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航 海 日 誌 ~Log Book~

仕事や旅行で訪れた国や街の思い出、日々の小さなできごとをつづります。

再会一周年

2008年04月21日 | 心の整理・整頓



マンション裏の神田川


1月からごぶさたしておりました。

グアムでの結婚式のお話など、かなり笑える話題があったにもかかわらず、1月から自分の気が下がっていて、いまひとつブログを書こうという気分になれずに・・・。

春に向かって病気や気分が上がる前に、人は一瞬落ち込むことがあるらしい。それは桜の木が花を咲かせるために、たいへんなエネルギーを必要とするのと同じように、人も春に向かっての体制を整えるためにエネルギーをたくさん必要とするからだそうだ。

妙に、納得。

美しいと思いはするけれど、人の心をかき乱すように咲いて、散る桜の季節を、私はあまり好きになれない。

桜も散り、すっかり葉桜となった頃、私のパワーは再び上昇し始める。新緑の頃は、一年で最も好きな季節だ。

さて、今日のブログの本題。少し前、春休みで帰国していた息子と夫がテレビで ”SASUKE” を見ていてふと、思い出した。

昨年、この ”SASUKE” が放送されたのは、春分の日だった。なぜ覚えていたかというと、その日は息子と夫が3年ぶりに再会した日だったからだ。夫とのデートはその時点で3回。夫のマンションに息子と招待され、マンション裏の神田川沿いの桜を見ることになっていた。

ところが・・・。

暖冬だった昨年の開花予想では、春分の日にはもうかなり桜が咲いているはずだったにもかかわらず3月に入ってから寒さがぶり返し、その日はまだちらほら枝の先に花が咲いている程度だった。直前に夫からもらったメールには、こう書いてあった。

”気象庁に石を投げておきます”



こんなところにも花が・・・


その日は最寄のJRの駅で待ち合わせ、夫のマンションでケーキをごちそうになり、神田川沿いを散歩して早めの夕食のため鉄板焼き屋さんへ。

大将が焼いてくれるのを目の前で見られるカウンター席に3人並んで座った。夫との関係に敏感に反応した息子。席順は息子・私・夫。その時にお店のテレビでやっていたのが ”SASUKE” だった。

途中私がお手洗いに立つと息子は私の席に移り、男子ふたりが並んでテレビを見るような席順になった。それを見て、私はかなりほっとした。

しかし、そう話はうまく運ばなかった

お手洗いから戻ってみると、チャンネルはフィギュア・スケートにかわっていて、息子は元の席にもどっていた。ふたりの間の空席が、その時の関係を象徴しているように、がら~~んとして見えた。

先行き、不安・・・。

緊張気味の3人での食事が終わり家路につくと、息子が言った。

「桜が咲いたら、早起きしてもう1度見に来られるかな?そしたらちゃいちゃんが会社に行く前に会えるし」

”ちゃいちゃん”とは、夫の親戚の間での呼び名だ。それを聞いて私はとても嬉しくなった。息子の了承なしには、結婚はありえなかったから。そして夫にもメールでその言葉を知らせると、夫も救われたような気がしたそうだ。

あれから1年。モデルルームのようにきれいだった(実際、棟内モデル・ルームとして使われていた)夫・1人暮らしのマンションに、倍の人数で引っ越して、占拠するように自由に使わせてもらっている。

再会1周年。

最近になってようやく、夫も遠慮なしに息子の言葉遣いや態度を注意したり、叱るようになった。仲のよいふたりを見て、いつも思っていた。中学生の息子がこんなに父親と仲がよいからこそ、まだ本当の親子ではないんだなぁって。

そんな気の置ける関係が変化してきたのを見るのは、私にとって喜びでもありドキドキ・ハラハラでもある。夫が息子を叱ることによって、ふたりの関係が悪くなってしまうのではないかと心配する必要がなくなったときこそ、真に親子になれたということだろう。

”ふたりで勝手にやって”

