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航 海 日 誌 ~Log Book~

仕事や旅行で訪れた国や街の思い出、日々の小さなできごとをつづります。

世の中せまい!というお話

2008年10月08日 | A day in my life



金木犀が咲き始めた!


季節もいよいよ秋。数日前から、街中で金木犀の香りが漂っている。

大好きな香りなのだけれど、この香りはちょっぴり苦い思い出とリンクしている。

ちょうど15年前の今頃、私は最初の結婚式を挙げた。そして新居となるマンションに引っ越した時、ちょうどこの花が満開だった。

だから金木犀の香りは、淋しかった最初の結婚生活を思い出させる。

そして再びこの香りを好きと言えるようになるまで、ちょうど10年かかった・・・。

でもお花に罪は、ない。だた、ひとえに私の気持ちの問題。

お蔭様で今は幸せなのだから、こーゆー後ろ向きな考えは捨て去るべし


さて、今日は ”世の中せまい!”というお話。例によって長いので、お暇な方だけどうぞ。

私はブログと平行して、mixiにも参加している。多くの方がそうでしょ?

mixiのコメントを見ていると、マイミクさん同士が知り合いだったり、共通点があったという書き込みが時々見られる。

確かに東京は大きな街だけど、それぞれが属するコミュニティというのは意外に小さいものだと実感することが多い。

私は幼稚園から持ち上がりの学校で学んだため、小学校の同級生、中学の同級生・・・といったように、学校が違う知り合いの数はとても少ない。

小学校の同級生≦大学の同級生 (この記号であってたっけ?)

更に社会人になり、3年で会社をやめ、1年半の出産、育児期間を経て自営業となったため、社会人になってからの知り合いというのも少ない。

取引先はすべて外国だし・・・


子育てのため、10年ほど外界と遮断された世界にこもったが、息子が成長して、10歳になったころからようやく飲み会仲間、旅行仲間などなどの友人が増えた。

これはひとえに、私の大切なお友達のお力によるところが大きい。



感謝でござる




さて、私にはもう6年くらい、息子の洋服のおさがりをもらってもらっている友人がいる。

もともとはお店のお客様だった方。

たびたびお店に来てくださって、おしゃべりをしているうちに、次第にお互いウマが合うことに気付き、いつの間にかお友達になっていた。

私とちがってマメなダイキくんのママは、近くに来る機会があると必ず、

「ほら!今日もいただいたお洋服を着てるのよ!」

と言ってお店に寄ってくださる。しかもダイキくんが洋服を着られなくなったら、更に男の子が3人いるお友達にまわしてくださっているそうだ。

なんともありがたいお話だ。

しかし今春、息子はついに子供服を卒業し、ユニクロ、もしくは紳士服の青山にデビューした。

今やデカッ!というサイズ。

なのでダイキくんへの最後の荷物に

”これでお下がりはおしまいです。今までありがとう。”

とお手紙を添えた。






夏休み中、ダイキくんとママがお店に寄ってくださった。

直接会うのは久しぶりだったので、お互いの子供の成長、私の再婚などおしゃべりに花が咲いた。ダイキくんママは、私が結婚したことをとても喜んでくれた。

「でも確か、どっか遠くに引っ越しちゃったのよね?」

ダイキくんママの実家は、港区の超1等地にビルを何件も持っているお金持ちだ。もちろんダイキくん一家も一緒に住んでいる。

こういう人達にとって、私が今住んでいる場所は”どっか遠い所”なのだ。そしてほぼ35年、港区に住んだ私にとっても・・・。

「どうして?ご主人のお勤め先がそっちとか?」

ううん、夫の両親が近いから・・・。夫の会社は港区だよん。

ダイキくん家に近いオフィス街の地名を言った。

「えっ もしかしてご主人、○×社?」

そう。

「きゃ~ ウチのダンナもよ~!!」

いやはや、世の中せまいものだ。ダンナ同士が同じ会社に勤めていて、地名を言っただけで当てられてしまうとは・・・。他にも会社、いっぱいあるのに。

でもここまでは、まだ序の口。

そこから先は結婚全般の話になり、ダイキくんパパの独身の弟さんのことへ。

「△□社でパイロットしてるんだけどね。未だに独身なのよ」

ピン

私、きちゃった。もしかして、**ヒデキさん?

