
新たな本との出会い
結婚して2度目の夏休みも無事終わり、息子も学校へ戻って行った。
私たちふたりとも、ようやく新しい姓にも慣れて、呼ばれてもすぐに返事ができるようになってきた。気を抜いていない時に限るけれど。
私は銀行口座やクレジット・カードはまだ旧姓のまま、仕事でも旧姓使用で通している。
でも運転免許証や、パスポートの名前を変えてしまったので、旧姓使用もそろそろ限界かな、と最近感じるようになってきた。
そして唐突に、今日は久しぶりに本のお話。
昨年、まだ夫と入籍する前、本屋さんで1冊の本と出会った。夢枕獏著の ”陰陽師” シリーズだ。
今日のタイトルの ”呪” とは、なにやら恐ろしげな、不気味なイメージがある。でもここでは、この字は ”のろい”とは読まずに ”しゅ”と読む。
とても有名で映画化もされたので、本好きの方はとうの昔に読んでいらっしゃることだろう。なのに私は以前から読んでみたいと思っていたのに、なかなか手にする機会がなかった。
この時、私はまるでこの本に手招きされるかのように、この書棚の前に立った。
”あぁ、ここにあったのね” それが最初に感じたこと。
活字中毒を自負し、本を切らすことなどない私だが、稀にこんな、びっくりするような本との出会いがある。
読み始めて、一気にその幻想的な世界のとりこになった。ストーリー性は言うまでもないが、この物語で一貫して語られる ”呪”が、この時の私にとって、これ以上ないほどタイムリーなテーマ性を持っていたからだ。

平安時代のお話だから、写真も和風のお花で
物語は安倍晴明と友人の源博雅の会話から始まる。博雅は晴明に尋ねる。
「”呪” とはなんであろう?」
すると晴明は、庭に咲く花を指差して答える。
「あそこに花が咲いているであろう。あれに人が”藤”と名を付けて、みながそう呼ぶようになる。すると、それは”藤の花”になるのだ。それが最も身近な”呪 ”だ」
すでにご存知の方も多いだろうけれど、これが物語の冒頭だ。
ちょうどその頃私は、息子が私の再婚に伴って名前が変わるのに難色を示しているのに悩んでいた。
そもそも、男として生まれた人は、生涯名前が変わるということはないハズだ。でも息子は、生まれた時の名前(覚えていないにもかかわらず)、そして私の旧姓と、すでに2つの名前を経験した。
確かに、イヤだろうなぁ・・・。
不思議なもので、その名前と付き合っているうちに自然と、名前=人格となっている人が多いような気がする。うまく言えないのだけれど、友人、知人を見ていて、名前と人となりが合致しているように思える。
息子はそこまで深くは考えていないだろうけれど、その戸惑いはよく、わかる。
私の旧姓はちょっと変わっていて、自然を現す漢字4文字から成り、自分で言うのもヘンだけれど、とても気に入っていた。
けれど残念なことに、私の場合は名前負け。
名前≠人格
もしくは
名前>人格
・・・・・

前の結婚の時は約2年、元夫の姓を名乗ったけれど、離婚調停が始まる頃、つまり1年半たった時点には、元夫の姓を名乗り続けるのは恥だと思うようにまでなっていて、自分は ”旧姓の自分のままだ!”と自分に言い聞かせていた。
そして再婚を前に、35年もその名前で過ごしてきたのに、今更違う名前になれるのだろうか?と自問自答する毎日だった。
その名前を名乗るって、いったいどういうことなんだろう?

私の友人、カナちゃんは結婚前に
「名前なんて、私にとっては番号みたいなもの。旧姓だろうと、夫の姓であろうと、自分であることに変わりはないから」
ときっぱりと言い切った。
反対にミナミちゃんは
「私は夫婦別性の法律ができたら結婚しようと思ってます。自分がこの名前であることが、大切だから」
そう言って、素敵な結婚式を挙げて、日頃はご主人の姓を名乗っているにもかかわらず、実は、未だ入籍していない。
私にとって名前とは決して、クラス替えのたびに変わる出席番号ではないけれど、かと言って、入籍しないまま旧姓を通したいと思うほどでもない。
むしろ今回は夫と自分、そして息子が同じ姓を名乗り、新たに家族として生きていくひとつのこだわりとして、すすんで夫の姓になることを望んだ。
昨年、息子の夏休みの帰国を待たずに自分達の入籍、そして息子の養子縁組の書類も出してしまったことも、その意思の表れだもの。
そして、その頃に読んだのが、この本。
「誰かが物に名前を付けて、みんながそう呼ぶ。すると、そうなる」
自分がそう名乗り、みんなからそう呼ばれることで、新しい環境の自分に馴染んでいく、それだけのことなのかも・・・。
それこそが、安倍晴明が語った ”呪”であり、それを教えてくれたのが、この本なのだ。
そして、息子を迎えに行ったロンドンでのこと。
ただでさえ親が学校に現れるのは恥ずかしい年頃なのに、学期が始まった時点ではいなかったハズの、新しい父親までもが学校に現れ、おかんむりだった息子

ホテルに戻ってからも息子は、自分の留守中に母の心を奪った、この人物を何と呼んだらよいのかわからずに
「あの~」
とか
「ねぇ」
とか、呼びかけていた。
そこで私は思い切って、耳打ちした。
「お父様って、呼んでごらん。ちゃいちゃん(元の愛称)って呼ぶのと同じことよ。 ”お父様”ってあだ名だと思って」
息子は ”え゛~!!”という表情を見せたが、私はしらんぷりしていた。
そして翌々日、部屋で朝食を取っていた時のこと。息子が会話の中でさりげなく ”お父様”と呼んだのだ。
その瞬間、夫は息子にとって父親となり、息子は夫の子供となった。
最も身近な ”呪”、それは名前・・・。
息子が新しい名前になるのをいやがった理由。
実は学校に、不気味だから ”ブッキー”とあだ名される同じ姓の先生がいっらっしゃるからだと判明したのは、帰国後だった・・・