そんな風に言える日が一日も早く来ますように・・・。

日増しに濃くなる緑を見ながら、息子の成長に重ね合わせている今日、この頃だ。


















始まりと終わりと、終わりと始まりと

2008年01月22日 | 心の整理・整頓




チャペルの祭壇


怒涛の年末年始は、クリスマス前の3連休から始まった。

クリスマス会や忘年会が目白押し、その上、私は今さらながらにマリッジ・ブルーに陥った。年が明けて、1月3日に控えた結婚式。もう夫と一緒に住んで半年も経つというのに。

街がクリスマスやお正月気分で華やげば華やぐほど、情緒不安定に。

息子が学校から帰って来て、またにぎやかになった我が家。もちろんあいかわらず3人”川”の字で寝ているのだが、今や3本の棒はすべてほぼ同じ長さ。中1になっても甘えん坊な息子にあきれつつ、新しくお父さんとなった人とのスキンシップが、今の彼に必要なのかとも思ったりする。

そんなある晩、まるで息子は5歳児に戻ったかのように私に体をすり寄せてきたので、昔のように肩を抱いてやった。

すると・・・。

当時の感覚がよみがえってきた。あの頃もよく、こうやって息子と一緒に寝たっけ。息子と自分と、それ以外に何もないように思っていた頃だった。

す~っと、目から涙

「涙がでこ(おでこ)に当たったよ」

寝ぼけた様子で、あの頃に使っていた言葉そのままで言う息子、それを聞いてなにごとかと起き上がる夫。でも何も聞かずに息子と私にそっと腕をまわしてくれた。

もう、ダメ

1人でいた頃の寂しさや、悲しさや、切なさが津波のように押し寄せてきて、涙が止まらなくなってしまった。もう1人でがんばらなくていいという安心感に、今まで張り詰めていた緊張の糸が切れたようだった。

そんな情緒不安定な中で迎えた結婚式。本当に親しい家族、親族総勢12名でグアムへ向かう。



リング・ピロー


こんな気持ちで、ちゃんと結婚式に臨めるのだろうか・・・?ますますつのる不安


でも物事はなるようにしか、ならないのだ!

あっという間に出発の日はやってきた。なにせ85歳の義父を車椅子に乗せ、グアムのホテルに入ったのは午前3時。そして朝7時半から結婚式の打ち合わせが入っている。

ほんの数時間仮眠した、といったかんじで慌ただしく支度をする。大きな風呂敷にNYでゲットしたドレスや下着、アクセサリーをまとめてホテル内にあるブライダルサロンへ。

その後はすべて人任せ。夫は着替えるだけしか支度がないのでみなと朝食をとりにいったものの、私は衣装の最終確認やヘア・メイクと、すべてが流れにのって勧められる。

そう、心配したってしょうがない。
みんなこうやって、お正月に、はるばるグアムまでだって、来てくれたじゃない!



挙式後のみんなの様子



今までだって、1人きりではなかったのだ。ただ、意見の違いから反発したり、疎遠になったりしていただけで、本当は大勢の人がそばにいてくれたのだ。それに自分が気付けなかっただけ。

ちなみに、先日 happy-san にしていただいたオーラソーマのイヤー・ボトル・コンサルテーションでは、今年の私に必要なのは”同じ物事を別の視点から見て、新たな見方があることに気付くのが大切”なのだそうだ。

だったらほら

ちゃんと気付いて、それに感謝できるようになった自分を新たに発見できた。

グアムでの結婚式の様子はまた後日お知らせするとして、やはりけじめとして必要な儀式だったのだなぁと、今あらためて、思う。

今までの自分との決別、そして新しい家族3人での生活の始まり。神様と、牧師様と、そして家族の前でそれを守っていくことを誓う、大切な儀式だった。

終わりと、始まり・・・。

そして帰国後、一つの終わりがあった。

17年間、生活を共にしてきた実家のねこが亡くなったのだ。

年末から元気がなくて心配していて、家族が留守の間はねこ好きの知人が朝から晩まで通ってきてそばにいてくれたのだが、両親が帰宅した時には歩けないほどに衰弱していると連絡を受け、私は車をとばして実家に戻った。

動くことも出来ず、テーブルの下にうずくまっていたのに、私が着くと

”まだ、歩けるよ”

