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航 海 日 誌 ~Log Book~

仕事や旅行で訪れた国や街の思い出、日々の小さなできごとをつづります。

お引越し

2010年02月26日 | A day in my life


前回のブログでもお知らせしましたが、PC不正アクセスもどき事件があったので、
2010年からブログをお引越ししました。


新しい航海日誌はこちら。
  ↓  ↓  ↓

航海日誌 ~Log Book~



これからもよろしくお願いいたします。

麦茶


Take it easy!! ~お気楽に行こう!

2009年09月02日 | A day in my life




うっすらと空に虹


時々、生きているのもイヤになるほど、すべてがめんどクサくなってしまうことって・・・、ない?


ここ数週間、”めんどクサ”モードに入ってしまった私。
長いブログも”めんどクサ”なので、今日はちょっとだけ。


私の場合、すべてがイヤになってしまうのは大抵、生理前か、仕事がうまく行かない時。


昨シーズンから、新しくコートのメーカーとの取引が始まった。
実はこの会社、仕入をしたくて10年間メーカーを探し続けて、昨年ようやく所在を発見できたところだ。

10年前は、今みたいにネットも発達していなかったし、していたとしても私が使いこなせなかったにちがいない。

NYでの見本市に行くたびに、老舗のメーカーさんたちに尋ねてきたのだけれど、「大きな老舗」ということはみな知っていても、会社がどこにあるのが知っているひとはなぜか、誰もいなかった。

それがひょんなことからショールームと事務所をNYで発見
アポなしでいきなりショールームを訪ね、どれほど探していたかを熱っぽく語り、先方でも自分達の商品が日本に初上陸することをとても喜んでくれたのだった。


ところが昨年の秋・・・。



今アメリカでは、支払いはカード決済が大半。
これはとても便利

いちいち銀行に行く必要はないし、銀行にバカ高い手数料を払う必要もない。

なのにこのメーカー、まだカード決済のシステムができあがっていないというのだ。
内心ため息をつきながらも、これでようやく商品を仕入れられることを喜んで送金した。

なのに

待てど、暮らせど、商品は届かない。
メールする、担当者に留守電を残す。
思いつく限りの対策を講じるも、まったく音沙汰なし。



・・・・・・・・



もしや、やられたか?

以前似たような状態で、いつのまにか倒産していた会社があった。
幸い今回は倒産ではなかった。

担当者に電話がつながり、彼の
「忙しかった」とか
「メールを見落とした」とかいう
数々の言い訳や謝罪を経て、「つぎはきちんと」という約束をとりつけた。



なのに


今回オーダーしたもの、2種類が送られてきて、どちらもちがうものぢゃないの

1つは色のまちがい、もうひとつは似ても似つかないもの。
どうなってるの?いったい?

こうなると、私はすっかりやる気を失ってしまう。
怒りを担当者にぶつけようとしても、あいかわらず電話はつながらず、彼の留守電の声をきくハメに・・・。





あ゛~!も~、ヤダ




その夜、私は夫に言った。

ねぇ、私、夫よりも先に死にたい。

「はぁ~

とつぜんこんなことを言われて、夫は面食らって固まった。

私、もうめんどうなことは一切、ヤなの。
だから、私よりも長生きして。
後に残ってしなければならないことを考えただけで死にたくなる。
だからお願い!私が先に死ぬまで待って。



一瞬の後、夫は大爆笑した。
その声を聞いて、息子が部屋からでてきたほど。


こっちは本気なのに・・・


「まだ大丈夫だよ。気楽に生きようよ」

私の肩をたたきながら、涙も流さんばかりの笑い方。
なにが”まだ大丈夫”なのかは結局聞けずじまい。


でも、こんな風に笑い飛ばしてくれるから救われる。




この”すべてがヤ”な状態はましになったものの、まだ続いている。

それでもがんばらなければ、と思う今日、この頃。




季節は秋へ・・・



世の中せまい!というお話

2008年10月08日 | A day in my life



金木犀が咲き始めた!


季節もいよいよ秋。数日前から、街中で金木犀の香りが漂っている。

大好きな香りなのだけれど、この香りはちょっぴり苦い思い出とリンクしている。

ちょうど15年前の今頃、私は最初の結婚式を挙げた。そして新居となるマンションに引っ越した時、ちょうどこの花が満開だった。

だから金木犀の香りは、淋しかった最初の結婚生活を思い出させる。

そして再びこの香りを好きと言えるようになるまで、ちょうど10年かかった・・・。

でもお花に罪は、ない。だた、ひとえに私の気持ちの問題。

お蔭様で今は幸せなのだから、こーゆー後ろ向きな考えは捨て去るべし


さて、今日は ”世の中せまい!”というお話。例によって長いので、お暇な方だけどうぞ。

私はブログと平行して、mixiにも参加している。多くの方がそうでしょ?

mixiのコメントを見ていると、マイミクさん同士が知り合いだったり、共通点があったという書き込みが時々見られる。

確かに東京は大きな街だけど、それぞれが属するコミュニティというのは意外に小さいものだと実感することが多い。

私は幼稚園から持ち上がりの学校で学んだため、小学校の同級生、中学の同級生・・・といったように、学校が違う知り合いの数はとても少ない。

小学校の同級生≦大学の同級生 (この記号であってたっけ?)

