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安倍首相土下座像 日本人ヘイトか「表現の自由」か 米ロサンゼルス“旭日旗”壁画問題はどう解決したか

2020-07-31 04:50:45 | 日記

安倍首相土下座像 日本人ヘイトか「表現の自由」か 米ロサンゼルス“旭日旗”壁画問題はどう解決したか

 

慰安婦像の前で土下座する、安倍首相を彷彿させる男性の像。(写真:ロイター/アフロ)

 韓国にある私営の植物園で、慰安婦像の前に、安倍首相と思しき男性が跪いて土下座している像が設置されたことが問題となっている。これに対し、菅官房長官は「国際儀礼上、許されない。報道が事実なら日韓関係に決定的な影響を与える」と表明し、韓国外務省も「外国の指導者に対して国際儀礼を考慮する必要がある」と発表した。

 SNS上では、像設置は日本人に対するヘイトなのか、「表現の自由」なのかという議論が起きている。

コリアタウンに“旭日旗”様の壁画

 この問題で、筆者が思い出したのは、ロサンゼルスのコリアタウンで起きた、ある壁画をめぐる論争だ。

 2018年12月、コリアタウンにある「ロバート・ケネディ・コミュニティー・スクール」という学校のジムの外壁に、アーチストのボー・スタントン氏が描いた壁画が旭日旗を彷彿させるとして、コリアタウンの韓国人団体が壁画を撤去するよう抗議運動を起こした。以下がその壁画である。

ロサンゼルスのコリアタウンにある学校の外壁に描かれた壁画。韓国人団体が“旭日旗”を想起させると壁画撤去を求めたが、結局、撤去には至らず、解決に至った。写真:www.npr.com
ロサンゼルスのコリアタウンにある学校の外壁に描かれた壁画。韓国人団体が“旭日旗”を想起させると壁画撤去を求めたが、結局、撤去には至らず、解決に至った。写真:www.npr.com

 ちなみに、この学校は、ロバート・F・ケネディが1968年に暗殺されたアンバサダーホテルの跡地に建造された。壁画中央に描かれている女性は、アヴァ・ガードナーというハリウッド女優で、彼女は、同ホテルにあったココナッツ・グローブというナイトクラブの常連だった。壁画はナイトクラブへのオマージュとして描かれたものだった。ガードナーの背景には赤みがかったオレンジと青の光線が描かれているが、これが、旭日旗を彷彿させると韓国人団体は以下のように訴えた。

「ナチスの旗をユダヤ人居住区に置くようなものだ」

「第二次世界大戦時の痛みを蘇らせる」

「ヘイト、侵略、人種差別、帝国主義の象徴だ」

 これに対し、壁画を描いたスタントン氏は「壁画に政治的意図はない。光線の数、色、太さは旭日旗と異なる。私は光線というモチーフをよく取り入れている」と言って反論した。確かに、同氏のサイトにある作品を見ると、光線のようなモチーフが数多くの作品に採用されている。

 ロサンゼルスの学校システムを統括しているロサンゼルス統一学区は、韓国人団体の抗議に押されて、壁画を撤去すると発表した。

JFKは検閲を嫌悪

 しかし、これに対し、検閲の脅威から「表現の自由」を守ることを目的としている「全米反検閲連盟」やアーチストたちが異を唱えた。中でも、声を大にしたのが、同じ学校の壁にロバート・F・ケネディの肖像画を描いたアーチストのシェパード・フェアリー氏だった。ちなみに、フェアリー氏は、バラク・オバマ氏の大統領当選記念のポスター「HOPE」を描いたことで知られている。同氏は「スタントン氏が描いた壁画を撤去するなら、私が描いたケネディの肖像画も撤去させる」とまで言って、壁画の撤去に反対した。

 フェアリー氏が壁画の撤去に反対したのは、学校の名前にもなっており、彼が肖像画を描いたロバート・F・ケネディの考え方に反するという理由からだった。ロバート・F・ケネディの息子、ロバート・F・ケネディ・ジュニアも、ロサンゼルス統一学区に書簡を送り、壁画を撤去しないよう求めた。

 以下はその書簡からの抜粋だが、壁画撤去に反対する理由が述べられている。

「政治的目的のための芸術破壊は、扇動家や暴君のとっておきの武器であり、ファシスト政府にとって不朽のエンブレムだ。

 第二次大戦前、ドイツと日本のファシスト組織は、本やアートを燃やす活動を組織化して、不寛容と偏見に根ざした憎悪を賛美するキャンペーンを行い、種族主義という最もダークな欲求を結集した。

 これらの政権による死を引き起こす蛮行は、韓国を含む隣国を残忍な目にあわせ、私自身の家族にも及んだ。父は、兄と義兄をナチスとの戦争で失い、叔父のジャック(J.F.ケネディ元大統領のこと)は乗っていた魚雷艇が駆逐艦「天霧」に撃沈されて、負傷した。

 1961年1月、当時7歳だった私は、駆逐艦「天霧」の艦長だった花見弘平と、叔父の大統領就任式で握手した。叔父は、元敵と和解したことを示すために彼を招いたのだ。

 父は文化に思いやりを示していた。しかし、父は、アメリカ民主主義の中心にある岩盤教義は言論と表現の自由だと理解していた。父と叔父は、寛容と多様性を強く支持したのと同じくらい、検閲も強く嫌悪していた。

 スタントン氏の壁画を撤去することは、父と父のファミリーが信じた、民主主義、理想主義、恐れることのない表現の自由というアメリカの伝統の中心となっている価値観に反するものだ。

 父と叔父たちは、政治的アジェンダのためにアートを破壊する人々は最悪のならず者だと考えていた」

 ケネディ家のメンバー以外にも、壁画は不愉快ではないと考える韓国人コミュニティーの人々も撤去に反対。また、韓国系アーチストたちは、壁画は撤去されるか手直しされるべきだと訴えた。

見出された妥協点

 ロサンゼルス統一学区は、壁画撤去を保留にして、様々な関係者らと話し合った。

 その結果、結局、どうなったのか?