といった顔をして、下半身を引きずって前足だけでテーブルの下から出てきて見せた。



ロン毛の美ねこでした


その夜は苦しかったようだが、翌日私が息子を連れて会いに行くまで待っていてくれた。もう横になったきりで動けなかったが、私達が行くとわずかにまぶたを開けて見てくれて、そして30分後にみんなが見守る中息を引き取った。

ねこは犬とちがって、愛情をめいっぱい振りまく性質ではない。特に我が家のチンチラ・シルバーは気位が高く、家族にもあまりなつかないねこだったけれど、それでも”いつもそばにいるよ”と気配を感じさせてくれるさりげない気遣いにどれほど慰められたことか・・・。

友人が言った。

「あなたが結婚式をして、幸せになるのを見届けて亡くなったのね」

始まりと終わりと、終わりと始まり。

私にとって大きな節目となった年末年始は、こうして終わり、息子も学校へ戻って行った。


みなさん、今年もよろしくお願いいたします。


色彩・京都 ~紅、橙、黄金色

2007年12月08日 | 航海日誌・国内編




静寂の中に色彩の賑わい


週末、京都へ行った。夫の両親と4人で、紅葉三昧。

義母の母が9月に亡くなった。危篤になるまでその方が存命だとさえ、私は知らなかった。私がお見舞いに行きましょうと言っても「もうわからないから、いいのよ」などとちょっと寂しいことを言っていた。

義母と、その母とは生前いろいろと確執があったようで、お葬式もすべて済んだ後にがっかりしていた義母を元気付けたくて、「旅行にでも行きましょう」と軽くお誘いした。

この言葉、魔法の呪文だったらしい。

義母は急に元気になり、「いつ行く?どこ行く?」状態になってしまった。みんなで相談して、京都の紅葉を見に行こうということになった。

私、京都は子供の頃に都おどりを見に行ったきり。それはなぜか?実は関西弁がニガテなのだ 関西の人に言わせれば「大阪弁、京都弁、神戸弁、一緒くたにすなぁ~!!」と叱られるが、本当に関西弁、関西のノリ、関西の風習が合わないの。関西風味付けは好きだけど・・・。今まで避けてきた京都、大人になった今好きになれるだろうか?そんなことを考えていた。

お宿はまた義兄に会員制ホテルを紹介してもらおうと考えていたところ、夫が会社からチラシを持ち帰った。

”社員向け京都旅行・一泊二日二食付”

これはまた、なんてタイムリー!でも抽選なんだって。当たるかなぁ?



どこもかしこも真紅の紅葉


申し込みをして、義母から催促の電話がかかってくるようになった頃、夫が帰宅して言った。

「今日、担当部署の部長から電話があってさ、希望してた宿でなくてもよければなんとか取れそうだって言うから、いいって返事しておいたよ」

それって裏ワザ?抽選じゃないぢゃん。

どうやら担当部長が知り合いだったらしく、新婚の私達に便宜を図ってくれようとしたらしい。申し込みをしたほかのみなさんには、決して知られてはならない!


     
苔の中から愛らしいお地蔵様


そうしてたどり着いた古都。

私が今までに自然の中では見たこともないような紅、橙、黄金色の紅葉が小春日和の空に広がっていた。高齢の両親を気遣って頼んであった観光タクシーに乗って、初日は京都の東側を重点的にまわる。大原の三千院、寂光院、青蓮院・・・。どこもみな、有名なお寺だけれど、この日のハイライトはドライバーさんのお勧めで立ち寄った小さなお寺、蓮華寺だった。

紅葉の季節以外、訪れる人は少ないと思われる小さな、小さなお寺さん。路地の奥まったところにある山門をくぐって、私は言葉を失った。



蓮華寺の境内


こぢんまりとした庭は、橙色の天蓋のように大きく枝を伸ばした紅葉の木に覆いつくされていた。

こんな色の紅葉は見たことがない・・・。

このブログ、トップの写真も蓮華寺の庭を撮ったもの。頭の中にJRのCM「そうだ京都、行こう」の音楽が流れてくるようだ。観光シーズン中で大勢の人がいるにもかかわらず、ここだけが異空間のよう。静寂のなかで、紅葉が饒舌に自己主張しているみたいだった。



