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航 海 日 誌 ~Log Book~

仕事や旅行で訪れた国や街の思い出、日々の小さなできごとをつづります。

ET、来る ~ 無呼吸症候群の夫

2007年09月01日 | A day in my life



ほたるの光ではない・・・


息子が帰ってきて3人での生活が始まり1ヶ月が過ぎた。その中で、夫は枕に頭を付けると、ほぼ、5秒で眠りにおちるという息子も私もうらやむ特技を持っている。

mixiにも書いた内容なので両方を見てくださっている方は重複してしまうけれど、ご容赦を。

夫に初めて無呼吸を指摘したのは、当然のことだが私が同じ部屋で寝るようになってからだ。初めは半信半疑というような顔をしていたが、私があまりにしつこく言うものだから本人もだんだん病気の気分になり、「昼間会社で眠いのはそのせいかなぁ」とまで言うようになった。

ふと、思いついて聞いてみた。

「今までに誰か、無呼吸を指摘してくれる彼女はいなかったの?」

その時の夫のうろたえ方は、ビデオに撮っておきたいくらい見事なものだった。

そして先週になって夫はようやく無呼吸症候群対策にのりだした。会社の医務室から、睡眠中に正しく呼吸をしているかどうかを計測する機器を借りてきた。あまり長い時間呼吸が止まっていると、心配する私がバシバシたたいて起こしてしまうからだ。

だって、37秒も止まったりするんだもん

計測機器は思ったよりも小さな物。鼻に取り付けるチューブ、指先に取り付けるパッド、そして手首に腕時計のような機械をマジックテープで止め、呼吸のリズムの記録をとるらしい。

それにしても、会社の医務室にその計測機器が置いてあるなんて、無呼吸症候群の人が会社にそんなにたくさんいるのだろうか・・・?

チューブを見ながら夫は再び困惑の面持ち。でも、私は隣でいびきが交響曲のように鳴り響き、眠れなかったころにストップ・ウォッチで計ったことまであるのだから自信がある。

まちがいなく、夫の呼吸は止まっている



こんな風にする。でもこれで寝られるのだろうか・・・?


スイッチを入れる瞬間を、息子と私は固唾を飲んで傍で見守っていた。すると!

すべてはご覧の写真のとおりなのだけれど、これで1番最初の写真の正体がおわかりと思う。そう、指先に取り付けるパッドが光るのだ 光ることに、どんな意味があるのか、それはわからない。

とっさに、私は「ETだぁ!!」と叫んだ。もちろんそれは息子と”ハッピー・アイスクリーム”なタイミングだった。ますます戸惑う夫。私達はベッドに寝転がって涙が出るまで笑った。ごめんね、夫。



これぞまさしくETの名場面!


検査結果は、医師が自分の病院へ持ち帰って分析し、翌金曜日に会社に届けられるという。蛇足だが、無呼吸症候群はまず耳鼻科から入るのだそうだ。そして耳鼻科の治療で改善されない場合、同じ大学病院にある ”睡眠改善科” にまわされるのだそうだ。夫はこの ”睡眠改善” という響きをいたく気に入っていた。

そして翌金曜日、検査結果がでた。結果は聞くまでもない。

「あなたは重度の無呼吸症候群です」

1時間に約58回、無呼吸もしくは低呼吸の状態があるそうだ。しかも最長で140秒も低呼吸の状態が続く時もあるそうだ。つまり睡眠中は、いびきをかいているか、呼吸をしていないかのどちらかしかないのだ。そりゃぁ、仕事中も眠いでしょう・・・。

今日、夫は医師の紹介状を携えて ”睡眠改善科” のある大学病院へ嬉々として出かけていった。

どんな治療法が待っているのかは、帰ってきてからのお楽しみ







夢遊病者と共に、住まう

2007年08月08日 | A day in my life




ウォータールー駅09:00発、ポーツマス駅行きの汽車。この沿線に息子の学校がある。


息子も共に帰国し、ドキドキの3人での生活が始まった。

私達夫婦がイギリスへ発つ前には、息子が一緒に新居へ来てくれるのか、はたまた住み慣れた私の実家へ帰りたいというか、はっきりしていなかった。

夫は「無理をしないで、Rの好きなようにすればいいよ。夏休みの間、週末泊まりにきたりして、最終的にここに住んでくれればいいから」と言ってくれていた。でも私としては、夫が息子を迎え入れるために部屋(息子念願の自分の部屋)に、地上波デジタルの薄型テレビまで買って待っていてくれるのに、成田空港から別々の家に帰るというのは申し訳ない気がしていた。

