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航 海 日 誌 ~Log Book~

仕事や旅行で訪れた国や街の思い出、日々の小さなできごとをつづります。

”呪”について ~ 陰陽師・安倍晴明が語る名前のお話

2008年09月18日 | 心の整理・整頓




新たな本との出会い


結婚して2度目の夏休みも無事終わり、息子も学校へ戻って行った。

私たちふたりとも、ようやく新しい姓にも慣れて、呼ばれてもすぐに返事ができるようになってきた。気を抜いていない時に限るけれど。

私は銀行口座やクレジット・カードはまだ旧姓のまま、仕事でも旧姓使用で通している。

でも運転免許証や、パスポートの名前を変えてしまったので、旧姓使用もそろそろ限界かな、と最近感じるようになってきた。



そして唐突に、今日は久しぶりに本のお話。



昨年、まだ夫と入籍する前、本屋さんで1冊の本と出会った。夢枕獏著の ”陰陽師” シリーズだ。

今日のタイトルの ”呪” とは、なにやら恐ろしげな、不気味なイメージがある。でもここでは、この字は ”のろい”とは読まずに ”しゅ”と読む。

とても有名で映画化もされたので、本好きの方はとうの昔に読んでいらっしゃることだろう。なのに私は以前から読んでみたいと思っていたのに、なかなか手にする機会がなかった。

この時、私はまるでこの本に手招きされるかのように、この書棚の前に立った。

”あぁ、ここにあったのね” それが最初に感じたこと。

活字中毒を自負し、本を切らすことなどない私だが、稀にこんな、びっくりするような本との出会いがある。

読み始めて、一気にその幻想的な世界のとりこになった。ストーリー性は言うまでもないが、この物語で一貫して語られる ”呪”が、この時の私にとって、これ以上ないほどタイムリーなテーマ性を持っていたからだ。



平安時代のお話だから、写真も和風のお花で


物語は安倍晴明と友人の源博雅の会話から始まる。博雅は晴明に尋ねる。

「”呪” とはなんであろう?」

すると晴明は、庭に咲く花を指差して答える。

「あそこに花が咲いているであろう。あれに人が”藤”と名を付けて、みながそう呼ぶようになる。すると、それは”藤の花”になるのだ。それが最も身近な”呪 ”だ」

すでにご存知の方も多いだろうけれど、これが物語の冒頭だ。

ちょうどその頃私は、息子が私の再婚に伴って名前が変わるのに難色を示しているのに悩んでいた。

そもそも、男として生まれた人は、生涯名前が変わるということはないハズだ。でも息子は、生まれた時の名前(覚えていないにもかかわらず)、そして私の旧姓と、すでに2つの名前を経験した。

確かに、イヤだろうなぁ・・・。

不思議なもので、その名前と付き合っているうちに自然と、名前=人格となっている人が多いような気がする。うまく言えないのだけれど、友人、知人を見ていて、名前と人となりが合致しているように思える。

息子はそこまで深くは考えていないだろうけれど、その戸惑いはよく、わかる。

私の旧姓はちょっと変わっていて、自然を現す漢字4文字から成り、自分で言うのもヘンだけれど、とても気に入っていた。

けれど残念なことに、私の場合は名前負け。

名前≠人格

もしくは

名前>人格


・・・・・


前の結婚の時は約2年、元夫の姓を名乗ったけれど、離婚調停が始まる頃、つまり1年半たった時点には、元夫の姓を名乗り続けるのは恥だと思うようにまでなっていて、自分は ”旧姓の自分のままだ!”と自分に言い聞かせていた。

そして再婚を前に、35年もその名前で過ごしてきたのに、今更違う名前になれるのだろうか?と自問自答する毎日だった。




その名前を名乗るって、いったいどういうことなんだろう?