竹の青に紅が映える


夜は旅館でご馳走ずくし。その後両親を旅館に残して、夫と2人で祇園へ飲みに出かける。町屋をリフォームしたおしゃれなバーだった。

本当は歌舞伎俳優をしている友人が紹介してくれたバーへ行こうと思っていたのだけれど、ネットでどんなお店か検索してみたら、石原裕次郎が設計した会員制のバーらしく、いくら紹介があったとはいえ私達には敷居が高いような気がして、今回はパスすることにした。

翌日は嵐山方面を巡る。どこも、かしこも美しいの一言。京都の人はこんな風景を毎日見てはるのね?

私も京都弁をまねしてみましたが、旅行客が多かったため関西弁も思ったほどは聞かれなかった。もしかして、一番多く耳にしたのは東京弁だったかも

帰りは京都駅でお土産のお買い物。もちろん、お約束の八つ橋と、千枚漬けよん

色の中を慌ただしくかけぬけた2日間。それでも、なぜ人々が京都に惹きつけられるのか、少し理解できた。自然の中に身を置いて、その力強さに圧倒された。

自分ひとりだったら、決して来ることはなかっただろう京都。環境が変わると、行動範囲も変わるのだなぁ、と思う。いつか、もう少し時間をかけて、ゆっくり来てみたいと思う。その時には、京都の桜を見てみたい。今回とはまた違った、表情が見られるだろう。

そんな風に思えるようになった自分、少し大人になったのかな?





航海日誌 2007年10月 ~番外編・NYでショッピング

2007年11月26日 | 航海日誌・海外編




めまいがしそうなほどたくさんのウェディング・ドレス


10月のNY訪問時、仕事には全く関係のないミッションがあった。それは”ウェディング・ドレスをゲットする!”というもの。

息子の夏休みが終わる頃になって、急に結婚式をするという話が浮上した。しかもグアムで

入籍したし、お友達がパーティをしてくれたし、家族の集合写真も撮ったし、結婚関係セレモニーはもう済んだと勝手に解釈していた私。しかし、イベントは次々と持ち上がる。

今回の言いだしっぺは、夫

でも、しょ~がない。私は2度目だけれど、夫は初婚だもんね。好奇心旺盛な夫は結婚式に興味があるらしい。

夫の一族約10名は、毎年お正月に一緒に旅行する習慣がある。そこで今年はみんなでグアムに行き、そこで結婚式も済ませようというご意見。

だったら急がなくっちゃ!

私の家族を合わせて総勢14名、お正月旅行を申し込むならもう遅すぎるくらい!慌てて旅行代理店を数社あたるが、もうどこも予約でいっぱいだ。あせり始めた頃、NW航空からメール・マガジンが届いた。

”年末、年始のミクロネシアパッケージ・ツアーのご案内” なんてタイムリー

すかさず申し込みのメールを入れる。14名ということは、年末、年始料金で300万円相当だ。この仕事をゲットしたいと思う営業マンがいてくれることをひたすら願う。

最初はキャンセル待ちだったが、数日後担当者のがんばりあって無事全員分の予約が確保される。

やった~ ほらね、うまく行くようになってるんだから。夫はのんきな顔をして言う。

前置きが長くなってしまったけれど、そこでウェディング・ドレス問題が浮上する。私の母が ”せめて新しいドレスを着て!その他はほとんど省略してしまったようなものだから” と言い出した。昔の人だなぁ、と思う。

でも母の気持ちをくんで、ではNYへ行くのだからそこで、という話になった。しかしこれが無謀だった。タダでさえ仕入れで忙しいのに、なぜ、空いた時間にドレス探しができると思ったのか、自分でもわからない。

見本市をいつもより1時間早めに切り上げて、次のアポまであと40分あるから・・・。こんな感じでドレス屋さんをかけめぐる。

大きな声ではいえないのだけれど、子供服とはいえアパレルの仕事をしている私には、 ”着るものを定価で買う” という観念がない。ほとんどを問屋さんや、ブランド品を値下げしているお店で買うし、ユニクロのセーターだって週末セールを狙って買う。