更に社会人になり、3年で会社をやめ、1年半の出産、育児期間を経て自営業となったため、社会人になってからの知り合いというのも少ない。

取引先はすべて外国だし・・・


子育てのため、10年ほど外界と遮断された世界にこもったが、息子が成長して、10歳になったころからようやく飲み会仲間、旅行仲間などなどの友人が増えた。

これはひとえに、私の大切なお友達のお力によるところが大きい。



感謝でござる




さて、私にはもう6年くらい、息子の洋服のおさがりをもらってもらっている友人がいる。

もともとはお店のお客様だった方。

たびたびお店に来てくださって、おしゃべりをしているうちに、次第にお互いウマが合うことに気付き、いつの間にかお友達になっていた。

私とちがってマメなダイキくんのママは、近くに来る機会があると必ず、

「ほら!今日もいただいたお洋服を着てるのよ!」

と言ってお店に寄ってくださる。しかもダイキくんが洋服を着られなくなったら、更に男の子が3人いるお友達にまわしてくださっているそうだ。

なんともありがたいお話だ。

しかし今春、息子はついに子供服を卒業し、ユニクロ、もしくは紳士服の青山にデビューした。

今やデカッ!というサイズ。

なのでダイキくんへの最後の荷物に

”これでお下がりはおしまいです。今までありがとう。”

とお手紙を添えた。






夏休み中、ダイキくんとママがお店に寄ってくださった。

直接会うのは久しぶりだったので、お互いの子供の成長、私の再婚などおしゃべりに花が咲いた。ダイキくんママは、私が結婚したことをとても喜んでくれた。

「でも確か、どっか遠くに引っ越しちゃったのよね?」

ダイキくんママの実家は、港区の超1等地にビルを何件も持っているお金持ちだ。もちろんダイキくん一家も一緒に住んでいる。

こういう人達にとって、私が今住んでいる場所は”どっか遠い所”なのだ。そしてほぼ35年、港区に住んだ私にとっても・・・。

「どうして?ご主人のお勤め先がそっちとか?」

ううん、夫の両親が近いから・・・。夫の会社は港区だよん。

ダイキくん家に近いオフィス街の地名を言った。

「えっ もしかしてご主人、○×社?」

そう。

「きゃ~ ウチのダンナもよ~!!」

いやはや、世の中せまいものだ。ダンナ同士が同じ会社に勤めていて、地名を言っただけで当てられてしまうとは・・・。他にも会社、いっぱいあるのに。

でもここまでは、まだ序の口。

そこから先は結婚全般の話になり、ダイキくんパパの独身の弟さんのことへ。

「△□社でパイロットしてるんだけどね。未だに独身なのよ」

ピン

私、きちゃった。もしかして、**ヒデキさん?

「きゃ~ なんで義弟のこと知ってるの しかもフルネームで!」

う゛ぅ~む

今になってこの名前を聞こうとは・・・。

このヒデキさん、ちょっとした有名人であった。

航空会社は管理部門をはじめ、営業などの地上職、運行、客室、整備など色々な部署があるけれど、横のつながりってあまりない。

でもヒデキさんは如才ないとでも言えばいいのか、社内に知り合いが多く、あちらこちらで名前が売れている。

例えば機内誌に名前入りでエッセイを書いたり、なにかと目立つ存在で、中にはそれをよく思わない人もいたりする。

そんなのはただの妬みとか、やっかみだと思うんだけど。

でも私がその人を知っている理由は、別にある。




「元夫の同期なの」 




どっか~ん 自爆 





当然、一緒に食事に行ったことも、ある。

更に言えば、妊娠中、夜中に酔っ払った元夫から

「電車がなくなって、タクシーも大雨でいないから、迎えに来てくれ」

と電話があり、東京駅まで車で渋々迎えに行ったところ、ヒデキさんも一緒に待っていて、全く方向違いの吉祥寺まで送っていくハメになったことさえある。

もちろんこれで大喧嘩になったことは言うまでもないが、それはまた別のお話。

それは置いておくとして、この時ほど”世の中せまい!”と思った瞬間はなかった。

もともと東京育ちにしては知り合いが少ない上、離婚後は更に世界を狭くして生きてきた。

なのに、今になって、そっち系のつながりですかぁ

ダイキくんのママと私、どちらがよりショックだったかは、言うまでもない。

同じ街で生活するって、こんなこともあるんだなぁ。

確かに私のお友達からは、子供と駅の改札口で待ち合わせをしていたらバッタリ元夫と会ってしまった、とか、子供の受験の説明会に行ったら、元夫と妻2号にハチ合わせした、などという話を聞いたこともある。

