goo blog サービス終了のお知らせ 

航 海 日 誌 ~Log Book~

仕事や旅行で訪れた国や街の思い出、日々の小さなできごとをつづります。

夏が終わってしまう前に・・・

2009年08月20日 | 麦茶家のヨット・ライフ




夏といえば、もちろんコレ



ごぶさたしておりました。

しばらく書かなかった、書けなかった理由は後回しにして、今日は夏が終わってしまう前にヨットのお話!
ブログ、今日から復活します

麦茶家の夏の週末といえば、当然ヨット。

日焼け、船酔いを克服しようとあの手、この手を尽くしてきた私だけれど、船酔いだけは薬を飲んでもどうにもならない

7月末にヨットレースに参加した。
そのレースはシーボニア沖から会場のマークをまわるものだったけれど、私はなんと!
逗子からスタート地点に着く前に沈没してしまった
リバース寸前。

レース中に少し復活、デッキに出たものの、結局大半の時間をキャビンで寝て過ごしただけで終わってしまった


これではいけない!とネットで船酔い対策グッズを検索。
海外の強い酔い止めが出てきたけれど、日本では入手できない。

次に目を留めたのが「酔い止めリストバンド」。
なんでも手首の内側に吐き気を止めるツボがあるそうで、リストバンドの内側の突起でそこを押すのだそうだ。





数日後、東急ハンズで即、ゲット。







手首にあとがついているところがツボ。
両手首を同時に押すと効果があるらしい。


効果を期待しつつ、8月に入って息子の友達を連れてヨットへ。


ネイルだって、気合が入ってるんだから



3Dアートしてもらいました



お友達のペディキュアもいかりモチーフ



この日は午前中は大雨。
昼過ぎに雨が上がったものの、ヨットが風だけでは進まないほどの微風だった。

そのため、セールを上げてエンジンで走り、その後ヨットを由比ガ浜沖でいかりを下ろして停泊させ、子供達にライフジャケットを着せて海で泳がせることに決定。



でも、一番喜んだのは、私


誰よりも先に海へ。




しかし・・・






水が!ちょ~冷たい!

これが8月の水温
今年の夏は異常気象といわれている。
でも、そんな気候が続いているような気がする。

そのうち異常気象がいつもの気象になっちゃうのかしら

私の反応を確かめつつ、BOYSが恐る恐る、海に入ってきた。
始めのうちは冷たいと大騒ぎしながらも、慣れてきたら元気なこと!

水をかけ合ったり、泳げない子にちょっかいを出したり。
それは、それは、楽しそうだった。




私、年甲斐もなく、一番はしゃいでます



30分ほど泳いで、逗子へ帰港。


ヨット仲間曰く、リストバンドはそれほどの効果はないらしい。
ただ、「これをしているから大丈夫!」という精神的なサポートの役目が大きいらしく、私もこの日は本当に酔わなかった。

これならまた船に乗れるかも


BOYSたちも喜んでくれたセーリング。


日焼け地獄のセーリングのお話は、また次回。


働くということ、すなわち

2008年12月10日 | 働く、ということ





ここのところ、勤労意欲が落ちている。私はそれを ”やる気が出ない病”と呼んでいる。

ブログも、お店も、開店休業状態。怒涛の11月末は無事済んだものの、お店でもしなければならないことが山積みで、考えただけで暗くなる

でもいつまでもそんなことを言っていられない。街路樹の銀杏も色付き、街は年末に向けてうきうきした雰囲気だし、明るくクリスマスやお正月を迎えるために、整理すべきことはきちんとしなければ!第一、息子も帰国してしまったではないか

今日は今年の秋にあった、同期会のお話。

入社18年目にして、CA時代の同期に声をかけあって、初めての同期会があった。

これ、少々異例のことらしい。他の期は、ほぼ毎年同期会を開いているらしいのに、私たちは初めて!

訓練所時代、私たちの期はまとまりがない、教官泣かせの期と言われていたらしい。

別にまとまりがないワケじゃない、単に個性的?独立独歩?でもみんな、なかよしだったよ。


当日、汐留のホテル内のレストランに集まった同期は8人。関西に住んでいたり、子供の学校行事で来られなかった子もいるけれど、21人中8人はとっかかりとしては上出来だ。

いまだに現役を続けている子、産休中の子、専業主婦になった子、また私のように転職した子など、8人でも多種多様だ。

集まった同期を見て思った。彼女達を一言で言い表すとしたら、それは「凛々しい」という言葉。みんな、背筋が伸びていて、とてもかっこいい

お馴染みの顔も、そうでない顔も、集まれば昔と同じ。まずは近況報告から!

