと安上がりだったのだが、ブーケのお花を変えたり、ヴェール、小物類は価格に含まれていない。

思ったよりも差額が発生した。これから海外ウェディングをご計画中の方は、事前にチェックなさることをお奨めする。

ついで私はヘアメイク。フィリピン系アメリカ人の女性とおしゃべりしながら髪を巻いたり、アイシャドーや口紅の色を相談する。その間、夫は息子と朝食へ。

ずるい

仕事で使う英語はバッチリだけれど、海外で美容院に行ったことがなかった。美容に関する言葉を全く知らなくてちょっとビクビクだった。

すんごい濃いメイクになっちゃったらどうしよう・・・(クレオパトラみたいになっちゃったりして)とか。
前髪の形をどう説明しよう?
シニヨンって、英語でなんて言うんだろう、とか。

これに関してはかなり笑えるエピソードが。ちひろさんがヘアセットの段階になって現れて

"She wants her hair odango(お団子)."

と言ったのだ それくらいなら、私も言えるぞ~ メイクさんは”はぁ~?”といった感じだった・・・。

結果として、身振り手振りで意思は通じることが証明された。やはりスゴイ厚化粧。でも遠目に見ると、たいしたことはない。お見事な幸せメイク

ちょうどメイクが仕上がった頃、夫と父が戻ってきて挙式のリハーサル。牧師さまは気さくなアメリカ人。数え切れないほど、日本人や中国人、韓国人の司式をなさっているのだろう。雑談などして、緊張をほぐしてくださった。

そしていよいよチャペルへ。



みんなが待っているチャペルへ


スコールが来そうな風が吹く中、ベールをなびかせて石敷きの通路を進む・・・。




準備編は中途半端なまま、次回、挙式編へつづく。





航海日誌 2007年10月 ~番外編・NYでショッピング

2007年11月26日 | 航海日誌・海外編




めまいがしそうなほどたくさんのウェディング・ドレス


10月のNY訪問時、仕事には全く関係のないミッションがあった。それは”ウェディング・ドレスをゲットする!”というもの。

息子の夏休みが終わる頃になって、急に結婚式をするという話が浮上した。しかもグアムで

入籍したし、お友達がパーティをしてくれたし、家族の集合写真も撮ったし、結婚関係セレモニーはもう済んだと勝手に解釈していた私。しかし、イベントは次々と持ち上がる。

今回の言いだしっぺは、夫

でも、しょ~がない。私は2度目だけれど、夫は初婚だもんね。好奇心旺盛な夫は結婚式に興味があるらしい。

夫の一族約10名は、毎年お正月に一緒に旅行する習慣がある。そこで今年はみんなでグアムに行き、そこで結婚式も済ませようというご意見。

だったら急がなくっちゃ!

私の家族を合わせて総勢14名、お正月旅行を申し込むならもう遅すぎるくらい!慌てて旅行代理店を数社あたるが、もうどこも予約でいっぱいだ。あせり始めた頃、NW航空からメール・マガジンが届いた。

”年末、年始のミクロネシアパッケージ・ツアーのご案内” なんてタイムリー

すかさず申し込みのメールを入れる。14名ということは、年末、年始料金で300万円相当だ。この仕事をゲットしたいと思う営業マンがいてくれることをひたすら願う。

最初はキャンセル待ちだったが、数日後担当者のがんばりあって無事全員分の予約が確保される。

やった~ ほらね、うまく行くようになってるんだから。夫はのんきな顔をして言う。

前置きが長くなってしまったけれど、そこでウェディング・ドレス問題が浮上する。私の母が ”せめて新しいドレスを着て!その他はほとんど省略してしまったようなものだから” と言い出した。昔の人だなぁ、と思う。

でも母の気持ちをくんで、ではNYへ行くのだからそこで、という話になった。しかしこれが無謀だった。タダでさえ仕入れで忙しいのに、なぜ、空いた時間にドレス探しができると思ったのか、自分でもわからない。