 スタントン氏は問題の壁画に修正を加えるということで、韓国人団体と妥協点を見出したのだ。スタントン氏は、壁画を撤去するかしないかという二者択一の解決方法ではなく、学校側や韓国人コミュニティーの人々、学生たちと何ヶ月にも渡って話し合いをする中で、彼らの意見や懸念をインプットして、オリジナル作品に変更を加えることにした。スタントン氏は、LA Timesに対して、

「学校の学生チームと密接に取り組むことで、オリジナル作品の一部となるようなコンセプトやイメージを発展させようと考えている。オリジナルの壁画をベースに、絵を追加して、歴史的な層のある都会的な壁に変えることを提案している」

と話している。

 スタントン氏が進んでコミュニティーの人々と話し合って妥協点を見出したことで、ロサンゼルス統一学区は、韓国人団体とアーチストたちの間で板挟みされていた状態から解放された。

「話し合いに参加したすべての人々が、両極端の考え方に対して自らの意見を述べ、すべての人々の見方に耳を傾けた。みなが一緒に学ぶ素晴らしい経験になった」

とロサンゼルス統一学区側は意義ある話し合いが行われたことに言及した。

 もっとも、今回の“土下座像”問題は、政治的意図の点で、“旭日旗”壁画問題とは全く異なる。“旭日旗”壁画には制作者であるスタントン氏の政治的意図は全くなく、スタントン氏があくまでアート作品として制作したものだ。しかし、それが見る人によっては“旭日旗”を想起し、不快感を覚えるわけである。一方、土下座像には制作者は否定しているものの政治的意図があからさまに感じられる。しかし、そこに政治的意図があったにしろなかったにしろ、“表現の自由”という観点からすると、両者とも”表現の自由”は守られていいはずだ。

 スタントン氏も“表現の自由”を守ることはできたかもしれない。しかし同氏は、壁画を撤去はしないものの壁画に修正を加えるということで韓国人団体と折り合いをつけた。彼らが「政治的意図がないことはわかるが、人々を不快な気持ちにさせ、心を傷つける“表現の自由”はリスペクトされるべきではない」と強く訴えていた気持ちを汲んだのだろう。

 しかし、今回の土下座像にしても、慰安婦像にしても、“旭日旗”壁画にしても、結局のところ、背後には歴史問題という、韓国の人々にとって心情的に解決できない問題が今も横たわっていることを示している。その根本的問題が解決されないことには、今後も像が作られ、日本側が抗議するという繰り返しになるのではないか。

 ロサンゼルスで起きた“旭日旗”壁画問題は、アーチストがコミュニティーの人々など様々な関係者と時間をかけて対話し、解決法を編み出したことに大きな意味がある。対話による解決。それは日韓関係に今、最も欠如していることであり、日韓が学ぶべきことだろう。

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REMOVAL OF KOREATOWN MURAL PUT ON HOLD 2

大分県生まれ。早稲田大学教育学部英語英文科卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会問題、トレンドなどをテーマに、様々な雑誌に寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲルなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。


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韓国安倍首相謝罪像、民間の行為なら許されるか:私たちの怒りと国家間葛藤の心理学

2020-07-31 04:41:03 | 日記

韓国安倍首相謝罪像、民間の行為なら許されるか:私たちの怒りと国家間葛藤の心理学

 

少女像に謝罪する安倍首相像 韓国の植物園に設置され物議(写真:ロイター/アフロ)

<たとえ民間の行為でも、韓国全体の気持ちの表れだと感じると、私たちは許せない。一人の行為が、国家間の関係を良くも悪くもする。>

■韓国で少女像に謝る安倍首相の像

報道によると、多くの人が訪問する韓国の民間植物園が、園内に慰安婦を表現した少女像と、その前でひざまずいて謝罪する安倍晋三首相をかたどった像を設置しました。

これに対し、自民党の菅官房長官は「国際儀礼上、許されない。仮に報道が事実であるとすれば、日韓関係に決定的な影響を与えることになる」と述べています。

野党も同様に、立憲民主党の福山幹事長が「極めて遺憾だ。韓国政府に、速やかに像を撤去するよう求める。強く抗議したい」と述べました。

多くの日本国民も、怒りを表しています。安倍総理を支持しない人の中にも、今回は抗議する姿勢をとっている人もいます。

ごく簡単に言えば、普段は自分の学校の校長に文句を言っていても、他校の生徒に悪口を言われると腹が立つような心理でしょうか。

■私たちはなぜ怒りを感じるのか

今までの日韓関係のしこりは、もちろん影響しているでしょう。さらに、土下座する安倍首相象は、安倍さん個人の問題ではなく、日本を代表する人物として描かれています。

だから、今回の像は安倍首相個人が土下座しているのではなく、日本人全員が土下座させられているように感じるために、支持政党を越えた怒りが湧き上がっているのでしょう。

(あのポーズに対する感覚は、日韓の文化の違いから、イメージも違うのでしょうが。)

写真はイメージ(写真AC)
写真はイメージ(写真AC)

■民間のしていることなら良いか

今回は、韓国内でも賛否両論が出ているようです。

その一方、「民間が私有地に設置した造形物に対してまで、政府が“国際礼譲”をもって問題提起できるのかという指摘も出ている」とも報道されています(韓国外務省、安倍首相“謝罪”像に「外国指導者への礼遇、考慮せねば」:7/28ワウコリアY!)。

なるほど、一理あるとも感じますが、ここでは、法や国際関係の問題ではなく、心の問題について考えてみましょう。

どこの国にも、わけのわからない人はいるものです。誰に対しても、非常識で失礼なことをする人もいるでしょう。

もしも私たちが、その人の行為をその人個人のものと感じられれば、怒りは限定的なものになると思います。

だとえば、他国の大統領に卵をぶつけた日本人がいたとします。その人はすぐに逮捕され、日本中がその人の行為を恥ずかしく思い、大統領とその国への謝罪を示したとしましょう。

そうならば、その国と日本との関係悪化は防げるでしょう。ところが、形式上は犯罪者として逮捕されても、ネット上で多くの国民が喝采を上げたらどうでしょうか。

その国と日本との関係は、修復が難しくなるほどこじれるでしょう。

今回の安倍首相謝罪像は、韓国の人々の総意ではないのか、みんなが心の中で賛同しているのではないのか、この像は日本を侮辱する象徴ではないのか、そう感じてしまえば、たとえ民間の行為であっても、私たちは怒りを感じ、韓国政府への非難にもつながるでしょう。

それに、民間人による私有地とは言っても、自宅の庭とは違います。

アメリカのオバマ大統領が広島を訪問した際、日本は大統領を侮辱し、謝罪を強要し、攻撃するようなことはありませんでした。

日本政府はもちろんそんなことはしませんが、国民の間にもそんな雰囲気はなく、そんな気持ちを表す象徴的な言動もありませんでした。だからこそ、オバマ大統領の広島訪問は実現し、日米友好にも役立ったのでしょう。

■日韓関係の未来

日韓の間には、不幸な出来事がありました。特に近年は、これまでにないほど関係が悪化しています。人と人はしばしば争い葛藤します。特に国家間のような集団間葛藤は、時に激烈を極めます。

