気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

庭先に咲くバラ ナエマ、バラボニカ’82

2023-02-12 10:52:28 | 日記
こんにちは!
本日は青空が広がり春めいた一日になりそうです
今日は、春の訪れを感じる穏やかな日差しが射していました
バラの鉢 全てが植え替えが終了しました(約82鉢完了しました)
この時期に植え替えると4月末ごろから色とりどりの
バラが咲き始めます 楽しみです!
今回の掲載記事は未掲載の秋バラ(2022年秋)、
庭先に咲くバラ ナエマ、ボニカ’82 を
取り上げてみたいと思います

庭先に咲くバラ ナエマ(2022秋)
柔らかなパール・ピンクの花を咲かせるつるバラ「ナエマ」は、
フルーツ系の強香! 香りの良いバラが人気の近年の傾向からしても、
とても人気の高い品種です

ナエマは淡いピンク色で丸弁を繊細に重ね合わせたカップ咲き(2022秋)

バラ ナエマ蕾が開き始めました



ナエマ 淡いピンクの蕾が開き始めています





庭先に咲くバラ ナエマ(2022秋)
バラの香りにレモンの爽やかさと濃厚なフルーツの香りをミックスした、
素晴らしい強香をもちます
なにしろ品種名の「ナエマ」は、
ゲランの香水「ナエマ」に由来しているくらい、
香り豊かな品種なのです

ナエマ 淡いピンクに開花してくれました(2022秋)

ナエマ 淡いピンクに開花してくれました(2022秋)

バラ ボニカ’82開花してくれました(2022秋)

バラ ボニカ’82開花(2022秋)
花径8cmの、そう特徴のないピンク色の八重咲き品種
一見、ありふれたバラに見える「ボニカ’82」は、
1982年に世界一厳しいバラのコンテストとして有名な
ドイツのADR賞、1987年に広いアメリカ国土のさまざまな場所で
試験栽培されるAARS賞、ついには2003年にイギリス 
グラスゴーで開催された世界バラ会議でバラの栄誉
「殿堂入り」まで果たしたバラの超名花です





バラ ボニカ’82開花(2022秋)
ピンク色の八重咲きです


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吹上峠 江戸時代から石灰を運んでいた峠

2023-02-08 20:50:31 | 登山に通った峠道
こんばんは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は江戸時代に石灰を運んだとされる東京都青梅市黒沢と
成木との境にまたがる吹上峠(吹上トンネル)を掲載してみたいと思います

新吹上トンネル
成木側から見る1993年に開通した三代目のトンネル
東青梅駅北方の成木街道の途中にあり、新吹上トンネル、
吹上トンネル(旧吹上トンネル)、
旧・吹上隧道(古吹上トンネル)の3トンネルが
三段重ねで存在する 
現在、自動車が通行できるのは新吹上トンネルのみである

青梅市黒沢より見る新吹上トンネルと右側に
二代目のトンネルが小さく見える(1953年開通)
吹上峠には現・県道の平成トンネル、歩行者随道となった昭和随道、
吹上のある意味象徴となっている明治随道と3つもの『穴』が貫かれている
新吹上トンネルは東青梅駅北方の成木街道の途中にあり、
新吹上トンネル、吹上トンネル(旧吹上トンネル)、
現在、自動車が通行できるのは新吹上トンネルのみである

二代目のトンネル吹上隧道(昭和トンネル)
今は歩行者・自転車用のトンネルで自動車は通行出来ません

二代目のトンネル吹上隧道(昭和トンネル)

二代目のトンネル内 吹上隧道は照明が所々にあるのみ

二代目のトンネル吹上隧道(昭和トンネル)が見える

旧・吹上隧道(古吹上トンネル)
現在は近寄ることも難しい状況(この画像はネットにアーカイブされている情報による)
旧・吹上隧道は1904年に竣工した、
東京で初の道路トンネル
上部には吹上峠(標高281m)があり、
1828年(文政11年)に開削された切通しが通る
現在はトンネルの敷地が私有地である上 
老朽化が進み崩落の危険もあるため、
2009年3月に坑口が封鎖され、通行は不能である
上部の切通し部も含めトンネルに至る道路は
青梅市が管理する公道であるが、2017年現在、
トンネル南側坑口の手前には有刺鉄線のゲートがあり、
立ち入りが禁止されている
トンネル北側の古道も獣道のような状態で、
所々で路盤が崩落しており、歩く事さえままならず、
事実上廃道状態である

青梅市黒沢より見る二代目のトンネル 吹上隧道へ通じる
車通行不可の林道
吹上峠の歴史(峠研究家 中川健一氏著書 全国2951峠を歩くより)
青梅市の小木曽村や上成木村などの成木地区は、昔から石灰の生産地とも
知られていた 1607年には、江戸城大改修に伴って
石灰の幕府用達が命じられ、成木の石灰は「八王子白土焼」と名付けられて、厳重な警備のもと
御用石灰として江戸に輸送された 採掘される石灰を効率よく運ぶため
、1828年(文政11年)峠の頂部を掘り下げて切通にした そのため、吹上峠は
文政の切り通しともいわれ、旧・吹上隧道(明治随道)の上に眠っているようです


