ばたばた日記2

平凡な毎日なのになぜか忙しい。
なんのことはない日々の美味しい&可愛いを
写真日記でのこしています。

ブログを始めた理由

2024-03-06 15:39:42 | 日記

gooブログが20周年だそうですね。
おめでとうございます。
 
今、こうやって日々の買い物やご飯、ランチ、
おやつなどを写真とともに書いていますが 
最初はヤフージオシティーズのHPでした。
gooブログでは12年目に入ったところです。
 
最初にHPを始めたのが20年くらい前かな?
なぜ、始めようと思ったのか・・・
仲良しの同級生Tちゃんが36歳の若さで
突然死したんです。
 
※近しい方を突然死等で亡くされた方には
 辛い文章もあるかと思うのでスルーして
 くださいね。
 
 
12月の27日か28日、虚血性心疾患。
独身1人暮らしの孤独死。
警察の検死もあったそうですが 病死でした。
はっきりした死亡時刻は分りませんが推定で
発見時に半日は経っているかと。
夜、お風呂に入っていて発症したようで。
トイレで吐いた形跡や、救急車か家族に連絡し
ようとしたのか固定電話の線が抜けていたそう。
痛みでじっとしていられず引っ張ったのか・・
そのまま倒れてしまったのか・・・。
 
24日か25日のクリスマスには近くに住むお姉
さん一家や 島のお父さんも呼んで クリスマス
の食事会をしたらしいです。
その後お父さんが「電話に出ない」と 近くに
住む姉に連絡して 姉が自宅を訪ねたら彼女が
亡くなっていて。
 
私に連絡があったのは 同じ島の同級生からで
 
 
友「もにちゃん・・Tちゃんが死んだみたい」
 
 
悪い冗談は止めて!と思いましたが人の生死を
冗談にするような子ではないので・・・
 
友「島の人たちが「お父さんが「Tが死んだ」と
  船に乗って出かけた」って言ってる」
 
 
友達の実家からの情報でした。
ネットよりも早い島の口コミ。
 
それでも信じられなくて 一旦電話を切り
Tちゃんの家に電話をしました。
 
呼び出し音の後、Tちゃんの声がしました。
T?「もしもし〇〇です」
もに「・・ああぁ~Tちゃん!良かった~!」
T?「え~と・・・どちら様ですか?」
(嫌な予感)
 
もに「もにもに やけど・・・」
T?「あぁ もにもにちゃん・・M(お姉さん)
   ですけど Tと何か約束してたん?」
もに「いえ、そういう訳では・・Tちゃんは・・」
姉「・・・T・・・死んでしもたんよ」
 
 
Tちゃんは末っ子で、電話に出たのは10歳くら
い上の長女さんでした。
声がそっくり。
7つ上に私の姉と同級生の兄もいました。
よく遊びに行っていたので お姉さんも私の事は
知ってくれていました。
 
長女が小さい頃はひなまつりに我が家に集まり
一眼レフで写真を撮ってくれていました。
島の実家同士も近かったので 小さい頃から
よく遊んでいました。
私が4月、彼女が3月生まれなので 私とは
ほぼ1年違う妹のようでした。
母が「Tちゃんが生まれた時に家にお祝いに
行ったら あんたが歩きながら「ネンネ(赤
ちゃん)ネンネ」って。Tちゃんのお母さんと
「もにちゃんと同級生なんよ~」って笑ったわ」
と言っていました。
そんなTちゃんが 私より先に逝くなんて!
 
 
絶句する私にお姉さんがお通夜、葬儀の予定、
〇日の〇時頃までは 自宅にいるからねと
教えてくれました。
 
 
電話を切って 最初の友達に電話。
2人で泣きながら Tちゃんの家に行く予定を
立てました。
島の同級生もう一人も呼んで3人で自宅を訪問。
 
もう冬休みと仕事納めだったので Tさんに
送ってもらいました。
動揺し過ぎて運転できる状態じゃ無かったです。
 
 
彼女の家には お父さん、お姉さん、お兄さん、
私もよく知っている島の叔母さんが来ていました。
 
Tちゃんは まだ布団に寝かされていました。
ただ寝ているだけのようなTちゃん。
 
でも、倒れた時に付いたのか 顎の辺りに痣が
ありました。
「痛かったね・・・寒かったね」
と、撫でたTちゃんの頬が これまでに触った
ことのない冷たさで 
ああ、もう彼女は違う世界に行ってしまったんだ
と実感しました。
 
帰宅後、同級生や元担任だった先生に連絡して
後日、葬儀に参列しました。
こういう時、仕切りを頼まれるのは大体、私。
同級生一同でのお花は 最初の友達に頼んで
出しました。
 