私の友人、カナちゃんは結婚前に

「名前なんて、私にとっては番号みたいなもの。旧姓だろうと、夫の姓であろうと、自分であることに変わりはないから」

ときっぱりと言い切った。

反対にミナミちゃんは

「私は夫婦別性の法律ができたら結婚しようと思ってます。自分がこの名前であることが、大切だから」

そう言って、素敵な結婚式を挙げて、日頃はご主人の姓を名乗っているにもかかわらず、実は、未だ入籍していない。

私にとって名前とは決して、クラス替えのたびに変わる出席番号ではないけれど、かと言って、入籍しないまま旧姓を通したいと思うほどでもない。

むしろ今回は夫と自分、そして息子が同じ姓を名乗り、新たに家族として生きていくひとつのこだわりとして、すすんで夫の姓になることを望んだ。

昨年、息子の夏休みの帰国を待たずに自分達の入籍、そして息子の養子縁組の書類も出してしまったことも、その意思の表れだもの。

そして、その頃に読んだのが、この本。

「誰かが物に名前を付けて、みんながそう呼ぶ。すると、そうなる」

自分がそう名乗り、みんなからそう呼ばれることで、新しい環境の自分に馴染んでいく、それだけのことなのかも・・・。

それこそが、安倍晴明が語った ”呪”であり、それを教えてくれたのが、この本なのだ。



そして、息子を迎えに行ったロンドンでのこと。



ただでさえ親が学校に現れるのは恥ずかしい年頃なのに、学期が始まった時点ではいなかったハズの、新しい父親までもが学校に現れ、おかんむりだった息子

ホテルに戻ってからも息子は、自分の留守中に母の心を奪った、この人物を何と呼んだらよいのかわからずに

「あの~」

とか

「ねぇ」

とか、呼びかけていた。

そこで私は思い切って、耳打ちした。

「お父様って、呼んでごらん。ちゃいちゃん(元の愛称)って呼ぶのと同じことよ。 ”お父様”ってあだ名だと思って」

息子は ”え゛~!!”という表情を見せたが、私はしらんぷりしていた。

そして翌々日、部屋で朝食を取っていた時のこと。息子が会話の中でさりげなく ”お父様”と呼んだのだ。

その瞬間、夫は息子にとって父親となり、息子は夫の子供となった。





最も身近な ”呪”、それは名前・・・。






息子が新しい名前になるのをいやがった理由。

実は学校に、不気味だから ”ブッキー”とあだ名される同じ姓の先生がいっらっしゃるからだと判明したのは、帰国後だった・・・










今、この時に、この人と

2008年07月10日 | 心の整理・整頓





先月、父が脳梗塞で入院した。

早朝の電話の音。だいたいが、不自然な時間にかかってくる電話は、不吉な知らせだ。

朝目覚めた父は、トイレに行こうと立ち上がった時に、左半身が動かなくなりそのまま救急車で運ばれたそうだ。

命の危険はなかったものの、大変な障害が残るのではないかと心配した。ICUで寝たきりの父を毎日見舞いながら、これから先寝たきりになって生きていくのは、父にとって死ぬよりも辛いことなのではないかと考えていた。

でも、そこは元パイロット。パイロット現役時代は、超人的な身体検査を半年ごとにパスしてきた元・健康体。脳梗塞でも比較的軽くて済んだのは、本当に幸いだった。

一般病棟に移りリハビリを始めた父は、理学療法士さんも驚く速さで快復している。

そんな時、ふと、思い出したことがある。

私が30代も後半に差し掛かり、両親の横顔を見ながら”あぁ、親も歳をとるんだなぁ”と気付いた時のこと。

もしこのまま誰にもめぐり会えずに、両親に介護が必要になるくらい老いたら、私は結婚のタイミングを逃して、一生ひとりで生きていくことになるんだなぁ、って。

漠然と、そんな風に考えていた。

もちろん、親に介護が必要な状況でも、結婚できないことはないだろう。ただ、”この先、介護をどうしよう”とか、”相手に迷惑をかけるのでは?”などとあれこれ考え、二の足を踏むことは間違いない。

そういう意味で、昨年結婚したのは、本当にぴったりのタイミングだったとしか言いようがない。

前回のブログ ”結婚の理由”では、人はどんな時に結婚を考えるのかということを、夫の意見と共に書いたので、今日はその続き。






ちょっと話は逸れるけれど、私には一風変わった経歴を持つ友人がいる。

CA時代、1年後輩のハナちゃん。私と同時期に結婚したものの、夫の暴力に7年耐えた後、離婚。そして彼女はコツコツと長年勉強を続け、なんと!占い師に転身した 4月に久々に再会した時、

「私、口コミで売れっ子なんですよ」

と言った表情が、とても誇らしげで印象的だった。

女の子が集まれば、占いの話で盛り上がること、必至。今やハナちゃんは占いを生業としているので、詳しく鑑定してもらうにはアポをとらなければならないが、そこは古いお付き合い。会話の中でちらちらと、占ってくれた。





今、この時に、この人と。

これは、夫の言葉だ。結婚を決意する時の理由をあれこれと、話し合っていた時だ。

「人は、好きだけで結婚する訳じゃないでしょ。将来ひとりだったら寂しいからとか、子供がほしいとか、経済的に安定したいとか、いろいろなことを総合的に判断して将来を描けるようだったら、結婚を決意するんだよ」

妙にナットクしかけた、その時。

「ボクだって、そうだったもの」

夫は言わなくてもいい一言を、言ってしまった。

「え~ 好きで、好きでたまらないから、結婚してくれたんじゃないの?」

私はわざと、精一杯哀れっぽい表情を作って夫に問いかけた。でも、間髪入れずに返ってきた答えは、お見事だった。年の功なのか?