それにくらべれば私の場合、話題性があるというだけで、どれだけマシなことか。

ここはひとつ、大人の余裕をみせなければ。

はい、笑って、笑って~ ぴくぴく・・・。

そんな私の、頬のぴくぴくを敏感に察知したダイキくんのママは、ご主人のご家族の他愛ない、そしておもしろいエピソードをいくつか語って私の気をそらしてくれた。

「主人がナオキで、義弟がヒデキ。だからこの子がダイキなのよ」

こんな感じで。

元夫がとうの昔に再婚して、子供が2人いるという話は私の耳にも入っている。だからいずれ私の再婚の話も、元夫の耳に届くのだろう。

でもそれは、ダイキくんママ筋からではない、と確信できる。

よく出来た方だ。

思ったよりも長く、楽しいおしゃべりの後、ダイキくんとママは帰っていった。





なんとなく、知って欲しくない、と思っている。

私の幸せは、あなたには関係ところにあるのよ。あなたには、教えてあげない。

そんな風に思ってしまうことで、自分の狭量さや、胸の内にまだ残っていた元夫へのわだかまりを改めて知らされるなんて・・・。

やっぱり、ろくなヤツじゃない。

↑     ↑     ↑
人のせいにして、すっきりしようとしている自分がここにもいる。



匂いと記憶って、脳の同じ部分がつかさどっていると聞いたことがある。

今日、このことをブログに書こうと思い立ったのは、金木犀の香りがしたから。












麦茶家の夏 ~ 海物語

2008年08月13日 | A day in my life



   
見た目は高級リゾート!だけど実際は・・・


さてさて、息子が帰国してからはブログを書く暇も、mixiを更新する暇もなかった私。ウィーク・ディには夫婦は仕事に励む、息子は勉学に勤しむ(本当は全く勤しんでいない)、週末にまとめて遊ぶという日々が続いている。

2ヶ月の夏休みは、長いぞ~!

夫が率先して計画をたてるのは、当然 しょーがない。

そして何度もこのブログに書いたけれど、私は船、太陽、風に弱い。そしてセーリングは、その最悪の3項目、すべてを網羅している

日焼け止めを塗りまくり歌舞伎役者のように白い顔になっても、気にしない!どうせ、仲間だけだもん。更にサングラス、帽子、長袖のパーカーと、完備して万全の体制で毎回臨むのだけれど、ひとつだけ抜けがあった。

それは指先。私は日焼けすると日光疹(太陽に当たると出る湿疹)が出るのだが、指先は日焼け止めを塗ってもすぐに落ちてしまうらしく、爪のまわりがブツブツでかゆくなってしまう・・・。

今度は手袋も、か?

最強の酔い止め薬も発見し、かなり船も楽しめるようになってはきたけれど、やはり、長時間は苦しい。

最初の写真のようにくつろいで見えるのも、最初の30分だけ。

そもそもヨットというのは、体育会系のスポーツだ。それはレースに出ると実感する。セールを上げるためにロープを引っ張ったり、向きを変えるために重心移動して、居場所を移動したり。

けっこうすることが多い。





できるだけ船酔いしないように、私はいくつかの楽しみを見つけた。

 その1・ 脚の日焼け 

脚が日焼けしていると、なんだかイタリア・マダムみたいでカッコいい気分になれるし、脚が細く見える!ような気がするから・・・。

そのためには写真のような、くつろいだポーズが必要だ。座ったまま日焼けすると、膝頭とその上の部分だけが日焼けして、汚れてきれいに洗っていないように見えるから、最悪。

これ、通称 ”漁師焼け”と呼ぶ。

 その2・ 写真撮影

仲間の記録にもなるし、ブログにも使えて一石二鳥。だたし、自分が乗っている船の写真は当然ながら、撮れない・・・。

そこで、周りを走っているヨットの写真を撮るのだけれど、これはヨット・レースの時が最適。

ヨットには3枚のセール(帆)がある、というのは、自分が乗るようになって初めて知ったことだ。

メイン・セールと呼ばれる一番大きなセール、そしてヨットの前側にあるジブ。そして後ろから風を受けて走るときに使うスピン。

このスピンはそれぞれとても個性があって、広げるとキレイなのだけれど、ヨットに乗るようになって1年たった最近まで、私は自分達のスピンがどんなものか見たことがなかった。

そこで夫に尋ねてみた。

「黄色、緑と赤のハデなデザインだよ」

??? 見た記憶が、ない・・・。

「僕らは軟弱だから、1年に2~3回しかあげないからね


   
社名とロゴが入ってます。会社のヨット部ね


大きなリンゴが目を惹きます。船体にもリンゴが


そして今回、レースの時にようやく我らのスピンを見る機会が訪れた。知人の商業デザイナーに依頼してデザインしてもらった、ハデなスピンがこちら 狭い船上から撮ったので、一部しか写っていませんが、悪しからず。