実際に相対するのは、政治家や様々な組織の代表ですが、それぞれが法的または心理的に国家を代表しています。彼らの争いは、国民全員の争いになってしまいます。

国と国との争いは、国家の集団アイデンティティ、集団同一化、集団意思決定の問題になります。こうなると、個人間の争いよりも深刻になり、問題解決が難しくなるのです。

写真はイメージ(写真AC)
写真はイメージ(写真AC)

ネットには、もう日韓関係の修復など永遠にしなくても良いという意見も出ています。ただその一方、日韓双方に、相手国の文化のファンもいます。韓国に日本料理店が並び、日本人も韓国料理を楽しみます。

互いの国民性の、合う合わないもあるでしょう。しかし、それでも交流はあり、親友ができたり、国際結婚する人もいます。

時には対立も抗議もあって良いと思います。そしてまた、良い交流がもてるときがあっても良いのではないでしょうか。

新大久保駅乗客転落事故(2001)で、自分の命を捨てて助けようとしてくれた韓国人青年のことを、私たちは忘れません。

当時、天皇は死亡した韓国人青年の両親を招待して慰労しました。青年の父親は奨学金財団を設立し、アジア出身の学生を援助する奨学金財団を作って、日本政府から勲章をもらいました。駅には、犠牲者を追悼するプレートが作られています。

平昌冬季オリンピック(2018)のスピードスケートで小平選手と李相花選手が見せた友情に、日韓国民は惜しみない拍手を贈りました。韓国では「友情賞」が与えられています。

私たちにとっての、より良い未来を望んでいます。今回の安倍首相像に関しても、適切な対応がなされることを期待しています。

 

東京墨田区下町生まれ。幼稚園中退。日本大学大学院博士後期課程修了。博士(心理学)。精神科救急受付等を経て、新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科教授。スクールカウンセラー。好物はもんじゃ。専門は社会心理学。テレビ出演:「視点論点」「あさイチ」「とくダネ!」「サンデーモーニング」「ミヤネ屋」「NEWS ZERO」「ビートたけしのTVタックル」「ホンマでっか!?TV」「チコちゃんに叱られる!」など。著書:『あなたが死んだら私は悲しい:心理学者からのいのちのメッセージ』『誰でもいいから殺したかった:追い詰められた青少年の心理』『ふつうの家庭から生まれる犯罪者』等。監修:『よくわかる人間関係の心理学』等。

 


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【韓国人が解説】安倍首相土下座像に対する韓国人の反応

2020-07-31 04:33:41 | 日記

【韓国人が解説】安倍首相土下座像に対する韓国人の反応

 


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韓国「安倍首相土下座像」への日本政府苦言の違和感

2020-07-31 04:26:56 | 日記

韓国「安倍首相土下座像」への日本政府苦言の違和感

韓国平昌市の私設植物園に建造されたいわゆる「安倍首相土下座像」(写真:Lee Jae-Won/アフロ)

 冬季五輪が開かれた韓国平昌市の韓国自生植物園で、安倍首相をモチーフにしたと思われる銅像が慰安婦像に対し土下座しているモニュメントについて、日韓両国で大きく報道されている。

 菅官房長官は7月28日、記者会見でこの銅像に対し、「国際儀礼上、許されない。報道が事実なら日韓関係に決定的な影響を与える」と強い拒絶感を示した。一方加熱する報道を受けて同日、韓国外務省報道官は一般論としながらも、「外国の指導者に対しては国際礼譲(儀礼)というものがある」と応じた。この銅像自体はくだんの民間施設の運営者が全くの私費を投じて2016年に制作したものだが、ここにきてにわかに国際問題となった感である。

 国費を一切投じない民間施設の中に、どのような思想でどのようなモニュメントを作ろうとそれは自由である。確かに日韓関係が冷却する中で、私費を投じた民間施設であってもこの銅像が日韓問題に影響を及ぼすかもしれない、という思慮が韓国側運営者に無かったように思えるのは否めない。しかしあくまで純然たる民間施設に対して、日本政府が公にここまで強い不快感を示すのも、また異例といえば異例である。通常であれば黙殺という反応もまた選択肢としてあったであろう。

・日本の右派層が大反発

 この銅像の一件が日本で報道されると、日本の右派、ネット右翼はすぐさま鋭敏な韓国批判を行っている。それは「韓国人によるまたぞろ日本ヘイトが始まった」というもので、中には「日本も韓国ヘイトをしているが、韓国も日本ヘイトをしているのでどっちもどっち」という論調まで根強くある。しかしヘイトとは、一般的には「民族、人種に対して行われる侮蔑等」であり、この銅像が安倍首相を表しているのであれば、日本へのヘイトというよりは、安倍首相個人への誹謗中傷といったところであろう。

 仮に韓国側の民間施設が「日本ヘイト像」を建造して問題になるのであれば、日本側の民間施設や民間人がこれまで韓国に対しどのようなヘイト行ってきたのか。それもまた私たち日本人は内省しなければならない。日本のある民間宿泊施設では、経営者の強い右派的思考により、「日中戦争はコミンテルンの陰謀であり、日本軍は被害者に過ぎず、中国大陸を侵略していない」という歴史修正主義や、「日韓併合は韓国側が望んだもので、日本の韓国統治は植民地支配ではない」というこれもまた歴史修正的な冊子を、客室に常備している例があり、この事例は国際的に大きく報道された。

 平昌の韓国民間施設が問題であるなら、日本側民間施設のこのような実例はどうなのか。当然、日本では民間施設がいかなる歴史修正主義的見解を示す冊子を客室に常備していたとしても、一応憲法で保障された言論の自由という事になっている。さらにまた、「韓国人によるまたぞろ日本ヘイトが始まった」というのであれば、2002年から勃興したいわゆるネット右翼と、その中でもさらに排外的思想の濃い「行動する保守」の一群が、東京、川崎、大阪等で「朝鮮人を叩き出せ」だの「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」などとヘイトスピーチを繰り返して、中には刑事事件にまで発展した例がある(この団体の元会長は先般の都知事選挙に出馬し、落選したが約18万票を獲得した)ことをどう評価するのか。

「日本も韓国ヘイトをしているが、韓国も日本ヘイトをしているのでどっちもどっち」というネット右翼の反応は、この一点を以てしても通用しないのである。特定の民族や人種をひとくくりにしてヘイトを始めたのは、繰り返すように2002年から勃興した日本のネット右翼やその中の行動派によるものが明らかに「先行」している。

