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いま日本に必要なのは田中角栄だ!

2016-07-19 22:04:25 | 日記

  いま日本に必要なのは田中角栄だ!

   

        昭和55年12月、田中派・木曜クラブの忘年会に出席した田中角栄元首相

 

田中角栄元首相の人生を描いた作家、石原慎太郎の『天才』がベストセラーとなり、空前の角栄ブームが起こっている。「金権政治」の象徴として語り継がれる彼の業績が、なぜ再評価されるのか。セコさが際立つ東京都の舛添要一知事のような政治家はもういらない。いま日本に必要なのは田中角栄だ!
 

「小理屈で人間は動かない」

  • 庶民の顔を立てる「天才」だった田中角栄

    思想やイデオロギーではなく、庶民の「生活」を重視し、一人一人の顔を立てる天才だった田中角栄。いまなぜ彼の業績は再評価されるのか。角栄の人心掌握術の極意を政治学者、岩田温が読み解く。

明暗と功罪が背中合わせ

  • 「政治は欲望の調整作業」と見抜いた天才 角栄神話は何度でも蘇る

    田中角栄がいつの時代でも輝きを失わないのは「今太閤」を実現したことだ。田中のパワーの秘密や天性の資質、そして何回目かのブームの原因にノンフィクション作家、塩田潮が迫る。

政治家たる資質とは

  • 政治に正解なし! だからこそ角栄のごとき「信念」を求める

    「正解」のない政治に求めるのは「信念」だ。田中角栄だったら、という待望論が、本気で語られるようになった。角栄がいま日本に必要とされる理由に向谷匡史が迫る。

「公」の重視が角栄流

 リーダーがギリギリの決断をしなければならないとき、その判断基準をどこに置けばいいのか。田中角栄が強調してやまなかったのは、「公六分・私四分の精神」ということであった。田中はヘタな駆け引き、権謀術策を良しとしない人物であった。こうした手法には、限界があることを熟知していたのだ。このため、若い議員には平素から、「バカ野郎ッ、どこを見て政治をやっているんだ。お前たちは日本のために政治をやっている。私情で動いてどうする」と、カミナリを落とすことも多々あった。
昭和49年12月、東京・目白台の
田中角栄首相邸を訪れ就任の
あいさつをした自民党新総裁の
三木武夫氏
 こんな例があった。1980年5月、当時の大平正芳内閣に、社会党が内閣不信任決議案を提出した。すると、こともあろうに、自民党反主流派だった三木武夫(元首相)率いる三木派がこれに賛成、その尻馬に乗った福田赳夫(元首相)率いる福田派の大勢が、本会議採決を欠席した。派閥単位で野党に同調するという前代未聞のなかで、不信任案は可決してしまった。
 田中と三木は事あるごとにぶつかった間柄だったが、ここまでくると、自民党の本体、日本の政治自体を誤らせる。田中は、可決直後の田中派緊急総会で、顔を真っ赤にして、流れる涙をハンカチで拭いながら、すさまじい迫力の大演説をぶったとある。
 「今日だけは、口に出して言わねばならない。政治家、リーダーというものは、最後は、51%は公に奉ずるべきだ。私情は49%に留めておくべきではないか。自分のためにだけ、あらゆることをして恥じることにない者は、断固排除せざるを得ない。日本を誤らせるような行動は、絶対に許せない。われわれのグループは、そのことだけは守ろうではないか」
 会場はある種、異様な空気に包まれた。やがて、「そうだッ!」の声があがり、感激してすすり泣く議員もいたのである。
 田中は別の席で、こうも言っていた。
 「公六分で決断した場合は、仮に失敗しても逆風をかわすことができる。私情優先ということでは同情の余地は生まれない」
 フランスの古くからある名言「ノブレス・オブリージュ」(noblesse oblige=上に立つ者には、それなりの倫理、社会的責任がある)。この根底にあるのは「公」の重視ということである。「角栄流」をかみしめてみたい。(政治評論家・小林吉弥 夕刊フジ 2016.3.11

心はガサツそのもの

  • 「お金をもらって喜ばない奴はいないんだよ」田中角栄の増長と妄想

    最後まで悪徳の衣を脱いだことがなかった大政治家である。石原慎太郎氏が近著『天才』で、田中角栄を偉大な政治家と評価していることに仰天した屋山太郎が角栄の政治家としての本質を暴く。

     

気配りの人が進めた政治

  • イデオロギーよりも豊かさを 国民は「田中角栄」を求めているのか?

    経済界や文化・学術、市民運動の世界さえ、毛並みのよさやふるまいのエレガントさがなければ、上に立つのは難しい。こんな時代に、多くの人は田中角栄という政治家を懐かしんでいる。

大物感に欠けた発言連発

  • 田中角栄の再評価と舛添知事の「セコい話」

    オリンピックを控えた大東京の知事が自身にまつわるお金のことでとやかく言われ、その度に聞く人が納得しそうもない弁明をしゃべりまくるのは見ていられない。舛添都知事、セコいことはもうおやめになりませんか。

田中角栄に出来て舛添氏に出来ないこと

 僕は、舛添さんと古くからの知り合いだ。学者であった彼がマスコミに出るようになったきっかけは、「朝まで生テレビ!」への出演だった。当時「サンデープロジェクト」に出演していた政治学者の高坂正堯さんと同じような立場で「朝まで生テレビ!」に出演してくれる政治学者を僕は探していた。そんなときに、舛添さんを紹介されたのだ。
 彼は、頭脳明晰で、バランス感覚があり、そしておもしろい人物だった。だから、その後もたびたび僕の番組に出演していただくことになった。その意味で、彼を政治家への道に引き入れてしまった責任の一端は、僕にあるともいえるだろう。
 実は、舛添さんには政治家として「不安要素」があると、僕は思っている。政治でいうところの「寝技」ができないのではないか、ということだ。舛添さんは、東京大学法学部を卒業し、学者としてのエリートの道を歩んできた人だ。「寝技」とは無縁の世界だった。しかし政治家には、ときに「寝技」が必要なのだ。
 寝技が得意な政治家といえば、なんといっても田中角栄さんだろう。前都知事の猪瀬直樹さんも、寝技ができる人だった。たとえば、猪瀬さんが当時の小泉首相のもとで、「道路公団民営化」を進める民営化委員会の委員だったときのことだ。彼は、公団の改革を内部から進めようとする勢力と対立していた。そのとき猪瀬さんは、なんと自民党の「族議員」だった古賀誠元幹事長と組んで、民営化を進めたのだ。まさに「寝技」だ。
 ただし舛添さんは、都知事選で自民党と公明党から応援をもらっているが、そのために自らの論をまげるようなことはしない人でもある。だからこそ、そして都民のために、必要とあらば「寝技」も駆使して、政策実現のためにがんばってほしいのだ。(田原総一朗公式ブログ、2014.02.20

政治家として天才の理由

  • 石原慎太郎氏 宿敵だからわかる天才・田中角栄の「霊言」

    田中金権政治を批判する急先鋒だった石原慎太郎氏が、『天才』というタイトルで上梓した新刊は、田中角栄の人生を一人称で書くというまさかの“霊言”だった。なぜいま角栄なのか。石原氏に聞いた。

  • 角栄とトランプ共通点 反エリート期待の空気と娘の存在

    米大統領選挙候補で共和党の指名を確実にしたドナルド・トランプ氏。「トランプ劇場」の背景を分析すると、日本の歴代総理で随一の人気を誇る田中角栄との共通点が浮かび上がってきた。

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