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航 海 日 誌 ~Log Book~

仕事や旅行で訪れた国や街の思い出、日々の小さなできごとをつづります。

新緑の上高地

2008年06月09日 | 航海日誌・国内編



デジカメを忘れて行ったのが悔やまれます・・・。ケイタイで。


土砂降りの雨の中、新宿駅からスーパーあずさに乗る。

めざすは上高地、憧れの上高地帝国ホテル。

以前TVで、1年のうちたった半年しか営業しない上高地帝国ホテルのドキュメンタリー番組を見たことがあった。そしてそのたたずまいや帝国ホテルならではのサービス、心配りを知り、いつか訪れてみたいと心の中で暖めていた場所だ。

きっかけは手元にあった、帝国ホテルの商品券。

それは昨年結婚した時に、夫の会社の同僚からお祝いにいただいたもの。ペアのワイングラスや、紅白(赤白)のワインセットが多かった中で、それはとてもおしゃれな贈り物に思えた。

「食事に行こうか」

夫は言ったけれど、私は思わず

「上高地の帝国ホテルに行きたい!」

と言っていた。お食事はどんなに美味しくても、食べ終えてしまえばおしまい。でも旅とお食事がセットになったら、それはきっと、忘れられない思い出として、ず~っと心に残るだろう。

結婚してもうすぐ1年がたとうと言う時、夫がそれを覚えていたのか

「上高地の帝国ホテルに行こうか」

と言ってくれた。もちろんその商品券だけでは、ぜんぜん足りない。でも、きっかけがあるのだから、行かなくっちゃ!



雨の合羽橋、風情があります


当日は東京、長野県共に雨の予報。最寄の鉄道駅から1時間バスに乗って、山を登る間も、雨はず~~っと、降り続いていた。

木立の合間に立つ、赤い屋根の建物。3階建てのロッヂといった風情の帝国ホテル。玄関を入ってまず、目を引くのが正面の大きな暖炉だ。

到着した時にはまだ火は入っていなかったものの、ほのかに薪の燃えたにおいが残る。

本当にやって来たんだ

荷物を部屋に置いて少し休んだ後、食事までの時間散策に出かけた。梓川沿いに合羽橋をまわって、田代池まで。

川の流れる音と、雨が木の葉に当たる音だけが周りに響いていた。日頃たくさんの電子音に囲まれて生活しているだけに、自然界の音がとても新鮮に聞こえる。マイナス・イオンをたくさん浴びて、ホテルに戻って来た頃にはハラペコ

夕食はダイニング・ルームでフレンチのフルコース 

いちおう、この部分がいただいた商品券の管轄だ。地元の素材や、上高地の自然をイメージしたお料理が運ばれてくる。テーブルで出されるお水も、近くの六百山の湧き水だそうだ。(もちろん、お部屋の蛇口からでてくるお水もね)

フレンチのフルコースって体重にヤバそうだけど、こんな素材だと体によさそう!って思えるのがうれしい

素敵な時間が終わって、お部屋で満腹のお腹を少し休めてからバーへ行こうと思ったのが失敗だった。

居眠りしてしまったのだ。

10時少し前に目が覚めたので、いざ、バーへ出かけようとチェックしたらなんと!バーは10時までの営業だった

やはりここでは、都会とはちがった時間で動いているのだ。

ちょっとがっかりだったけれど、湧き水のお風呂にのんびりつかって、この日は私たちも営業終了。翌日お天気が回復することを願って、早めに就寝。



真っ青な空と、澄んだ梓川


翌朝は前日の雨がうそのような晴天。

いつもより少し遅めの朝食をとって、ホテルをチェック・アウト。もう2~3泊したかったな。1泊じゃ、このホテルのよさを十分に楽しめなかったもの。

前日歩くことの出来なかった上流へ向かう。途中、100年以上も前に上高地の美しさを世界に広めた、ウエストン牧師の記念祭を見て、穂高神社がある上流へひたすら、歩く、歩く。