「きゃ~ なんで義弟のこと知ってるの しかもフルネームで!」

う゛ぅ~む

今になってこの名前を聞こうとは・・・。

このヒデキさん、ちょっとした有名人であった。

航空会社は管理部門をはじめ、営業などの地上職、運行、客室、整備など色々な部署があるけれど、横のつながりってあまりない。

でもヒデキさんは如才ないとでも言えばいいのか、社内に知り合いが多く、あちらこちらで名前が売れている。

例えば機内誌に名前入りでエッセイを書いたり、なにかと目立つ存在で、中にはそれをよく思わない人もいたりする。

そんなのはただの妬みとか、やっかみだと思うんだけど。

でも私がその人を知っている理由は、別にある。




「元夫の同期なの」 




どっか~ん 自爆 





当然、一緒に食事に行ったことも、ある。

更に言えば、妊娠中、夜中に酔っ払った元夫から

「電車がなくなって、タクシーも大雨でいないから、迎えに来てくれ」

と電話があり、東京駅まで車で渋々迎えに行ったところ、ヒデキさんも一緒に待っていて、全く方向違いの吉祥寺まで送っていくハメになったことさえある。

もちろんこれで大喧嘩になったことは言うまでもないが、それはまた別のお話。

それは置いておくとして、この時ほど”世の中せまい!”と思った瞬間はなかった。

もともと東京育ちにしては知り合いが少ない上、離婚後は更に世界を狭くして生きてきた。

なのに、今になって、そっち系のつながりですかぁ

ダイキくんのママと私、どちらがよりショックだったかは、言うまでもない。

同じ街で生活するって、こんなこともあるんだなぁ。

確かに私のお友達からは、子供と駅の改札口で待ち合わせをしていたらバッタリ元夫と会ってしまった、とか、子供の受験の説明会に行ったら、元夫と妻2号にハチ合わせした、などという話を聞いたこともある。