見本市をいつもより1時間早めに切り上げて、次のアポまであと40分あるから・・・。こんな感じでドレス屋さんをかけめぐる。

大きな声ではいえないのだけれど、子供服とはいえアパレルの仕事をしている私には、 ”着るものを定価で買う” という観念がない。ほとんどを問屋さんや、ブランド品を値下げしているお店で買うし、ユニクロのセーターだって週末セールを狙って買う。

聞きようによっては ”しみったれ” かもしれないけれど、これが私が離婚後身に付けた節約術。長年の習慣となったものは、そう簡単には変えられない。

そこで、マンハッタンでも ”Whole Sale Only (卸売りのみ)”と書かれたお店に知らん顔して、ずんずんと入っていく。もちろんウェディング・ドレスを ”仕入れる” ほどたくさん買うわけではないのだが・・・。

「日本から子供服の見本市に来たんだけど、自分のウェディング・ドレスを探してるの」

あつかましくもにっこり笑って言うと、お店の人は ”しょ~がないなぁ” と苦笑して、奥のドレス・コーナーへ案内してくれる。この日あたりをつけたのは、ファッション・ディストリクトと呼ばれる一角の、7番街からわき道に入ったフォーマル・ドレスの問屋さんだった。

めまいがしそうなほどたくさんのドレスの中から、たったひとつ、式のためのドレスを探すのは至難の業だ。それでも2、3点、好みのドレスを見つけ、翌日出直す約束をする。自分ひとりでは簡単に試着もできないから。



鏡にうつった自分をパチリ


見本市が終わった翌日、親しくしているインド出身の子供服メーカーのオーナー・デザイナー、ビヌーさんが一緒にドレスを見に行ってくれた。

日本では大女の私も、アメリカでは背は高いがやせている部類にはいるため、体に合うサイズを探すのも大変だ。この日入ったお店(ここは小売店だった)で、これぞまさに私が思い描いていたドレスという、総レースの美しいドレスに出会ったが、これはオーダーだという。納期は通常3ヶ月、それでは1月の結婚式に間に合わない。

”大丈夫、大丈夫!急がせるから!”

お店の女性はそう言ったが、その調子の良さが信用できない。納期に間に合わなかったら、2度と着ることができないのだから・・・。泣く泣くあきらめた。

次に前日行った問屋さんにチャレンジ。前日選んだ数点を取り置きしてくれていたので、ビヌーさんに見てもらうために再度試着する。



試着室がないので、試着もセーターの上から


ふたりで、あ~でもない、こ~でもないと、さんざん意見を言い合った末、選んでいた中でも最初に気に入ったドレスに落ち着く。少々のサイズ直しと丈詰めが必要だが、それは日本に帰ったら母とふたりで出来そうだ。

夫からは ”シンプルなドレスがいい” とリクエストを受けていたので、その希望に沿った、胸の部分だけにビーズの飾りが付いたシンプルなAラインのドレス。

決めた

支払いの段になって、お店のお兄ちゃんが申し訳なさそうに言う。

「タグは卸値なんだ。1点だけ卸値で売ったらボスに叱られちゃうからね。5割り増しでいいかい?このドレス、ここではこんなに安いけど、そこの角を曲がった表通りの小売店では$2,500で売ってるからね」

もちろんですとも

最初の結婚の時にも気付いたのだが、日本はウェディング・ドレスが高い。日本のレンタル価格が、海外での販売価格と同じか、それ以上だ。今回私は幸いにも桁が1つ少ない価格でドレスを購入することが出来た。これも自分の足で歩いた賜物と考えることにした。疲れたけれど、これもお楽しみのうち!

帰国後、夫や母、義母に見せた。

「質素ねぇ」

義母の一言。でももう若くないし、中身で勝負じゃ

そんなわけで、最近は実家に頻繁に出入りしてドレスの改造に励んでいる。出来上がりまでにはまだしばらくかかりそう。でも、こんなワクワクをもう一度味わえる幸せをかみしめている今日、このごろ・・・。



