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06/07お城めぐり-16(①萩城址及び萩城址内の遺構)

2025-06-07 11:17:02 | 旅日記

1.萩城址入り口から内堀

○指月橋

毛利輝元の墓所:天樹院を出て直ぐ北側に指月橋があります。これを渡ると萩城址です。

 

○萩城址入り口

○毛利輝元公像

○萩城址内堀から見た城址

別名を指月城(しづきじょう)という萩城は、山口県北部の城。関ヶ原の戦い後、毛利輝元が西軍の総大将だったために、周防国・長門国の防長2ヶ国に減封されたために、広島城に代わる新たな毛利氏の本拠として築城したものです。指月山の山麓に平城(本丸・二の丸・三の丸)を配置し、指月山山頂に山城(詰丸)を配置しているのが特徴です。また、天守閣は五層五階で、一階は半間分、天守台よりせり出していました。

○天守閣跡

萩城は1863(文久3)年に長州藩主の毛利敬親が、幕府に無許可で藩庁を山口政事堂(山口市)に移すまで、長州藩毛利家の本拠として存続し、明治維新後は城は破却され、天守を始め多くの建物が解体されました。

2.本丸門から天守閣跡

○本丸門

○天守閣跡

○天守閣跡より内堀を見る

3.萩城址内部の模様

○志都岐山神社

 かつての県社で、毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳を5柱として、初代から12代まで萩藩歴代藩主が祀られています。 志都岐山神社の ふもとには、ここでしか見られない桜「ミドリヨシノ」があります。

○花江茶亭

 花江茶亭は、13代藩主・毛利敬親が安政5年(1858)頃、旧三の丸にあった藩主別邸 花江御殿内に増築した茶室で、明治期に指月公園内に移築されました。 幕末期、敬親は家臣たちと茶事に託して時勢を論じ、国事を画策したといわれています。

 

4.城址より海側を見る

○二の丸土塀(銃眼土塀)

二の丸東側の潮入門跡と銃眼土塀(復元). 本丸と指月山を囲むように造 られた曲輪。12基の櫓、34の井戸、蔵元役所等があった。

5.厚狭毛利家萩屋敷長屋跡の模様

 毛利一門、厚狭毛利家の長屋です。もともと は約15,500㎡の広大な屋敷で、周辺には屋敷地を囲むように基礎石があります。長屋自体も桁行き51.5mで、萩に残る武家屋敷の中 で最も大きいと言われています。萩城址の直ぐ側にあります。

06/07お城巡り-16(萩城址内の遺構、)


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