ボリショイ劇場 & シドニ-オペラハウス観劇記

元モスクワ、現在シドニ-赴任の元商社マンによるボリショイ劇場やシドニ-オペラハウスなどのバレエ、オペラ観劇記です

ボリス・ゴドゥノフ-2-

2006年01月22日 | Weblog
ボリス・ゴドゥノフ役はBsのMikhall Kazakov, 青年僧グレゴリー(後に殺された皇子ディミトリーに成りすます)はTenorのRoman  Muravitsky、シュイスキー公(T. Maksim Paster)が演じました。
 
あらすじは
第一幕
-第一場(プロローグ):幕が開くと薄暗い冬の景色のモスクワのNovodevich修道院の前に集まる群衆。女声合唱で始まり混声へ。女性が物の取り合いをしたり鞭で打たれたり。先帝フョ-ドル1世の死後新皇帝にボリスが押されているがそれを断ってこの修道院に隠遁している。只これは皇帝の座を狙っていたわけではないポーズ。群集は警官にせかされてボリスに皇帝になるように歌う「どうぞ私たちを見捨てないで、私たちを救ってください」 

-第2場(プロローグ) :クレムリンのAssumption協会の前
鐘が鳴りボリスが皇帝に即位したことを示す。舞台には民族衣装を着て着飾った女性と軍人。この着飾った女性達が舞台の右と左から交互に合唱。十字架を先頭に皇帝の即位の行列、キリストの旗を掲げたロシア正教の聖職者達が続き最後に皇帝を示すしゃくを右手に玉を右手に持ち宝石が散りばめられた王冠と服を着たボリスが入場。「我が心は重い」と歌う。「空にはすでに輝く太陽が」を群集が歌いボリスの即位を讃え鐘が鳴り響く。
 
-第3場 :薄暗いChudov修道院
5年後白髪で長い髭の老僧ピーメン(Bs, Petr Glubov)が年代記を僧房で書いている。傍らで寝いた青年僧グレゴリーはピーメンがりボリスが先帝の異母弟 皇子ディミトリ-を暗殺して皇位を奪ったこと、自分が同じ歳であることを独り言を言っていることを聞き一旦ピーマンを送って行った後再び戻ってきてディミトリーに成りすましボリスを打倒する野望を燃やす。
 
-第4場 :リトアニアの国境に近い旅籠
旅籠の女将(MS)が陽気に歌っていると修道院を脱走したグレゴリー、破戒僧ワルラーム(Bs Valeriy Gilmanov)、ミサイル(T Yuri Markelov)が女将にお布施を求める。ラルラームは酒瓶を片手にアリア「カザンの町で」を歌う。グレゴリーの手配書を持った警官が踏み込んできたが何とか逃げ出す。
 
第二幕 :クレムリン宮殿の皇帝の居間
赤い明かりの婚約者を失った皇女クセ-ニャ(S, Oksana Lomova)が乳母、皇子フョードル(MS, Svetlana Belokon:エフゲニー・オネーギンで妹役をやっていた)が慰める。そこへ黒い寝巻き姿(と言っても宝石が散りばめられていますが)を来たボリスが入場。「私は最高権力を握った」を歌う。幻覚を見たボリスが錯乱。
 
第三幕 
-第1場 :ムニ-シェク公爵の城内の庭の泉の辺
中央のカモシカの像、奥で噴水が上がっている
白いドレスでうちわを持ち着飾った女性たちと軍人の踊り、みんながいなくなると
軍服姿のディミトリーが着飾ったポーランドの軍司令官の娘マリーナ(S,Tatiana Yerastova)に言い寄る、マリーナもたきつける。
 
-第2場:聖ワシリー寺院前
寺院前の赤の広場に集まった群衆。ディミトリーがポーランド軍と共にモスクワに来ると噂し飢饉で苦しむ住民はボリスへの不満を述べる。貧しい身なりの子供の集団が入ってきて合唱、物を取って逃げ出す。聖なる白痴(ロシアでは白痴の言葉は聖なるものであるとされる Mikhail Gubsky)が寺院から出てきたボリス一行に窮状を述べる。
 