それにくらべれば私の場合、話題性があるというだけで、どれだけマシなことか。

ここはひとつ、大人の余裕をみせなければ。

はい、笑って、笑って~ ぴくぴく・・・。

そんな私の、頬のぴくぴくを敏感に察知したダイキくんのママは、ご主人のご家族の他愛ない、そしておもしろいエピソードをいくつか語って私の気をそらしてくれた。

「主人がナオキで、義弟がヒデキ。だからこの子がダイキなのよ」

こんな感じで。

元夫がとうの昔に再婚して、子供が2人いるという話は私の耳にも入っている。だからいずれ私の再婚の話も、元夫の耳に届くのだろう。

でもそれは、ダイキくんママ筋からではない、と確信できる。

よく出来た方だ。

思ったよりも長く、楽しいおしゃべりの後、ダイキくんとママは帰っていった。





なんとなく、知って欲しくない、と思っている。

私の幸せは、あなたには関係ところにあるのよ。あなたには、教えてあげない。

そんな風に思ってしまうことで、自分の狭量さや、胸の内にまだ残っていた元夫へのわだかまりを改めて知らされるなんて・・・。

やっぱり、ろくなヤツじゃない。

↑     ↑     ↑
人のせいにして、すっきりしようとしている自分がここにもいる。



匂いと記憶って、脳の同じ部分がつかさどっていると聞いたことがある。

今日、このことをブログに書こうと思い立ったのは、金木犀の香りがしたから。












”呪”について ~ 陰陽師・安倍晴明が語る名前のお話

2008年09月18日 | 心の整理・整頓




新たな本との出会い


結婚して2度目の夏休みも無事終わり、息子も学校へ戻って行った。

私たちふたりとも、ようやく新しい姓にも慣れて、呼ばれてもすぐに返事ができるようになってきた。気を抜いていない時に限るけれど。

私は銀行口座やクレジット・カードはまだ旧姓のまま、仕事でも旧姓使用で通している。

でも運転免許証や、パスポートの名前を変えてしまったので、旧姓使用もそろそろ限界かな、と最近感じるようになってきた。



そして唐突に、今日は久しぶりに本のお話。



昨年、まだ夫と入籍する前、本屋さんで1冊の本と出会った。夢枕獏著の ”陰陽師” シリーズだ。

今日のタイトルの ”呪” とは、なにやら恐ろしげな、不気味なイメージがある。でもここでは、この字は ”のろい”とは読まずに ”しゅ”と読む。

とても有名で映画化もされたので、本好きの方はとうの昔に読んでいらっしゃることだろう。なのに私は以前から読んでみたいと思っていたのに、なかなか手にする機会がなかった。

この時、私はまるでこの本に手招きされるかのように、この書棚の前に立った。

”あぁ、ここにあったのね” それが最初に感じたこと。

活字中毒を自負し、本を切らすことなどない私だが、稀にこんな、びっくりするような本との出会いがある。

読み始めて、一気にその幻想的な世界のとりこになった。ストーリー性は言うまでもないが、この物語で一貫して語られる ”呪”が、この時の私にとって、これ以上ないほどタイムリーなテーマ性を持っていたからだ。



平安時代のお話だから、写真も和風のお花で


物語は安倍晴明と友人の源博雅の会話から始まる。博雅は晴明に尋ねる。

「”呪” とはなんであろう?」

すると晴明は、庭に咲く花を指差して答える。

「あそこに花が咲いているであろう。あれに人が”藤”と名を付けて、みながそう呼ぶようになる。すると、それは”藤の花”になるのだ。それが最も身近な”呪 ”だ」

すでにご存知の方も多いだろうけれど、これが物語の冒頭だ。

ちょうどその頃私は、息子が私の再婚に伴って名前が変わるのに難色を示しているのに悩んでいた。

そもそも、男として生まれた人は、生涯名前が変わるということはないハズだ。でも息子は、生まれた時の名前(覚えていないにもかかわらず)、そして私の旧姓と、すでに2つの名前を経験した。

確かに、イヤだろうなぁ・・・。

不思議なもので、その名前と付き合っているうちに自然と、名前=人格となっている人が多いような気がする。うまく言えないのだけれど、友人、知人を見ていて、名前と人となりが合致しているように思える。

息子はそこまで深くは考えていないだろうけれど、その戸惑いはよく、わかる。

私の旧姓はちょっと変わっていて、自然を現す漢字4文字から成り、自分で言うのもヘンだけれど、とても気に入っていた。

けれど残念なことに、私の場合は名前負け。

名前≠人格

もしくは

名前>人格


・・・・・


前の結婚の時は約2年、元夫の姓を名乗ったけれど、離婚調停が始まる頃、つまり1年半たった時点には、元夫の姓を名乗り続けるのは恥だと思うようにまでなっていて、自分は ”旧姓の自分のままだ!”と自分に言い聞かせていた。

そして再婚を前に、35年もその名前で過ごしてきたのに、今更違う名前になれるのだろうか?と自問自答する毎日だった。




その名前を名乗るって、いったいどういうことなんだろう?







