
○下曽根駅から朽網
下曽根から朽網への街道は「千間土手」と呼ばれていたらしい。細川忠興が新田を開き、沖土手を築いた。この千間土手の左手には広い干拓地が続いている。「曽根新田」である。その沖には「北九州空港」が近年(2006)に開港した。
朽網に着く手前に巨大な花崗岩の「帝踏岩(タイトウイワ)」があった。(景行天皇が貫山の土蜘蛛を討つ為に戦勝祈願をしたという伝説が残っている)
○帝踏岩(タイトウイワ)
○朽網からJR西工大駅
朽網を通過後、東陶工場、10号バイパスの建設等で旧道はぷっつりと途絶えてしまった。東陶工場の前を走る国道10号はなだらかな上り坂。この峠は狸山といい応仁戦乱や豊長戦争では激しい攻防があったらしい。
狸山の峠を越えると京都郡苅田町。10号線から右手に入ると、神田町から京町まで旧道が残っていた。
左手に「里程標」があり、「従是久保新町迄四里」「従是小倉迄三里半」と彫られているようだ。右手に「浄厳寺」を見て、帰路の乗車駅の「JR小波瀬西工大前駅」へと急ぐ。
11/11中津街道紀行-2(下曾根宿~苅田宿)
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