今の会社はどんな風なのか、お互いの子供がどれだけ成長したか、どんな仕事をしているのか?みんなが順番に、ううん、一度にかな?しゃべりまくった3時間だった。






その後私は仕事にもどり、楽しかった同期会を反芻しながら仕事をしていた。すると・・・。


ムカッ


あれ?私、怒ってる?

もう一度、よ~く、考えてみる。楽しかった一日の、どこにはらをたてる理由があったっていうの?


・・・・・ムカッ


あれ?やっぱり・・・。


そこで最初から思い出してみる。みんなと会ったところから、ワイン、お料理、そして会話・・・。

、会話だ。




「で、麦茶ちゃんはまだ、お店を続けてるの?」




原因は、この一言だ。

同期で子供がいない友達は、主婦をしながら楽しく働いている。みんな、ダンナ様はいい会社にお勤めしていて、生活のために働いている子はひとりもいない。

そんな彼女達をみて、うらやましいなぁ~と思った。

私は働き、収入を得ることで自分と息子を食べさせ、着させ、学校に行ったり、習い事をさせたりした。生きていくために必要な、すべてのことを可能にしてくれたことが、仕事だ。

お店も始めたからには、その時の気分でやめたり、また始めたりすることではない。

「お気楽なあなた達とはちがうのよ」

声を大にして言いたかった。



結婚前、私はがむしゃらに働いた。週に7日お店を開け、お店の仕事以外も、友人から頼まれれば時間が許す限り引き受けた。

それは「自分が働けなくなったらどうしよう?」という不安に、常にかられていたからだ。

もちろん実家に住んでいたのだから、母子で行き倒れになるなんてことはない。家賃だって払っていなかったし、必要とあれば両親が援助してくれた。

でも、最初はむしろ私が望んで行かせたイギリスの学校にようやく馴染んだ息子に

「授業料が払えなくなったから、帰って来て」

なんて酷いこと、言えるはずがない。

そんな自分を心配しすぎだと思ったことは、ない。私にとって、働くということは生きていく術だ。間違いなく、少し前まではそうだった。

でも今は?

ちょっと違うかも知れない。結婚したおかげで、別に私の収入がなくとも食べるに困ることはなくなったし、息子にかかる出費も、その他のお楽しみも、夫の収入でまかなえることになった。

もちろん、生活を豊かにするために、自分の収入も少しは役立っていると思いたい。

でも働くことの意義は、明らかに以前とは変わってしまった。






しばらくたってから、夫にとっての働く意義を聞いてみた。


① 生活の糧 ⇒ 私と同じ、生きていくため
② 自己実現のため ⇒ 遊んだり、楽しく生きていくため
③ 影響力を持つ ⇒ ???

①と②はわかりやすい。でも③は? それは権力だったり、人々からの尊敬だったり、人気だったりするらしい。

なるほど、男性らしい発想だ。

そして今の自分はといえば、①の責任を夫に肩代わりしてもらい、②に移行しつつある気分でいる。甘えてはいけないと思いつつ、自分は間違いなく、楽な方に流れる弱い性格だ

なんでもないのに、ヒジョーに私を苛立たせた一言。

この苛立ちは、これまで気負って働いてきた自分と、気を抜いて甘えている自分を指摘されたような気まずさ、その両方からきたもののように思う。

最近の「やる気が出ない病」も、本当はここに原因がある。ブログを書き始めて1ヶ月近くたったのに、書き進められなかった原因もここにある。

それをさりげない会話の中で気付かせてくれた同期の友達。同期会に出席して、本当によかった。



生きている間、目指すものはその時々によって変わっていく。私も今、その岐路にたっているようだ。

しっかり気持ちの整理をして、1年のしめくくりとしなければ。それすら少し億劫に感じつつも、暦はもう12月。

充実した1年だったと思えるような、年の瀬を迎えたいものだ。





今宵のお供は、ブラームス♪

2008年11月05日 | こよなく愛する・・・



コンサートの演目はこれ!