私の友人、カナちゃんは結婚前に

「名前なんて、私にとっては番号みたいなもの。旧姓だろうと、夫の姓であろうと、自分であることに変わりはないから」

ときっぱりと言い切った。

反対にミナミちゃんは

「私は夫婦別性の法律ができたら結婚しようと思ってます。自分がこの名前であることが、大切だから」

そう言って、素敵な結婚式を挙げて、日頃はご主人の姓を名乗っているにもかかわらず、実は、未だ入籍していない。

私にとって名前とは決して、クラス替えのたびに変わる出席番号ではないけれど、かと言って、入籍しないまま旧姓を通したいと思うほどでもない。

むしろ今回は夫と自分、そして息子が同じ姓を名乗り、新たに家族として生きていくひとつのこだわりとして、すすんで夫の姓になることを望んだ。

昨年、息子の夏休みの帰国を待たずに自分達の入籍、そして息子の養子縁組の書類も出してしまったことも、その意思の表れだもの。

そして、その頃に読んだのが、この本。

「誰かが物に名前を付けて、みんながそう呼ぶ。すると、そうなる」

自分がそう名乗り、みんなからそう呼ばれることで、新しい環境の自分に馴染んでいく、それだけのことなのかも・・・。

それこそが、安倍晴明が語った ”呪”であり、それを教えてくれたのが、この本なのだ。



そして、息子を迎えに行ったロンドンでのこと。



ただでさえ親が学校に現れるのは恥ずかしい年頃なのに、学期が始まった時点ではいなかったハズの、新しい父親までもが学校に現れ、おかんむりだった息子

ホテルに戻ってからも息子は、自分の留守中に母の心を奪った、この人物を何と呼んだらよいのかわからずに

「あの~」

とか

「ねぇ」

とか、呼びかけていた。

そこで私は思い切って、耳打ちした。

「お父様って、呼んでごらん。ちゃいちゃん(元の愛称)って呼ぶのと同じことよ。 ”お父様”ってあだ名だと思って」

息子は ”え゛~!!”という表情を見せたが、私はしらんぷりしていた。

そして翌々日、部屋で朝食を取っていた時のこと。息子が会話の中でさりげなく ”お父様”と呼んだのだ。

その瞬間、夫は息子にとって父親となり、息子は夫の子供となった。





最も身近な ”呪”、それは名前・・・。






息子が新しい名前になるのをいやがった理由。

実は学校に、不気味だから ”ブッキー”とあだ名される同じ姓の先生がいっらっしゃるからだと判明したのは、帰国後だった・・・










麦茶家の夏 ~ 海物語

2008年08月13日 | A day in my life



   
見た目は高級リゾート!だけど実際は・・・


さてさて、息子が帰国してからはブログを書く暇も、mixiを更新する暇もなかった私。ウィーク・ディには夫婦は仕事に励む、息子は勉学に勤しむ(本当は全く勤しんでいない)、週末にまとめて遊ぶという日々が続いている。

2ヶ月の夏休みは、長いぞ~!

夫が率先して計画をたてるのは、当然 しょーがない。

そして何度もこのブログに書いたけれど、私は船、太陽、風に弱い。そしてセーリングは、その最悪の3項目、すべてを網羅している

日焼け止めを塗りまくり歌舞伎役者のように白い顔になっても、気にしない!どうせ、仲間だけだもん。更にサングラス、帽子、長袖のパーカーと、完備して万全の体制で毎回臨むのだけれど、ひとつだけ抜けがあった。

それは指先。私は日焼けすると日光疹(太陽に当たると出る湿疹)が出るのだが、指先は日焼け止めを塗ってもすぐに落ちてしまうらしく、爪のまわりがブツブツでかゆくなってしまう・・・。

今度は手袋も、か?

最強の酔い止め薬も発見し、かなり船も楽しめるようになってはきたけれど、やはり、長時間は苦しい。

最初の写真のようにくつろいで見えるのも、最初の30分だけ。

そもそもヨットというのは、体育会系のスポーツだ。それはレースに出ると実感する。セールを上げるためにロープを引っ張ったり、向きを変えるために重心移動して、居場所を移動したり。

けっこうすることが多い。





できるだけ船酔いしないように、私はいくつかの楽しみを見つけた。

 その1・ 脚の日焼け 

脚が日焼けしていると、なんだかイタリア・マダムみたいでカッコいい気分になれるし、脚が細く見える!ような気がするから・・・。

そのためには写真のような、くつろいだポーズが必要だ。座ったまま日焼けすると、膝頭とその上の部分だけが日焼けして、汚れてきれいに洗っていないように見えるから、最悪。