 また曰く「韓国における日本ヘイト」は、すでに述べたように日本の指導者や指導階級に対して向けられた揶揄や中傷であり「日本人を殺せ」「日本人を叩き出せ」などという異常な差別主張を掲げた団体がソウルや釜山でデモをすることは皆無である。「どっちもどっち論」は机上の空論あり、実際の現実とは、日本のネット右翼が一方的に韓国人(あるいは在日コリアン)を先行してヘイトし続けてきた、というのが長年ネット右翼研究を行ってきた私の総括である。

・アメリカの原爆投下機展示には無反応

旧産業奨励館と説明文(フォトACより)
旧産業奨励館と説明文(フォトACより)

 しかし日本政府による、韓国のいち民間団体への「国際儀礼を失する」銅像に対する激烈な不快感を見るとき、まったく同時にある種の奇々怪々な違和感を感じざるを得ない。アメリカのスミソニアン博物館で、1995年前後に沸き起こった「エノラ・ゲイ展示騒動」、いわゆる「スミソニアン論争」において、「原爆投下は日本本土上陸(本土決戦)が行われた場合、多くの犠牲者が出たであろうことを防いだのであり、原爆投下は極めて正当である」というアメリカ政府の公式見解(―もっとも、現在のアメリカの世論調査では、原爆投下は間違いであったという回答が増えている事実も付記する)をトレースする形で、エノラ・ゲイの展示が挙行されたことである。

 ス博物館におけるこの展示については、はじめアメリカの進歩派知識人や議会の中から「展示反対」の声が起こり、同時にアメリカの退役軍人や保守派からは「展示賛成」の論争が起こった。日本にもこの論争は波及し、多くの日本人はアメリカの原爆投下という加害性について、ス博物館という極めて公益性が高い施設の中で原爆投下実行機を堂々と(しかも、犠牲者に対する言及が全くないまま)、「戦争の英雄」としてアメリカが同機を展示した事実に対して不快感を持った。

 この「スミソニアン論争」から現在約25年が経過している。実はス博物館ではその別室において、現在でもエノラ・ゲイの展示は継続されたままである。この事について、現在日本政府が公に不快感や拒絶感を示したことは無い。そして長崎に原爆を投下した実行機、ボックス・カーはオハイオ州に展示されており、現在でもその展示は継続されている。当然こちらにも、日本政府が公に不快感や拒絶感を示したことは無い。そしてもちろんのこと、市街地に核攻撃を行ったというアメリカの戦争犯罪について、その実行の首魁である2機のB-29が現在でも加害の反省も無しに展示されていることに対して、「日米関係に決定的な影響を与える」という見解を表明する与党政治家はいない。

 ス博物館はスミソニアン学術協会が運営しているが、アメリカでは事実上公的博物館として位置づけられている。仮に韓国平昌の「安倍首相土下座像」が国際儀礼を失する行為なら、韓国平昌のいち民間施設が「勝手に」私費で作った銅像よりも、ス博物館における展示の方がはるかに強く重要な国際的メッセージを有するのは自明だが、日本政府はこのことに対して全く無関心であり、何の言及も行っていない。

 広島・長崎原爆では、広島で1945年8月6日、14万人(±1万)。同年8月9日、長崎で7万人(±1万)が死んだ。放射線障害等による致死を含めると、両都市での原爆犠牲者は少なくとも約25万~30万人というところになる。その死者のほとんどは、軍人ではない非戦闘員であった。これは国際法を無視したアメリカの戦争犯罪である。当然この死者の中には、朝鮮半島出身者が1万人以上含まれている(―原爆による朝鮮半島出身者の死者について、広島約3000~6000人、長崎約6000~9000人など。諸説あり)。

 一方、韓国は先の戦争中、日本に併合され書類上は「帝国臣民」として扱われたのは既知の事実であり、戦争によって日本人を殺害したという歴史的事実は存在していない。無論、支配中に起こった抵抗運動に対して、日本官憲や軍が出動して日本側に損耗が出た事例はあるが、これは「戦争によって韓国人が日本人を殺した」のでは当然ない(台湾も同様である)。

 韓国側からの日本に対する戦争中の殺戮はゼロ。一方、アメリカ側は国力が弱り切って継戦能力が無くなったに等しい日本の都市に、核攻撃を行ってその犠牲者は25~30万人。どちらが悪逆非道で、「戦争犯罪」として国際的非難を浴びるべきなのかは言うまでもない。

 しかるに日本政府は、韓国の民間施設が勝手に作った銅像に対し「日韓関係に決定的な影響を与える」として強烈な反応を示している。一方、原爆投下機の公的施設での展示に対しては黙殺を貫いている。このダブルスタンダードは、「韓国であればモノが言いやすく、アメリカに対しては何も言えない」という論評が生み出されても仕方のない状態である。

 勿論、たとえその対象が隣国の民間施設であっても、日本政府が強い不快感を示すのは自由である。しかし一方で、25万人以上の無辜の市民を虐殺した原爆投下機を、現在なおも公的施設に展示してはばからないアメリカに対し何の不快感も表明しないのは、日本政府の言動としてはあまりにも矛盾しており、強烈な違和感を感じざるを得ない。しかしこのことは、日本の右派界隈やネット右翼の中では、微塵も問題として認識されていないように私には思う。

「弱い者達が夕暮れさらに弱い者をたたく」

 とは、本当によく言ったものであろう。原爆投下から今年で75年を迎えるが、日本政府の姿勢は果たしてこのまま、アメリカに対しては無言、韓国に対しては「強くモノを言う」立場を堅守するのだろうか?この日本政府の立場を支持する者のどこが保守で、愛国者なのだろうか?私には皆目微塵もわからない。(了)

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家。日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか』(コアマガジン)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか』(イースト・プレス)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。


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①アカペラで歌うことを要求された12歳のアンズリーはプレッシャーに勝てるのか!?    ②(和訳】ウクライナの少女ソフィアがオーディションでヨーデルを歌う!

2020-07-31 04:06:10 | 日記

①アカペラで歌うことを要求された12歳のアンズリーはプレッシャーに勝てるのか!?

 

②(和訳】ウクライナの少女ソフィアがオーディションでヨーデルを歌う!

