農大現代視覚文化研究会

「げんしけん」の荻上と「もやしもん」のオリゼーを探求するブログ

斑×笹・笹×斑について

2006年03月12日 11時50分13秒 | げんしけん
以前から本スレに話題が出るたんびに指摘していたんだが、ここらで文章にしちまおう。ところでこの意見はすっとこさん発案ではなく、本スレで誰かが言ってた意見です。

何故大野さんは斑目のヘタレ攻めで、オギーは笹原の強気攻めなのか?

大野さんの場合を考えると、(以後学年は笹原基準)1年の後期に入学してきたが、当時の笹は欲望のままに生きる覚悟こそ決めてたものの、実践未だ十分に伴わず。やはりマスター斑目に従うパダワン笹原であった(使う意味無いけどSWな)。実は大野さんて10話見ると分かる通り、結構男子ウォッチが好きなのである。さすがにワープまではしていないようだが。となると笹原が背景化していた時期は、やはり大野さんから見れば斑目が攻めというのは実に妥当ではないかと。

そこで笹が3年になって会長就任と同時にオギーも入会してきたわけだが、笹が会長になってからはコミフェスの件もあり、斑目弱体化の影響もありどう見ても笹原は攻めです。そりゃオギーから見れば原口を追い返すわ、クガピーとやり合うわ(余波で自分も泣かされるわ)で、超強気ですホント。

しかし大野さんから見れば、斑×笹の関係で言えば、笹は相変わらず斑目の良き後輩で、斑×笹に変更はありません。しかし弱体化した斑目と、強気の笹の関係では斑目がヘタレ攻めになるのはやむを得ない所。

ところでヘタレ攻めってのは『斑目「おい、笹原、大丈夫か?痛くないか?痛かったら早く言えよ。ええと、んで、どこだったかな、ここかな? あれ? いや違うな。ああ、ここだここだ、ふー、いやいやいや、始まる前から疲れたな」』こんな感じです。多分。

とまぁ、ここでうpしてもいいんだけど、もうちょっと深く考察してみよう。

まずこの文章を読んでいただきたい
やおいの心理?

この文章の中で興味深いのは、「女の子だって本当は『ヤル』側にもなりたいのダ」という点。これはフロイドの言う所の「胎内復帰願望」である。ざっくり説明すると、赤ちゃんは男の子も女の子も母親に育てられるため、母を依存対象とするため、リビドー(性エネルギー)は男性的に形成される。ところが男の子の場合はまだ性的に不能なので挫折する。女の子の場合はペニスが無いので挫折する。男の子の場合はその時に挫折しても、そのうち性能力ができるので、いろいろあってもある程度は大丈夫だが(いろいろあるので省略)、女の子の場合は無いものは無いので、母親を諦めて父親に依存対象を切り替え、女として生き始める事になるのである。

ここでやおいの登場ってわけよ。つまり想像の力を借りてペニスを獲得し、過去に一度挫折した胎内復帰願望を満たす事ができるというのがやおいの魅力なのである。んでも本当かなぁ。実感じゃなくて理論としてはわかるんだけど。まぁこの文章読んでる女性の人はどう思うのか聞きたいところ。いるのか。

さてオギーの場合で考える。オギーの場合シチュ考察のメインは受けが中心になる。……この場合は単純に受けに自分を託しているって単純な話でいいのかなぁ。女性のあーされたいこーされたいという願望があって、これをストレートに描くのがレディースコミック。攻めにも自分を託しつつ、絵で女が犯されるのは気分悪い(男がやおいを読むと感じるムズムズ感と同じ?)なので、男を犯される側に回すのがやおいなのかなぁ。だいたいオギーのワープ見たって、メガネ君受けが基本ってテメェの事じゃねぇか斑目のキャラクターとかって実は関係無いだろゴラと思うんだけど。そのへんどうなのか。

うーむ、やはりやおいは男としてうまく消化しきれん。更なる考察が必要か。


追記・例の発言見つけてきた

876 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい :05/01/25 21:25:02 ID:OIYyFwjE0
最後のコマ、大野が「斑目さんのヘタレ攻めのほうが 私はしっくりくるかな」
は、好みの違いというよりは、二人を知っている時間の長さに拠るものだと思うが。

荻上にとって、初対面の笹原は現視研の会長であり、
先輩の原口を追い返したり、久我山と口論したりと、ある種の「強い人」のイメージがあると思う。
で、斑目のイメージは、ただ先輩というだけで、特に固定的な印象は持っていない。
拠って、「笹原強攻め」である。