帰りのバスの整理券を取ってあったので、時間制限は2時間。通常、神社までの道のりは片道70分かかるらしい。

そこを荷物を担いで超・早足でてくてく。大半の人が山歩きの格好をしている中で、ちょっと浮いていた私たち。

それでも50分で神社にたどり着いた。

まさしく、神様が宿りそうな池に、穂高の山々が映っている。神妙な気持ちで参拝。

いつかまた、息子も一緒にもどってこられますように。

そんな気持ちを込めてのお参り。

帰り道は下りで、歩きやすい道ということもあって、ずっと早くバスターミナルまで戻って来た。

バスで上高地の渓谷を離れ、さらに松本電鉄でJR松本駅へ。上高地から離れるにしたがって、そこが別世界であったことをひしひしと感じる。

神降地。

そんな風に当て字をして、表現する人たちもいるようだ。

国立公園だからというだけでない、神々しい気がただよっていたのだと、去ってからも思える夢のような渓谷だった。



穂高神社の鳥居


上高地から帰ってきて2日後。夫は会社の同僚の送別会に出かけた。その方は、帝国ホテルの商品券を贈ってくださった方だ。

「上高地の帝国ホテルに行ってきたって報告できるから、本当にタイミングよかった。きっと喜んでくれるよ」

そう言って朝、夫は家を出た。実際、私たちもこれがなければ行ってみようという気持ちにもならなかったろう。

使った私たち、そして贈ってくださった方。双方に、喜びをもたらしてくれた、ピカイチなお祝いだった。





色彩・京都 ~紅、橙、黄金色

2007年12月08日 | 航海日誌・国内編




静寂の中に色彩の賑わい


週末、京都へ行った。夫の両親と4人で、紅葉三昧。

義母の母が9月に亡くなった。危篤になるまでその方が存命だとさえ、私は知らなかった。私がお見舞いに行きましょうと言っても「もうわからないから、いいのよ」などとちょっと寂しいことを言っていた。

義母と、その母とは生前いろいろと確執があったようで、お葬式もすべて済んだ後にがっかりしていた義母を元気付けたくて、「旅行にでも行きましょう」と軽くお誘いした。

この言葉、魔法の呪文だったらしい。

義母は急に元気になり、「いつ行く?どこ行く?」状態になってしまった。みんなで相談して、京都の紅葉を見に行こうということになった。

私、京都は子供の頃に都おどりを見に行ったきり。それはなぜか?実は関西弁がニガテなのだ 関西の人に言わせれば「大阪弁、京都弁、神戸弁、一緒くたにすなぁ~!!」と叱られるが、本当に関西弁、関西のノリ、関西の風習が合わないの。関西風味付けは好きだけど・・・。今まで避けてきた京都、大人になった今好きになれるだろうか?そんなことを考えていた。

お宿はまた義兄に会員制ホテルを紹介してもらおうと考えていたところ、夫が会社からチラシを持ち帰った。

”社員向け京都旅行・一泊二日二食付”

これはまた、なんてタイムリー!でも抽選なんだって。当たるかなぁ?



どこもかしこも真紅の紅葉


申し込みをして、義母から催促の電話がかかってくるようになった頃、夫が帰宅して言った。

「今日、担当部署の部長から電話があってさ、希望してた宿でなくてもよければなんとか取れそうだって言うから、いいって返事しておいたよ」

それって裏ワザ?抽選じゃないぢゃん。

どうやら担当部長が知り合いだったらしく、新婚の私達に便宜を図ってくれようとしたらしい。申し込みをしたほかのみなさんには、決して知られてはならない!


     
苔の中から愛らしいお地蔵様


そうしてたどり着いた古都。

私が今までに自然の中では見たこともないような紅、橙、黄金色の紅葉が小春日和の空に広がっていた。高齢の両親を気遣って頼んであった観光タクシーに乗って、初日は京都の東側を重点的にまわる。大原の三千院、寂光院、青蓮院・・・。どこもみな、有名なお寺だけれど、この日のハイライトはドライバーさんのお勧めで立ち寄った小さなお寺、蓮華寺だった。

紅葉の季節以外、訪れる人は少ないと思われる小さな、小さなお寺さん。路地の奥まったところにある山門をくぐって、私は言葉を失った。



蓮華寺の境内


こぢんまりとした庭は、橙色の天蓋のように大きく枝を伸ばした紅葉の木に覆いつくされていた。

こんな色の紅葉は見たことがない・・・。

このブログ、トップの写真も蓮華寺の庭を撮ったもの。頭の中にJRのCM「そうだ京都、行こう」の音楽が流れてくるようだ。観光シーズン中で大勢の人がいるにもかかわらず、ここだけが異空間のよう。静寂のなかで、紅葉が饒舌に自己主張しているみたいだった。