これ、通称 ”漁師焼け”と呼ぶ。

 その2・ 写真撮影

仲間の記録にもなるし、ブログにも使えて一石二鳥。だたし、自分が乗っている船の写真は当然ながら、撮れない・・・。

そこで、周りを走っているヨットの写真を撮るのだけれど、これはヨット・レースの時が最適。

ヨットには3枚のセール(帆)がある、というのは、自分が乗るようになって初めて知ったことだ。

メイン・セールと呼ばれる一番大きなセール、そしてヨットの前側にあるジブ。そして後ろから風を受けて走るときに使うスピン。

このスピンはそれぞれとても個性があって、広げるとキレイなのだけれど、ヨットに乗るようになって1年たった最近まで、私は自分達のスピンがどんなものか見たことがなかった。

そこで夫に尋ねてみた。

「黄色、緑と赤のハデなデザインだよ」

??? 見た記憶が、ない・・・。

「僕らは軟弱だから、1年に2~3回しかあげないからね


   
社名とロゴが入ってます。会社のヨット部ね


大きなリンゴが目を惹きます。船体にもリンゴが


そして今回、レースの時にようやく我らのスピンを見る機会が訪れた。知人の商業デザイナーに依頼してデザインしてもらった、ハデなスピンがこちら 狭い船上から撮ったので、一部しか写っていませんが、悪しからず。



正直なところ、これでは色合いしかわからない・・・


 その3・ 泳ぐ

もちろん夏にしかできないことだけれど、私はこれが一番のお気に入り!ライフ・ジャケットをつけて、それにほどけないようにロープを結び、ヨットに引っ張ってもらう。

私はヨットで泳ぐと聞いた時、どこか沖に停泊して海にボシャンと飛び込むのかと思っていたけれど、これは初体験。慣れるとヤミつきになる。

首を大きくそらして、しぶきがかからないようにするのがコツ。これ、慣れるまでに少々、時間がかかる。

また、ヨットの速度が速すぎる時、泳ぎが得意でない人は鼻から水が入ってしまったり、引きずられてしまうこともあるので、要注意。

すると、こんな風になる。


     
  


そして時にはかなりの大人数が集まって、BBQ。

マスターと呼ばれる夫の先輩がすべて用意をしてくれて、私たちは順番に焼く係。自分達のヨットの下で、飲んで、食べて


みんな水着で日焼けしてるのに、私は完全防備。はっきり言って、あやしい人と化している・・・



鎌倉の花火大会


また、時には陸に上げたヨットから花火鑑賞。私は行かれなかったけれど、夫と息子は前日から逗子に泊まって楽しんできた。





こんな風に、もりだくさんに過ぎている、麦茶家の夏。



みんな、ごめ~ん

2008年08月11日 | Precious Friends


みなさま

コメントをくださっていたのに、今の今まで気付きませんでした

ごめんね~

今慌てて、溜まっていたコメントを整理して、お友達からの分を後悔、いや、公開しました。

これからはマメにチェックするからね~。

懲りずにこれからも時々コメントしてね♪



















今、この時に、この人と

2008年07月10日 | 心の整理・整頓





先月、父が脳梗塞で入院した。

早朝の電話の音。だいたいが、不自然な時間にかかってくる電話は、不吉な知らせだ。

朝目覚めた父は、トイレに行こうと立ち上がった時に、左半身が動かなくなりそのまま救急車で運ばれたそうだ。

命の危険はなかったものの、大変な障害が残るのではないかと心配した。ICUで寝たきりの父を毎日見舞いながら、これから先寝たきりになって生きていくのは、父にとって死ぬよりも辛いことなのではないかと考えていた。

