Around40☆アル症モモコ♪

Around40☆のアル症本人(女)

結婚14年のダンナ(単身赴任中)がいます

近況報告②☆です

2008-12-11 00:56:14 | Weblog
今日は小春日和の暖かい陽気でした



1週間ほど報告が遅れましたが、『★断酒継続4年達成★』しました

いろいろありましたけど、やはり断酒をして良かったし、これからも続けて生きたいです



以前、不妊症治療をしていた、ということをこのブログにも書いたことがありますが、また治療をしてみることになりました。

というのも、ダンナが「出来ることなら、どうしても、子供が欲しい」と言ってきて、この数ヶ月話し合いを重ねてきました。

本格的治療は6年ぶりで3度目なので、可能性は、リスクはだと思うのですが


そして私自身、血圧が高めで、少々腎機能に問題があり、ハイリスク妊娠は間違いないので、まずは不妊治療をして貰えるかなのですが・・・

今日は、内科のほうへ行ってきたのですが、主治医の先生は出来る限りのサポートをしてくださるとのことで、それはホットしたのですけど、金曜日に不妊症外来に行ってきます。


ただ、私自身の思いとしては、前回までは『ベビーが授かること』がゴールというか、目標でした。

でも今は、(仮に妊娠できたとして)私の体がなんとかもって、無事にお腹の中で子供が育ってくれるのか、ちゃんと出産できるのか、育てていけるのか等々、不安のほうが大きいです。

まぁ、先々のことを心配しても仕方ないですけど・・・


一方で、子供のいない人生をもっとちゃんと考えなきゃいけないなって思ってます。


とにかく、今回のことで分かったことは、ダンナは子供が欲しいということで、女の子を切望しているようです

私の父の死や、弟のところの2人目誕生も、きっかけになったようです。


ダンナは仕事第一な人でしたが、やはり自身の人生についてそれなりに深く考えたようで、それはそれでいいことだと私は思います



まとまりがないですけど、一応、近況です。


「父との別れ」が放置状態ですけど、忘れてはいません(笑)



みなさんも、師走でいろいろとバタバタするかもですが、疲れを溜めたり風邪をひいたりしないようにお過ごしくださいね


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近況報告☆です

2008-12-01 17:51:57 | Weblog
早いもので今日から師走ですね☆


暇そうなんですけど、実はバタバタしてます。

なかなか更新できずにすみませんm(__)m


でも、とっても元気です♪


皆さんも、風邪をひいたり疲れを溜めないように、元気に過ごしてチヨ!!!!!
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ご報告☆

2008-11-20 20:35:04 | Weblog
昨日、弟夫妻に第二子が誕生しました♪


甥っ子は元気なのですが、義妹が少し体調が思わしくないのでまだ心配なのですが、仏前の父に報告ができたことを嬉しく思います☆

あと一週間もすれば実家も落ち着きますので、そしたらまた更新しますね♪


全国的に冬モード、皆さん体調に気をつけてお過ごしくださいね(ё。☆)・・☆
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近況報告☆

2008-11-18 16:47:54 | Weblog
いつもブログを見にきてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。
そして連載の続きが書けなくて、すみません<m(__)m>


親友の悩みとかを聞いてたりもあって、頭の中がゴチャゴチャになったら困るので、こちらのほうをお休みしてました。



また、他の掲示板でも書いたのですが、実家のほうが先々週末からバタバタしてまして・・・・・・

実家の弟夫婦に、明日新しい家族が誕生する予定なのですが、母子共にあまり良い状態ではなく、母がいろんな面でサポートしてるので、弟の子供(私の甥っ子)の世話をしに行ったり、預かったりなので、今月いっぱいは私もその件で忙しく過ごします。


明日産まれてくる予定の新しい家族・男の子の赤ちゃんは、病床の父が本当に誕生を心待ちにしていて、死んでいく時に何が無念だったかと言えばこのことだろうと思います。

父の生まれ変わりとは思いませんが(弟もそう言ってます)、家族として新しい命の誕生を、また無事に産まれてくれること、義妹の体のことなどをいろいろ考えています。


そんな訳ですので、モモコ♪のことは大丈夫です♪


そしてダンナとは、これでもかなり面白くていい関係です♪♪♪
『家族としても愛情』は、まだあります(笑)
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全然、番外編