息子の学校が終わり、ロンドンの宿に3人で泊まったときのことだ。私はそれとなく、どちらの家に帰りたいか、息子に聞いてみた。

すると、案の定・・・

息子は私の実家へ帰ると言った。私はすかさず、しかし、こちらの意図が見え見えにならないようにさりげなく提案した。

「あなたの部屋に、テレビを入れて待ってくれているの。1度向こうに3人で行って、なにを持って来たいか考えて、もとの家に戻ってみるのはどう?」

すると、今度は・・・

目を輝かせて「そうだね」と、同意した。ゲンキンなものである。もともと夫がひとりで暮らしていたマンション(本人曰く、寝泊りしている場所)に、私が仮に暮らすようになってまだ1ヶ月と経っていない。しばらくの間はふたりとも借りてきたネコのように暮らすことになるだろうと、覚悟を決めた。

ところが・・・。

家に着いた息子は念願の自分の部屋に喜び、テレビに喜び、脱衣所に喜び(実家のマンションは古くてヘンな設計のため、なんと!脱衣所がない!)、あっという間に、まるで以前からそこで暮らしていたかのようにくつろいでいた。



今日のブログとはなんの関係もないけれど、イギリスで汽車の車窓から見えた景色。


就寝時間。夫は気を遣って、息子と私が同じ部屋で寝てはどうかと提案した。すると息子は”なにをバカげたことを!”と言う顔をして自室へ入って行った。

そして深夜

夫の話し声で目が覚めた。朦朧として目を開けると・・・。息子がなんのためらいもなく、ふたりの間に倒れこんできて、そのまま眠ってしまった!体は大きくても、中身はまだかなり幼い・・・。私も再び眠りに落ちた。

そして更に数時間後。

再び夫の声で目を覚ます。息子が私達の寝室を出て行こうとしたので、声をかけたらしい。

翌朝息子にそのことを話すとポカンとしていた。夫曰く、部屋を出るときに寝ぼけてドアの位置がわからなかったらしく、クロゼットの取っ手を手にしてモジモジしていたらしいが、本人は全く覚えていないそうだ。

「夢遊病かぁ?」と言ってみんなで笑った。

それから数日間、息子は憧れの自室に落ち着いたのだが、引越し荷物が届いて部屋がぐちゃぐちゃになると再び、私達の間で寝るようになった。正真正銘の”川”の字だ。ちなみに、我が家では、私が一番長い棒を受け持っている。

でも私達夫婦、本当は息子のことを笑える立場ではないのだ。

夫は私と暮らし始めて、無呼吸症候群だということが判明した。初めて夫と同じ部屋で寝た時、にぎやかないびきが急に静かになったと思ったら呼吸をしていなかったため、私は驚いて「息をして~!!」と、バシバシ夫を叩いて起こすということがあった。

また、私は12年間の自転車通勤から、地下鉄を乗りついで通勤することになったため、夜中に足が攣りそうになって何度も目を覚ましてしまうのだ。

夢遊病の息子と、無呼吸症候群の夫、足が攣る母。なんとも妙なクセを持った新米3人家族の生活の「はじまり、はじまり~!」



航海日誌 2007年7月 ロンドンの宿編

2007年08月06日 | 航海日誌・海外編



今度の宿は昔の貴族の館


1週間の予定のイギリス旅行もあっという間に終わった。出発する前日に修理に出してあったPCも直ってきたので、ここでまたこのブログを再開できる。

テンプレートも気分一新、ピンクとこげ茶のコンビネーション。これは3月にNYの子供服の見本市で、最新流行だった組み合わせを真似してみた。

みなさん、お元気でしたか?

昨年4月以来のイギリス、そして今回の旅行は今までとは少しちがった趣。なにしろ、なりたて夫と一緒、しかも4日目からは息子も合流。どんな旅になるのやら、2人の間に入って気を遣うのでは・・・と、少々心配だった。

旅の計画を始めたのは、出発日から1ヶ月を切った頃。色々と検討した時に、今回は”宿にこだわる”というテーマを決めた。利便性の高いホテル、古くても趣のあるホテル、小さくてこぢんまりしたホテル、どんなところにしよう・・・。そこでふと、思い出した。

仲良しの、その知人がロンドンの住宅街で昔の貴族のお屋敷を買い取って、知り合いを泊めている、というお話。彼も新婚旅行の時には、そのお屋敷に滞在したそうだ。

思い立ったらすぐ電話

すると、なんと!オーナーさんがカレの家に食事に来ていたところで、即座に宿がとれてしまった。ツイてる!