正直なところ、これでは色合いしかわからない・・・


 その3・ 泳ぐ

もちろん夏にしかできないことだけれど、私はこれが一番のお気に入り!ライフ・ジャケットをつけて、それにほどけないようにロープを結び、ヨットに引っ張ってもらう。

私はヨットで泳ぐと聞いた時、どこか沖に停泊して海にボシャンと飛び込むのかと思っていたけれど、これは初体験。慣れるとヤミつきになる。

首を大きくそらして、しぶきがかからないようにするのがコツ。これ、慣れるまでに少々、時間がかかる。

また、ヨットの速度が速すぎる時、泳ぎが得意でない人は鼻から水が入ってしまったり、引きずられてしまうこともあるので、要注意。

すると、こんな風になる。


     
  


そして時にはかなりの大人数が集まって、BBQ。

マスターと呼ばれる夫の先輩がすべて用意をしてくれて、私たちは順番に焼く係。自分達のヨットの下で、飲んで、食べて


みんな水着で日焼けしてるのに、私は完全防備。はっきり言って、あやしい人と化している・・・



鎌倉の花火大会


また、時には陸に上げたヨットから花火鑑賞。私は行かれなかったけれど、夫と息子は前日から逗子に泊まって楽しんできた。





こんな風に、もりだくさんに過ぎている、麦茶家の夏。



病気になってもhappyに!

2008年05月20日 | A day in my life




今回の話題とはなんの関係もないねこ。癒されます。


体調が、ちょっと困ったことになっていた。

以前の離婚のいきさつにふれた時は、確かこのブログには書かなかったような気がするのだけれど、実は私、くり返し発病する持病を持っている。

発病は今度で3回目。”まだ3回目”だけれど、ちっとも嬉しい話ぢゃない

さかのぼる事12年前、ちょうど今の季節、私は元夫と別居して実家に戻っていた。ある日、風邪を引いたので、病院へ行った。内科での診察が終わった後、先生は何気ない様子で

「耳鼻科にも寄ってくださいね」

とおっしゃって、カルテをまわした。その時の私は、内科の先生が耳鼻科の先生に聴力検査を依頼していたことは知らなかった。

ヘッドホンを付けて、ピーピーと鳴る様々な周波数の音の聞こえを検査したり、耳の中をのぞきこまれたり。

検査が一通り済むと、先生は私を前にしておっしゃった。

「片耳の聴力が著しく落ちています。内耳に異常はないので、突発性難聴と思われます。ストレスが原因といわれる病気ですが、お心当たりはありませんか?」

ある、ある。大あり!

事情を先生にお話すると納得顔で、今後の治療の進め方を説明された。

時間が経つと治りづらくなるので、入院、点滴で一気に大量のステロイドを投与するのが最も効果的だといわれた。

でも息子は生後4ヶ月。とても入院なんてできなかった。

そこで、飲み薬での治療が始まった。





突発性難聴といえば、今では歌手の浜崎あゆみさんがこの病気をしたということで、ずいぶんと一般にも認識されるようになった。でも当時はこの病気を知る人はあまりなく、”ワガママ病”とか、”怠け者病”のように言われたものだ。

あゆがなぜこの病気になったのかは私にもわからないけれど、私の場合、簡単に説明すると、元夫との口論や繰り返される離婚の話を、耳が

「もう聞きたくない~

といって、聞くのを拒否したために起きた。

その日から、病気との闘いが始まった。まず、双子も育てられるくらい出ていた母乳をやめなければならなかった。

小さいながら、胸に顔をすり寄せてくる赤ん坊。息子が泣くと、胸は”母乳、準備完了!”といわんばかりにパンパンに張った。

でも息子に与えることはできない。

この時初めて、私は母親の健康の大切さを思い知らされた。自分が健康でなければ、思うように息子を育てることはできない。

この後数ヶ月、病状はよくなったり、悪くなったりをくり返しながら、徐々に快方に向かい、ようやく聴力はほぼ発病前のレベルまで治ることができた。

その間、離婚についてあれこれ考えていた(これがよくないんだって!)

先生はおっしゃった。

「よかったですね。もう少し遅かったら、聴力が戻らなかったかも知れなかったんですよ」

その瞬間、強く思った。

障害を持つリスクを負ってまで、あの男と一緒にいることはできない

それが離婚の決意、第2の理由だった。





そしてこの病気、今回はいつもと違ったかたちで現れた。ここのところ少し、忙しかったり、うじうじと悩んでいたことがあったから。

その日午前4時、トイレに行きたくて目を覚ました。すると・・・。

部屋がぐるんと、1回転した

これがめまいか 本物のめまい、初体験!もういっかい、寝よっと・・・。そのままベッドに倒れこんだ。

その朝、数日前から風邪気味だった私を、夫は起こすことなく出かける支度をしていた。”せめてお見送りしなくっちゃ。”ちょうど夫が出かける前に目が覚めたので、もう一度体を起こすと、ふたたび。