 


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会場騒然、鴨川シャチのショーでのできごと

2020-07-31 00:23:37 | 日記

会場騒然、鴨川シャチのショーでのできごと


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ワンコと半ギレ子猫が対面した次の瞬間。。

2020-07-31 00:12:03 | 日記

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明治維新 坂本龍馬のスポンサーは、誰❓ 2/2

2020-07-31 00:02:51 | 日記
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(引用注:これって、1000年の都の天皇を消し去ったという暗示ではなかろうか) 明治維新では、ジャーディン・マセソン商会は、アメリカ南北戦争が終わり売れ残った武器を上海で取扱い、維新軍は 「グラバー商会」 を通じて、銃や軍艦なども輸入しています。 その取引のダミー商社が坂本龍馬が長崎に設立した 「亀山社中」 であります。  この 「亀山社中」 は、 後に 「海援隊」 と改称されました。
 
セソン商会などが引き継いでいったのであります。 少し、話は飛びますが、アメリカ大統領は以前はハーバード大学出身者で占められていましたが、最近ではブッシュ大統領はじめエール大学のスカル&ボーンズ[Skull and Bones]出身者が幅を利かせています。  このスカル&ボーンズを創設したのが、エール大卒業生のウィリアム・ラッセル[William Huntington Russell]と
 
アルフォンゾ・タフト[Alphonso Taft]ですが、このウィリアム・ラッセルのいとこ[Samuel Russell]が、中国のアヘン戦争の引きがねとなる世界最大のアヘン密輸企業のジャーディン・マセソン社と手を組んでいた、ラッセル・アンド・カンパニーの経営者であります。
 
あの名門エール大学も、その資金は中国のアヘンの利益から得ていたのです。
 
ジャーディン・マセソン商会は、超高級コニャック「ヘネシー」を販売し、日本では「ホワイトホース」の輸入業者として知られていますが、あのマンダリン・ホテルGrもジャーディン・マセソン商会が運営しているものです。 1963年に、香港に拠点を置くイギリス系の大手総合商社・ジャーディン・マセソン商会のヘンリー・ケズウィック[Henry Keswick]会長の指導の元、当時イギリスの植民地であった香港のセントラルにオープンした「マンダリン香港(現在のマンダリン・オリエンタル香港)」が始まり、その後社名をマンダリン・インターナショナル・ホテルズと改名し、1974年には、タイのバンコクにある有名ホテル、「ザ・オリエンタル・バンコク」を買収し、1985年に現在のマンダリン・オリエンタルホテルグループの社名に改名しました。 現在、13カ国に21(約8,000室)のホテルを展開し、シャングリ・ラ・ホテルズ&リゾーツや香港&上海ホテルズと並び、アジアを代表する高級ホテルチェーンとして欧米でもその名が知られており、2005年12月2日には日本初進出となるマンダリン・オリエンタル東京が日本橋にオープンしています。 ロスチャイルドグループであるLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシ-)の洋酒販売部門は、元ジャーディン・マセソンとダルモア蒸留所の合弁洋酒会社(ジャーディン・ワインズ&スピリッツ)からジャーディンが合弁から離脱し、LVMH傘下となり、MHDディアジオ・モエ・ヘネシーという会社になったものです。 LVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー) http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/29.html#readmore また、明治維新で伊藤博文、井上馨ら長州5傑(Choshu Five)が、
 
グラバーの仲介で、イギリスに密航しロンドン大学に留学に行きましたが、そのときの船はジャーディン・マセソンのもので、彼らを迎えたのはジェームス・マセソンの甥であったヒュー・マセソンでした。 このように、明治維新はフリーメーソン、ジャーディン・マセソン商会、サッスーン財閥、ロスチャイルド財閥と深く関わっているのです。
 
(引用注:これって、1000年の都の天皇を消し去ったという暗示ではなかろうか) 明治維新では、ジャーディン・マセソン商会は、アメリカ南北戦争が終わり売れ残った武器を上海で取扱い、維新軍は 「グラバー商会」 を通じて、銃や軍艦なども輸入しています。 その取引のダミー商社が坂本龍馬が長崎に設立した 「亀山社中」 であります。  この 「亀山社中」 は、 後に 「海援隊」 と改称されました。 ++ 関係者が、いまでも主役ってわけカネ

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明治維新 坂本龍馬のスポンサーは、誰❓ 1/2

2020-07-30 23:54:47 | 日記

明治維新

TPP「特定秘密指定も」 内閣府副大臣 政府見解を修正 2013年11月2日 朝刊 http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013110202000158.html 不正選挙と、偽国会議員=酷怪議員たちのやっていることが非道すぎるので、基本のおさらい フリーメーソン-28 南北戦争と明治維新 フリーメーソン 2008/1/5 http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/620.html#readmore 明治維新は、スコットランド系フリーメーソンの武器商人トーマス・グラバーの存在なしには、成しえる事はありませんでした。

 
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織田信長の戦国時代に、既に銃が勝敗を決める武器として認知されていたにも関わらず、徳川時代になると刀に逆戻りしますが、世界の軍事史でも武器が逆行するのは極めて珍しい事であります。 これは、徳川が銃の怖さを知っていた為で、徹底的に取り締まっていたのです。 徳川時代の鎖国とは、諸大名が欧米から銃や火薬を輸入しないように、徳川が管理していたもので、実際は徳川の独占貿易と呼ぶべきであります。 実際、長崎は開かれていたのですから。 1865年4月に、アメリカの南北戦争が終わり、売れ残った小銃などが大量に上海市場に出回っていました。  これを仕切っていたのが、ロスチャイルド系の総合商社であるジャーディン・マセソン商会で、上海に事務所を構えていました。 悪名高き阿片を、中国人たちに売りつけていたのもこの会社です。
 
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グラバーは、ジャーディン・マセソン商会の長崎代理人であったケネス・マッケンジーの下で「商会事務員」として勤務した後、長崎で独立し、同時にジャーディン・マセソン商会、デント商会、サッスーン商会という大商社の長崎代理店も兼ねることにもなりました。 これらの商社は全て、中国への阿片貿易で巨万の富を築き上げた会社です。 当時、日英通商条約の第三条に、 「軍用の諸物は、日本の役所の外に売るべからず」 とあり、表向きにはジャーディン・マセソン商会は、武器を薩長に売ることは出来ませんでした。 そこで、ジャーディン・マセソン商会は、代理人のグラバーを巧妙に使い、グラバーは物々交換という形で、この条約の網の目をかいくぐりました。 グラバー商会は、長州から米・麦・塩などでの支払いを認め、それをジャーディン・マセソン商会に持ってゆき、それを薩摩藩が買い上げるというもので、薩摩藩とイギリスは既に武器取引を行っていた実績があり、気心が知れていたために、この三角貿易は成立したのです。 グラバーは、この取引に坂本龍馬を代理人として使い、この貿易に絡んで仲の悪かった薩摩藩と長州藩を結んだのが、坂本龍馬がつくった貿易商社「亀山社中」であるのです。
 