ヒースロー空港に降り立ったのは夕刻。緯度が高い上にサマータイムも実施されているので、まだ午後のような明るさ。でも雨が多いと聞いていたとおり、ものすごい蒸し暑さ!パディントン駅からタクシーに乗り10分。繁華街から北へ向かい、なだらかな坂道を上ってゆくと閑静な住宅街、ハムステッドに入る。



近くには美しい自然を残した公園、Hampstead Heath がある


今度の宿はここにある。小路を突き当たったところに、 ELM BANK という名の館は静かに立っていた。エルム、”楡の木”の名にふさわしく、昔は楡の並木道だったそうだ。残念ながら今では楡の木を枯らす菌が広がり、いまではその菌に強い菩提樹に植え替えられつつあるそうだ。

門から砂利を踏みしめて入っていくと、庭のラベンダーの香りが私達を向かえてくれた。窓からオーナーのSさんが顔をのぞかせ、玄関にまわってきてにこやかに迎え入れてくれた。吹き抜けになった玄関ホール、凝った装飾のある大理石のマントルピース、大きな窓から見渡せる自然の趣を残した庭。ホテルに慣れている私達にはすべてが新鮮で、ゴージャスで、しばらくの間、ポカンと口を開けて立っていた。



美しいダイニング・ルーム。日本人のセンスではなかなかこんな装飾はできなさそう・・・。


案内されたのは増築部分にある部屋。ずっと日本にいる病気の親族を看病なさっていたため、ここに人を泊めるのは5年ぶりとのこと。部屋は少しカビくさかったが、不快なにおいではない。ただ、長い間使われていなかった部屋のにおいだ。清潔にお掃除され、独立したバスルームと、小さなキッチンが付いている。素晴らしい!

日暮れまでまだ時間があったので、近所の散策に出かけた。おしゃれな台所用品のお店や、各国料理のレストランが並ぶ駅周辺は、いかにも高級住宅街といった趣だ。パブに入って軽く食事をした。そのパブもいかにも昔風ではなく、若者から老人までが気楽に食事をできるおしゃれな雰囲気だった。



ピンボケだけど、お庭に現れたきつね


翌朝、日本にいる両方の両親にメールをしようとして、まだ寝ている夫を起こさないように庭に出た。すると・・・。裏口に続く小路でばったりきつねと遭遇した。どちらも驚いたが、きつねはダッシュで逃げるのではなく、じっと、私を見つめた後、本館に面した庭に悠々と消えていった。

朝食はSさんがミニキッチンの冷蔵庫に準備してくれたパンやハムで、自分達の好きな時に、好きなように済ませる。食事のたびに一々出かけなくていいのがうれしい。リッチで、プライバシーが守られて、私が大好きな滞在型の宿だ。

私と個人的にお知り合いで、ご興味のある方にはご紹介できます

貴族の館で始まる、イギリスの旅。幸先のよいスタートだ。

























いよいよ出発!

2007年07月11日 | 航海日誌・海外編



この飛行機に乗って出発!


イギリス旅行への出発もいよいよ明日。

巷ではこれを新婚旅行と呼ぶらしいけれど、私にしてみれば苦行以外のなにものでもない・・・。だって息子の学校で「私、再婚しました。これが夫です。」と先生方に紹介しなければならないのだ。照れくさいことこの上ない・・・。でも避けては通れない。

100歩ゆずって、それはがんばるとする。でもひとつだけ気がかりなことがある。実は息子が5月末に帰国した際、息子にこう言って送り出したのだ。

「あなたがいない間に勝手に結婚したりしないから、安心して行ってらっしゃい」

彼にはまだ、入籍とか、戸籍とか、事務手続きの難しいことはわからない。でも理解してくれるかどうか、少し不安を感じている。彼によかれと思ってしたことなのだけれど・・・。