「もちろん、そうだよ」

これ、のろけているのでは、ない。ただ私は、結婚する時には誰にでも、多かれ少なかれの打算はある、と言いたいだけ。どんなに優しい人でもその日の生活にも困るような人でダメだし、どんなにイケメンでも浮気ばっかりしている人はイヤだし。

夫の言葉通り、私も無意識のうちに、夫を総合的に評価して、結婚を決めたんだ。もう少し、ロマンティックな言い方をするならば、自分と同じ波長を持った人がそばに現れた時、私の ”動物的・勘”は、夫のそれとシンクロしたことを察知したのだ。

そしてまた、夫も。

「今、この時に、この人と結婚するっ!て思えるタイミングが、あるんだよ」

いつもと変わらない口調だった。







「麦茶さん、去年結婚してよかったですね。一昨年でも、今年でもダメでした。去年しかなかったんです。出逢うべくして、出逢った方ですね。大丈夫、今度は幸せになれます」

にっこり、笑ってハナちゃんは言った。

その時は ”幸せになれます”の下りだけを聞いて喜んでいた。でも今回、父の入院の知らせを聞いたある友人が言った。

「あなた、去年結婚しててよかったわね。お父様が寝たきりになってたら、結婚できなかったものね」

その時、頭の中で様々な想いと共に、ハナちゃんの言葉が、シンクロした。折りしも、自分で同じことを考えていたから。

やっぱり、そうなんだ

あの時、この人と結婚するしかないっ!そう閃いたのは、間違いではなかったんだ。自分ではそうと気付かずに、でもちゃんと、運命の流れに乗っていた。

本当に大切なものは、目の前に現れればちゃんと、それとわかるのだ

長い間自信をなくしていたけれど、もう少し、自分を信頼しても大丈夫な気がしてきた。

そんな私、先月結婚1周年を迎えた。




再会一周年

2008年04月21日 | 心の整理・整頓



マンション裏の神田川


1月からごぶさたしておりました。

グアムでの結婚式のお話など、かなり笑える話題があったにもかかわらず、1月から自分の気が下がっていて、いまひとつブログを書こうという気分になれずに・・・。

春に向かって病気や気分が上がる前に、人は一瞬落ち込むことがあるらしい。それは桜の木が花を咲かせるために、たいへんなエネルギーを必要とするのと同じように、人も春に向かっての体制を整えるためにエネルギーをたくさん必要とするからだそうだ。

妙に、納得。

美しいと思いはするけれど、人の心をかき乱すように咲いて、散る桜の季節を、私はあまり好きになれない。

桜も散り、すっかり葉桜となった頃、私のパワーは再び上昇し始める。新緑の頃は、一年で最も好きな季節だ。

さて、今日のブログの本題。少し前、春休みで帰国していた息子と夫がテレビで ”SASUKE” を見ていてふと、思い出した。

昨年、この ”SASUKE” が放送されたのは、春分の日だった。なぜ覚えていたかというと、その日は息子と夫が3年ぶりに再会した日だったからだ。夫とのデートはその時点で3回。夫のマンションに息子と招待され、マンション裏の神田川沿いの桜を見ることになっていた。

ところが・・・。

暖冬だった昨年の開花予想では、春分の日にはもうかなり桜が咲いているはずだったにもかかわらず3月に入ってから寒さがぶり返し、その日はまだちらほら枝の先に花が咲いている程度だった。直前に夫からもらったメールには、こう書いてあった。

”気象庁に石を投げておきます”



こんなところにも花が・・・


その日は最寄のJRの駅で待ち合わせ、夫のマンションでケーキをごちそうになり、神田川沿いを散歩して早めの夕食のため鉄板焼き屋さんへ。

大将が焼いてくれるのを目の前で見られるカウンター席に3人並んで座った。夫との関係に敏感に反応した息子。席順は息子・私・夫。その時にお店のテレビでやっていたのが ”SASUKE” だった。

途中私がお手洗いに立つと息子は私の席に移り、男子ふたりが並んでテレビを見るような席順になった。それを見て、私はかなりほっとした。

しかし、そう話はうまく運ばなかった

お手洗いから戻ってみると、チャンネルはフィギュア・スケートにかわっていて、息子は元の席にもどっていた。ふたりの間の空席が、その時の関係を象徴しているように、がら~~んとして見えた。

先行き、不安・・・。

緊張気味の3人での食事が終わり家路につくと、息子が言った。

「桜が咲いたら、早起きしてもう1度見に来られるかな?そしたらちゃいちゃんが会社に行く前に会えるし」

”ちゃいちゃん”とは、夫の親戚の間での呼び名だ。それを聞いて私はとても嬉しくなった。息子の了承なしには、結婚はありえなかったから。そして夫にもメールでその言葉を知らせると、夫も救われたような気がしたそうだ。

あれから1年。モデルルームのようにきれいだった(実際、棟内モデル・ルームとして使われていた)夫・1人暮らしのマンションに、倍の人数で引っ越して、占拠するように自由に使わせてもらっている。

再会1周年。

最近になってようやく、夫も遠慮なしに息子の言葉遣いや態度を注意したり、叱るようになった。仲のよいふたりを見て、いつも思っていた。中学生の息子がこんなに父親と仲がよいからこそ、まだ本当の親子ではないんだなぁって。

そんな気の置ける関係が変化してきたのを見るのは、私にとって喜びでもありドキドキ・ハラハラでもある。夫が息子を叱ることによって、ふたりの関係が悪くなってしまうのではないかと心配する必要がなくなったときこそ、真に親子になれたということだろう。

”ふたりで勝手にやって”

