空に問う。

空に問うても果てがない

神の不在

2014-11-25 13:19:25 | 日記
御岳山が噴火で、長野地震に阿蘇山の小噴火・・・・・・・。なんか世相と連動してる・・・。これって日ごろ感じる「神の不在」と関係あんのかな?もしかして集団失踪?な、わけないか笑。今年の神議りは、良いご縁が結ばれることを期待しつつも。この不在感は拭えない。

お隠れになっているんでしょうか?

ある宗教団体系のこの辺の支部の見解だと「出雲大社」と「太鼓谷稲荷」が相当キテると言う。仏教系の話だから良く分からないけど、活性化してるという。それもマイナスに笑。

心あたりがないわけじゃないけど、そこまで書くとパラノイヤみたいだから止めておくけど去年ワザワザ無理をして行ったわなぁ笑。例のお願いのバックアップを頼んできたりして・・・・。まあこんな小賢しい愚か者に力を貸すほど暇な神さんもいないだろうから愚発だったけど。

出雲大社の遷宮の準備はいる前の7年前に、本殿が一般公開された。60年前にも公開されたから、これで2回目。みんな間違っているけど伊勢神宮も遷宮を行わなかった期間(時の権力者に資金援助を断られた事が原因)もあるし、江戸時代に立て直された出雲大社の本殿の補修は昭和と平成に行われただけなのだ。現在の大社造りになる前は朱塗りでスサノオの命がご祀神だった。今現在は大国主命がご祀神だけど昔は違っていた。同じなのはベールに包まれてる謎のご神体かな?あれが何なのかわからない。

で、あと60年後しか本殿に入れないのであれば是非にと思い出雲大社に出掛けた。無料の上、絵葉書も貰った。まあ本殿の内部までは公開されなかったけど、本殿内の天井に描かれた「八雲図」は見ることが出来た。本殿のぐるりを回ることが出来た。

そして思う。なんだか具合が悪くなったのだ。気持ち悪さと言うのだろうか・・。いったい60年の間に何千いや何億の願い事をこの本殿は受けたのだろうと。何億人が祈ったのだろうと。恐いよね。神の住まいである本殿は直接的に信仰の対象なのだから・・・・・。そこに土足(靴は脱いでますよ)で穢れた人間が上がり込むなんて。だから昨日のお祀りで「スサノオに呼ばれた」なんて言ってるアポうなスピのあんちゃんに尋ねたかった。そのスサノオは君に何を知らせて何を与えてくれたの・って。もちろん訊かなかったけど。スサノオと大国主命は同一神と言われているし、古事記ではスサノオの子供とされる大国主。ともに冥府の神様だ。現在スサノオは本殿の真裏の須賀神社(?)にお祀りされているが、果たして、それで安座されるものなのだろうか?

疑問を持たなければ呼応しないものだと思う。他の参拝者はとにかくご利益に預かれたと喜んでた。でも賽銭はゼロだよね。一応寄付は募っていたけどほぼみなさんスルー。おいらたち家族はお気持ちを賽銭したけど笑。

実はこのあたりから不思議現象が増えていくことになったのだから、とんだ神害だ。害と呼んではいけない気もするけど災いにワンタッチしたのは確かだだろう。人の願いが純粋だからこそ穢れでもあるんだろうし。とにかく神からあまり良い影響は受けないタイプのようだ。津和野にある太鼓谷稲荷でも災害が起きる前日に呼ばれて行った。浜田から約1時間半。おいらの行動範囲はおよそ1時間と決まっているから、よほどの事で呼び出しに応じたかはわかってほしい。車が嫌いなのだ。ドライブと言うものに興味がない。道具でしかない。まあ音楽を聴くための箱と思っているかもしれない笑。呪いわれる身でいちばん危険なことは運転だった。偶然でも呪いでもなんでも成り立つものが、この頃はいちばん怖かった。パンクしたり、真夏にエアコンが壊れたり、なんだか遠出する気分でもなかった。なかったけど、その頃の呼び出しには極力応じることにしてた。呼ばれるって変な言い方だけど、そう思うときは精神だけはもうそこにあるんだ。これは一度訪れたことがる場所でしか起こりえないから、急に東北の山奥の神社に「来い」って命令されてるわけでもない。京都の東区にある安井金毘羅宮には3年続けて呼ばれたなぁ。縁切りの神社です。たくさんの縁切りの札を張られた縁切り石を潜り抜けて縁を切るのだ。これが獣になって夢に現われた。あとでCLANPが漫画gate7で似た獣を描いていたけれど・・・・。だから行ったことがない神社には呼ばれない。だから未だに伊勢神宮にもいけてない始末。「何」か縁を結ばれた訪れたことがある場所だけなのだ・・・・。願望かな?

その日は良く晴れていたし、太鼓谷稲荷の元本殿からは良い匂いがしていた。てっきり吉兆かと思ったけど翌日は未曽有の大雨で大水害に見舞われた。今でも思うけど、アレは何だったんだろう?とにかく昨日まで、あるスキルが一時的にアップしていた。それはもう今はないけど笑。必要でなくなったからスペックは取り上げられたんだろう笑。

だから、あんまり現世ご利益を求めての神社参りも考え物だと思う。何か、悪いモノを持ち帰る可能性だってある。人間を集める神気がある以上は、禍ものも引き寄せられる訳ですね。そういう人って日ごろから氏神さんとか無視してるから惹かれるんだろう。大社にある場所があって、そこへ行くと身が引き締まる思いがする。ちょっとだけ似たようなスペックを持っている人は立ち止まったり、手を合わせていたりする。そこにあるのに余り気付かれないけど、裏禁足地かな?特にそのエリアには特出した記述はない。多くの人は因幡の白うさぎをモチーフにした銅像や拝殿や本殿にただ向かってる。それは数年前の自分の姿なんだろう。

みだりに心を動かさずに、お賽銭を入れて、4回柏手を打って、帰ることにしてる。だって恐れ多いし、正直怖いから。願い事を訊いて暮れうような生易しい神の息吹を感じたことはない。出雲大社と言う重しが抑えてるモノって人知をはるかに超えたモノだから、畏怖の念を感じる場所であって、願い事が叶う場所じゃないような、そんな気がしないでもない。でも今年に限っては、なんだか大目に見てもらって素敵な縁を結んで欲しいと思ってるけど・・・・・・。

でも、出雲でも太鼓谷でも、神の不在は感じていた。いるのにいない。あの感触だ。化七人三の身の上だから、半分死人にゃあ感じないもんなんだろうか。

まあ、昨日祭りは国体のバックアップも兼ねているから、皇室や鎮魂祭を行う各神社の日取りとは若干ずれてる。それゆえのバックアップだ。なんとか持ちこたえてくれると嬉しいな。

日本のどこかにおいらを待ってる人がいる、んだろうから・・・・・。



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