第四幕
この最後の幕の第一場と第2場が解説書などに書かれている筋と逆になっています。
 
ー第1場 :モスクワ近郊のクローミィの森
舞台には100人ほどの群衆。進攻による混乱の中、暴徒と化した群集がボリスの部下の貴族を捕らえて攻める。サイルとヴァラムールがボリスを倒しディミトリーを帝位に就けようと群衆を扇動。ポーランド軍の。ミサイルとヴァルラームが愚帝ボリス・ゴドノフを倒し、正しき皇統のドミトリーを帝位に就けようと扇動するので、群衆の騒ぎは益々大きくなる。偽ドミトリーはモスクワへ進撃を開始し、一人残った苦行僧は再び、ロシアに暗黒時代が来るとつぶやく。
 
-第2場 クレムリン宮殿の会議室
 貴族会議が開かれ偽皇子への対策が話し合われている所にシュイスキーが入って来て、皇帝が又も狂乱していると貴族達に伝える。そこに錯乱状態のボリスが現われ意味不明のことを叫ぶ。この時陰謀家のシュイスキーはボリスを陥れようと高僧ピーメンを招き入れる。ピーメンは、盲目の羊飼いが夢のお告げに従って皇子ドミトリーの墓にお参りしたら、盲目が直ったと言う奇跡を厳かに話す<ある日、夕暮れに>。 幼い皇子謀殺の罪悪感に打ちのめされたボリスは、命尽きる時が来たと語り、息子フョードルに後事を託すと錯乱の中に息を引き取る<さらば我が息子よ、私はもう死ぬ>。

右からシュイスキー公、ボリス、指揮者のAlexander Titov,皇子フョードル、高僧ピーメンです。

今回最前列で450ルーブル。今回主要な役者はすべて小型マイクを顔の横につけて歌っており歌手によっては声がマイクに乗ったり乗らなかったりして聞きづらい場面もあった。それにしても本来生の声を聞くことが楽しみでオペラを見に、聞きに来ているのにマイクを全員使わないといけないのは音響の悪いクレムリンの舞台では致し方ないところか。

 


 
 


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2 コメント

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聖なる白痴 (Laudate)
2006-01-22 18:08:17
この作品は、ワシリー寺院やクレムリンに親しんでいるロシアの人々にはリアルな作品なのでしょうね。ロシア的宗教観も感じられます。



「聖なる白痴」というのが出てきましたが、こういう伝統が強いのがロシア的なのでしょう。類似のものでカリーキ・ペレホージエkaliki perexozieというのを本で読んだことがあります。ご存知かもしれませんが、ご参考までに。以下少々長いですが抜粋。



「民衆宗教詩の伝承者はカリーキ・ペレホージエと呼ばれる巡礼者たちである。中世ロシアにおいてはkalika(kalikiは複数形)は「多くの遍歴を重ねた人」「聖地を巡礼した人」を意味した。kalikaという名称は、中世の巡礼がはいた特別の履物の名である中世ギリシャ語のkalikiaに由来する。perexozieは「さすらいの」という意味の形容詞である。時代がくだって、kalikaは「障害者」を意味するkalekaという語と混同されるようになった。

 実際に、民衆宗教詩の伝承者である農民階級出身の詩人たちには、目の不自由な人が多かった。彼らは世間が見えない代わりに常人には見えない霊的世界を見る眼が与えられており、キリストの霊性にあずかることのできる「神の人々」として民衆の尊敬を集め、殉教の聖者たちの生涯や神的世界のさまざまな現象について分かりやすい言葉で語り、魂をとらえる啓示を歌い上げることによって、「キリストのために」人々から喜捨を受けて生計を立てることができた。」(「ロシア異界幻想」栗原成郎著 岩波新書)
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情報ありがとうございます (筆者)
2006-01-22 20:00:29
Laudateさん

詳細の情報ありがとうございます。大変参考になりました。ありがとうございました。
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