竹の青に紅が映える


夜は旅館でご馳走ずくし。その後両親を旅館に残して、夫と2人で祇園へ飲みに出かける。町屋をリフォームしたおしゃれなバーだった。

本当は歌舞伎俳優をしている友人が紹介してくれたバーへ行こうと思っていたのだけれど、ネットでどんなお店か検索してみたら、石原裕次郎が設計した会員制のバーらしく、いくら紹介があったとはいえ私達には敷居が高いような気がして、今回はパスすることにした。

翌日は嵐山方面を巡る。どこも、かしこも美しいの一言。京都の人はこんな風景を毎日見てはるのね?

私も京都弁をまねしてみましたが、旅行客が多かったため関西弁も思ったほどは聞かれなかった。もしかして、一番多く耳にしたのは東京弁だったかも

帰りは京都駅でお土産のお買い物。もちろん、お約束の八つ橋と、千枚漬けよん

色の中を慌ただしくかけぬけた2日間。それでも、なぜ人々が京都に惹きつけられるのか、少し理解できた。自然の中に身を置いて、その力強さに圧倒された。

自分ひとりだったら、決して来ることはなかっただろう京都。環境が変わると、行動範囲も変わるのだなぁ、と思う。いつか、もう少し時間をかけて、ゆっくり来てみたいと思う。その時には、京都の桜を見てみたい。今回とはまた違った、表情が見られるだろう。

そんな風に思えるようになった自分、少し大人になったのかな?





ヨット・レース、再び ~入賞するの巻

2007年10月22日 | 航海日誌・国内編



久しぶりの秋晴れ


3連休の週末、再びヨット・レースに誘われた。前回(5月)、雷雨に見舞われさんざんな思いをした私は、心の中で

”勘弁してくれ~

と叫んだ。だが、夫の説得は底力が強い。ある時は穏やかに、またある時は下手にと、容赦なく続き、ついには自分でもなぜだかわからないうちに、ヨットに乗ることに同意していた。前日、土曜日の夜から逗子のマンションに泊りがけで、小旅行の気分。正直なところ、ヨットがなければなぁ・・・、と思わずにはいられなかった。

ところで、われらがヨット仲間は体育会系では、ない。一応参加するからには毎回上位を狙ってはいるのだが、体育会系な根性には欠けるような気がする。前日夕方にコースの下見がてら予行練習をする予定だったのだが、台風の影響でうねりが大きく、私などは双眼鏡で海を見ているだけで吐きそうになるほどで、練習は断念。このあたりがいまひとつ、軟弱と言わざるを得ないだろう・・・。

そんな彼らの自慢は昨年のこのレースで、同じく逗子マリーナに舘ひろしが所有する”バロネス”という黒くてかっこいいヨットよりも上位に入ったことだ。

なんか、かわいい



色とりどりの船が美しい


そして迎えた当日。そよ風と秋晴れな空が気持ちいい。

定刻に逗子沖合いで本部艇にレース参加の申告をし、逗子マリーナのアイドル・アイちゃん(かわいいんだ!)に全員でラブコール と、いつもこの辺りまでは絶好調。私達はスピンという3枚目の帆を使わないクラスに出場で、1番早いスタート時間だった。

ヨット・レースは艇の大きさや、乗っている人数によってもハンデがあるそうで、(いくつになっても学ぶことってあるんだなぁ、と1人感心)ハンデを考慮すると着順で順位が決まるわけではないのだが、ま、それでも先頭を走るのは気分爽快だ!

逗子を出発して、目指すは江ノ島の向こう、烏帽子岩の折り返し地点だ。



迫力!烏帽子岩をこんなに近くで見たのは生まれて初めて!