2008-10-30 15:02:33 | Weblog
拙い手記「父との別れ」を待っている皆さま、更新が遅くなっていてすみません。


今年、私にとってのまた別の別れのことを書いてみようと思います。

他サイトなどで少数の方はご存知かもですが、
ウチのダンナは、7月末から関西方面で、転勤『単身赴任』をしています。

私の父の闘病・死亡のために、かなり無理をして転勤の時期を遅らせてしまったのですが・・・・・・


本人が希望してのことなので、私としてはな~んにも思ってません。


気が付けば別居生活も3ヶ月になりますけど、私は私で元気にやってますし、しいて言えば「そろそろ、なんか仕事をしなくっちゃ」と思うくらい


ダンナにはこっちのことは気にせずに、身体を壊さないようにして思う存分仕事に邁進してほしいし、自身の単身ライフを充実させてほしいなって、心より願ってます


もともとダンナは地方出身者で、学生~結婚までを一人暮らししてた経験もあるし、赴任前の通勤1時間半よりも現在の通勤30分弱のほうがよっぽども身体も楽だし、いいんじゃないの~みんな羨ましいって言ってるし(笑)
そう思ってたのですけど・・・・・・



それが最近になって弱気と言うか寂しがりと言うか、毎晩のように泣きの電話やメールがくるようになってしまい、私も超疲れると言うかイライラしています


続きはまた(笑)
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父との別れ ⑥

2008-10-13 08:07:29 | Weblog
亡父が自分の死を境に、私達家族が自助Gやアル症との関係に終止符を打って、普通に生活してほしい旨を遺書に残しました。


その中で私個人宛の手紙の中には、(断酒を継続していても)断酒をしていることに囚われずに生きていけ!」とありました。
(でもそんな急に・・・・・・幼少期からの呪縛・束縛から走り去って行くなんて出来ないよぉ(T_T))



暑い最中に入って、亡父の部屋のと遺品整理は主に母と私がやったのですが、父の遺書通りに『自助Gに関するモノ達』は、欲しい人に譲って他は処分、母が選んだほんのわずかなモノだけが残りました。

なんにつけ、故人が愛用していたモノの触れると、生前の様子が想い出されてその想い出を語り合ったりして、自然と涙が溢れ出てくるものでした。
特に母は「お父さんって、ああだったよね。こうだったよね。」の連発で(笑)
土日などは、弟やお嫁さん、私のダンナも手伝ったりしてくれたのですが、この3人には亡父のアル症へのプロセスなど全く見たことがないので、聞いては驚くことばかりで、母と私は出来る範囲で聞かせてあげました。涙あり笑いあり時には怒りも入ってみたいな(笑)

結果的には、父の死を経験し、またいちだんと『家族』になったなぁ☆と私は思いました。


やはり母は長年父を支えてきただあって、ひと月ほどは悲しみでいっぱいになり、やっと空元気を出すみたいな様子で、それに影響されて私もそうなってたかなって思います。



私の中では、普通に『親を失った悲しみ』と『アル家庭の子として生きてきた、束縛というか、なんにつけ気持ちを抑えてしまう気質みたいのから開放された(アダルトチルドレンって言うのかな?!・笑)』という二つのことで、心のバランスがちょっと崩れかけました・・・
(このことに関しては次回に詳しく書きます)



そして亡父の部屋は9月中に簡単なリフォームを終え、普通の部屋(自助Gの賞状とか写真のない)へと変わりました。

(8月いっぱい私は日に何度も実家へ足を運んでいましたが、9月からは少し減らしてます)

                           続く

 ※ あと少しで終わらせます(キッパリ!)
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父との別れ ⑤

2008-10-12 14:51:09 | Weblog
葬儀を滞りなく終え、行政上や諸々の手続きと平行して、亡父が所望していた『お別れの会』の準備を主に弟と進めていきました。


ひとつ目の一般の方との会は、「基本的には亡父がアル症ということは伏せた感じ」で、父の作った招待リストに、母・弟・私の友人知人を加え、親族の出席できる者とで、隣の街のホテルで執り行ないました。
まぁ、分かる人には分かっちゃたけど(笑)

大まかなプランは亡父が作っていたので、過剰な演出はなしで、弟の仕切りで、父の人生をサラッと、逝去の報告と生前に賜ったお礼を述べるだけで、あとは歓談のようなスタイルを取りました。
司会進行はすべてプロの方にお願いし、父が残した最後のアル症病院退院直前に作った詩をカードにして、皆さんに配りました。

亡父がその決意の詩の通りに断酒を続け生抜いたことを、私は誇りに思いました!