夫もブライダルサロンで試着

















航海日誌 2007年10月 ~ニューヨークで仕事

2007年10月31日 | 航海日誌・海外編




特設会場に設けられたランウェイ


さて、ニューヨークのブログに仕事の話題が出てこないので、”本当はNYで仕事をしていないのではないか?”という指摘を友人から受けた。

ごもっとも

仕事、しています・・・。ただ、その他の部分が楽しいので、つい・・・。そこで、今日は麦茶がNYでどんな仕事をしているか、というお話。

NYへは子供服の見本市のために、年に数回出かける。たいてい3月と10月。3月が秋冬物最大規模の見本市で、10月は春夏物コレクションだ。この2回でほぼ、仕入れができる。

今回は10月だったので、来年の春夏物の仕入れ。でもお店では夏物が終わり、冬物を扱っている季節なので、時々自分が何を仕入れなければならないのかわからなくなったりする。というもの、アメリカではお金持ちは冬でもマイアミやハワイなど、リゾート地にでかけたりするので、半袖商品を扱っているメーカーも少なくないからだ。いわゆるクルーズ・ラインというわけ。

クルーズ=船で海に出る

私が日頃夫のヨットに乗っているのとはずいぶんとちがう、お金持ちなイメージ

会場はハドソン川に近い巨大なコンベンション・センター。そこに何百ものメーカーがブースをかまえ、サンプルを展示している。

買い付けに行く=商品を持ち帰る

こう思っている方も多いようだが、実際には来シーズンの商品を発注することが私の買い付け旅行だ。もちろん、たまには現地のお店で調達することもある。でもアウトレットは粗悪品(規格外)があったり、小売店では商品が汚れていることも少なからずあるので、麦茶はできるだけメーカーから直接仕入れるよう心がけている。



ブース内のランウェイは机で!


各ブースは趣向を凝らしてサンプルを展示している。ブースを広くとっているショールームでは従業員の子供をモデルにして、ブース内に設けた机のランウェイで独自のファッション・ショーをしているところもある。照明の色や数、壁の色などによって商品が引き立つのだから、みな気合が入っていて3日間通って見ても全くあきない。あきないけれど、見るものが多すぎて具合が悪くなる。

何百というブースがあっても、”これを仕入れたい”とひらめくものは少ない。かといっていつも同じメーカーだけではお客様に飽きられてしまうし、おなじみのメーカーが毎回ヒット作をだしてくれる訳ではない。そこが仕入れの難しいところで、何度行っても巨大な会場を隅から隅まで丹念に歩いて探すことになる。

それでだいたい1日、2万5千歩


   
バイヤーに提供されるランチ、いつも美味


見本市ではもう一つ楽しみがある。朝9時の開場と同時に朝食、12時にランチ、午後3時にスナック、3回分のお食事クーポンがつく。上はランチの写真。3日間、毎日ちがうサラダとあたたかいパスタが出て、これがとっても美味しい!テーブルにはきれいなお花のアレンジが飾ってあり、疲れた体を癒してくれる。

歩いて、見て、かなり疲れたところで供されるランチ。同じテーブルに座ったバイヤー達とのおしゃべりも、私にとっては貴重な情報源だ。アメリカでの流行や、仕入れの方法など、今までにもこのランチの席でずいぶんと学ばせていただいた。





取引は可能な限り、信頼できるメーカーとしたい。それはメーカーさん側も同じこと。アメリカではオーダーしたにもかかわらず、納期間際になってキャンセルになったり、サンプルと現物の色が変わっていたり、納期が守られないなどというトラブルも少なくない。そんなことのない、しっかりとしたメーカーさんに、私も信頼してもらってよい関係を築いていけたらと思っている。

また、何度も取引するあいだに自然に親しくなって、3日間の見本市が終わった後ブランド・オーナーさんと一緒にお食事に出かけたり、なんていうこともたまにある。

”相手とよく知り合うにはまず食事。食べるという基本的な行動を共にすることによって、信頼関係が築かれる”

そう言っていたのは私の知人、大きな取引をたくさん経験した建築士さんだ。アメリカでは日本ほど取引先との接待はないけれど、確かに仕事のことだけでなく、お互いの家族のことなども気さくに話し合える人とは仕事もスムーズにいくことが多い。

子供服の仕事を始めて、今年で13年になる。乳飲み子を連れて実家に戻って、無我夢中で始めた仕事だ。それでもいまだに日々学ぶこと、多し。お店にいるだけではなく、外に出ることで気持ちが引き締まり、また改めてお店を大切に思う気持ちが復活する。

あとは事務仕事、このお話はつまらないので省略。ニューヨークでのお仕事はこんな感じ。

ね、ちゃんとお仕事、してるでしょ?


