『永遠平和のために』
私(安原)が注目しているのは、日野原重明さん(聖路加国際病院理事長)の生き方である。100歳近い高齢で、なお元気であり、しかも平和を求めて尽力されていることには敬意を表したい。 日野原さんは朝日新聞(08年2月9日付)に「96歳・私の証 あるがまゝ行く 哲学者カントの平和論」というタイトルの一文を寄せている。その要旨を以下に紹介する。
ドイツの哲学者カント(1724~1804)の論文『永遠平和のために』(綜合社)の新訳本を読んでみました。いかなる国も、よその国の体制や政治に武力でもって干渉してはならない。内部紛争がまだ決着していないのに、よそから干渉するのは、国家の権利を侵害している―。山坂多い人の世と「平和論」 (02/ 15)
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(安原)文明を見直す一つの視点として日本文化を据えてみてはどうか。そのシンボルとして侘(わ)び茶の創始者、千利休(1522~1591年)の精神に返って、真のゆたかさとは何かを考え直してみるのはどうか。利休が目指した侘び茶の理想的境地を風流、簡素、静寂、清浄、高雅、自然、美などのキーワードで表現することに異論はあるまい。いずれも今日の文明的暮らしから久しく遠ざかっているイメージであり、境地である。 岡倉天心は『茶の本』で「(人は)高雅なものではなくて、高価なものを欲し、美しいものではなくて、流行品を欲する」と指摘している。明治の末期にすでに今日的状況をみごとに言い当てているその先見性には教えられるところが多い。
キーワードとしてあげた利休の精神を今日生かすとは具体的に何を指しているのか。 まず「利休」という号には利益に走ることを止めるという意味が込められている。企業の利益第一主義と環境破壊とが裏腹の関係にあるとすれば、企業は環境保全型を目指す以上、なによりも利益第一主義への反省が先決である。 それ以上に消費者一人ひとりのライフスタイルの転換こそ重視したい。なぜなら消費者の意識改革のないところに企業行動の変革もあまり期待できないからである。過剰消費がもはや許容されないとすれば、わたしたち一人ひとりが今様利休の気分になって暮らしてみるのも風流というものではないか。 利休の簡素の精神を生かす時 (02/ 09)★ 安原和雄の仏教経済塾