そんな風に言える日が一日も早く来ますように・・・。

日増しに濃くなる緑を見ながら、息子の成長に重ね合わせている今日、この頃だ。


















始まりと終わりと、終わりと始まりと

2008年01月22日 | 心の整理・整頓




チャペルの祭壇


怒涛の年末年始は、クリスマス前の3連休から始まった。

クリスマス会や忘年会が目白押し、その上、私は今さらながらにマリッジ・ブルーに陥った。年が明けて、1月3日に控えた結婚式。もう夫と一緒に住んで半年も経つというのに。

街がクリスマスやお正月気分で華やげば華やぐほど、情緒不安定に。

息子が学校から帰って来て、またにぎやかになった我が家。もちろんあいかわらず3人”川”の字で寝ているのだが、今や3本の棒はすべてほぼ同じ長さ。中1になっても甘えん坊な息子にあきれつつ、新しくお父さんとなった人とのスキンシップが、今の彼に必要なのかとも思ったりする。

そんなある晩、まるで息子は5歳児に戻ったかのように私に体をすり寄せてきたので、昔のように肩を抱いてやった。

すると・・・。

当時の感覚がよみがえってきた。あの頃もよく、こうやって息子と一緒に寝たっけ。息子と自分と、それ以外に何もないように思っていた頃だった。

す~っと、目から涙

「涙がでこ(おでこ)に当たったよ」

寝ぼけた様子で、あの頃に使っていた言葉そのままで言う息子、それを聞いてなにごとかと起き上がる夫。でも何も聞かずに息子と私にそっと腕をまわしてくれた。

もう、ダメ

1人でいた頃の寂しさや、悲しさや、切なさが津波のように押し寄せてきて、涙が止まらなくなってしまった。もう1人でがんばらなくていいという安心感に、今まで張り詰めていた緊張の糸が切れたようだった。

そんな情緒不安定な中で迎えた結婚式。本当に親しい家族、親族総勢12名でグアムへ向かう。



リング・ピロー


こんな気持ちで、ちゃんと結婚式に臨めるのだろうか・・・?ますますつのる不安


でも物事はなるようにしか、ならないのだ!

あっという間に出発の日はやってきた。なにせ85歳の義父を車椅子に乗せ、グアムのホテルに入ったのは午前3時。そして朝7時半から結婚式の打ち合わせが入っている。

ほんの数時間仮眠した、といったかんじで慌ただしく支度をする。大きな風呂敷にNYでゲットしたドレスや下着、アクセサリーをまとめてホテル内にあるブライダルサロンへ。

その後はすべて人任せ。夫は着替えるだけしか支度がないのでみなと朝食をとりにいったものの、私は衣装の最終確認やヘア・メイクと、すべてが流れにのって勧められる。

そう、心配したってしょうがない。
みんなこうやって、お正月に、はるばるグアムまでだって、来てくれたじゃない!



挙式後のみんなの様子



今までだって、1人きりではなかったのだ。ただ、意見の違いから反発したり、疎遠になったりしていただけで、本当は大勢の人がそばにいてくれたのだ。それに自分が気付けなかっただけ。

ちなみに、先日 happy-san にしていただいたオーラソーマのイヤー・ボトル・コンサルテーションでは、今年の私に必要なのは”同じ物事を別の視点から見て、新たな見方があることに気付くのが大切”なのだそうだ。

だったらほら

ちゃんと気付いて、それに感謝できるようになった自分を新たに発見できた。

グアムでの結婚式の様子はまた後日お知らせするとして、やはりけじめとして必要な儀式だったのだなぁと、今あらためて、思う。

今までの自分との決別、そして新しい家族3人での生活の始まり。神様と、牧師様と、そして家族の前でそれを守っていくことを誓う、大切な儀式だった。

終わりと、始まり・・・。

そして帰国後、一つの終わりがあった。

17年間、生活を共にしてきた実家のねこが亡くなったのだ。

年末から元気がなくて心配していて、家族が留守の間はねこ好きの知人が朝から晩まで通ってきてそばにいてくれたのだが、両親が帰宅した時には歩けないほどに衰弱していると連絡を受け、私は車をとばして実家に戻った。

動くことも出来ず、テーブルの下にうずくまっていたのに、私が着くと

”まだ、歩けるよ”

といった顔をして、下半身を引きずって前足だけでテーブルの下から出てきて見せた。



ロン毛の美ねこでした


その夜は苦しかったようだが、翌日私が息子を連れて会いに行くまで待っていてくれた。もう横になったきりで動けなかったが、私達が行くとわずかにまぶたを開けて見てくれて、そして30分後にみんなが見守る中息を引き取った。

ねこは犬とちがって、愛情をめいっぱい振りまく性質ではない。特に我が家のチンチラ・シルバーは気位が高く、家族にもあまりなつかないねこだったけれど、それでも”いつもそばにいるよ”と気配を感じさせてくれるさりげない気遣いにどれほど慰められたことか・・・。