烏帽子岩手前で定置網を避けるのに少し手間取り、そうこうしている間に後ろからどんどんレース艇が迫ってきた。そして烏帽子岩を回るときには、3クラスのヨットが前後入り乱れてごちゃごちゃ。クラスが違うとはいえ、ほかの艇に追い抜かれるのはちょっと悲しい

余談だが後日、男子達がライバル艇とみなす艇のオーナーから写真が送られてきた。行きの江ノ島と烏帽子岩の間で、あちらの艇から私達の艇を撮った写真だったけれど、私は明らかに寝ていた。しかも、手拭いを頭にかぶって・・・

後半、同じクラスの艇を追い抜いて推定着順3位と思われたが、ハンデがあるので順位は表彰式に出るまでわからない。夕刻順位を知りたいのと、抽選会で賞品をゲットすべくみんなで出かけた。

ハーバー・マスターの挨拶の後、私達の参加したクラスから順位発表。3位は今回のメイン・スポンサーでもあるマツモトキヨシの大型艇。続いて2位のセール・ナンバーが呼ばれる。

「セール・ナンバー、4(あれ?)、9(あらら?)、XX(わお!)」

なんと!私達の艇が2位に入っていた!自分達で順位を計算して、4位ではないかと思っていたので、驚きは大きい!オーナー3人がステージへ上がり、表彰状と楯を受け取る。この辺はすっかり興奮していて、写真を撮ることも忘れていた。仲間の1人が感慨深げにつぶやく。

「20年ヨットやってて、初めてだなぁ」

じゃあ、ヨット暦7ヶ月で入賞した私はあつかましいってことかしら?だったら、なおさらうれぴい



光り輝いて見えるトロフィー


その後の抽選会では、8人で合計5つの賞品をゲット!目玉商品の海外旅行はあたらなかったものの、そこまで望んではバチが当たるというもの。私ももちろんゲットしましたよ!息子向けのフェラーリのモデルカー!今は息子の部屋に飾って、彼の帰国を待っている。

興奮冷めやらぬ時にこのブログを書き始めて、仕上げは2週間もあとになってしまったけれど、あの時の感激は今でも鮮明だ。

男子は再びやる気まんまんで、「練習せねば!」と意気込んでいる。11月には初島まで1泊2日で出かけるそうだ。もちろん私も船旅を免れることはできない・・・。クルーの一員として認めてもらったのだから、がんばって出かけようと思う。

必需品の酔い止めを携えて。





夏休みの思い出 in 蓼科

2007年09月10日 | 航海日誌・国内編



新宿からあずさ23号に乗って


少し前になるが、8月に家族で蓼科で週末を過ごした。初の家族旅行だ!夫の義理の兄がリゾート・ホテルの会員権を持っていて、新米親子が仲良くなれるようにと蓼科のホテルを予約してくれたのだ。

持つべきはお金持ちの親戚

ホテルの予約が遅かったこともあり、義兄としては不本意な部屋しか取れなかったと連絡があった。”不本意な部屋”とは彼曰く狭い部屋、70㎡。

「本当は100㎡の部屋を取ってあげたかったんだけどねぇ」

あの~、ウチのマンションは82㎡です。外出先で70㎡もあれば十分だと思います・・・。そして、それで十分すぎる広さだったということが夜になって証明されることになり。

夫はフツーのサラリーマンなので決して贅沢な人ではないが、この歳まで独身だったことと、遊び上手で知られる会社に勤めていることもあり、私から見ると ”遊びを知り尽くしている” 人だ。そして息子も遊びたい盛り。今までアウト・ドア系の遊びをしてあげられなかったため、今回の旅行を心待ちにしていた。

そんな男子2人はやる気まんまん ホテルの遊戯施設すべてを制覇すべく、2人で計画をたてていた。

まず、部屋について荷物を解くやいなや、彼らは露天風呂へと消え去った。私はそこまでの元気はなかったので、部屋のバスルームへ。全室ジャグジ付きが売りのこのホテル。バスルームに窓がないのが残念だったけれど、1人で入るのは寂しいほどの広さだった。



息子はビリヤード・デビュー


食後はゲーム・センターにビリヤード。ビリヤードなんて学生時代以来!バブル時代が思い出された。息子は夫に ”入射角、反射角” と教えてもらいながらチャレンジ。勝つことはできなかったけれど、理系の頭がそのおもしろさにハマったようだった。

そして夜・・・。

学生時代、修学旅行の部屋割りでもめたように、親子間でも部屋割りが問題となった。シングル・ベッド2つの洋室と、3つまで布団を敷ける和室。

・男子部屋+女子部屋
・夫婦部屋+子供部屋
・母息子部屋+いびきがうるさい夫部屋

この3つが選択肢だった。話し合いの結果、男子+女子ということに話が決まり、私は和室に布団を敷いて横になった。しばらくすると、人の気配が・・・・。

息子が夜這いにやってきた

しかたがないので、布団に入れて翌日の計画を話し合っていた。すると・・・。

今度は夫が夜這いにやってきた

結局こうなるのだ・・・。押入れからもう一組布団を出して、3人で寝た。布団を3組敷けば狭い思いをしないで済んだのだということは、情けないことに翌日になってから気付いた



2日目もいい天気。日焼けがぁ~!!