聞きようによっては ”しみったれ” かもしれないけれど、これが私が離婚後身に付けた節約術。長年の習慣となったものは、そう簡単には変えられない。

そこで、マンハッタンでも ”Whole Sale Only (卸売りのみ)”と書かれたお店に知らん顔して、ずんずんと入っていく。もちろんウェディング・ドレスを ”仕入れる” ほどたくさん買うわけではないのだが・・・。

「日本から子供服の見本市に来たんだけど、自分のウェディング・ドレスを探してるの」

あつかましくもにっこり笑って言うと、お店の人は ”しょ~がないなぁ” と苦笑して、奥のドレス・コーナーへ案内してくれる。この日あたりをつけたのは、ファッション・ディストリクトと呼ばれる一角の、7番街からわき道に入ったフォーマル・ドレスの問屋さんだった。

めまいがしそうなほどたくさんのドレスの中から、たったひとつ、式のためのドレスを探すのは至難の業だ。それでも2、3点、好みのドレスを見つけ、翌日出直す約束をする。自分ひとりでは簡単に試着もできないから。



鏡にうつった自分をパチリ


見本市が終わった翌日、親しくしているインド出身の子供服メーカーのオーナー・デザイナー、ビヌーさんが一緒にドレスを見に行ってくれた。

日本では大女の私も、アメリカでは背は高いがやせている部類にはいるため、体に合うサイズを探すのも大変だ。この日入ったお店(ここは小売店だった)で、これぞまさに私が思い描いていたドレスという、総レースの美しいドレスに出会ったが、これはオーダーだという。納期は通常3ヶ月、それでは1月の結婚式に間に合わない。

”大丈夫、大丈夫!急がせるから!”

お店の女性はそう言ったが、その調子の良さが信用できない。納期に間に合わなかったら、2度と着ることができないのだから・・・。泣く泣くあきらめた。

次に前日行った問屋さんにチャレンジ。前日選んだ数点を取り置きしてくれていたので、ビヌーさんに見てもらうために再度試着する。



試着室がないので、試着もセーターの上から


ふたりで、あ~でもない、こ~でもないと、さんざん意見を言い合った末、選んでいた中でも最初に気に入ったドレスに落ち着く。少々のサイズ直しと丈詰めが必要だが、それは日本に帰ったら母とふたりで出来そうだ。

夫からは ”シンプルなドレスがいい” とリクエストを受けていたので、その希望に沿った、胸の部分だけにビーズの飾りが付いたシンプルなAラインのドレス。

決めた

支払いの段になって、お店のお兄ちゃんが申し訳なさそうに言う。

「タグは卸値なんだ。1点だけ卸値で売ったらボスに叱られちゃうからね。5割り増しでいいかい?このドレス、ここではこんなに安いけど、そこの角を曲がった表通りの小売店では$2,500で売ってるからね」

もちろんですとも

最初の結婚の時にも気付いたのだが、日本はウェディング・ドレスが高い。日本のレンタル価格が、海外での販売価格と同じか、それ以上だ。今回私は幸いにも桁が1つ少ない価格でドレスを購入することが出来た。これも自分の足で歩いた賜物と考えることにした。疲れたけれど、これもお楽しみのうち!

帰国後、夫や母、義母に見せた。

「質素ねぇ」

義母の一言。でももう若くないし、中身で勝負じゃ

そんなわけで、最近は実家に頻繁に出入りしてドレスの改造に励んでいる。出来上がりまでにはまだしばらくかかりそう。でも、こんなワクワクをもう一度味わえる幸せをかみしめている今日、このごろ・・・。



夫もブライダルサロンで試着

















航海日誌 2007年10月 ~ニューヨークで仕事

2007年10月31日 | 航海日誌・海外編




特設会場に設けられたランウェイ


さて、ニューヨークのブログに仕事の話題が出てこないので、”本当はNYで仕事をしていないのではないか?”という指摘を友人から受けた。

ごもっとも

仕事、しています・・・。ただ、その他の部分が楽しいので、つい・・・。そこで、今日は麦茶がNYでどんな仕事をしているか、というお話。

NYへは子供服の見本市のために、年に数回出かける。たいてい3月と10月。3月が秋冬物最大規模の見本市で、10月は春夏物コレクションだ。この2回でほぼ、仕入れができる。