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早春の高麗本郷巾着田(きんちゃくだ)より高麗峠(こまとうげ) へ

2023-02-05 15:01:17 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は秩父山地の東麓、高麗川の谷口にある高麗本郷
高麗峠(こまとうげ) を掲載してみたいと思います

高麗本郷巾着田 緑の絨毯

巾着田ドレミファ橋を渡り高麗峠(こまとうげ)へ

高麗川を渡り高麗峠へ向かいます

高麗川にかかるドレミファ橋

奥多摩自然遊歩道を尾根伝いに高麗峠へ向かう

宮沢湖、天覧山、分岐点に到着 高麗峠は直ぐ側にある

高麗峠(こまとうげ)に到着
高麗峠 標高170m
秩父山地の東麓、高麗川の谷口にある高麗本郷
8世紀初頭、朝鮮半島から渡って来た高麗人が集団移住した地として知られている
高麗峠は高麗本郷と飯能を結ぶ役目をしていた 
西武池袋線の高麗駅と東飯能駅の中間の東側、
奥多摩自然遊歩道の尾根伝いの場所に位置している
周辺には武蔵丘ゴルフコース、
宮沢湖ムーミンバレーパーク等があり、
人の声が聞こえてくるほどです

かつて、古代朝鮮半島には「高句麗」という国が栄えていました
しかし、唐(現在の中国)や隣国の新羅との戦いに敗れて
668年に滅亡してしまいます
そこから逃げ延びた人たちを716年に受け入れ、
現在の日高市を中心につくられたのが「高麗郡」という
ある種の行政区でした

高麗峠をかつて高句麗の人々が越えていったのでしょうか?
その後、時代が流れ、地名が改められることになる
江戸時代末期まで、日高市のみならず、
飯能市・鶴ヶ島市の全域と、狭山市・川越市・入間市・毛呂山町の一部を
含んだ広い範囲が「高麗郡」と呼ばれていました
因みに、この地に渡った朝鮮半島の人々は、
大陸の進んだ技術を数多く持ち込んで、
日本の発展にも貢献したと言われており、
その暮らしの名残は、
エキゾチックな雰囲気が漂う高麗神社や
高麗郷古民家(旧新井家住宅)など、
さまざまな史跡でも辿ることができます

奥多摩自然遊歩道より 高麗峠を眺める

高麗峠から巾着田へと戻ります

奥多摩自然遊歩道 登山道脇に佇む石仏



高麗川にかかるドレミファ橋を渡り巾着田へ戻ります

早春の巾着田曼珠沙華公園 緑の絨毯

早春の巾着田曼珠沙華公園に咲くロウバイ

早春の巾着田曼珠沙華公園に咲くロウバイ



早春の巾着田曼珠沙華公園に咲く梅







早春の巾着田曼珠沙華公園 緑の絨毯

平成29年9月20日に天皇皇后両陛下が巾着田を訪問されたことを記念して、
行幸啓記念碑が建立されています
記念碑の裏側には、天皇皇后両陛下が満開の巾着田を
散策されたお姿と、その際のエピソードが刻まれています

早春の高麗本郷巾着田(きんちゃくだ) 心の風景


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「鎌倉殿の13人」ゆかりの地笛吹峠

2023-02-03 11:25:54 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は埼玉県鳩山町と同県嵐山町の境にある峠
笛吹峠(ふえふきとうげ)を掲載してみたいと思います

鳩山町より笛吹峠へ車を走らせていると、峠手前に案内表示

鳩山町側から見る笛吹峠(ふえふきとうげ)

笛吹峠(ふえふきとうげ)標高80m

笛吹峠看板隣に設置されている史跡案内板
笛吹峠は、嵐山町と鳩山村の境にある峠である
峠を起点として、坂東10番の岩殿観音から同9番の慈光寺観音へ続く
東西の道は、巡礼街道と呼ばれ、この峠を南北に貫く道が旧鎌倉街道で、
かつて、数多くの武士団等が往き来した所であった
正平7年(1352年)閏2月、新田義貞の三男、
義宗等が宗良親王を奉じて武蔵野の小手指が原で
足利尊氏と戦ったが、最終的に結末がついたのが
この峠の地であった
新田義宗等は越後に落ちて行き、
足利尊氏はこれ以後関東を完全に制圧していった
「笛吹峠」の名称については、この敗退の陣営で、
折からの月明りに宗良親王が笛を吹かれたことから
命名されたという伝承がある
なお、この付近は、遠く奈良時代に窯業の中心として栄え、
武蔵国分寺瓦の大部分がこの付近で焼かれ、
その古窯跡が虫草山をはじめ須江・大橋・泉井などの山間部に
多く見られる>笛吹峠から、はるか北方に上州の山々、
西方に秩父連山、南方に広い関東平野が遠望され、
風光明媚な歴史の地である
と記されています 現在は風光明媚な環境ではないと思われます

「史蹟 笛吹峠」石碑

鳩山町側から見る笛吹峠(ふえふきとうげ)

笛吹峠の大きな標識板と説明板

嵐山町側から見る笛吹峠>町境が「林道将軍沢線」の終点

なだらかな勾配の笛吹峠

鳩山町側は「笛吹通り」と名付けられています

笛吹峠より鳩山町側を眺める


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