友人が言った。

「あなたが結婚式をして、幸せになるのを見届けて亡くなったのね」

始まりと終わりと、終わりと始まり。

私にとって大きな節目となった年末年始は、こうして終わり、息子も学校へ戻って行った。


みなさん、今年もよろしくお願いいたします。


入籍前日

2007年06月25日 | 心の整理・整頓



家中ピカピカにしてくれたプロのお掃除屋さん


ヒジョーに突然だが、明日入籍することになった

来月のイギリス行きを前に、双方の両親が「入籍して行け!」と騒ぎたてるからだ。こっちもそのつもりだったのに。まったく親って・・・。

入籍するってことは、一緒に住むってこと?完全引越しは息子が夏休みに帰ってきてからの予定だったので、なんの準備もしていない!当座、彼の家に住めるように、衣類や身の回りのものを慌ただしく箱詰めして送る。

当然、送ったものはしまわなければならず、ここ数週間、私は金曜の夜から彼の家にカンヅメになり、月曜の朝に出勤するまで、ひたすら掃除、片付けをしている。

週末彼の家に泊まっていると話すと、”ムフフ”な顔をする友人がたくさんだ。でも現実のところ、とてもムフフどころではない。夜になると疲労困憊で、新しく購入したシングル・ベッドがふたつぴったりと並ぶ寝室で、私達は枕に頭を付けた瞬間に寝入っている。いつ、なんどき、人が寝室に入ってきても、なんの心配もいらない。

ここへきて、おじちゃまもさすがにマズイと思ったようで、先週末プロのお掃除屋さんを頼んでくれた。最初の写真がその時の様子。

日曜日の朝9:30に、大の男3人が掃除用具一式を携えて現れた。その様子を見ていて”さすがはプロ!”と思う。エアコン、浴室など、時間がかかる部分から始め、窓ガラス、サッシ、電気の傘、床へと会話も交わさずに進んでいく。

男性1人暮らし6年のマンションは、私には想像もつかないところが汚れている。お部屋だって、窓だって、物がなくて見た目はきれいに見えた。だから私がプロのお掃除屋さんを頼んだら、きっと台所の換気扇とか、窓のサッシなどを重点的にお願いするだろう。でもこの日、浴室のお掃除に入った男性には、結局お掃除が終わるまで一度もお会いしなかった。見た目はそれほど汚れていなくても、プロ意識を刺激する何かを彼は浴室で見つけたのだろう・・・。お疲れ様。

夕方になってもお掃除は終わる気配がなく、午後4時になって、応援の男性がもう1人現れた!結局男性4人で夜の18:30まで、9時間かけてきれいにしてくれたことになる。どうりで私がお掃除しても満足しないハズだ。


そして平日、昼間はいつもどおりに仕事をし、家に帰るとまた、ひたすら片付けと物の仕分けだ。学校から帰って来た息子が”僕のいない間に母が引っ越した”と、怒ることのないように、見た目には荷物が減っていることに気付かれないような片づけをしている。母親としては当然の配慮だろう・・・。

ところで、片付けているのは部屋だけではない。トランク・ルームにも手を付けた。すると、奥のほうから出てきたのが・・・、最初の結婚の時に着たウエディング・ドレスだ



すさまじい量のチュール・レース


最初の結婚はバブル時代。日本でレンタルするよりも、イギリスで作ったほうが安い、という理由でロンドンでオーダーしたものだ。アイボリーのレースとシルク・タフタが美しい、大好きなドレスだった。でもまさか、ウエディング・ドレスのリサイクルはありえない。レース部分だけ袋物に加工しようとパニエ(ペチコート)部分を切り離しにかかった。

恐ろしい量のチュール・レース・・・・。

上の写真がそのパニエ。切り離すのに3晩かかった・・・。無駄な時間を使ったかも。

引越しもそこそこに、明日はふたりが出勤する前に、区役所へ婚姻届と養子縁組届を出しにいく。そして私達は夫婦となる。普通とは順序が逆。ふつうは付き合うようになり、周囲に認知され、結婚の話が出て、日取りを決めつつ挙式などの準備をする。でも私達は式も、パーティも、まだ何も決まっていない。

別にしなくてもよいのだが、双方の親がそれでは黙っていないだろう。加えて息子。以前、駆け落ちして出産した姪の世話をした友人がこう言っていた。

「きちんと祝福を受けていない身内の”性”は受け入れがたい」と。

きっと、思春期の息子も、私がなしくずし的に彼と暮らし始めることは受け入れられないだろう。彼のためにもけじめとして結婚式か、小さな披露宴をしなければいけないと思っている。

今、とりあえずプチ・引越しの準備をしても、結局は実家と行ったり来たりになるのだろう。まぁ、それもよし。明日は早いので、今夜は彼が私の実家で食事をした後、私は彼のマンションに泊まる。独身最後の夜というわけね。ということは、両親にも挨拶をしなければ・・・。

”今までありがとう。もう2度と帰ってきません。”

なんだかヘンだけど、それが私の本音だもの。























入籍前の物思い・・・

2007年06月21日 | 心の整理・整頓




書類の記入は簡単なようで難しい・・・


2月に彼と再会してから4ヶ月で、来週、入籍することになった。自分が再び誰かの”奥様”になるなんて、信じられない。

こんなに早く入籍することになったのは7月のイギリス行きのため。2週間前に彼が急に「7月に1週間休暇を取れるから、夏休みに入る時Rを迎えに行って、学校に挨拶をしてこよう」と言い出したからだ。

