goo blog サービス終了のお知らせ 

航 海 日 誌 ~Log Book~

仕事や旅行で訪れた国や街の思い出、日々の小さなできごとをつづります。

12年分のデトックス

2007年05月15日 | 美しくあるために


 久々に薬を飲む


”デトックス”と言う言葉も、もうすっかり定着したようだ。数年前からサプリや岩盤浴など、いろいろな方法がメディアで紹介されていたが、なんとなく自分には関係ないように思いつつ、惹かれていた。

ちょうどデトックスが流行り始めた頃、私は原因不明の体調不良に悩んでおり、あちこちの病院をまわり検査をしてもらっていた。最終的には自律神経失調症というところに落ち着き、数種類の漢方薬を試したのちに自分に合う漢方がみつかり、徐々に症状が改善されていった。

それと同時に自ら代謝をあげる努力を始め、たどり着いたのがデトックスだった。サプリや岩盤浴も試したが、できれば自分の力で体に毒素をためないような工夫もそれ以来欠かさないようにしている。

ところで、ゴールデン・ウィーク半ば、5月1日から私は久しぶりに熱を出した。それも38℃を越す高熱。これほどの高熱を出したのは7年ぶり。以前38℃以上の熱を出した時は、いつもインフルエンザと原因がわかっていた。でも、今回は原因不明。

発熱の直接的な原因は、その数日前ヨットに乗ったことだ。風に当たるのに弱い私は、海、ドライブ、ハイキング、自転車など、風には常に注意をはらっている。だが今回は楽しかったのと、気持ちがよかったという2重の理由で予防を怠ってしまった。

始めは2日も寝ていれば治るだろうと安易に考えていたのだが、熱は一向に下がる気配はなく、上がったり、下がったりを繰り返した。4日目には微熱程度まで下がって喜んでいたのに、その夜再び寒気と共にがぁ~っと熱が38.5℃まであがり、ありえないほどの汗をかいた。首筋から汗が流れっぱなしの状態が2時間ほど続き、それを最後に熱はだんだんと収まっていった。

結局なんとか普通の生活ができるまでに5日もかかってしまった。


 熱を出している私の枕元に母が飾ってくれた花。ありがとう。


”もう若くないんだなぁ・・・”と思う一方、”なぜ?”と腑に落ちなかった。確かに風に当たったし、普段は飲まないお酒も3日連続で飲んだ。だからって、ここまで・・・?

そこでふと、思いあたった。

私は今、大きな転機を迎えようとしている。

今後の自分の人生、家族のあり方、息子の将来などどれひとつとってもおろそかにできるものではない。

離婚後、自分では新しい人生を始めたつもりでいたが、それは今考えると、新しいと言うよりは”離婚後の人生”だった。離婚で受けた傷は、自分で思っていたよりも深刻だったようだ。ベッドの中でうつら、うつらしながら当時のことを頻繁に思い出したが、いい思い出、幸せな気分になれる思い出はひとつもなかった。

だから今まではくさい物にフタをするように、心の中にあってもそれを見ないようにしてきたのだと思う。でも転機を迎えて、今後、自分がどんな風に生きていきたいのかという問題に向き合わなければならなくなった今、”すべてを吐き出して、リセット”するのが正しいと体が判断したように思えてならない。

もうこれ以上”負”を受け入れられなくなったために転機となったのか、転機を迎えたから”負”を受け入れられないのか、どちらなのかは自分でも定かではない。が、結局のところ、それはどちらでもよいのだろう。

大切なのは、”負”をリセットして、幸せになろうという意思。

熱が下がって、今、ようやく理解できた。今までの自分を見つめ直して受け入れる、受け入れるためには不要なものを切り捨てる。熱と、汗と共に不要な想いは私から出て行った。久しぶりに真剣に考えたために出た”知恵熱”。

12年分のデトックス・・・。





ジャケットのセルフ・お直し

2007年04月27日 | 美しくあるために


 お直し前の状態


今日は朝、早めに家を出て、お店に来た。というのも、先日通販で買ったジャケット、直したいところがあったのだ。

お裁縫は得意と言うわけではない。むしろ、ミシンを使うのは気が重い・・・。でもスカート丈は1cm単位でこだわるし、体系に合う服へのあくなき欲求はとどまるところを知らない。自分が欲しいデザインが売っていなければ、自分で直してでも着たいのだ!