一方大野は、入学時期が半年ずれているが、1年生の頃から二人を見ており、
斑目達に引っ張られている笹原を知っている。
時間が経つにつれ、ヘタレ斑目、しっかり者笹原、であることは分っても、
イメージは「先輩斑目を慕う後輩笹原」である。
拠って、「斑目ヘタレ攻め」になると。

クッチーについて

2006年03月12日 10時10分59秒 | げんしけん
さて、本日も程よく泥酔のすっとこさんですこんばんは。今日はクッチーについて語ることにしました。嫌がらずに聞いて下さい。

そう、クッチーは見るのも嫌である。しかし何故見るのも嫌なのか考えないといけない。本スレの過去ログも見てみたが、第12話のゲスト登場の時ですら嫌がられていた。それが1年を経て何故レギュラーキャラとして再登場したのかを考えないといかん。嫌だが。

まずは何故クッチーがこれほど嫌かを考えないといけない。考えるのも嫌なのでぶっちゃけ結論から言うと、自分のヌルい時代を想起せしめるから嫌なのである。あんでしょう、ン年前の、♪あんなこーとー、♪こんなーこーとー、♪あーったーでしょ~ってな事が!!いや、別にクッチーにそっくりの事態でなくてもいいです。しかしクッチーの、あの超痛い言動が、あなたの、そして私の、葬りたい過去の経験を思い出させるが故に、クッチーは嫌われるのです。多分そんな思い出無い人は、クッチーに嫌悪感を抱かない筈ですが、んな経験無いほうが少数派だわ!てゆうかオタならあるだろーが!! 無いとは言わせねぇ!! 糞、あああああ、ふざけんな!!俺!!

わけのわからん素ギレ(逆ギレでない所がポイント)はともかく、以上の説明でわかる人にはわかります。わからん人は幸せです。そのままのあなたでいて。さて、冷静に再登場以降の事を考えないといけません。

というわけでクッチーは再登場しました。何故だ木尾。具体的には第二部の主人公であるオギーのやおい好きを空気読めずにバラすキャラとしての役割を早速果たしたが、その後が問題である。実は再登場以降、クッチーけっこう活動しているのである。コミフェスでは3枚しかないチケットの1枚をゲット、5巻では全話に登場してるし。しかし6巻では徐々に登場回数も減少気味。これは何故かというと、5巻でいくら登場させても、全然クッチーが成長もしなければ、愛着もわかないのである。そりゃしょうがないよなぁ、読者の嫌な部分を想起せしめるキャラなんざ出したって嫌がられるだけだし。木尾も持て余し気味っぽい。これじゃいかんってんで、37話でとうとう、田中も、クガピーもなった事の無い主役キャラに。ちなみに主役扱いとは、主に誰の視点で物語が進行するかだが、4巻までは笹、斑、春日部さんだけで回されて、25話で大野さん、33話でオギー、35話が恵子ってな感じ。しかし皆様ご存知の通り、あのオチじゃ単なる逆切れの危ない人止まりで、結局女性陣の評価は変わらず。ただ「クッチーは現視研のお笑い芸人」というスタンスを確立できかけた事が唯一の救いか。

このあまりの使えなさっぷりに、ついつい出てしまった木尾の本音が「朽木くんは知らない」だったのだろうか。あんな奴は知らね と。設定すら考えたくね と。

そんなクッチーに巡ってきたチャンスが合宿。まずはお笑い芸人スタンスを確立する事から始まった。んで44話で、カメラマンの役割を与えられ、例の見開き表紙、白糸の滝オギーを撮影するという大役が与え……結局話が引き伸ばされ続け、この見開きはパラレルワールド扉絵になってしまった。何故だ木尾。あの表紙が読者へのサプライズで、ついでにクッチーを読者に馴染ませるためにカメラマン役をクッチーにしたんじゃないのか。あのクッチーが大量に撮った写真はどうするんだ。てゆうかだからあの見開きを3日目の成立後の写真だと思ってやまなかった俺のこの気持ちをどうしてくれる。いや別にどうもしなくていいけど。

というわけでクッチーの道いまだ遠し。笹世代卒業により人材不足が懸念される中、やはり笹世代卒業でげんしけんは終わってしまうのか? それともクッチーに成長があるのか?(ただし読者の痛かった過去の自分が成長されてしまうと、それはそれでムカつくのでそーとーうまくやらんと) まぁ基本的にはどうでもいいんだけど。さらば朽木。