私達遺族も満足した、お別れの会になりました。

弟の許可を得ていないので、今は詩と画像アップが今は出来なくてゴメンナサイm(__)m



ふたつ目の自助Gで大変お世話になった方々との会は、父の準備した招待リストの方々25名の方をお招きして、母・弟・私とで、食事会のような形を取りました。

そこは母の仕切り(?!)で、思い出話をしながら亡父を偲んだ時間を送りました。
母は号泣でしたが、弟と私も少し泣きました。


その二つの亡父を送る会を無事終え、四十九日法要と納骨までの期間、母と私は(特に)自助Gの方々の訪問を受けて、凄く大変だったのですが、そこの細かいところは割愛(笑)


四十九日法要と納骨を無事に済ませ、遺品整理をしながら、深く大きな悲しみのゾーンへと突入していきました。

                         続く
 
 ※サクッと短く纏まらず、本当にゴメンナサイm(__)m
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父との別れ ④

2008-10-11 08:03:57 | Weblog
父が残した遺書なんですが、作ったのは3月下旬で少し補足(主に葬儀のこと)が4月上旬でした。(手紙とCDロム)
残された家族がおろおろしないように、細かく指示がありました。

その時、まず、私達がしなければいけないのは、葬儀を出すことでした。

病院のほうから遺体の搬送のことで尋ねられ、こちらで手配する旨を申し出て弟が父の遺言に記してあった葬儀会社に電話を入れました。

その葬儀会社は弟の同級生の家がやっているのですが、数少ない父のアル症ではない方の知合いでした。
(20年以上も前、弟が少年野球チームにいた頃・父もパパコーチとして関わりがあった)

葬儀会社に連絡をして、時間通りに搬送車を病院に向けてくれることになり、私達は父の退院支度が出来るのを待ちました。

霊安室へと案内されてそちらへ向かうと、すぐに父は看護師さんに連れられ、死亡診断書と共に霊安室へ来ました。

死因 『胆管細胞癌』

家族、先生と看護師さんで焼香をし少し話していると、葬儀会社の人が来て父と私達は病院を後にし、自宅へ戻りました。

これから、父の生前に作ったプランに沿って、父を送るべく行動開始になりました。

父の遺言では、通夜・葬儀・荼毘と法事(四十九日法要)は、親族と自助G以外の友人知人ご近所の人達だけで、そして「お別れの会」を遺族である私達に催してほしい旨がありました。
それは今後も私達遺族がお世話になるであろう、周囲の人達への感謝とお願いの会、そして長年お世話になった自助Gの方々へのお礼の会の2つでした。
招待リストみたいのもありました。

父がお別れの場をそういうふうに、自助Gの人とそうでない人にわけてしまったのは、たぶん父の死をきっかけに私達にもっと自由に楽になってほしいみたいな気持ちだったと思います。
遺言にも確かに違う形の言葉でありましたし。

私のアル症をきっかけにして、父も自分の断酒を続けてきた人生、アル意味ワンマンな人生を一度振り返ったようでした。


父を和室の布団に寝かせ、葬儀会社さんとの打ち合わせ(もうすでに出来てるので、あとは会場だの火葬場の予約だの)を済ませ、親戚や周囲の人への連絡などしながら、お寺の住職さんがみえて、親戚が来て、近所の人が来てと時間はあっという間に過ぎていきました。
まだ悲しみは訪れず、各自自分の任務を遂行みたいな(笑)

死亡当日は自宅で父と私達は過ごし、翌日には父が生前葬儀会社を通して連絡を取ってあった、お寺の斎場へと場所を移し、通夜、葬儀、そして火葬をおえ、遺骨となって実家へ父は戻りました。

葬儀のお経の時に少し涙を潤ませた私ですが、父の「お別れの会」にはもう少し間がありました。

                     続く


 ※  文章力ないんで、ダラダラ長くなってすみません<m(__)m>  
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父との別れ ③

2008-10-09 17:18:36 | Weblog
5月下旬に入り、父は言葉や症状しぐさで、痛み・不快のみしか訴えなくなりました。
ただ「死への恐怖」みたいなものは、私達家族は感じ取ることが出来ませんでした。
それは・・・(・_・")? やはり、本人も家族も「もうすぐそこに来ている死」を、自然と受け入れ始めていたのだと思います。
その時、具体的にどんな思いだったのか、説明は難しいですし、時間が経過してしまったのでm(_ _)m