航海日誌 2007年10月 ~オータム・イン・ニューヨーク

2007年10月24日 | 航海日誌・海外編



ハロウィーンの飾りつけもここまですれば圧巻!



オータム・イン・ニューヨークって映画があったよね?」

夫がそう言ったのは、私が買い付けのためNYへ行く1週間ほど前のこと。そうそう、確かリチャード・ギアがでているのよね?私は観ていないけど。結婚してから家を空けるのは、今回が初めてだ。これでもいちおう”新婚”なので、2人ともちょっと感傷的になった。


仕事でいろいろな所へ行ったことがある夫も、なぜかNYへはまだ行ったことがないそうだ。そこで私は、いつも泊まっている従兄が住んでいる界隈のことを話して聞かせた。

彼が住んでいるアパートの、通りをはさんだ向かい側の建物はNYでも古くて美しいランドマーク的な存在なのだそうだ。そしてこの季節、その建物はもうひとつ別のことで話題になる。

それは最初の写真のハロウィーンの飾りつけ!ここまでするのはNYでも珍しいらしく、アメリカ人までが立ち止まって指差したり、写真を撮ったりするスポットだ。死体がいくつもぶら下がっていたり、近づくとおばけの声がする仕掛けがあったり。向かい側、6階の部屋にいても、子供が怖がって泣く声が時々聞こえてきたりする。

セントラル・パークの木々の葉も色付き始めるこの頃、ハロウィーンや感謝祭、そしてクリスマスに続くホリデー・シーズン気分の始まりとなる。



ピンボケだけど、撮影風景


このお向かいの美しい建物はまた、しばしば映画やドラマのロケにも使われる。昨年NYに行った時は、私が到着する前日にリチャード・ギアを見たと、従兄が言っていた。そして今年は前の週にキャメロン・ディアスを見たと。

ん~
なんで私がいる期間じゃないの?私も見たかった、キャメロン・ディアス!

そして翌日、私が仕事から帰ってくると、アパートの前に大型トラックが何台も停まり大賑わいになっていた。近くのアパートのドアマンに聞くと、どうやら映画の撮影らしい。ハロウィーンの飾りつけは取り外され、玄関の戸が開け放たれ、建物の中にも、外にもスタッフが大勢待機している。

キャメロン・ディアスはどこ

見当たらないので部屋に戻り、表に面したバルコニーに陣取った。下からは大道具のスタッフが「見ろよ!あの姉ちゃん、特等席だな!」と言っているに違いない様子で私を見上げてサインを送ってきた。

撮影はその日の夜と、翌日まる1日続いたが、私とて仕事をほったらかしにして見張っているわけにもゆかず、結局金髪のスターにお目にかかることわできなかった。

でもこんな風に、思いがけないお楽しみに出くわすことができるのもNYならではのこと。



地下鉄の駅構内にて


映画のロケほど大がかりでなくても、NYでは時々身近なところで意外にイケてるパフォーマンスに遭遇することもある。地下鉄の駅構内で突如踊りだすBoys、道端でバケツをひっくり返してドラムを演奏するおじさん、セントラル・パークでのイベントなどなど。

忙しいニューヨーカー達はこんなの日常茶飯事で気に留めることもないのかも知れない。でもはるばる日本から訪れている私にとっては、仕事の合間の楽しい気晴らしになる。


つづく・・・。































航海日誌 2007年7月 ロンドンの宿編

2007年08月06日 | 航海日誌・海外編



今度の宿は昔の貴族の館


1週間の予定のイギリス旅行もあっという間に終わった。出発する前日に修理に出してあったPCも直ってきたので、ここでまたこのブログを再開できる。

テンプレートも気分一新、ピンクとこげ茶のコンビネーション。これは3月にNYの子供服の見本市で、最新流行だった組み合わせを真似してみた。

みなさん、お元気でしたか?