私の母は高校時代、勉強が大嫌いだったそうで、大学に進学するかわりに洋裁学校に入った人だ。子供のころは母が手作りの洋服をたくさん作ってくれて、私はワクワクしながらそれが出来上がるのを横で見ていた。

私が今子供服屋をしているのも、そんな記憶があるからかもしれない。

で、このジャケット、昨年からカタログで見ていたもので、ライナーが取り外しができる。私のようにしょっちゅう旅をする人にとっては、旅先でいつ何時天候が変わっても対応可能な温度調節ができる羽織ものは MUST HAVE ITEM (日本語で言うマスト・アイテムね)だ。

ところが昨年はうっかりしているうちに SOLD OUT となってしまったため、今年は早々にゲットした。ところが送られてきたものを試着したら、どうしても袖口についているベルトが気に入らない。試しにボタンをはずしてベルトを隠してみると、これがなかなかよい

だったら ”取ってしまえ~!” ということでいよいよとりかかった。

縫い目をほどいて・・・


日ごろからパンツのすそ上げ、スカートのウエスト直し、ししゅうなどは自分でちゃちゃっとやってしまうが、上着をいじるのはねぇ・・・。でも着たい!という欲望には勝てない。

大がかりにほどいてから縫い直せばミシンがかけやすいのだが、面倒くさがってそこだけをほどいたので後が大変だった。ミシンはすみっこまで入っていかないし、ほつれ止めのロック・ミシンもかけられず、結局手でかがるハメになった。

でも紆余曲折ののち、完成

さっそくゴールデン・ウィークのデートでデビューさせるつもりだ。動機付けってすごいと思う。

  完成!






強さについて、思う ~Happy-san のブログによせて

2007年04月24日 | 美しくあるために

先日私の友人で、このブログのブックマークにさせていただいているHappy-sanが”強さ”について書いていらした。バイオリン奏者の五島みどりさんや五島龍さんのお母様の五島節さんのお話だ。

”強さ”について、私もひとこと・・・。

離婚して以来、私には”強い女性”というイメージがあるようだ。もっともなことだと思う。仕事をしながらひとりで子供を育て(ありがたい両親の援助はあるが・・・)、決断し、行動してきたのだから。

それは、日本の男性には嫌われがち。なんでもひとりで出来てしまう女性は、彼らの目には魅力的とは映らないらしい。ひとりで”できる”ことと、ひとりで”しなくてはならない”には大きな違いがあるのだが、そのあたりのことは、なかなか理解してもらえない。

日本の男性は”頼られる”のがお好きだ 自分が強くなったような気分になれるからだろう。

でも生物学的には雄よりも雌のほうが強い。子供の出生率だって、男児の死亡率の方が高いから、女児が多く生まれるようになっているし、2度と経験したくないと思っている陣痛だって、あれほどの痛みを男性が経験したら死んでしまうらしい

強くなったような気分になりたいのは、雄が雌をゲットするための自然界の法則なのだろう。


華やかな桜の根元でひっそり咲くすみれみたいな強さがほしい


以前おつきあいした男性でこの”強さ”について悩む私を解き放ち、泣かせた男性がいる。

「僕にとっては、君の強さは魅力だ。だって自分が弱くなっている時には、君に支えてほしいから。君が弱くなっている時には、僕が支えてあげるから。お互いに支え合う関係では、君の強さはすばらしい資質だ」 そう言われた時、私には運命の赤い糸が見えたような気がした。

心に力の入っていない、自然体の人だった。残念なことにその男性との恋は実らなかったが、彼の言葉は、今でも変わらず私を支えてくれている。

Happy-sanはご自分を”受け止める強さ”、五島さんのことを”投げる強さ”を持つ人だと表現しておられた。

なるほど・・・。では、私の強さは? 

私の強さは、”守る”べきものがある時に発揮されるように思う。

簡素に生活する私には、守るべきものはそう多くはない。でも、かけがえのない息子、見守ってくれる両親、財産とも呼べる友人たち、小さいけれど手塩にかけてきたお店など・・・、どれひとつが欠けても今の私はないし、それらを手放さないためには、どこまでも戦うだろう。

近頃なぜか、その男性のことをよく思い出す。

今になって、その男性は私のことをほんとうに、よく見てくれていたんだなぁと思う。私が大切な両親やお店を離れて、遠くに住む彼のもとへ行けなかったこと、でももしそうしていたら、間違いなく、彼を自分の守るべきものリストの筆頭に(息子の次に)加えていただろうことを、彼は気付いてくれていたのだから。

強さにもいろいろある。

彼のおかげで、私は、”強い”ことは女性として決して悪いことではないと思えるようになった。

強さにもいろいろある。

その強さを守っていきましょう。ね、Happy-san



赤いマニキュア・赤いペディキュア・赤い服

2007年04月17日 | 美しくあるために



私と同年代、大学時代、就職3年目くらいまでにバブル期を経験した女性は、”赤”という色にあまり抵抗はないのではないだろうか?