5月も残すところ数日となった頃、幻覚・幻聴が現れたようです。
どこにそんな力があるのか?!と思うほどの力で、点滴管を引っ張ったり、看護に当たる人の手を除けたり、ベッドから降りようとしたり、無意識の行動が現れるようになりました。

担当の先生から、鎮静剤を点滴で落とす旨説明を受けました。
病室も集中治療室に変わり、私達の付き添いも制限され、いよいよ、終末期(ターミナルケア)に入りました。
(緩和ケア病棟ではないので)


鎮静剤を始めてからはいつも目を閉じていましたし、声かけや手を握って一瞬目を開けることもありましたが、視点はこっちをちゃんと見てなかったように思います。

たまたま私が面会に行った時に、
「看護師さん、おふくろ(父の母・すでに他界)が今こっちに向かってますから。」
と、急に大きな声を出しました。
私は、どうしたの? そんなわけないよ。 と言ったのですが・・・

その翌々日・6月入ってすぐに、昏睡状態に入りました。

面会時間よりも少し前に病院からその旨電話連絡があり、すぐに家族で駆けつけました。
もう肩で息をしているというか、呼吸が早く荒くなっていました。
一人ずつ1時間交代でベッドサイドに居ることを許可して貰って、順番に見守ることにしました。
夜9時までそうして過ごしたのですが、帰り間際に弟が
「お父さん、みんなそばに居るの分かる?」と耳元で行った時に、
『ああ、分かってる。』
それが最後の言葉になりました。

一旦、実家に戻り眠れぬ夜を過ごしていたのですが、日が変わって午前3時過ぎに再度病院から連絡があり病院へ行ったところ、家族が看取れるようにスペースを確保しておいてくれました。

着いたばかりの時は、まだ呼吸は荒く苦しそうだったのが(足は凄く浮腫んでました)、しばらくすると呼吸が小さくなっていくのがわかりました。
父と心電図モニターを交互に見ていましたが、モニターの波形が変わりました。

午前5時25分、先生・看護師さん・家族に看取られながら、最後は頑張って呼吸をしようとしてすぐに息をひきとりました。

とても穏やかな満足しきった死顔で、私達もホッとしました。

退院の準備を病院のほうでして貰ってる間に、私物をまとめたのですが、家族宛の遺書を床頭台の引き出しに見つけ、弟と私で病院の外へ出て読みました。

まずは、自分の葬儀のことについてきちんと要望があり、すぐさま母にそれを伝え、本人の望むようにしてあげようということが即決まりました。


                        続く 
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父との別れ ②

2008-10-08 01:27:51 | Weblog
5月に入ってから父は、日に日に目に見えるように衰弱していきました。
誰かが気をつけないと、水分さえも摂れなくなり、うとうと眠り目を覚ますと短い会話をする、そしてトイレに行くということを、ただ繰り返すだけの日常でした。

薬の副作用で、酷い便秘になり、食事はひと口ふた口程度しか受付けない状況でした。

末期癌の闘病者にしては、わがままを言わずに、目が覚めると会話をしたいようなのですが、途中で話が続かなくなることを酷く気にしているようでした。
会話を通して、病気に対する闘志こそ主張しなくなりましたが、まだまだ生きたいという気持ちは見て聞いてとれました。

5月も半ばが過ぎた頃、弟のところ(父からみて長男)に2人目の子供が授かったことがわかり、父にとっては2人目の孫になるのですが、とても喜んで再び「まだ死ぬわけにはいかない! もう一人の孫に会うまではしっかり生きたいんだ!」と、声に出しては何度も言うものの、病状の悪化が著しく補液による栄養(IVH)が必要になりました。

いよいよ終末期に近づいていったのです。
担当医の先生から、もういつまでもつかわからないので、その心積もりをしたくださいと、家族に話がありました。
そして私達家族は、希望を諦めて看護にあたるようになりました。


生活は排泄も着替えもすべてベッド上ですることになり、少しずつ気力の低下が見れるようになりました。

この時期からは、いかに楽に安らかに逝くことを願うのですが、なんとも言葉に出来ない辛さが生じて、私は病院に行く足が重くなりました。
それって、子供の頃に父がアル症病院に入院していた時の面会へ向かう気持ちとなんとなく似てたんです。
治らないのは仕方ない・諦めみたいな複雑な気分・・・
家族の病気って本当に辛いんですね(笑)

                         続く



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