昨年4月以来のイギリス、そして今回の旅行は今までとは少しちがった趣。なにしろ、なりたて夫と一緒、しかも4日目からは息子も合流。どんな旅になるのやら、2人の間に入って気を遣うのでは・・・と、少々心配だった。

旅の計画を始めたのは、出発日から1ヶ月を切った頃。色々と検討した時に、今回は”宿にこだわる”というテーマを決めた。利便性の高いホテル、古くても趣のあるホテル、小さくてこぢんまりしたホテル、どんなところにしよう・・・。そこでふと、思い出した。

仲良しの、その知人がロンドンの住宅街で昔の貴族のお屋敷を買い取って、知り合いを泊めている、というお話。彼も新婚旅行の時には、そのお屋敷に滞在したそうだ。

思い立ったらすぐ電話

すると、なんと!オーナーさんがカレの家に食事に来ていたところで、即座に宿がとれてしまった。ツイてる!

ヒースロー空港に降り立ったのは夕刻。緯度が高い上にサマータイムも実施されているので、まだ午後のような明るさ。でも雨が多いと聞いていたとおり、ものすごい蒸し暑さ!パディントン駅からタクシーに乗り10分。繁華街から北へ向かい、なだらかな坂道を上ってゆくと閑静な住宅街、ハムステッドに入る。



近くには美しい自然を残した公園、Hampstead Heath がある


今度の宿はここにある。小路を突き当たったところに、 ELM BANK という名の館は静かに立っていた。エルム、”楡の木”の名にふさわしく、昔は楡の並木道だったそうだ。残念ながら今では楡の木を枯らす菌が広がり、いまではその菌に強い菩提樹に植え替えられつつあるそうだ。

門から砂利を踏みしめて入っていくと、庭のラベンダーの香りが私達を向かえてくれた。窓からオーナーのSさんが顔をのぞかせ、玄関にまわってきてにこやかに迎え入れてくれた。吹き抜けになった玄関ホール、凝った装飾のある大理石のマントルピース、大きな窓から見渡せる自然の趣を残した庭。ホテルに慣れている私達にはすべてが新鮮で、ゴージャスで、しばらくの間、ポカンと口を開けて立っていた。



美しいダイニング・ルーム。日本人のセンスではなかなかこんな装飾はできなさそう・・・。


案内されたのは増築部分にある部屋。ずっと日本にいる病気の親族を看病なさっていたため、ここに人を泊めるのは5年ぶりとのこと。部屋は少しカビくさかったが、不快なにおいではない。ただ、長い間使われていなかった部屋のにおいだ。清潔にお掃除され、独立したバスルームと、小さなキッチンが付いている。素晴らしい!

日暮れまでまだ時間があったので、近所の散策に出かけた。おしゃれな台所用品のお店や、各国料理のレストランが並ぶ駅周辺は、いかにも高級住宅街といった趣だ。パブに入って軽く食事をした。そのパブもいかにも昔風ではなく、若者から老人までが気楽に食事をできるおしゃれな雰囲気だった。



ピンボケだけど、お庭に現れたきつね


翌朝、日本にいる両方の両親にメールをしようとして、まだ寝ている夫を起こさないように庭に出た。すると・・・。裏口に続く小路でばったりきつねと遭遇した。どちらも驚いたが、きつねはダッシュで逃げるのではなく、じっと、私を見つめた後、本館に面した庭に悠々と消えていった。

朝食はSさんがミニキッチンの冷蔵庫に準備してくれたパンやハムで、自分達の好きな時に、好きなように済ませる。食事のたびに一々出かけなくていいのがうれしい。リッチで、プライバシーが守られて、私が大好きな滞在型の宿だ。

私と個人的にお知り合いで、ご興味のある方にはご紹介できます

貴族の館で始まる、イギリスの旅。幸先のよいスタートだ。

























いよいよ出発!

2007年07月11日 | 航海日誌・海外編



この飛行機に乗って出発!