ぐるん。



部屋が、回転した

起きようとしても、三半規管が正常に機能していないらしく、からだをまっすぐに保つことができない。



かなり、ヤバい・・・。



それでも仕事に行かなければならない。さらに数時間横になり、1時間遅刻して出勤。その間にも壁にぶつかったり、洗顔し終わって顔を上げた瞬間、気付いたら床に仰向けで倒れていて天井を見上げていたり。

今考えると、よくお店まで無事にたどり着いたものだ

その日はほぼ一日中、座って出来る仕事をして、閉店してからかかりつけの耳鼻科に行った。

「今度はめまいも?やだねぇ。その難聴にめまいが加わると、メニエール病だよ」

先生はおっしゃった。気持ちが一気に落ち込む

「でも風邪も引いてるからね。あえてメニエールとは言わないよ。人生もっと、気楽に生きなきゃ!」

これがヤマネ先生を大好きな理由だ。病気で病院に行っているのに、なんだか明るい気持ちになれるんだから。

昔から医学も進歩している。今は私の難聴も、メニエールも、初期ならば同じ薬で治せる。今時こんなマズイ薬があるなんて信じられないほどの、ひどいシロップ。

でも良薬、口に苦し。

このおかげで治るのだから、文句をいってはバチが当たるというもの。幸い今回も1週間薬を飲んだら、ほぼ正常に戻った。むしろ風邪の方が、長引いている。

生きて行くって、本当にいろんなことがある。

”家族が病気をしていると、幸せ半減よ”

母の口ぐせだ。幸せに生きていくためには、ある程度の鈍感力が必要なのかなぁって、思う。鈍感力という言葉が作り出されること自体、世相を反映しているのだから。

”それでも元気に生きていきたいね”

と、みんなに伝えたかった、今日のブログ。




ET、来る ~ 無呼吸症候群の夫

2007年09月01日 | A day in my life



ほたるの光ではない・・・


息子が帰ってきて3人での生活が始まり1ヶ月が過ぎた。その中で、夫は枕に頭を付けると、ほぼ、5秒で眠りにおちるという息子も私もうらやむ特技を持っている。

mixiにも書いた内容なので両方を見てくださっている方は重複してしまうけれど、ご容赦を。

夫に初めて無呼吸を指摘したのは、当然のことだが私が同じ部屋で寝るようになってからだ。初めは半信半疑というような顔をしていたが、私があまりにしつこく言うものだから本人もだんだん病気の気分になり、「昼間会社で眠いのはそのせいかなぁ」とまで言うようになった。

ふと、思いついて聞いてみた。

「今までに誰か、無呼吸を指摘してくれる彼女はいなかったの?」

その時の夫のうろたえ方は、ビデオに撮っておきたいくらい見事なものだった。

そして先週になって夫はようやく無呼吸症候群対策にのりだした。会社の医務室から、睡眠中に正しく呼吸をしているかどうかを計測する機器を借りてきた。あまり長い時間呼吸が止まっていると、心配する私がバシバシたたいて起こしてしまうからだ。

だって、37秒も止まったりするんだもん

計測機器は思ったよりも小さな物。鼻に取り付けるチューブ、指先に取り付けるパッド、そして手首に腕時計のような機械をマジックテープで止め、呼吸のリズムの記録をとるらしい。

それにしても、会社の医務室にその計測機器が置いてあるなんて、無呼吸症候群の人が会社にそんなにたくさんいるのだろうか・・・?

チューブを見ながら夫は再び困惑の面持ち。でも、私は隣でいびきが交響曲のように鳴り響き、眠れなかったころにストップ・ウォッチで計ったことまであるのだから自信がある。

まちがいなく、夫の呼吸は止まっている



こんな風にする。でもこれで寝られるのだろうか・・・?


スイッチを入れる瞬間を、息子と私は固唾を飲んで傍で見守っていた。すると!

すべてはご覧の写真のとおりなのだけれど、これで1番最初の写真の正体がおわかりと思う。そう、指先に取り付けるパッドが光るのだ 光ることに、どんな意味があるのか、それはわからない。

とっさに、私は「ETだぁ!!」と叫んだ。もちろんそれは息子と”ハッピー・アイスクリーム”なタイミングだった。ますます戸惑う夫。私達はベッドに寝転がって涙が出るまで笑った。ごめんね、夫。



これぞまさしくETの名場面!