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坂本龍馬は、徳川幕府側の勝海舟と親密な関係にあり、幕府側への工作、また幕府を欺く目的には適していたことと、グラバーも日本でビジネスをするなら、表向き徳川幕府を敵に回すのは得策で無いからです。 亀山社中は、1865年5月に結成され、7月になると長州藩の井上馨と伊藤博文が長崎でグラバーと会って、ミニエー銃4300挺、ゲベール銃3000挺の購入契約を結んでおり、龍馬が最初に買い付けた7800挺は会社が設立されて、わずか3ケ月後の事でした。 この時、亀山社中の実務、及び資金提供を行ったのが小曾根英四朗で、1864年2月に長崎に来た勝海舟から龍馬を紹介されています。 商売に関して、ど素人の坂本龍馬が、会社設立後わずか3ケ月で大きなビジネスができたのは、ジャーディン・マセソンとグラバー商会、そして薩摩藩、長州藩の間で段取りが全て出来上がっていたからであります。 明治維新の英雄である坂本龍馬は、ロスチャイルドがバックに控えるジャーディン・マセソン商会、そしてその代理人であるグラバーの操り人形であったと言う事ができると思います。 巨大資本を持ち武器商人でもあったロスチャイルド、ジャーディン・マセソン商会、グラバー商会が裏にいるからこそ、薩摩藩・長州藩、そして徳川幕府も、しがない脱藩浪人の坂本龍馬に一目置かざるを得なかったのです。 そして、黒幕の思い通りに動かなくなった龍馬は、彼らにとっては用無しで、残された運命は抹殺。  私の推測に過ぎませんが、彼らはフリーメーソンつながりで、イギリス・オランダ・フランス・アメリカは組んで(実際1865年5月 「四国共同覚書」を作成しています)、欧米のワンパターンである植民地の統治法である、「自分たちは双方につき、仲間割れを起こさせる」という作戦で、日本国内の国力を弱めた後で、植民地化する予定、また戦争の長期化による武器ビジネス拡大予定だったのに対し、坂本龍馬の公武合体思想、及び秘密を知りすぎたところが問題視され、刺客を向けられたのではないかと考えております。 もちろん、明治新政府のメンバーたちは、彼らの手下となって地位を得た人達ばかりですから、龍馬暗殺の実行犯を知っていても、闇に葬り去る事は簡単であったと思います。 フリーメーソン-29 サッスーン財閥 フリーメーソン 2008/1/8 http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/621.html#readmore
 
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David Sassoon (1792 – 1864) サッスーン財閥は、18世紀にメソポタミア台頭したユダヤの富豪家族で、オスマントルコ治世には財務大臣を務めるほどの政商となっていました。 この一族 に生まれたデヴィッド・サッスーンは、バグダッドに生まれ、インドに進出、1832年に阿片の利権を求めて、ボンベイに移住しました。  彼は、上海を中心に中国北部を支配したフリーメーソン組織「イングランド系北支地区大結社」の首脳の一人でありました。  当時は、イギリスが1773年からインドでのアヘン専売権を武力で獲得し、東インド会社の貿易を通じて、中国にアヘンを売りつけ、アジアから銀を巻き上げる麻薬貿易により、ロンドンのシティに莫大な富をもたらしていた時代でした。 そして、1842年のアヘン戦争に敗北した中国は、香港をイギリスの植民地とする敗戦条約に署名をしなければならなくなり、同時に上海などいくつかの港を開き、イギリス領事館を置くことに同意させられました。 イギリス最大の銀行である HSBC(香港上海銀行)は、こうしてアヘン貿易で得たお金で、1868年に創られたものであります。 「阿片王」 デヴィッド・サッスーンは、1864年にこの世を去っており、HSBCはデヴィッドの5男のアーサー・サッスーンが最大の株主となり、香港上 海銀行は設立されました。 その出資者は、サッスーン一族がリーダーとなり、ベアリング商会、ジャーディン・マセソン商会、ロスチャイドに関係する役員 で構成されていました。 デヴィッドの長男は、アルバート・アブダラ・サッスーンといいますが、彼はインド西岸にはじめてドッグを建設し、その名も「サッスーン・ドッグ」を足場に海運事業を興しており、当時イギリスの風刺画に彼は、「インドのロスチャイルド」と称されていました。 しかし「偶然」{「」は引用者)と言うものは恐ろしいもので、アブダラの息子エドワード・サッスーンの妻の名はアリーン・ロスチャイルド、何と本当のロスチャイルド家の娘と結婚したのです。 その後も、この両家は複雑に婚姻関係を結び、中国とインドで悪いことばかりしていたのです。 サッスーン一族は、アヘンで莫大な富を築く一方で、わが国の片岡物産が代理店となっているイギリス紅茶の総元締めとしても知られました。  紅茶と麻薬は、同じ場所の畑で栽培されていたのです。 我々が呑気に飲んでいるイギリス紅茶の裏側では、人権を無視され家畜の如くムチ打たれるインドの人々と、アヘンで廃人同然にされた多くの中国の人々がいた事を忘れてはなりません。 日本でなじみのあるサッスーンといえば、神戸市北野町にある異人館、サッスーン邸がありますが、これは実際に居住していたユダヤ系シリア人のデヴィッド・ サッスーンの名をとったもので、現在は結婚式場になっています。 
 
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名前は同じですが、最初にお見せした写真のデヴィッドではありません。  女性の方なら、サッスーンと聞けば、安室奈美恵が宣伝する、ファッション界でヘアースタイリストとして有名なヴィダル・サッスーンを思い起こすと思います が、ヴィダルの息子が神戸のサッスーン邸に住んでいたデヴィッド・サッスーンで、先祖は「阿片王」のデヴィッド・サッスーンです。 ヴィダル・サッスーンHP  http://vidal.jp/top.html フリーメーソン-30 ジャーディン・マセソン商会 フリーメーソン 2008/1/12 http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/622.html
 
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ジャーディン・マセソン商会のロゴ
 
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ウィリアム・ジャーディン[William Jardine] 
 