そんなわけでこのブログもしばらくお休み。その間に職場で使っているパソコンも修理に出した。

どうかみなさんの勇気をわけてほしい。応援していてね。








大事な記念日、でも普通な一日

2007年07月04日 | A day in my life




東京ミッドタウンの高層ビル


26日の朝、入籍を済ませた。

夫となる人とふたりで、出勤前に区役所へでかける。まだ夫婦じゃないけど、一緒に出勤する夫婦みたいだね、と話す。ふたりともカチンコチンに緊張して、右手と、右足が同時に前に出るような歩き方。8時半に区役所が開くのを待って書類を提出する。

婚姻届と養子縁組届。

このふたつがセットだということが、私にとってなによりも大切なことだ。

今の季節に結婚する人たちは6月中に結婚する”ジューン・ブライド派”と、7月7日に結婚する”七夕派”に分かれるらしいと、先日テレビでやっていた。だんな様のおかあちゃまが「一日も早く入籍を」と望んでくださったので、図らずも私は”ジューン・ブライド”となった。

この日、私は入籍を済ませた後、東京ミッド・タウンに出かけた。もう10年近くもお世話している写真展のメンバーの集まり。メンバーは元海軍のエリートさん達、そう、以前このブログにも書いたT先生のお仲間で、全員85~89歳という紳士方だ。

幹事さんも当然ご高齢なのだが、こんな今流行りの場所でお食事会を企画するなんて、さすが まだまだパワフルでいらっしゃる!

入り口で手に取った地図を片手に、高級ブランド店が並ぶ通路を進む。とても印象的だったのは、地下1階から吹き抜けの部分をつらぬき、2階部分までも届きそうな笹のディスプレイだ。



季節感のあるディプレイがおしゃれ


遠く上の方には、天の川をイメージした藍色の幕がかけてある。こんなおしゃれな場所とはとんと、縁がなかった私はおのぼりさんのように口をポカンと開けて歩いていたことだろう

会場となったのは、新日本料理(?)のレストラン。どこのお店も長蛇の列だというのに、奥様方も何名か出席して、よく20名もの予約がとれたものだと関心 乾杯の時に幹事さんのスピーチがあった。

「今日はおめでたいニュースが2つあります。一つ目はメンバーのS君が86歳の誕生日を迎えられました。そしてもうひとつは、長年写真展のお世話をしてくれている麦茶さんがご結婚なさいました」

みんなの間から驚きと喜びの声があがる。双方の両親を除けば、最初にお祝いの言葉をかけてくださった方々だ。

みなさん、どうもありがとう。

美味しくて独創的な料理、家族の近況報告など、会食はなごやかに進んだ。メンバーの中には私が高校生だったころから家族ぐるみのお付き合いのある方もいらして、「明るい話題で幸せな気分にしてくれて、本当にありがとう」とおっしゃってくださった方もあった。

当の私だって、こんなに幸せな気分になったのは、いつ以来のことか思い出せないほど。

メンバーが集まれる機会は少ないからと、会食の後集合写真を撮った。桜の古木並木の道を歩きながら、おじいちゃま方から防衛庁跡地の説明を聞く。

「この桜の木は100年近く経ってるよ。僕らが若い頃からあったからね」

私が驚いた顔をすると、笑って教えてくれた。「防衛庁の前は麻布一連隊があった場所だからね」 なるほど。新しくなっても、古いものも残してあるんだ。

解散後、心がすっかり温まって、職場に顔を出した。と言っても、しっかり仕事をしたわけではない、本当に顔を出しただけ。ふわふわと宙をただよっているような感じ。今日のところは勘弁してもらおう、明日からまたがんばるから。



会食の後、お庭で記念撮影


夜は夫となった人と待ち合わせて、カジュアルなイタリアン・レストランで夕食。もちろんミッド・タウンのようなおしゃれなところではない。数少なかったデートでは、ずいぶんとすてきなところに連れて行ってもらってけれど、夫婦となった今では気楽なのがいい。

プロポーズも近所の居酒屋だった。お互いの気持ちは同じところに向かっていたにもかかわらず、”結婚”の2文字がふたりの間で交わされることなかった。双方の両親が顔合わせを済ませた時に、私は頼んだ。

「一生の思い出だから、プロポーズはちゃんとしてね」

そして入籍の3日前、ようやくプロポーズしてもらった。これで、よし!夏休みに息子を迎えに行き、帰国するまでが、ささやかな新婚生活だ。

その後どうなるかは、お楽しみ 気負わず、成り行きにまかせてみよう・・・。