翌日は日中はプール。私は帽子にゴーグルまで付けて、肩こり解消とばかりに子供がウヨウヨいるのにもメゲず、ガシガシと泳いだ。そして泳ぎがあまり得意ではない夫は、息子に ”潜水” を教えてもらい、マスターしたと言って感激していた。

夕刻からテニス。私は ”テニスが出来ない唯一の日本人” と自称するほど、テニスとはご縁がなかった。ずっと習ってみたかったんだけどね、スコートはいてる姿って、かわいいじゃない でも出来ないものは出来ない。見学と決め込んでいると、夫がテニスラケットを私の分まで借りてきた



男子2人楽しそう


夫と息子、2人に教えてもらいながら「あ"~」とか、「きゃ~」とか、奇声を発しながらも1時間しっかり汗をかいた。運動の汗っていい気持ち!

最終日はチェック・アウト前に再度露天風呂に入って、今回の旅を締めくくる。

「楽しかったね、また来たいね」

誰からともなく、そんな会話がなされた。親子の親密度が、もう少し増したような2泊3日の旅だった。


今週のお題、”夏休みの思い出教えてください”に寄せて書いてみました。


航海日誌 ~雷雨の中のヨットレース

2007年06月11日 | 航海日誌・国内編



 雷雨なのにみんな楽しそう・・・



こいつら、狂ってる・・・・

鎌倉駅に降り立つと、にわかに雨が降り出した。しかも本降り・・・。

先日このブログで結婚の決意を書いたところ、たくさんの方からメールや書き込みをいただいた。大半の方がお気づきのように、お相手は”ヨットのおじちゃま”だ。あっという間の展開で、”ヨットのおじちゃま”は”私のおじちゃま”になったワケだが、そのお話は後ほど。

この日は前から誘われていた草ヨットレースの日。船酔いするという理由から”船”と名の付くものはすべて避けてきた私だが、彼がこよなく愛するものを頭から拒否するのは申し訳ない。この日は日中の一部の時間帯を除いて雨の予報がでていたが、早朝から渋々逗子まで出かけて行った。その途中での雨だ

逗子マリーナのマンションに着くと総勢8名が集まっていて、私を含む女子4名はまったくやる気がなく「鎌倉まで戻って、美容院にいこうかなぁ」などと言っていた。しかし残りの男子(みんなおじちゃま)4名は雨にもかかわらずヨットレースに出る気まんまん、しかもそのうちの1人は大雨にもかかわらず、すでにレース前の艇長会議に出かけていた・・・。

まで鳴りはじめたよぉ~。

嫌がる女子の手前、おじちゃま達は「とりあえずヨット・ハーバーまで行こうよ。キャプテンを止めなきゃいけないし」などと言いながらもしっかり女子に雨支度をさせて部屋を出た。すると・・・。

船は、すでに海に下ろされていた・・・

仕方なく全員でヨットに乗り込んだ。幸いひどかったのは雨と雷だけ(私に言わせればそれだけでも十分だ)、風と波はほとんどなかったので少なくとも船酔いの心配だけはなさそうに思われた。だけど、船に落雷があったらどうするの?息子が一人前になるまで、私は死ねないよぉ~!

”大丈夫!船に避雷針、ついてるから!”

そういう問題じゃないよぉ~ こいつら、狂ってる!