当日に寄せ書きした色紙も棺に入れてもらい。
お葬式はみんな、涙、涙でした。
父の葬儀より泣きました。
 
 
彼女の家に行った時も葬儀の時も、お姉さんは
もちろんですが 高齢のお父さんの落胆振りが
激しくてね。
お母さんも13年前くらいに亡くなりましたし。
気難しいお父さんでしたが Tちゃんをとても
可愛がっていて 私達にもよくしてくれました。
そのお父さんが 葬儀の挨拶で
(Tちゃんは独身だったから)
「Tの嫁入りだと思って 華やかに送り出したい」
と言ったのが印象的でした。
 
お姉さんもお父さんも、まさかクリスマスに楽しく
会食したTちゃんが 数日後に突然死するなんて
思ってもいなかったでしょう。
もし事前に何か不調を訴えていたら きっと病院を
勧めたでしょうしね。
調子が悪かったけど言わなかっただけなの?
本当にその日突然に起きたことなの?
もっと早く見つけていたら助かったの?
 
遺された者にとっては 後悔ばかりでしょう。
 
Tちゃんの死を通じて 自分に置き換えた時に
私に突然 何かがあったら まだ実家で元気
だった母や姉たちも こんな風に落ち込むの
だろうかと。
当時中2、小3だった娘たちも。
 
 
だったら 日記を書いて 今日は〇〇して楽し
かったとか 娘たちと遊びに行ったとか おい
しい物を食べたとか 日々の暮らし振りを書き
残しておけば 万が一の時も家族が読んだ時に
「ああ もにもには 最後まで幸せに暮らして
 いたんだな」
と、悲しみの中でも少し安心して貰えるのかな
と思って 何かの形で残そうと。
 
それで当時、流行っていたHPを作って 半分
趣味みたいな写真と一緒に 日々の日記を残す
ようになったんです。
 
ジオシティーズでHPを数年、ジオが無くなり
他のブログで数年、その後gooブログです。
 
 
もう 安心させる母も亡くなりましたが 今は
ブログが趣味みたいになってるし 離れて暮らす
娘たちへの 日々の遺言みたいなもんですね(笑)
 
病気だけじゃなく、震災のような災害や事故で
いつ死ぬかも知れませんしね。
これからも続けられるだけ続けようと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。
 
 
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ところで このTちゃんの葬儀の時に ここでも
何度か紹介した小学校3~5年までの3年間を
担任してくれたW先生も来てくれて。
 
新採だった先生と私達は14歳しか離れていない
ちょっと年上の兄みたいな先生でした。
葬儀当時私達は37歳、先生は51歳。
先生と、同級生男女8人くらいで葬儀会館から
近いファミレスに集まると まるで同窓会。
 
先生に会うのも成人式以来だったので みんな
懐かしい話に花が咲いて 大笑い。
 
でも、その時に思ったんですよね。
「さっき、Tちゃんの葬儀で ワンワン泣いた
 のに、こんな風に笑える私達って薄情なの?」
 
なんなんでしょうね 人の心って本当に不思議。
仲が良かった友達を亡くして 悲しいのは本当
だけど 懐かしい先生や久しぶりの友達に会って
楽しいのも本当。
こんな時でも笑えるんだな・・・と思いました。
 
 
この時に W先生が「ちょっと体壊して手術
しとったんや」と話していたので
「元気でいてくださいよ。先生の定年の時には
 また同窓会しましょう」と言って別れたのに
先生は定年の2年前くらいに この時の病気で
亡くなってしまいました。
葬儀には行けなかったので 数年前に有志6人で
仏壇参りにご自宅を訪問しました。
 
Tちゃんにも有志で【漂流郵便局】当てに葉書を
書きました。
「Tちゃん、何してる?お母さんと会えたかな?」
みたいな感じで それそれが1枚ずつ書きました。
今も 漂流郵便局のどこかにあると思います。
 
今年度は私達、還暦の年でした。
還暦同窓会しょうねと言っていましたが まだ
やっていません。
亡くなったTちゃんの誕生日が3月中旬なので 
Tちゃんが生きていて還暦を迎えた後に・・
来年度になるけど還暦同窓会しようかなと♪
 
多分、仕切るのは私でしょうし(笑)
元々少ない人数なのに 連絡しても 結局集
まるのは決まったメンバー(女子だけ)。
中には「もう連絡要らないです」と言う子も。
なんだか寂しいけど 人それぞれですね。
もう60年も生きたんだから これからは
好きな事をして気楽に、気楽に♪
コメント (12)
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