入籍は息子が夏休み、日本に帰って来ている間にと思っていた。でも古風な私は、入籍していない男性と一緒には息子の学校には行かれないと思った。別に学校にいつ入籍するか(もしくはしたか)、そこまで報告する必要はないのだから、夫婦のような顔をして行ってしまえばかまわないのだが、それができないのが私の不器用なところだと思う。

私は息子と一緒に旧姓を名乗っている。なので、息子は私の父の養子に入っていて、戸籍上は私の弟となっていると思っている人が多い。でも本当はそうではない。私が戸籍の筆頭者で、息子が同じ戸籍に入っている。

離婚して元夫の戸籍から一旦父親の戸籍に戻った時点で、子供を祖父の養子とする人が多い。ひとつには跡継ぎの問題。私のように一人娘の場合、跡取り息子ができたといって孫を喜んで養子にする。でも、もうひとつの理由はちょっと私には理解しがたい。娘が再婚しやすいように、戸籍上子供がいないことにするために祖父の養子にするという考えだ。

実際、私の離婚後にあったお見合いでも「Rを祖父の養子にしてくれたら結婚してほしい」とか、「男の子はもう自分の息子がいるから、祖父の養子にしてほしい」というものがいくつかあった。これは特に資産家に多い。女の子なら養女にしても、いずれ結婚すれば籍が抜けるけれど、男の子だったらずっとその姓を名乗り、財産も受け継いでいくことになる。

ようするに、血のつながらない子に、自分達の財産はやりたくない・・・ということだ。

”子供を祖父の養子にして、いなかったことにする”なんて考えの人は、こちらから願い下げだ 私と息子はセット、あるいは運命共同体。私と結婚したいのなら息子も自分の子供にしてくれる人でなければ。

でも現実にはそんな男性はなかなかいない。いつかもう一度自分の家庭を持ちたいと夢を見つつ、”そんな人とめぐり会えることはない”、とあきらめていた。



学校へ帰る息子の後姿。いつの間にか大きくなり、再婚にも賛成してくれたけれど内心は複雑なはず・・・。


ところが私のおじちゃま、3年前に紹介された時はRの父親になる心の準備が出来ていなかったからキミと距離をおいた、と前置きをした上で「今になると、自分にお嫁さんと子供が一度に出来て、幸せが2倍だと思えるようになった。キミの子供だからRがかわいいんじゃなくて、R自身がかわいいんだよね。3人セットで恋愛してるみたいだ」と、とぼけた顔で言ってのけた。

こんな考えの人がいたなんて、その時、私はただ呆気にとられて彼の顔を見ていた。これ、決してのろけているのではない。

おじちゃまはもう50代なのだから、中学生の子供がいたっておかしくはない、そう考えることもできる。でも、いくつになっても受け入れられないものは受け入れられないのだ。それは私自身がよくわかっている。逆の立場で、彼に子供がいたとしたら、きっと私は同じように快く受け入れることはできないだろうから。

だからこそ、彼の心のからくりに胸が熱くなる。

来週、婚姻届を提出する際、同時に養子縁組届も出す。これで全員が同じ姓を名乗り、戸籍上1セットとなる。戸籍の上だけでなく、心の通った本当の家族になれるまでにはまだまだ時間がかかるだろう。お互いを気遣ったり、内心腹をたてたり、まだたくさんの試練があるはず。でもそれは家族になるために必要な、儀式のようなものだと思うことにする。

それはきっと、乗り越えるだけの価値のあるものなはずだから・・・。





















中古、リサイクル、転職、あなたのお好みはどれ?

2007年06月14日 | 心の整理・整頓



ブログ初心者のくせに、このページで爆弾発言してしまった私・・・。でも、なにはともあれみなさんにお話できるだけの気持ちの整理ができたことで、肩の荷がおりたような気分でいる。



今は目の前の霧が晴れたような気持ち


今日も心の整理の続き。これもかなり強烈な内容なので、離婚経験のある方にはちょっと申し訳ない内容かも。

時をさかのぼること25年。当時私はまだ自分の将来に不安を感じることなどない、お気楽な中学生だった。大好きなクラスメイト、大好きな仲間達。毎日学校へ行くのが楽しくてたまらない時代だった。

仲良しグループの中に、私を大好きだった男の子がいた。はっきりそういわれたことはなかったけれど、私も気付いていたし、グループの中でも周知の事実だった。でも彼は直接”好きだ”といってくれたことはなかった。

彼の家はそこそこ名の知られた中堅会社。上場していない、つまり一族ががっちり株を持っているということで、当然そこには後継者争いがあり、彼はその渦中の人だった。中学時代からしょっちゅう、友人として彼の家に遊びに行っていたけれど、なんとなく、感じていた、彼の母親の想い・・・。

息子には会社の跡取りとしてふさわしいお嬢さんを・・・。

庶民の私は当然、”ふさわしい”の範疇には入っていなかった。それはかまわない。だって、私も彼のとこはただの同級生だと思っていたのだから。

大学卒業後、彼は親の会社に入社、2年後MBAを取るためにアメリカへ3年の予定で旅立った。そして1年後、私は息子の父親である最初の夫と出会い、結婚を考えるようになった。