ここのところ、コンサートづいている。

先月は、お友達のポンちゃんが所属するオーケストラのブラームスづくしのチケットをプレゼントしてくれた。

そして先日はまた、知人がブラームスの交響曲が演奏されるコンサートの招待券を贈ってくださった。

結婚前は、公私共に親しくお付き合いさせていただいていたユーキさん。

人妻となった今では、お互いに遠慮して、以前のような親しいメールのやりとりはしなくなったものの、それでも私たちは♪LOVEブラームス♪という共通の好みで結ばれている。

そもそも私がブラームスとなったのは、ユーキさんの影響だ。

もともとクラシック音楽は両親が好きだったので子供の頃から耳にしていたものの、モーツァルトやベートーベン、チャイコフスキー、そしてピアノで弾くのが大好きなバッハやドビュッシーが優先順位の上位にあり、なかなかブラームスまではたどり着けなかった。

「ブラームスほどロマンティックな作曲家はいないよ」

ユーキさんのそんな一言が聴き始めたきっかけだ。

ピアノ曲でロマンティックといえば、まずショパンが代表的だろう。でも私はショパンはあまり好まない。

私にはセクシー過ぎるような気がするのだ。

そんな私の周りのクラシック好きには、ショパンの音楽は情けない、とか、女々しいという人が多い。

類は友を呼ぶ。

ショパン好きな方、ごめんなさい。

ここのところ、考えなければならなことや、悩み事が多くてイライラする日々が続いていた。

そんなところへブラームスのチケットがやってきた。

ポンちゃん所属のオーケストラの公演の日、夫は用事があったので私ひとりで出かけ、”やっぱりいいなぁブラームス”と感激した。そこで今回ご招待いただいたときに、再度夫を誘ってみた。

「う~ん、どうしようかなぁ?」

なんだか、要領を得ない返事。付き合い、悪いなぁ。でもおひとり様には慣れっこな私。さっさと1枚だけチケットをお願いして、当日を迎えた。

去年の演奏会の時には、一緒に来てくれたのに・・・。

当日、会場へ向かいながら、私は少々おかんむりだった。でもそこでふと、思い当たった。

夫とユーキさんの間には、”オス”としての確執があったのだ。

しまった!忘れてた

でもそのお話は、また、後日。

本当はこの演奏会、夫と一緒に行きたいと思った正当な理由があった。

というよりも、今回は夫と一緒に聴きたい曲の演奏会だったのだ

もしお時間があれば、その曲を聴いてくださると、うれしいな。


とりあえず、もしくはお急ぎの方のために、まずはサビの部分だけ。
ブラームス:交響曲第1番「第2楽章」  3分少々。



祝・YouTube 画面、初はめ込み成功


このシンフォニーの中で一番好きな第2楽章は、夫に恋をしていると初めて気付いた時に聴いていた曲なのだ。

夫を紹介されたのが4年前。そして昨年2月までのブランクの後、初めてふたりだけで食事に出かけることになった。


その初デートと、それまでのいきさつはこちら↓
2007年3月27日 Look @ me!



待ち合わせ場所で夫を見た瞬間、私は

絶対この人と結婚する!

と、ひらめいた。

直感とも、根拠のない確信ともいう、このひらめき。でもこの時点で、私はまだ夫に恋をしていなかった。

いったいこれからどうやって、この男性を好きになって、私を好きになってもらって、結婚まで漕ぎつけるんだろう?途方もなく大きなプロジェクトに思えた。

そして1ヶ月後のその朝、この曲を聴きながら車を運転していた私は、まちがいなく夫に恋している自分に気付いたのだった。

どっか~ん 核爆発

その時のブログはこちら↓
2007年3月6日 夜明けとブラームス


その気持ちを言葉に書き記して、私はようやく自分がスタート地点に立ったことを知った。

誰かを好きになるなんて、久しぶり!

ほんわかした気分と、少しの不安が入り混じった複雑な気持ち。この曲を聴くと、その頃の自分を思い出す。

機会があったら、この曲が演奏される時に、もう一度夫を誘ってみよう。そしてちょっと照れくさいけれど、この曲の思い出を、夫に話してみよう。


ただし、それは、ユーキさんとは関係のないコンサートで・・・。




最後まで読んでくださって、第2楽章全部聴いてもいいな、と思ってくださったあなたへ。

ブラームス:交響曲第1番「第2楽章」  8分ほどです。




航海日誌 2008年10月 ニューヨーク ~ハロウィン色ニューヨーク

2008年11月01日 | 航海日誌・海外編



エンパイア・ステートビルもハロウィン色


再び、NY行きの季節がやってきた。

枯葉のにおいのする秋のNYが、私は大好きだ。

それを言うなら、初夏のNYも、クリスマス前のNYも、大好きなのだけれどね

最初の写真はちょっとブレているけど、ハロウィン色にライトアップされたエンパイア・ステートビル。

オレンジと紫色で、ほうきに乗った魔女がビルの周りを飛んでいそうな雰囲気がある。



もちろん今回も買い付けの旅。

でも、仕事の合間に楽しんだって、バチはあたらないでしょ?