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ジェームズ・マセソン[James Matheson] ジャーディン・マセソン商会は、元東インド会社の船医でマニアック商会の共同出資者であるスコットランド出身のユダヤ人ウィリアム・ジャーディンと、同じくスコットランド出身のユダヤ人で、カルカッタで貿易商として独立し、マニアック商会の共同出資者であったジェームズ・マセソンにより、1832年に中国のマカオに設立された貿易商社で、主なビジネスはアヘンと紅茶で、東インド会社後期の利権をめぐって、サッスーン財閥と激しく争っていました。  その後、アヘン戦争が終わると、1941年に本社を香港に移しています。 明治維新の功労者で、フリーメーソンでもあるトーマス・グラバーが長崎に設立した  「グラバー商会」 は、このジャーディン・マセソン商会の代理店でありました。 サッスーン財閥と激しく争ったジャーディン・マセソン商会ですが、1877年に、ジャーディン一族と結婚したファミリーとしてとケズウィック[Keswick]という人物が現れ、サッスーン=ロスチャイルド連合との和解を申し出て、このアヘンにまみれ、悪いことばかりしている2つの会社は手を組むことになりました。 そうして、このジャーディン一族のウィリアム・ケズウィック[William Keswick]は
 
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サッスーン一族(ロスチャイルドと親戚)が最大株主であるHSBC(香港上海銀行)の取締役として迎えられ、そうして、ジャーディン家・マセソン家・ケズウィック家・ロスチャイルド家・サッスーン家は複雑に婚姻関係で結ばれていきました。 大英帝国のヴィクトリア女王の時代に、アヘン戦争は起こりましたが、その莫大な利益により、その富を取り扱う銀行が必要になりました。 1864年、太平天国が滅亡し、メーソン・ロッジが上海に林立した年、ロンドンで植民地協会が設立され、その4年後、同協会は、英国王室の後ろ盾によって、王立直轄植民地協会と名を改め、この王立直轄植民地協会によって創立された金融機関が、HSBC(香港上海銀行)であります。 出資者は、デビッド・E・サッスーン商会、エヴリン・ベアリングのベアリング商会、ウィリアム・ジャーディンとジェームズ・マセソンのジャーディンマセソン商会、そしてロスチャイルド人脈の役員によって構成されているバークレイズ銀行であり、全員が高位フリーメーソンのメンバーであったのです。 東インド会社の蛮行が世界の非難を浴び、正式に東インド会社は消滅しますが、名を変えてその利権は、HSBC(香港上海銀行)、サッスーン財閥、ロスチャイルド財閥、ジャーディン・マセソン商会などが引き継いでいったのであります。
 
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↑ここにリンク 少し、話は飛びますが、アメリカ大統領は以前はハーバード大学出身者で占められていましたが、最近ではブッシュ大統領はじめエール大学のスカル&ボーンズ[Skull and Bones]出身者が幅を利かせています。  このスカル&ボーンズを創設したのが、エール大卒業生のウィリアム・ラッセル[William Huntington Russell]と
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アルフォンゾ・タフト[Alphonso Taft]ですが、このウィリアム・ラッセルのいとこ[Samuel Russell]が、中国のアヘン戦争の引きがねとなる世界最大のアヘン密輸企業のジャーディン・マセソン社と手を組んでいた、ラッセル・アンド・カンパニーの経営者であります。
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あの名門エール大学も、その資金は中国のアヘンの利益から得ていたのです。
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ジャーディン・マセソン商会は、超高級コニャック「ヘネシー」を販売し、日本では「ホワイトホース」の輸入業者として知られていますが、あのマンダリン・ホテルGrもジャーディン・マセソン商会が運営しているものです。 1963年に、香港に拠点を置くイギリス系の大手総合商社・ジャーディン・マセソン商会のヘンリー・ケズウィック[Henry Keswick]会長の指導の元、
 
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当時イギリスの植民地であった香港のセントラルにオープンした「マンダリン香港(現在のマンダリン・オリエンタル香港)」が始まり、その後社名をマンダリン・インターナショナル・ホテルズと改名し、1974年には、タイのバンコクにある有名ホテル、「ザ・オリエンタル・バンコク」を買収し、1985年に現在のマンダリン・オリエンタルホテルグループの社名に改名しました。 現在、13カ国に21(約8,000室)のホテルを展開し、シャングリ・ラ・ホテルズ&リゾーツや香港&上海ホテルズと並び、アジアを代表する高級ホテルチェーンとして欧米でもその名が知られており、2005年12月2日には日本初進出となるマンダリン・オリエンタル東京が日本橋にオープンしています。 ロスチャイルドグループであるLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシ-)の洋酒販売部門は、元ジャーディン・マセソンとダルモア蒸留所の合弁洋酒会社(ジャーディン・ワインズ&スピリッツ)からジャーディンが合弁から離脱し、LVMH傘下となり、MHDディアジオ・モエ・ヘネシーという会社になったものです。 LVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー) http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/29.html#readmore また、明治維新で伊藤博文、井上馨ら長州5傑(Choshu Five)が、
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グラバーの仲介で、イギリスに密航しロンドン大学に留学に行きましたが、そのときの船はジャーディン・マセソンのもので、彼らを迎えたのはジェームス・マセソンの甥であったヒュー・マセソンでした。 このように、明治維新はフリーメーソン、ジャーディン・マセソン商会、サッスーン財閥、ロスチャイルド財閥と深く関わっているのです。

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18年の眠りから目覚めたコンディション抜群のマツダ・コスモスポーツL10B型 そのオーナーが抱く

2020-07-30 23:46:46 | 日記

「乗るというより、飛ぶ感じ」。

このクルマが発売された当時に添えられていたキャッチコピーである。マツダ・コスモスポーツは、世界初の「ロータリーエンジン」を搭載した量産車として登場。内壁に傷が発生するロータリー特有の欠陥「チャターマーク」を、高強度カーボンにアルミを浸透させてより強度を持たせた「アペックスシール」で克服、量産化を実現させた。

ボディサイズは全長×全幅×全高:4140x1595x1365mmと、車高が低く流麗なスタイリング。総排気量491cc(×2)の「10A型ロータリーエンジン」は最高出力110馬力を誇り、0-400m加速を16.3秒(後期型は15.8秒)で駆け抜けた。

今回出会ったオーナーの個体は、1968年にマイナーチェンジされた後期型となる。前期型と比べて特徴的なのはフロントグリルのデザイン。開口面積がより広くとられている。ボディカラーは純正色の赤が保たれていた。月並みな表現だが「まるで新車」のようなコンディションだ。それしか適切な表現が見当たらないほどの美しさを放っている。まさに時代を超えて“飛んで”きたのだろうか。これだけのコンディションを保つためには相当の苦労があると思い、まずは日頃のメンテナンスについて伺った。

