こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は木曽山脈南部の岐阜県中津川市と
長野県下伊那郡阿智村の間にある神坂峠(みさかとうげ)
を取り上げてみたいと思います
神坂峠(みさかとうげ)
神坂峠(みさかとうげ)は、木曽山脈南部の岐阜県中津川市と
長野県下伊那郡阿智村の間にある 標高1,569 mの峠
木曽山脈南部の主稜線の富士見台(富士見台高原である)と
恵那山との鞍部である 木曽川水系落合川支流の冷川と
天竜川水系阿知川の支流園原川との分水嶺となっている
岐阜県側からは林道大谷霧ヶ原線で峠までの
車両乗入れは可能であるが、
長野県側の峰越林道は崩落の危険がありゲートが設けられ
一般車両の通行が禁止されている
岐阜県中津川市山麓より神坂峠(みさかとうげ)へ向かう
岐阜県中津川市山麓より狭い林道を13K程進むと神坂峠に到着
神坂峠(みさかとうげ)付近の景観
神坂峠(みさかとうげ)の景観
左方向に恵那山登山口
神坂峠 恵那山登山口道標
神坂峠(みさかとうげ)の景観
車道より徒歩100m程で神坂峠(みさかとうげ)へ
神坂峠遺跡は、古墳時代の中期以降石製模造品を主体とする
峠神祭祀の場となり、また、奈良・平安時代以降は、
東海地方の須恵器・緑釉陶器・灰釉陶器の搬入路として、
これらの陶器類を主とする峠神祭祀の場となった
全国的にも数少ないこの種の遺跡の中にあって、
神坂峠遺跡は、古墳時代から古代・中世に及ぶ峠神祭祀の
実態をうかがうことのできる代表的な遺跡として
重要なものである
神坂峠の頂上からは、古代に祭祀で使用された
(滑石で作った鏡、刀子、剣、勾玉、臼玉、管玉、棗玉など)や
須恵器、土師器、灰釉陶器、鏡、刀子などが発掘されており、
神坂峠遺跡と言う 遺跡は1972年(昭和47年)に
全国初の峠祭祀遺跡として長野県史跡に指定され、
1981年(昭和56年)には国史跡に指定された
これらは現在阿智村の中央公民館に保管・展示されている
神坂峠は、古くは信濃国の伊那郡と美濃国の恵那郡(木曾谷)との境であった
古代において坂とは「峠」の意味であり、
東山道が通る交通の要所であり難所であった
その険しい道程から東山道第一の難所として知られ、
荒ぶる神の坐す峠として「神の御坂」と呼ばれた
神坂峠は、急峻で距離も長かったため、峠を越えられずに
途中で死亡する者や、盗賊が出ては旅人を襲ったとの記録が、
いろいろな古典に書かれている後に、
東山道(中山道)は神坂峠を避けて、
木曾谷を通るようになったため、神坂峠を越える者は減少した
神坂峠(みさかとうげ)付近の景観
神坂峠(みさかとうげ)周辺の案内図
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は木曽山脈南部の岐阜県中津川市と
長野県下伊那郡阿智村の間にある神坂峠(みさかとうげ)
を取り上げてみたいと思います
神坂峠(みさかとうげ)
神坂峠(みさかとうげ)は、木曽山脈南部の岐阜県中津川市と
長野県下伊那郡阿智村の間にある 標高1,569 mの峠
木曽山脈南部の主稜線の富士見台(富士見台高原である)と
恵那山との鞍部である 木曽川水系落合川支流の冷川と
天竜川水系阿知川の支流園原川との分水嶺となっている
岐阜県側からは林道大谷霧ヶ原線で峠までの
車両乗入れは可能であるが、
長野県側の峰越林道は崩落の危険がありゲートが設けられ
一般車両の通行が禁止されている
岐阜県中津川市山麓より神坂峠(みさかとうげ)へ向かう
岐阜県中津川市山麓より狭い林道を13K程進むと神坂峠に到着
神坂峠(みさかとうげ)付近の景観
神坂峠(みさかとうげ)の景観
左方向に恵那山登山口
神坂峠 恵那山登山口道標
神坂峠(みさかとうげ)の景観
車道より徒歩100m程で神坂峠(みさかとうげ)へ
神坂峠遺跡は、古墳時代の中期以降石製模造品を主体とする
峠神祭祀の場となり、また、奈良・平安時代以降は、
東海地方の須恵器・緑釉陶器・灰釉陶器の搬入路として、
これらの陶器類を主とする峠神祭祀の場となった
全国的にも数少ないこの種の遺跡の中にあって、
神坂峠遺跡は、古墳時代から古代・中世に及ぶ峠神祭祀の
実態をうかがうことのできる代表的な遺跡として
重要なものである
神坂峠の頂上からは、古代に祭祀で使用された
(滑石で作った鏡、刀子、剣、勾玉、臼玉、管玉、棗玉など)や
須恵器、土師器、灰釉陶器、鏡、刀子などが発掘されており、
神坂峠遺跡と言う 遺跡は1972年(昭和47年)に
全国初の峠祭祀遺跡として長野県史跡に指定され、
1981年(昭和56年)には国史跡に指定された
これらは現在阿智村の中央公民館に保管・展示されている
神坂峠は、古くは信濃国の伊那郡と美濃国の恵那郡(木曾谷)との境であった
古代において坂とは「峠」の意味であり、
東山道が通る交通の要所であり難所であった
その険しい道程から東山道第一の難所として知られ、
荒ぶる神の坐す峠として「神の御坂」と呼ばれた
神坂峠は、急峻で距離も長かったため、峠を越えられずに
途中で死亡する者や、盗賊が出ては旅人を襲ったとの記録が、
いろいろな古典に書かれている後に、
東山道(中山道)は神坂峠を避けて、
木曾谷を通るようになったため、神坂峠を越える者は減少した
神坂峠(みさかとうげ)付近の景観
神坂峠(みさかとうげ)周辺の案内図
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