今回は10月だったので、来年の春夏物の仕入れ。でもお店では夏物が終わり、冬物を扱っている季節なので、時々自分が何を仕入れなければならないのかわからなくなったりする。というもの、アメリカではお金持ちは冬でもマイアミやハワイなど、リゾート地にでかけたりするので、半袖商品を扱っているメーカーも少なくないからだ。いわゆるクルーズ・ラインというわけ。

クルーズ=船で海に出る

私が日頃夫のヨットに乗っているのとはずいぶんとちがう、お金持ちなイメージ

会場はハドソン川に近い巨大なコンベンション・センター。そこに何百ものメーカーがブースをかまえ、サンプルを展示している。

買い付けに行く=商品を持ち帰る

こう思っている方も多いようだが、実際には来シーズンの商品を発注することが私の買い付け旅行だ。もちろん、たまには現地のお店で調達することもある。でもアウトレットは粗悪品(規格外)があったり、小売店では商品が汚れていることも少なからずあるので、麦茶はできるだけメーカーから直接仕入れるよう心がけている。



ブース内のランウェイは机で!


各ブースは趣向を凝らしてサンプルを展示している。ブースを広くとっているショールームでは従業員の子供をモデルにして、ブース内に設けた机のランウェイで独自のファッション・ショーをしているところもある。照明の色や数、壁の色などによって商品が引き立つのだから、みな気合が入っていて3日間通って見ても全くあきない。あきないけれど、見るものが多すぎて具合が悪くなる。

何百というブースがあっても、”これを仕入れたい”とひらめくものは少ない。かといっていつも同じメーカーだけではお客様に飽きられてしまうし、おなじみのメーカーが毎回ヒット作をだしてくれる訳ではない。そこが仕入れの難しいところで、何度行っても巨大な会場を隅から隅まで丹念に歩いて探すことになる。

それでだいたい1日、2万5千歩


   
バイヤーに提供されるランチ、いつも美味


見本市ではもう一つ楽しみがある。朝9時の開場と同時に朝食、12時にランチ、午後3時にスナック、3回分のお食事クーポンがつく。上はランチの写真。3日間、毎日ちがうサラダとあたたかいパスタが出て、これがとっても美味しい!テーブルにはきれいなお花のアレンジが飾ってあり、疲れた体を癒してくれる。

歩いて、見て、かなり疲れたところで供されるランチ。同じテーブルに座ったバイヤー達とのおしゃべりも、私にとっては貴重な情報源だ。アメリカでの流行や、仕入れの方法など、今までにもこのランチの席でずいぶんと学ばせていただいた。





取引は可能な限り、信頼できるメーカーとしたい。それはメーカーさん側も同じこと。アメリカではオーダーしたにもかかわらず、納期間際になってキャンセルになったり、サンプルと現物の色が変わっていたり、納期が守られないなどというトラブルも少なくない。そんなことのない、しっかりとしたメーカーさんに、私も信頼してもらってよい関係を築いていけたらと思っている。

また、何度も取引するあいだに自然に親しくなって、3日間の見本市が終わった後ブランド・オーナーさんと一緒にお食事に出かけたり、なんていうこともたまにある。

”相手とよく知り合うにはまず食事。食べるという基本的な行動を共にすることによって、信頼関係が築かれる”

そう言っていたのは私の知人、大きな取引をたくさん経験した建築士さんだ。アメリカでは日本ほど取引先との接待はないけれど、確かに仕事のことだけでなく、お互いの家族のことなども気さくに話し合える人とは仕事もスムーズにいくことが多い。

子供服の仕事を始めて、今年で13年になる。乳飲み子を連れて実家に戻って、無我夢中で始めた仕事だ。それでもいまだに日々学ぶこと、多し。お店にいるだけではなく、外に出ることで気持ちが引き締まり、また改めてお店を大切に思う気持ちが復活する。

あとは事務仕事、このお話はつまらないので省略。ニューヨークでのお仕事はこんな感じ。

ね、ちゃんとお仕事、してるでしょ?