検査結果は、医師が自分の病院へ持ち帰って分析し、翌金曜日に会社に届けられるという。蛇足だが、無呼吸症候群はまず耳鼻科から入るのだそうだ。そして耳鼻科の治療で改善されない場合、同じ大学病院にある ”睡眠改善科” にまわされるのだそうだ。夫はこの ”睡眠改善” という響きをいたく気に入っていた。

そして翌金曜日、検査結果がでた。結果は聞くまでもない。

「あなたは重度の無呼吸症候群です」

1時間に約58回、無呼吸もしくは低呼吸の状態があるそうだ。しかも最長で140秒も低呼吸の状態が続く時もあるそうだ。つまり睡眠中は、いびきをかいているか、呼吸をしていないかのどちらかしかないのだ。そりゃぁ、仕事中も眠いでしょう・・・。

今日、夫は医師の紹介状を携えて ”睡眠改善科” のある大学病院へ嬉々として出かけていった。

どんな治療法が待っているのかは、帰ってきてからのお楽しみ







夢遊病者と共に、住まう

2007年08月08日 | A day in my life




ウォータールー駅09:00発、ポーツマス駅行きの汽車。この沿線に息子の学校がある。


息子も共に帰国し、ドキドキの3人での生活が始まった。

私達夫婦がイギリスへ発つ前には、息子が一緒に新居へ来てくれるのか、はたまた住み慣れた私の実家へ帰りたいというか、はっきりしていなかった。

夫は「無理をしないで、Rの好きなようにすればいいよ。夏休みの間、週末泊まりにきたりして、最終的にここに住んでくれればいいから」と言ってくれていた。でも私としては、夫が息子を迎え入れるために部屋(息子念願の自分の部屋)に、地上波デジタルの薄型テレビまで買って待っていてくれるのに、成田空港から別々の家に帰るというのは申し訳ない気がしていた。

息子の学校が終わり、ロンドンの宿に3人で泊まったときのことだ。私はそれとなく、どちらの家に帰りたいか、息子に聞いてみた。

すると、案の定・・・

息子は私の実家へ帰ると言った。私はすかさず、しかし、こちらの意図が見え見えにならないようにさりげなく提案した。

「あなたの部屋に、テレビを入れて待ってくれているの。1度向こうに3人で行って、なにを持って来たいか考えて、もとの家に戻ってみるのはどう?」

すると、今度は・・・

目を輝かせて「そうだね」と、同意した。ゲンキンなものである。もともと夫がひとりで暮らしていたマンション(本人曰く、寝泊りしている場所)に、私が仮に暮らすようになってまだ1ヶ月と経っていない。しばらくの間はふたりとも借りてきたネコのように暮らすことになるだろうと、覚悟を決めた。

ところが・・・。

家に着いた息子は念願の自分の部屋に喜び、テレビに喜び、脱衣所に喜び(実家のマンションは古くてヘンな設計のため、なんと!脱衣所がない!)、あっという間に、まるで以前からそこで暮らしていたかのようにくつろいでいた。



今日のブログとはなんの関係もないけれど、イギリスで汽車の車窓から見えた景色。


就寝時間。夫は気を遣って、息子と私が同じ部屋で寝てはどうかと提案した。すると息子は”なにをバカげたことを!”と言う顔をして自室へ入って行った。

そして深夜

夫の話し声で目が覚めた。朦朧として目を開けると・・・。息子がなんのためらいもなく、ふたりの間に倒れこんできて、そのまま眠ってしまった!体は大きくても、中身はまだかなり幼い・・・。私も再び眠りに落ちた。

そして更に数時間後。

再び夫の声で目を覚ます。息子が私達の寝室を出て行こうとしたので、声をかけたらしい。

翌朝息子にそのことを話すとポカンとしていた。夫曰く、部屋を出るときに寝ぼけてドアの位置がわからなかったらしく、クロゼットの取っ手を手にしてモジモジしていたらしいが、本人は全く覚えていないそうだ。

「夢遊病かぁ?」と言ってみんなで笑った。

それから数日間、息子は憧れの自室に落ち着いたのだが、引越し荷物が届いて部屋がぐちゃぐちゃになると再び、私達の間で寝るようになった。正真正銘の”川”の字だ。ちなみに、我が家では、私が一番長い棒を受け持っている。

でも私達夫婦、本当は息子のことを笑える立場ではないのだ。

夫は私と暮らし始めて、無呼吸症候群だということが判明した。初めて夫と同じ部屋で寝た時、にぎやかないびきが急に静かになったと思ったら呼吸をしていなかったため、私は驚いて「息をして~!!」と、バシバシ夫を叩いて起こすということがあった。

また、私は12年間の自転車通勤から、地下鉄を乗りついで通勤することになったため、夜中に足が攣りそうになって何度も目を覚ましてしまうのだ。

夢遊病の息子と、無呼吸症候群の夫、足が攣る母。なんとも妙なクセを持った新米3人家族の生活の「はじまり、はじまり~!」



大事な記念日、でも普通な一日

2007年07月04日 | A day in my life




東京ミッドタウンの高層ビル


26日の朝、入籍を済ませた。

夫となる人とふたりで、出勤前に区役所へでかける。まだ夫婦じゃないけど、一緒に出勤する夫婦みたいだね、と話す。ふたりともカチンコチンに緊張して、右手と、右足が同時に前に出るような歩き方。8時半に区役所が開くのを待って書類を提出する。