「このクルマは1969年式のマツダ・コスモスポーツ(L10B型)、もともとは父の愛車になります。私は現在43歳です。この個体は、私が生まれる前から我が家にあり、それをレストアして乗っています。クルマ好きな父の影響を私も相当に受けているはずです。実は、RX-7(FD3Sの5型)も所有していますし、根っからのロータリー好きですよ(笑)。既に他界した父は、生前、さまざまなクルマを乗り継いでいましたが、このコスモスポーツだけは決して手放すことはなかったですね」。

「普段、この個体を保管している場所は、床がコンクリートのため、地面からの湿気がすごいんです。湿気はタイヤをつたってロアアームにダメージを与えます。そこで大きなコルクボードを3枚ほど買ってきて床に敷き詰めています。コルクはやがて湿気を吸うので、梅雨明けした時期を見計らい、約1年に一度交換をします。さらに風通しを良くするため、長期間、乗らないようなときはクルマを少しだけジャッキアップするんです。また、タイヤはひび割れ対策のため、空気圧を高めにして、路面との接地面積を少なくするんです。こんな風に工夫はしていますが、足回りがもうかなり腐食してしまっていて…。本当は大規模なレストアがしたいのですが、純正色のラッカー塗料がもう手に入らないため、決心がつきません」。

涙ぐましいまでの工夫を凝らすことでコンディション維持がなされているオーナーの愛車だが、一体どんな出会いだったのだろうか。

「父がほぼ新車の状態で手に入れた個体です。私も、なかなか乗せてもらえない特別なクルマでした。私が小学2年の頃に登録抹消し、父の知人宅のガレージで長い眠りにつくことになってしまったので、当時の記憶はそれほどありません。その18年後、父の知人が引っ越すことになり、ガレージにあったクルマを再び引き取ることになりました。毛布でグルグル巻きにされて保管されている姿に驚きましたね。内装はカビがすごくてブレーキとクラッチも固着していましたが、燃料タンクだけは満タンになっていて、まったく錆びていませんでした。父は燃料タンクを満たすメンテナンスだけ、密かに続けていたのでしょう。だから私も長期間乗らないとき、満タンにするのを忘れないようにしています」。

18年ぶり、つまり2000年にオーナー宅へ帰ってきたコスモスポーツ。ここから2年をかけてのレストアが行われた。

「まずはカビ取りと脱臭をしました(笑)。駆動系はすべてオーバーホールです。なんとか動くようになりましたが、再びブレーキの固着やエンジントラブルが頻発し、結局コンディションが落ち着くまでに2年かかりました。部品はほぼストックで賄えましたが、ブレーキマスターだけ足りなくて購入しました。当時は4万5000円だったのに9万8000円に値上がりしていてびっくりしましたね。オーバーホールしたエンジンもなかなか圧縮比が上がらなくて、アペックスシールを金属製にしています」。

コンディションが落ち着き、ようやくドライブを楽しめるようになったと思った途端、今度は個体独特の“クセ”に戸惑うオーナー。まるでコスモスポーツに試されているかのような試練が訪れた。

「乗りかたをクルマに合わせるという経験は、このコスモスポーツが初めてでした。シートの重心位置は前オーナーである父のクセが残っていますし、クラッチのミートポイントも足を少し離すだけで動き出すほど奥にしてあるので、クラッチペダルを踏んだら踵を床につけて足首で戻す感じです。一度好みのミートポイントに調整したところ、乗るたびにクラッチのつながる位置が変わってしまう症状が起きて、とても苦労しました。ギアの入り方も独特なので、丁寧な操作は絶対条件です。こうして、クルマとシンクロしてきたと思えるまでに3〜4年はかかりましたね。ちなみに別のコスモオーナーがこのクルマを運転すると、結構乗りづらいと言われます」。

こうした苦労をともない、オリジナルのコンディションをここまで維持しているオーナーに愚問だと恐縮しつつも、モディファイされている部分を聞いてみた。

「実はこのアルミホイール、コスモスポーツのオーナーズクラブが1回限りで製作した特注品です。純正ホイールのデータ取りをしてもらい、さまざまなところに手を加えてあります。耐久性を持たせるために厚くなっていますが、目の錯覚を利用して薄く見えるようにも工夫がされていますよ。そしてこのフォグランプは、当時のモノらしいのですが、メーカーは不明です。『イッシン』と書いてありますが、日本製なのかどうかもわからないんです。詳しい情報をご存じのかたがいらっしゃれば、ぜひ教えていただきたいです。それと、サンバイザーに使われているビニール素材は、今も当時のまま、オリジナルです」。

アルミホイールを純正に近い構造で製作するなど、すべての絶版車オーナーにとっては夢のようなエピソードだ。

オーナーの話を聞きながら、コスモスポーツに限らず、絶版車全体において車体コンディションの維持は最も重要だと再確認した。さらに話は、部品確保やレストアの問題に及ぶ。

「最近はホンダ・NSXのリフレッシュプランや、マツダ・ロードスター(NA型)のレストアサービスが話題ですが、日本では、やっと始まったばかりですよね。ヨーロッパ…、特にフェラーリやランボルギーニは10年以上も前から大切に乗ってくれるオーナーのために、レストアサービスを実施しています。日本のメーカーは展示車両を直すだけではなく、年月の経ったクルマを生まれ変わらせ、なおかつ利益が出る部門を早急に作るべきじゃないかと思います。正直、パーツの再生産と共にレストアサービスの体制を確立して欲しいと思いますね。いちクルマ好きの願いとしては『直して使う』方向性に改善して欲しいのです。例えば、トヨタがパブリカのレストアに着手してくれれば、裾野はかなり広がると思います。エンジンはヨタハチ(トヨタS800)と共通ですから、波及効果が生まれることでしょう。日産もスカイライン(R32型)だけではなく、ハコスカ(スカイラインKPGC10型)をはじめとした他のスカイラインも対象にして欲しいです。そういうところから“とっつきやすさ”は生まれるのではないでしょうか」。

「現代は電化製品さえ直さずに捨ててしまいます。昔の取扱説明書には『分解の方法』が書いてあったくらいなのに。クルマも然りで、蓋を開けるにも蓋専用の工具が必要だし。安全性といった理由はあるにせよ『一度自分で分解したら保証対象外に』はおかしいですよね。自己責任で直せる人向けに、部品だけを提供するというサービスがあっても良いかな…とは思いますね」。

「大人の事情」は多々あると知ったうえで感じるのは、業界はもっと「直して使う」ことに注力しても良いということだった。今こそフォーカスすべきは「長く使い続けてくれる人が増えること」ではないだろうか。そんなクルマたちが1車種でも増えればという思い。今回、コスモスポーツとそのオーナーに出会い、強く感じたことだった。

(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)


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