私はアメリカまで彼に会いに行った。なんの約束をしていたわけではない。ただ、彼がずっと私を好きだったということを知っていて、黙って結婚してしまうことはできないという気持ちになったのだ。

でもやはり彼は”待っていてほしい”、とは言わなかった。

言えなかったのだということは、わかっていた。でも無言の想いで長い間私を縛り付けていた彼とはこれで終わったのだと、義務を果たした気分だった。

そして私は結婚し、息子をもうけ、別居した。

1年後、同じ仲間のBFから電話がかかってきた。「明日、アイツがアメリカから帰ってくるけど、成田まで迎えに行かない?」 私達の間にあったいきさつを知らないのだから、この誘いはしょうながい・・・。私は息子がまだ小さいことを理由に断り、帰国する彼に短く手紙を書いた。

別居して実家に戻っていること、お店を始めたこと、そして今後の彼の活躍を期待している、と。すると手紙がついたと思しき日の午後に電話が鳴った。

「今マンションの下まで来てるんだけど、出てこられない?」

手紙を読んだ彼が私に会いに来たのだった。彼はまだ、私のことを想っていたらしい・・・。

その日から、毎晩彼から電話が来るようになった。

”今日も元気だった?”

”なにか嫌なことはなかった?”

”ラーメン食べに行こうよ”


時には昔のような誘いもあったけれど、離婚調停中の身の私はとてもそんな気分にはなれなかった。電話は離婚調停が終わるまでの4ヶ月間、毎晩続いた。

そして調停が成立した後、私達は自然と付き合うようになった。毎週末2人や息子も入れて3人で出かける。近所の人たちは彼こそが私の夫だと思っていた。でも彼は私とつきあっていることを自分の家族には話していなかった。

家族に話せないような間柄なの・・・?

私の心の中には常にそんな想いがあった。でも彼は”お見合いの話が来たけど、キミがいるから断った”とか、”お見合いの話が来ても断って。ぼくがいるから。”と言われ続け2年がたった。

ある日、新聞を読んでいた父が言った。

「ここの死亡広告に出ている人、彼のおじさんじゃないの?」

彼の会社の現社長が亡くなった。そして後継者争いが一気に表面化した。もちろん次期社長は亡くなったおじさんの娘婿、彼は社長になるには若すぎた。でも彼の両親が黙っているはずがない。

彼と両親、そして親族の間で何があったのか、私には知る由もない。ただ、お葬式が終わって彼と会ったときにこう言われた。

「なんでぼくみたいに将来会社を背負って立つ人間が、キミみたいな子持ちの”中古の女”と結婚しなくちゃならないの?」

この瞬間、目が覚めた。そして私は気付いた。私はまったく彼のことを愛していなかったのだと。ただ、人生で最も辛い時期にそばにいてくれたから、好きになったつもりでいただけだったと。

こんなことを言われたのは、自業自得?それともお互い様?

中学時代から私のことを想い続けてきた彼は、そんなひどいことを言わなければ私と別れられなかったのだろうということは、察することができた。でも、言っていいことと、悪いことがあるでしょ?

彼は人として言ってはならないことを言ってしまったのだ。そんな風に思われていたのがショックだった。



コンクリートの間から咲いたど根性花。こんな風にたくましく生きてやる!


こうして彼は私の人生から消えたが、彼の言葉はトラウマとなって私の心の中に残った。好意を持ってくれた男性も何人かいたが、この人にもそう思われているのではないかと思うと、踏み出せなかった。

このことを話せるようになったのも、実はここ2年くらいのことだ。

知人で2度離婚している男性がいる。彼は”しょうがないじゃない。就職したけど合わなかったから、転職しましたってことで”と言う。そりゃぁ、男性だったら離婚も2度でも、3度でもいいでしょう。でも女性はそんなワケにはいかない。

また、”大丈夫!今リサイクル、流行ってるから!”と、能天気なことを言って笑わせてくれた人もいる。

でも、受けた傷は、そう簡単に消えるものではない・・・。

では、なぜ”おじちゃま”の時は大丈夫だったのか?私にもわからない。息子から入ったのがよかったのかもしれないと、思ったりする。息子がメインで、私がおまけ。始めからセットだったから、”子持ちで2度目の女性”と考えてくれるのも当然といえば当然だ。

”Rが僕の息子になってくれたら嬉しい”と、なんの迷いもなく、まっすぐに私の目を見て言ってくれた彼。彼のその自信、いったいどんな根拠なのか、聞いたことはないけれど、少なくとも私を決意させるだけの説得力はあったわけだ。

中古、リサイクル、転職。

なんと呼んでもいいけれど、どれもあまりいい印象の言葉ではないように思う。こんな言葉を聞かされるのは私だけで十分だ。

私の大切なお友達、離婚を経験しても前向きに生きていけるような、そんな思いやりの心であふれる世の中であってほしいと、願う。


心の整理・整頓 ~ 私が子供服屋をしている訳

2007年06月01日 | 心の整理・整頓



 昔のお店、小さかったけれど充実し始めた頃


今日、私のブログに新しいカテゴリーを追加した。

”心の整理・整頓”