でも、そこは元パイロット。パイロット現役時代は、超人的な身体検査を半年ごとにパスしてきた元・健康体。脳梗塞でも比較的軽くて済んだのは、本当に幸いだった。

一般病棟に移りリハビリを始めた父は、理学療法士さんも驚く速さで快復している。

そんな時、ふと、思い出したことがある。

私が30代も後半に差し掛かり、両親の横顔を見ながら”あぁ、親も歳をとるんだなぁ”と気付いた時のこと。

もしこのまま誰にもめぐり会えずに、両親に介護が必要になるくらい老いたら、私は結婚のタイミングを逃して、一生ひとりで生きていくことになるんだなぁ、って。

漠然と、そんな風に考えていた。

もちろん、親に介護が必要な状況でも、結婚できないことはないだろう。ただ、”この先、介護をどうしよう”とか、”相手に迷惑をかけるのでは?”などとあれこれ考え、二の足を踏むことは間違いない。

そういう意味で、昨年結婚したのは、本当にぴったりのタイミングだったとしか言いようがない。

前回のブログ ”結婚の理由”では、人はどんな時に結婚を考えるのかということを、夫の意見と共に書いたので、今日はその続き。






ちょっと話は逸れるけれど、私には一風変わった経歴を持つ友人がいる。

CA時代、1年後輩のハナちゃん。私と同時期に結婚したものの、夫の暴力に7年耐えた後、離婚。そして彼女はコツコツと長年勉強を続け、なんと!占い師に転身した 4月に久々に再会した時、

「私、口コミで売れっ子なんですよ」

と言った表情が、とても誇らしげで印象的だった。

女の子が集まれば、占いの話で盛り上がること、必至。今やハナちゃんは占いを生業としているので、詳しく鑑定してもらうにはアポをとらなければならないが、そこは古いお付き合い。会話の中でちらちらと、占ってくれた。





今、この時に、この人と。

これは、夫の言葉だ。結婚を決意する時の理由をあれこれと、話し合っていた時だ。

「人は、好きだけで結婚する訳じゃないでしょ。将来ひとりだったら寂しいからとか、子供がほしいとか、経済的に安定したいとか、いろいろなことを総合的に判断して将来を描けるようだったら、結婚を決意するんだよ」

妙にナットクしかけた、その時。

「ボクだって、そうだったもの」

夫は言わなくてもいい一言を、言ってしまった。

「え~ 好きで、好きでたまらないから、結婚してくれたんじゃないの?」

私はわざと、精一杯哀れっぽい表情を作って夫に問いかけた。でも、間髪入れずに返ってきた答えは、お見事だった。年の功なのか?

「もちろん、そうだよ」

これ、のろけているのでは、ない。ただ私は、結婚する時には誰にでも、多かれ少なかれの打算はある、と言いたいだけ。どんなに優しい人でもその日の生活にも困るような人でダメだし、どんなにイケメンでも浮気ばっかりしている人はイヤだし。

夫の言葉通り、私も無意識のうちに、夫を総合的に評価して、結婚を決めたんだ。もう少し、ロマンティックな言い方をするならば、自分と同じ波長を持った人がそばに現れた時、私の ”動物的・勘”は、夫のそれとシンクロしたことを察知したのだ。

そしてまた、夫も。

「今、この時に、この人と結婚するっ!て思えるタイミングが、あるんだよ」

いつもと変わらない口調だった。







「麦茶さん、去年結婚してよかったですね。一昨年でも、今年でもダメでした。去年しかなかったんです。出逢うべくして、出逢った方ですね。大丈夫、今度は幸せになれます」

にっこり、笑ってハナちゃんは言った。

その時は ”幸せになれます”の下りだけを聞いて喜んでいた。でも今回、父の入院の知らせを聞いたある友人が言った。

「あなた、去年結婚しててよかったわね。お父様が寝たきりになってたら、結婚できなかったものね」

その時、頭の中で様々な想いと共に、ハナちゃんの言葉が、シンクロした。折りしも、自分で同じことを考えていたから。

やっぱり、そうなんだ

あの時、この人と結婚するしかないっ!そう閃いたのは、間違いではなかったんだ。自分ではそうと気付かずに、でもちゃんと、運命の流れに乗っていた。

本当に大切なものは、目の前に現れればちゃんと、それとわかるのだ

長い間自信をなくしていたけれど、もう少し、自分を信頼しても大丈夫な気がしてきた。

そんな私、先月結婚1周年を迎えた。