アメリカは今、サブプライム問題で経済が大混乱になっていて、その影響が街にも現れているかと思って出かけたのだけれど、それほどでもなかった。

というか、1週間滞在している間には、それを感じることはなかった。

それもそのはず。ハロウィンを皮切りに、サンクス・ギヴィング、そしてクリスマスへと、アメリカでは”ホリディ・シーズン”と呼ばれるお祭り気分が続く。

みんな早めのクリスマス・プレゼントをゲットしようと、週末のデパートでのお買い物に余念がない。

文字通り、命がけ。

昨年のブログで、アッパー・イーストサイドの名物飾り付けをご紹介したのは、みなさんご記憶だろうか?



◆ 航海日誌 2007年10月24日 ニューヨーク ~オータム・イン・ニューヨーク参照


その影響というわけでもないのだろうけれど、今年はアッパー・イーストサイドででも、すいぶんとハロウィンの飾り付けに力を入れている家を見かけた。



こ~んなのや



こ~んなのも



こ~んなのまで


飾るお家は、”やるなら徹底的に”といったかんじだ。

みなさんご存知のとおり、ハロウィンは10月31日に行われる行事だ。

万聖節の前の晩、この夜には死者の霊が家族を訪ねたり、悪霊や精霊、魔女が出てくると信じられていた。そしてこれらから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。

つまり悪霊を驚かせて追い払うために怪物など、恐ろしげなものに仮装したり、家の前に焚き火⇒怖い顔をしたかぼちゃのランタンを置くようになったもの。

もともとはケルト人の習慣なので、本当の意味で由来を知っている日本人は、私も含めてあまり多くないだろう。

でも、楽しいから、大好きだ。

ちっちゃい子供達が仮装をしたり、顔にペイントして歩いている姿は、自分の子供でなくても写真を撮りたくなってしまう。

きっと今夜は金曜日だし、私のお店のまわりでも、そういった子供達がたくさん見られることだろう。



悪霊が入ってこられないほど、クモの巣が・・・


日本ではまだ、家にまで飾り付けをする人は少ないようだけれど、10月にアメリカにおいでになる機会があったら、夕暮れの街を散歩してみるのもオススメ。

おどろおどろしい雰囲気を存分に味わえること、請け合いです






さよなら、タカザワ先生

2008年10月30日 | Precious Friends



昨年5月はこんなにお元気でした



今日、お葬式に行ってきた。

亡くなられたのは、とても親しくしていた88歳の弁護士さん。私の最高齢ボーイ・フレンドでもあった。

ふたりでお食事に行ったり、音楽を聴きに行ったり、また弁護士としてお世話にもなった。

ご高齢でいらしたし、最近体調がよくないと、秘書さんからうかがってはいたけれど、やはり信じられない思いで訃報を聞いた。

タカザワ先生は、私が親しくお付き合いしている”おじぃちゃんズ”のお1人で、昔の海軍のおエライさん。

昨年のブログにもご登場いただいた。

上の写真はその時の、鎌倉の先生の知人宅へオペラを聴きにいった折り、庭先でご一緒していただいたもの。

そのブログで先生がどんなに素敵な方か、たぁ~くさん書いたけれど、先生を偲ぶためにもう一度、聞いてください。

この年齢にして身長180cm近く、足は信じられないほど長く、そしてなにより!今の日本では絶滅しかけている本物の紳士

ブリティッシュ・イングリッシュを使いこなし、裁判所ではヒーロー扱い。

若いガール・フレンドもたくさんいたけれど、もうずいぶん前に亡くなられた奥様をこよなく愛し

「ウチのレイコ(奥様の名前)が一番美人だよ」

と、臆面もなくおっしゃる姿はとても凛々しかった。




ね、足が長いでしょ?



葬儀が行われたのは永福町の古いお寺。そこだけがこんもりと森のように木が生い茂っていて、風が梢を渡っていく様子はまるで”となりのトトロ”のよう。


私は昨夜のお通夜と今日の告別式両方に参列した。年齢的なこともあってか、参列者はどちらも40名ほど。

でも今日の参列者はだれひとり、出棺まで帰る人はいなかった。


「ご親族でない方でも、お親しくしていらした方は、ご遺体をお花で囲ってさしあげてください」

葬儀社の人がそう言うと、みな列をなして先生にお花を差し上げていた。

それだけでも、先生がどれほどみんなに慕われていたかわかるというもの。



お顔を拝見して、やはり泣いてしまった。



肺がんと、脳梗塞で、最後はずいぶんとお苦しかったというお話だ。

でも拝見したお顔はとても穏やかだった。




天国でようやく、最愛の奥様にお会いになれたことだろう。

心より、ご冥福をお祈りします。