婚姻届と養子縁組届。

このふたつがセットだということが、私にとってなによりも大切なことだ。

今の季節に結婚する人たちは6月中に結婚する”ジューン・ブライド派”と、7月7日に結婚する”七夕派”に分かれるらしいと、先日テレビでやっていた。だんな様のおかあちゃまが「一日も早く入籍を」と望んでくださったので、図らずも私は”ジューン・ブライド”となった。

この日、私は入籍を済ませた後、東京ミッド・タウンに出かけた。もう10年近くもお世話している写真展のメンバーの集まり。メンバーは元海軍のエリートさん達、そう、以前このブログにも書いたT先生のお仲間で、全員85~89歳という紳士方だ。

幹事さんも当然ご高齢なのだが、こんな今流行りの場所でお食事会を企画するなんて、さすが まだまだパワフルでいらっしゃる!

入り口で手に取った地図を片手に、高級ブランド店が並ぶ通路を進む。とても印象的だったのは、地下1階から吹き抜けの部分をつらぬき、2階部分までも届きそうな笹のディスプレイだ。



季節感のあるディプレイがおしゃれ


遠く上の方には、天の川をイメージした藍色の幕がかけてある。こんなおしゃれな場所とはとんと、縁がなかった私はおのぼりさんのように口をポカンと開けて歩いていたことだろう

会場となったのは、新日本料理(?)のレストラン。どこのお店も長蛇の列だというのに、奥様方も何名か出席して、よく20名もの予約がとれたものだと関心 乾杯の時に幹事さんのスピーチがあった。

「今日はおめでたいニュースが2つあります。一つ目はメンバーのS君が86歳の誕生日を迎えられました。そしてもうひとつは、長年写真展のお世話をしてくれている麦茶さんがご結婚なさいました」

みんなの間から驚きと喜びの声があがる。双方の両親を除けば、最初にお祝いの言葉をかけてくださった方々だ。

みなさん、どうもありがとう。

美味しくて独創的な料理、家族の近況報告など、会食はなごやかに進んだ。メンバーの中には私が高校生だったころから家族ぐるみのお付き合いのある方もいらして、「明るい話題で幸せな気分にしてくれて、本当にありがとう」とおっしゃってくださった方もあった。

当の私だって、こんなに幸せな気分になったのは、いつ以来のことか思い出せないほど。

メンバーが集まれる機会は少ないからと、会食の後集合写真を撮った。桜の古木並木の道を歩きながら、おじいちゃま方から防衛庁跡地の説明を聞く。

「この桜の木は100年近く経ってるよ。僕らが若い頃からあったからね」

私が驚いた顔をすると、笑って教えてくれた。「防衛庁の前は麻布一連隊があった場所だからね」 なるほど。新しくなっても、古いものも残してあるんだ。

解散後、心がすっかり温まって、職場に顔を出した。と言っても、しっかり仕事をしたわけではない、本当に顔を出しただけ。ふわふわと宙をただよっているような感じ。今日のところは勘弁してもらおう、明日からまたがんばるから。



会食の後、お庭で記念撮影


夜は夫となった人と待ち合わせて、カジュアルなイタリアン・レストランで夕食。もちろんミッド・タウンのようなおしゃれなところではない。数少なかったデートでは、ずいぶんとすてきなところに連れて行ってもらってけれど、夫婦となった今では気楽なのがいい。

プロポーズも近所の居酒屋だった。お互いの気持ちは同じところに向かっていたにもかかわらず、”結婚”の2文字がふたりの間で交わされることなかった。双方の両親が顔合わせを済ませた時に、私は頼んだ。

「一生の思い出だから、プロポーズはちゃんとしてね」

そして入籍の3日前、ようやくプロポーズしてもらった。これで、よし!夏休みに息子を迎えに行き、帰国するまでが、ささやかな新婚生活だ。

その後どうなるかは、お楽しみ 気負わず、成り行きにまかせてみよう・・・。























大使館査証部・意地悪のなぞ

2007年05月24日 | A day in my life


 葉桜になった千鳥ケ淵


昨日、私にしては朝早く出かけた。地下鉄の通勤、通学ラッシュにもみくちゃにされて向かった先は半蔵門。息子の Student Visa について質問があり、大使館に行った。千鳥ケ淵に面した大使館の壁沿いにずっと歩いていく。

千鳥ケ淵といえば桜の名所。でも今の季節はすっかり葉桜になり、緑のトンネルをくぐり抜けて行くようだ。

敷地のまわりを半周して、ようやくお堀に面した正門にたどりつく。IDを見せて、用件を言うと
「すみません。ご質問は14:30からなんです」
と警備員さんが言う。大使館のHPで調べてきたのに、そんなこと、書いていなかったじゃない?しかし、ここで文句を言っても始まらない。午後に出直す旨を伝え、来た道をとぼとぼと戻った。

戻る途中、麹町消防署で、署員のみなさんがはしご車で訓練をしている光景に出くわす。細い通りをはさんで反対側の歩道に、お母さんと3歳くらいの男の子が顔を紅潮させて見つめる様子を見て、思わず息子が小さかった頃を思い出した。