沖まで出て、レース・スタートの合図を待つ。その間も雨は降り続く。やがてスタート。13艇のヨットがセールを広げて走り出す。ヨットやセールの色も様々で、これで晴れていたらさぞきれいだっただろうと思う。でも海の上での雷雨、視界も悪く、折り返し地点の黄色いマーカーすらも見えそうにない。

雨具を付けて重装備をしていたのに、私は下着までびしょ濡れになってしまった。そのあたりから背筋を寒気がはう。GWにヨットに乗ったあとに私は熱を出した。今回も・・・?ヨットに乗るたびに熱を出して仕事を休んでいたのでは話にならない。

メンバーみんながTシャツやパンツ、トレーナーなど、乾いた服を差し出してくれて、船室で着替えた。あぁ、天国・・・。このあたりから雨がうそのようにあがった。しかし今度は無風状態。ヨットは進まず、レースはノー・レースとなった。まぁ、それなりに面白い経験ではあったけどね。


 
折り返し地点のはずだった黄色いマーカー。くやしいから写真に撮った。


GWにヨットに乗った時は気持ちがよくて”船が好きになれるかも”と思った私だったが、今回のことでまた考え直すハメになった。それでも仲間が集まって、海の上でワイワイ騒いで過ごす時間は楽しい。これが彼の愛するものならば、私もそれを受け入れていこうと思う。


 
夕暮れのマリーナの景色。金色に光ってきれい。


私達が入籍間近ということをヨット仲間は知っているけれど、彼の会社で知っている人はほとんどいないらしい。当の私達も、若いときのように”好き”という気持ちが盛り上がって結婚に向かっている感覚はない。ただ、静かに周囲に認知されて、たどり着くという感じだ。

マンションの部屋に戻ると、みなが思い思いにテレビを見たり、ダーツをしたり、お酒を飲んだりして過ごした。私はソファで横になって昼寝をした。誰かがそっと、毛布をかけてくれた。未だに”結婚”に実感のわかない私にとっては、こういった”仲間”からのさりげない気遣いを受けてあらためて、彼の人生や、仲間に受け入れられるという自覚を持てるようになる。

でも・・・!

やっぱり雷雨の中ではヨットには乗りたくない、と思うのだった・・・。





航海日誌 逗子~江ノ島~葉山

2007年05月04日 | 航海日誌・国内編


逗子マリーナから望む江ノ島と富士山


風を受ける・・・

その言葉の意味を、私はその日初めて知った。

ゴールデン・ウィーク前半の3連休、友人に誘われてヨットに乗りに行った。この友人、以前このブログの "Look @ me!" に登場したヨット所有者のひとりで、そう、例のおじちゃま。一緒にお食事に出かけて以来、時々2人や、息子も含めて3人で遊ぶようになった。

”そういう”紹介をされた時にはなにも起こらず、時間が経ってから気軽におつきあいできるようになる、また個人的にお会いするようになると”おじちゃま”から”お友達”へと、見方が変化したのもなかなか興味深い。

息子は4月末に春休みを終えて、学校へ帰っていた。ということで、今回は友人と共同オーナーさん、その元秘書の女性、総勢4人。当然私は酔い止めを飲んで準備したが、いささか不安・・・。

当日は空気がきりりと澄んだ五月晴れ、逗子マリーナからは江ノ島、そして遥か富士山までが美しく見えた。1年のうちでもっとも好きな季節だ

その日はあらかじめどこへ出かけるのか聞いていなかった。出航の時間からして、江ノ島か葉山あたりだろうと勝手に見当をつけていたのだが、いざ、船にエンジンがかかると

「今日はどこに行こうか?」

という一言が出た!車好きな人達があてもなくドライブするように、海好きな彼らもあてもなく船を走らせるらしい・・・。この感覚、私にはまだわからない。


 出航前のヨット


結局江ノ島あたりまで走らせた後、葉山で食事をしようということになり、沖へ出たところでエンジンを切ってセールを広げた。

その瞬間・・・・。

帆が風を受けて、船が走り出した。

風を受けて大きくふくらみ、紺碧の海と空に映える真っ白なセール・・・。船と風が一体になり、船は風の力でぐんぐん進んで行く。聞こえるのは波の音と、風で鳴るセールの音だけ。一瞬、私の目に入るのは海と、波に反射する光だけとなった。

風は目には見えないけれど、帆を張らせることでその姿を私達の前に現し、船を前へと走らせることで、その力を感じさせる。

なるほど。ヨットの醍醐味とはこういうものなのだ。

それなら私にも少し、わかるような気がした。光と、風がおりなす臨場感。自然のものでありながら、日ごろの私達の生活では、もはや、ふれることのできない力や自然の摂理というものを感じることができる海の上。