数年に1度、以前の職場の友人がスタッフとして活躍するCAのチャリティ・フリーマーケットにお手伝いに行く。すると、必ずといっていいほど出品された品物の中で目にするのが、当時誰もが1枚は持っていたはずの赤いコートやワンピース。

今となっては”いったいあの時代はなんだったのだろう?”と思わざるを得ないバブル期には、社会にこの鮮烈な色を受け入れるだけの元気があったのだと思う。その後バブルがはじけ、経済が衰退するとともに、世の中から赤い色のものが減っていった。洋服、お化粧、車・・・。

その後自然派志向とでもいうべき、ベージュや黒のニュートラルカラーが主流となり、私自身もそういった色を好んで身に付けるようになった。

でも心のどこかで、赤いものを身に付けた時の元気な気分を、懐かしんでいたように思う。

”赤”といってまず私が最初に思い出すのが赤いマニキュアをした母の手だ。私が子供の頃、母はとてもおしゃれで、いつも赤いマニキュアをしていた。どんなに忙しくても、少しでも先がはげるとすぐに塗りなおしていた。マニキュアは時々ピンクになったりもしたけれど、子供心に宝石のようにきれいに輝くつめを、うっとり眺めていたいたのを鮮明に覚えている。

自分が大学生になってメイクに興味を持った時に、まっさきにやってみたいと思ったもの赤いマニキュアだった。でも子供の頃につめをかんでいた私のかわいそうなつめは、平べったくて、四角いつめ、とても赤いマニキュアができるような状態ではなかった。泣く泣くあきらめた・・・

そして赤いペディキュア代表は、私のお友達のママ。時は経ち、私は社会人になった。CAの同期入社の友人の家に遊びに行ったときに、ママに紹介された。自宅でラフな格好をしていた友達のママ、でも足先には真っ赤なペディキュアが塗られていた。

友達曰く、「たとえ手のつめがボロボロの時でも、ママのつま先が赤くない時なんて見たことない」 すごい!主婦にとって、マニキュアをきれいな状態で保つことは難しいけれど、こだわりをもって足のつめのお手入れを欠かさない、なんておしゃれさんなんだろう!しかも人目には付きにくいところなのに・・・。

色の持つパワーって、すごいと思う。

今年に入って、東京でも赤いセーターやTシャツを着ている女性をちらほら見かけるようになった。子供服とはいえ、服飾の仕事をしている私は、自分はおしゃれとはあまり縁がなくても、人が着ている洋服や色に敏感だ。人が着ているのを見るだけでも元気になれる赤い服。みんなが元気になってきた証拠かしら?

昨年4月、息子がイギリスの学校に入学するために一緒にイギリスへ行った時、ロンドンからヒースロー空港へ向かう汽車の駅構内にあるお店で、私は久しぶりに赤いカーディガンを買った。これから単身イギリスでがんばる息子を遠くから応援するために、自分も元気でありたいと思ったから。

そして私の足のつめは、今年の2月から赤くなった。どこへでも私を運んでくれるこの2つの足に、元気でいてほしいと願うから。

赤いマニキュア、赤いペディキュア、赤い服。みんなに元気をもたらしてくれますように・・・。



ただいま減煙中

2007年04月11日 | 美しくあるために




4月1日から減煙中・・・。禁煙中と胸をはって言えないところが悲しい。

禁煙を決めたのは願掛けのため、端的に言えば”恋の成就”のためだ。

「禁煙なんて、意思の強さがあれば明日から簡単にできる」、そう思っていた私にとって、禁煙は思ったよりもキツイことだという事実に気付いたのは禁煙2日目のこと。

そもそも私が煙草を吸うようになったのは、元夫との別居が原因だ。息子が生後4ヶ月で元夫と別居した私は当時、慣れない子育てと離婚を前提とした別居のストレスで精神的に相当まいっていた。