彼も大好きだったけ、緊急車両・・・。それなのに今では大きくなって、親元を離れて外国で生活をしている。親子、共に望んだ留学だったのに、私のほうが少し寂しさを感じてる今日、この頃。


 男の子って消防車大好き


そして午後、再び。用件を告げ、門を開けてもらうと、中で名前を書いて電子機器を預ける。そして来客用のタグを胸に付けるという手順を経てようやく、中に入るのを許される。

今度は敷地の内側の壁沿いを歩き、領事部、査証部のある小さな建物に向かう。日本でありながら日本でない場所。日本人の植木屋さんが会話をしているかと思えば、傍らで外国語の会話も聞こえてくる。

待合室に入ると中は、しん・・・、としている。

この国の方々は、並ぶのがお好きだ・・、というジョークもある国。領事部で書類を公証してもらう人も、Visaに関して質問のある人も、皆テープで仕切られたところに1列に並んで、待つ。

以前ここに来たのは、昨年の2月、息子のVisaを申請に来た時だ。その時も思ったのだが、なんだか、親切ではない。ふと、横の壁を見ると張り紙がしてある。

”2006年4月より、ビザに関するご質問の受付時間は下記の通り変更になりました。  14:30~16:30”

こんなところに張り紙をしても意味ないのでは?時間が変更になったことを知らない人は、この張り紙にたどり着くことも出来ないのだから・・・。なんか、意地悪・・・?ま、これがお役所というものなのだろう。私は常日頃、お役所関係の用事は3度出向かないと終わらないと思っている。

待合室のベンチはガラすきなのに、立って待つこと10分。その間、私の前の女性が自分の質問に対する答えの理由をきちんと知りたいと文句を言っているのが耳に入る。対応に疑問を持っているのはどうやら、私だけではないようだ。ほっ・・・。

ようやく自分の番が来て、ブースに入る。対応してくれたのは中国系と思しき若い女性。私が息子のVisaに関する質問をすると、思ったよりも親切に、丁寧に、流暢な日本語で傍らにあった誰か(日本人)のパスポートを手に取って説明してくれた。

ちょっと見直した

人と接する職業についている私も、ちょっとしたことで印象がよくなることを改めて思い知らされる。人のあら捜しをするよりも、まず自分から。

息子のVisaの件は、結局私の心配のし過ぎとわかった。でも、気はぬけない!息子がはっぴーに学校生活を送るために、母としては精一杯の気配りを忘れてはならない。

大使館からの帰り道、緑のトンネルを歩きながら息子の担任の先生が送ってくださった写真を思い出した。学校の敷地内の森を、息子が同級生たちと歩いている後姿を撮った写真だ。しっかり青春している。

先生が写真につけたタイトルは”Stand by Me” 

今日もブログのタイトルからだんだんと話が逸れて、息子ネタで終わってしまう私・・・。


Stand by Me





夜明けとブラームス ~シンフォニー第1番・第2楽章~

2007年03月06日 | A day in my life




今朝、久しぶりに早起きをした。なんと5:30am!このところ息子がいないことを言い訳に8時頃まで寝てしまったりする私にとっては、びっくりの時間だ。 CAをやめてなにが嬉しいって、普通に人間が活動する時間帯で生活できることだ。朝3時から化粧をしなくてすむ。

大阪行きの朝1番の飛行機に乗る父を送って、羽田空港へ行った。家を出た時はまだ真っ暗、でも帰り道、車を運転しているとだんだんと夜が明けてきた。曇りがちな空がゆっくりと白んできて、雲の上側の太陽が当たっているところだけが金色の縁取りのように光っていた。

カーステレオから流れていた曲はブラームスの交響曲第一番、ドラマ”のだめカンタービレ”でも使われていたため、今やご存知の方も多いはず。もし美しい朝焼けだったら、第一楽章や第四楽章のドラマティックな旋律がぴったりだったろう。

でも今朝のような静かな夜明けには、祈りのような第二楽章が似合うと思う。これから礼拝が始まるかのような穏やかな旋律。いや、祈りの曲とは少しちがうような気もする。信仰のための音楽としては、ブラームスの音楽はロマンティックすぎる。

エラそうにかく言う私も、ブラームスの音楽との出会いはつい5年前のこと。以来どっぷりはまり込み、とりあえずシンフォニー4曲を全制覇した。シューマンの妻、クララ・シューマンを心の中で慕い続けたブラームスの音楽に、秘められた恋心を感じる人も多いのではないだろうか?

久しぶりに目にした一日の始まり時、そして心が和む音楽。こんな始め方もあったんだ。朝寝坊していたことで、こんなにも美しいものを、自分を見つめなおす時間を見過ごしていたのかと自分を叱りたくなった。

夜明けとブラームス。朝から感傷的になったのは、ほかでもない自分が恋しているから・・・。