イギリス旅行への出発もいよいよ明日。

巷ではこれを新婚旅行と呼ぶらしいけれど、私にしてみれば苦行以外のなにものでもない・・・。だって息子の学校で「私、再婚しました。これが夫です。」と先生方に紹介しなければならないのだ。照れくさいことこの上ない・・・。でも避けては通れない。

100歩ゆずって、それはがんばるとする。でもひとつだけ気がかりなことがある。実は息子が5月末に帰国した際、息子にこう言って送り出したのだ。

「あなたがいない間に勝手に結婚したりしないから、安心して行ってらっしゃい」

彼にはまだ、入籍とか、戸籍とか、事務手続きの難しいことはわからない。でも理解してくれるかどうか、少し不安を感じている。彼によかれと思ってしたことなのだけれど・・・。

そんなわけでこのブログもしばらくお休み。その間に職場で使っているパソコンも修理に出した。

どうかみなさんの勇気をわけてほしい。応援していてね。








航海日誌 2007年3月 NYの従兄のアパート編

2007年05月20日 | 航海日誌・海外編


 今度はペントハウス・暖炉付き!


以前のブログで書いたNYの従兄が最近お引越しをした。フリック・コレクションのご近所からホイットニー美術館のご近所へ。前よりも更に静かな住宅街だ。マディソン・アベニューは72丁目を境に、ショッピング・ストリートから住宅街へと様相を変える。マンハッタンに住む人なら誰もが一度は住んでみたいと思う、憧れの住宅街だ。

以前の住まいは1Fにブティックが入った15階建てで、24時間ドアマンが常駐している便利なアパートだった。今度は小さな6階建ての古い建物、以前はお金持ちが建物丸ごとを住居にしていたらしい。その建物を各フロア2分割にして、賃貸で貸し出しているこぢんまりとしたアパートだ。もちろん、ドアマンもいない。

彼のような独身には、ドアマンがいないのはひどく不便だ。宅配便の受け取りやクリーニングが返ってきたときなど、受け取ってくれる人がいないこのアパートに引っ越すにはそうとう躊躇したようだ。

でも部屋をひと目見て、「住んでみよう」と決めた理由は最初の写真。建物の6Fのペントハウスで、暖炉や、数ヶ所の小さな階段、2ヶ所にあるバルコニーなど、小さな魅力があちらこちらにあったからだそうだ。

日本でいう1LDKの間取りだが、LDの部分が日本とは比べ物にならないくらい広いので、窓辺にバー・カウンターを置いたり、カフェ・テーブルにキャンドル・スタンドを並べたりと、マンションに両親と息子と4人で暮らす私にとっては雑誌の中でしかお目にかからない優雅な空間だ。


 ダイニング・スペース


ホテルの価格がべらぼうに高いNYで私に宿を提供してくれるありがたい彼は50歳、独身の弁護士だ。ヒュー・グラント似(友人談)よりもハンサムで、とてもジェントルマンなのに未だに独身なのはえり好みが激しいからだと思う。彼の写真を見た友人は一人残らず「行け!麦茶!」と言う。でも、彼は大好きだった、亡くなった私の伯父にそっくり。だから男性としてみたことはない。やはり私にとっては”家族”でしかない。

私の就寝スペースはリビングルームにあるこの暖炉の前。最初の写真右側の白いソファがダブルベッドに変わる。冬場は暖炉の薪がパチパチとはぜる音を聞きながら、本物の火のやわらかい暖かさに包まれて眠りに落ちる。これぞ贅沢!

なぜかリビング・ルームにはいつまでたってもカーテンが付かないので、時差で早朝に目覚めたりすると、摩天楼の間からのぞく空に月が出ていたり、空が白んでくるのを寝ながらにして眺めることもある。


 表のバルコニーから見えるセントラル・パークの池


こんな風に自分のアパートが私のブログで紹介されていることを彼が知ったら、彼は激怒するかも・・・。でもあんまり素敵なので書かずにはいられない。6泊8日の買い付け旅行を、3食外食していたら、私は体調を崩してしまう 日本のスーパーでは見かけない食材を買ってきて、小さなキッチンで料理するのもNYに住んでいるような気分が味わえて、また、楽しい。

ほんの1週間だけ、私の本拠地となるアパート。従兄に感謝