理由は”価値観の不一致”、人様からは最も理解されにくい理由だ。別居前の夫婦間のけんかで、相当まいっていた。あげくの果てにお仲人さんはじめ、ウワサを聞きつけた近所の人にまで「ワガママだ」とか「辛抱がたりない」など、今思えばなぜ、そんな人にまで叩かれなければならないのかわからないほどの攻撃を受けた。

実家にもどってから初めて、ストレスが原因で難聴になっていたことを知った。聴力を完全に失わないようにするためには、短期間で大量のステロイド剤を摂取する必要があると、お医者様に告げられた。そして、私は双子も育てられるほどたくさん出ていた母乳での子育てを断念することになった。

そこで緊張の糸が切れたのだと思う。煙草を吸い始めた。それまでにも学生時代やCA時代、友達が吸っているのを真似て面白半分に煙草を吸ったことはもちろんあった。でもヘビースモーカーの父の元で育った私は、絶対に煙草は吸いたくないと思っていたのに・・・。

以来12年間、煙草は私の人生のお共となった。自分に合っていないことは明らかだった。まず、煙草を吸っているのが似合わない。学生時代から私を知る友人たちはこぞって「似合わない!」、「イメージじゃない!」と言うし、そもそもアレルギーで喘息気味なので1年中咳をしている。

いつかはやめようと思い続けてきたが、その”いつか”はなかなかやって来なかった。でも、今、ついに”その時”が来たような気がする。この私が恋をしたのだから!といっても、まだ手をつないで歩いたこともない。そして、その男性は煙草は吸わない・・・。

”いつか”を”今”と決めよう!ときっかけを作ったのはよいが、ちょっとムカついた時、食後など、ついつい煙草に手がいってしまう。煙草やライターを捨てても、コンビニや自販機で簡単に買えてしまう。う~ん・・・。

だったら出来るところから始めよう!ということで減煙ということになった。禁煙補助剤のガム、ニコレットも買って持ち歩いている。

完全に禁煙できるようになるのはいつのことやら・・・。でも確実に量は減っている。”意思の強さ”は私にとって美しさの定義のひとつだ。これを励みに、恋の成就を願って、日々、禁煙に向けて励む私。


心に残るメールって・・・?

2007年02月20日 | 美しくあるために


手放せない


メールがコミュニケーションの手段となって久しいこの頃。私の学生時代にはそんなものはなく、誰かと会おうと思ったら相手に電話をかけ、お互いの予定を確認しあって約束を取り付けたものだ。友達に相談がある時、密かにあこがれている人に口実を作って会ってもらおうとする時、電話をかけること自体にドキドキして、それを楽しんだ。

でも最近では、誰かに会いたいと思ったらメールをして、返信を受け取って、それで約束の出来上がり。電話をかける時のドキドキや、相手の声を聞くという楽しみが、便利さの陰で省略されてしまっているようで、残念でならない。

時々メールをやりとりしている男性がいる。誰もが羨むような会社に勤めながらも派手さはなく、年齢にふさわしい落ち着きをもった素敵な人だ その男性のメールは、たいていとても短い。用件を簡潔に述べた文章が2つと、その時々の感想を書いた文章が2つ。たまに時候の挨拶が付くこともあるが、女の子の交換日記感覚でメールを使っている私にとって、それはあまりに短く、ともすればさっと目を通しておしまいにしてしまいそうになる。

だがある時、何気なくメールを読み返していてショックを受けた 無駄な言葉がそぎ落とされた文章は、まっすぐに私の心に入ってきて、そこに灯をともした。心の中が”ぽっ”とあったかくなるような言葉。

もし会話の中でその言葉が使われていたならば、きっと気に留めることもなく聞き流していただろう。男性からメールや手紙、つまり文字で表された言葉をおくられることに慣れていない私にとっては、驚きであると共に新たな発見だった。最先端の連絡手段、実は手紙と同じ効果?

もやはメールにもいらない時代



アナログな私は、最近ではめずらしい筆まめな人だろう。お家に招待された翌日のお礼状、旅先からの絵葉書、受け取った友人は電話をかけてくる。「返事を書けないから電話かメールにして」って。

遅まきながら、私も時代の流れにのって、そろそろメールを上手に活用するようにならなければと思う。ただツールとして活用するだけでなく、受け取った人がハッとするような、メールが書けるようになりたいと思う。電話、手紙、メールの違いはあっても、相手の心に届いてこその言葉だから。

そう、憧れの男性のメールのように・・・。