風を受ける・・・

船を好きになれるかも、と思った一日。




航海日誌 2007年4月 逗子~江ノ島

2007年04月05日 | 航海日誌・国内編

<朝の逗子マリーナ>


息子がイギリスから帰ってきていることを知ったボーイフレンドが ”みんなで江ノ島に行こうか!”、と誘ってくれた。なかなかアウトドア系のお出かけに連れて行ってあげられない私は、二つ返事で了承した。企画屋さんの友人、いいヤツだ

”詳細はメールで”ということになりお任せしたところ、数日して連絡がきた。

・08:30 JR品川駅の横須賀線ホームで待ち合わせ

ん?江ノ島に行くのに横須賀線?

・10:30 逗子マリーナをモーターボートで出港
・12:00 江ノ島入港

なぬ モーターボート?!コイツ、モーターボートで江ノ島に行くつもり?!

そう、彼は船舶免許1級を持っているんだった・・・。泳げないのに海好きな彼は、またちがった方法で海を楽しんでいる。

だが、私たち親子、超・船酔いする・・・。当日を迎えた私たちはしっかり酔い止めを飲んで、備えた。

久しぶりの逗子マリーナ。学生時代はよく友達や彼とドライブに来たっけ。単純に楽しんでいた時代がよみがえり、なつかしさがこみ上げた。




<この日乗ったモーターボート>


この日は初夏を思わせる天候で、逗子マリーナに着くと、まるでハワイの朝のような風が私たちを出迎えてくれた。講習のビデオを見て、マリーナのお兄さんと10分ほどの練習の後、なぜか彼の会社の上司で、親友でもある海好きのおじさんが現れて合流。どうやら彼がボートで出かけると聞いて、逗子まで出かけてきたらしい。仲間、大歓迎

赤いライフベストをつけた私たちは予定通りの時刻に出港した。めざすは海の向こうに見える江ノ島!

驚いたことに、この日の湘南海岸は海も、空も、真っ青だった。うがったことを言うようだが、小学生の頃から海と言えばオアフ島のハナウマ・ベイ(伯母がハワイに住んでいたから)や、ギリシャのエーゲ海(父の転勤でアテネに住んでいたから)で泳いでいた私にとって、湘南海岸は汚くて海の範疇に入ってすらいなかった。でも湘南海岸も捨てたものじゃないのね




<青い海の向こうの江ノ島>


出航してしばらくの間、私たちは大はしゃぎだった。特に私は遠ざかっていく逗子マリーナを見ながら ”人生にこんな幸せな日があっていいのか・・・?”とため息をついてしまったほど。

ところが、しばらくすると息子が急に静かになった。イヤな予感 案の定、酔った息子はぐったりしていた。

本当は烏帽子岩まで行く予定だったのを急遽変更して、そのまま江ノ島に入港。江ノ島に入る橋は駐車場の空きを待つ車で大渋滞だったので、ボートで桟橋に乗りつけた私たちは妙な優越感にひたった




<酔ってる息子>


その後、大人は息子のために大サービス!おいしいお魚料理のランチ、展望台、江ノ島を下る道沿のお花見、更には橋を渡って水族館へ。友人も、その上司の方も、一言も文句を言わず、とことん息子に付き合ってくださった。感謝の言葉もない私だった。

すっかり満足した息子は帰りのボートでは酔うこともなく、モーターボートを操縦する友人の後ろの席から身を乗り出し、「車のサンルーフから顔を出してる犬の気持ちがわかるなぁ~!」と喜びのコメントを発して、友人を喜ばせた。なかなか社交的じゃない?

マリーナへ戻った私たちはボートを洗い、帰宅の途についた。私は何度も友人に「ありがとう」を連発した。感激のあまり、そんなありきたりの言葉しか思いつかなかったのだ。仕事が忙しい中わざわざ休みをとり、びっくりするような方法で息子を喜ばせてくれて、「僕もみんなと一緒で楽しかったよ」と言ったくれたこと、そしてなによりも息子が喜んだことを喜んでくれたこと。

一人ぼっちで生きているような孤独感に苛まれることも、時にはある。でも、私には、ほら、こんな素敵な友達がいるじゃない!私たち親子の喜びを、自分の喜びとしてくれた彼。人として、すばらしいことだと思う。

この日、私は自然から、そして彼から、たくさんのパワーをもらった。