実はこれ、昨日までブログのタイトルにしようと思っていた。でも私の心の中は、今、整理・整頓しなければならないことが山ほどあり、とても一日では書いて、整理できないということに気付き、カテゴリーに昇格させた。

これからしばらくの間、みなさんには私の心の整理・整頓にお付き合いいただくことになりそうなので、あしからず。

今日のブログは特別長い!覚悟してね。

このブログを読んでくださっている方は、私が心からのお付き合いをさせたいただいていて、私のすべてを知られてもかまわないと思っている親しい方か、もしくは私を全く知らないにもかかわらず、なにかのご縁でこのページにたどり着いた方のどちらかだろう。

そこで、最近私に訪れた大きな転機をここに書き記しても、問題はないと思っている。

私・・・、再婚することにしました。

前夫と別居した時に、私はもう2度と結婚はしないだろうと思った。それほど結婚生活に疲れ、夫婦で苦しい思いをするくらいなら、自分と子供のことで苦労するほうがどれほどマシか・・・、と思ったからだ。

あの日のことは生涯忘れないだろう。

腹立ち紛れにガスコンロをごしごしと磨きながら、心の準備をした。そして夫に告げた。「実家に帰ります」、と。すると夫は言った。

「実家に帰るんならRを連れて行って」

その言い方がまるで「出がけにゴミを捨てて行って」というのと同じニュアンスだったことに愕然とした。もはやこの男に未練はない!と心の底から思ったのもこの瞬間だった。

夫に車で送られ、実家のマンションの駐車場に着くと、私が息子と車を降りる間に彼は荷物をトランクから降ろし、1回だけ息子を抱くとさっと帰っていった。彼にしてみれば、私の決意がもはや動かし難いものと知り、未練を残したくなかったのかもしれない。

なんとあっさりとした幕切れだったのろう。離婚調停が始まるまでに夫と息子と3人で2回、公園に遊びに行った。だが息子はそれ以来、父親に会ったことはない。アイツに2度と会わなくて済む!調停が成立した日の空の青さは生涯忘れない・・・。

でもある時、私のBFが言った。

「君にはよかったかもしれないけど、Rにはかわいそうなことだね。父親を知らないんだから」

これには唸るしかなかった。別の、つまり息子の視点からはそういう見方も出来るのだ。

ちょうどこの頃だ。仕事で頻繁に海外に出ていた私の父が、行く度に大量の子供服を息子に買ってくるようになった。幼くして父親と別れた孫が不憫だったのだろう。

「こんなにたくさんの洋服、着きれないよ!いっそのこと売っちゃおうか!」

ほんの冗談のつもりで発したこの言葉が、お店を始めるきっかけとなった。人生とは、なにがきっかけで思いもよらぬ方向に向かうか、わかったものではない・・・。

商売のことは右も左もわからず、夫と別居して、ただなにかすがるものが欲しくて始めたようなものだ。だとしたら本来の目的はとうの昔に果たされたはずだが、やがてお店は息子同様、私の生きがいとなった。

そして今、私の生きがいにもうひとり、新しい人が加わろうとしている。

ずっとひとりで生きてきた私にとって、これはとてつもなく大きな決断だった。そしてこれを機に、息子との関係性、お店をやっていく意義、これから人生を共に過ごそうとしている人との関わりなど、すべてが大きく変わってしまう。


 またこんな幸せをつかめる?


私も、息子も、これだけの大きな変化に対応できる?何度も自分に問いかけた。きっとそれは幸せな変化であるはず。支えるだけでなく、私達をも支えてくれる人ができるのだから。

そう信じられなければ、その人と結婚する意味がない・・・。

悩んだけれど、実のところ、それを受け入れるのは難しくなかった。自分でも気付かないうちに、心の底ではとっくに決まっていたようなのだ!

彼はとても穏やかな人だ。

生きがいがひとつ、増えたからといって、なにかひとつを減らす必要はないと言ってくれた。

子供服屋の醍醐味は、当然のことだけど子供の成長を見られることだ。妊娠中のママにご来店いただき、その後赤ちゃんから子供へ、そしてお店では取り扱っていないサイズまで成長した後も、時々立ち寄ってくださる。

自分の息子を育てる時は精一杯で、見逃してしまったこと、目をかけてあげられなかったことなど、悔やむことはたくさんある。だったら気持ちに余裕ができた今こそ、自分のことだけでなく、周りにも気を配って生きていくべきなのだと思う。成長を見続けているお客様の子供達だって、ある意味私にかかわりのある子供達なのだから。

そうするように気付かせてくれて、うながしてくれた彼にも感謝しなければ・・・。

ようやく決意するに至ったが、正直なところ、まだ実感がわかない。それに超・心配性な私は、密かに最後まで何が起きるかわからない・・・、とまで思っている。でもそこは年の功、自然体でやっていければいいと思っている。

どうかみなさん、 Wish me good luck!