朝晩めっきり涼しくなってきましたね。
お昼も過ごしやすくなってくれるとありがたいのですが・・・。
そういえば今日は十五夜。
素敵な満月が見られるといいな。
さて昨日の「中陰の花」の話の続きなのですが・・・。(続きがあったのか。(^_^;))
そもそも「中陰」とは何か、なのですが
則道さんのことばを借りていうならば
「この世とあの世の中間」だそうです。
人は死んだらどうなるのか、これは誰しもがもつ疑問ですよね。
則道さんの妻の圭子も夫に尋ねます。
「知らん。死んだことない。」とは則道さんの返事。
そういえば、私もよく子どもたちから聞かれたら
答えるわー、「まだ死んだことがないからわからない。」って。(^_^;)
亡くなった祖母ともよく話してましたね。
「死んでもどってきた人はおらん。」って。
臨死体験をした人なんかはたまに本とかTVとかで見ますが。
ちょっと話がそれましたが、そうではなく仏教ではどう言ってるのか、と圭子はくらいつきます。
「仏教では、基本的には質量不滅の法則で考えてるんだ」
「たとえばコップの水が蒸発する。そうすると水蒸気はしばらくはこのへんにあるやろ」
「それが中有とか中陰と呼ばれる状態」
「つまり、この世とあの世の中間ってこと」
「それから水蒸気はどんどん広がる。窓から出てって空いっぱいに広がっていく。
これは実に自然な現象だろ。それをインドの日とはシューニャと呼んだ」
広がったあとは
「あまねくゆきわたる。コップの中の水は、コップからはなくなったけど、
この地球上から無くなってはいないわけだ」
それから
「こっぱ微塵って言うだろ。あれは微塵という大きさになって広がるっていうことなんだけど、
それがさらに七つに分かれて極微と呼ばれるものになる」
それから
「今のところそれはいろんな説があるけど、もうそれ以上は物質じゃない、エネルギーだっていうのが
説得力あるね。そして『空』というものを一種のエネルギーとして捉える」
そこで圭子が納得します。
「そしたら、そのエネルギーまで戻っちゃうってことが、成仏したってことになるわけやね」
「もう一度使える形になるってことね」と。
この夫婦の会話がなんとなく禅問答のようなものを思い起こさせます。
「人が死ぬと純粋な光になる、という考え方がチベット仏教にあるんだ」
「仏教での極楽浄土ってのは十万億土のかなたにあるって云うんだけどね、
その距離を計算した人がいるんだ。それでその距離を四十九日かかって行きつく場合、
どのくらいのスピードで行けばつけるのか、ってね」
「どのくらいのスピードだったと思う?」
「秒速三十万キロ」
「つまり光や電気と同じ速さ。一秒間に地球を七廻り半だよ」
・・・長くなりそうなので、今日はこのへんで。
続きはまた余力のあるときに。
お昼も過ごしやすくなってくれるとありがたいのですが・・・。
そういえば今日は十五夜。
素敵な満月が見られるといいな。
さて昨日の「中陰の花」の話の続きなのですが・・・。(続きがあったのか。(^_^;))
そもそも「中陰」とは何か、なのですが
則道さんのことばを借りていうならば
「この世とあの世の中間」だそうです。
人は死んだらどうなるのか、これは誰しもがもつ疑問ですよね。
則道さんの妻の圭子も夫に尋ねます。
「知らん。死んだことない。」とは則道さんの返事。
そういえば、私もよく子どもたちから聞かれたら
答えるわー、「まだ死んだことがないからわからない。」って。(^_^;)
亡くなった祖母ともよく話してましたね。
「死んでもどってきた人はおらん。」って。
臨死体験をした人なんかはたまに本とかTVとかで見ますが。
ちょっと話がそれましたが、そうではなく仏教ではどう言ってるのか、と圭子はくらいつきます。
「仏教では、基本的には質量不滅の法則で考えてるんだ」
「たとえばコップの水が蒸発する。そうすると水蒸気はしばらくはこのへんにあるやろ」
「それが中有とか中陰と呼ばれる状態」
「つまり、この世とあの世の中間ってこと」
「それから水蒸気はどんどん広がる。窓から出てって空いっぱいに広がっていく。
これは実に自然な現象だろ。それをインドの日とはシューニャと呼んだ」
広がったあとは
「あまねくゆきわたる。コップの中の水は、コップからはなくなったけど、
この地球上から無くなってはいないわけだ」
それから
「こっぱ微塵って言うだろ。あれは微塵という大きさになって広がるっていうことなんだけど、
それがさらに七つに分かれて極微と呼ばれるものになる」
それから
「今のところそれはいろんな説があるけど、もうそれ以上は物質じゃない、エネルギーだっていうのが
説得力あるね。そして『空』というものを一種のエネルギーとして捉える」
そこで圭子が納得します。
「そしたら、そのエネルギーまで戻っちゃうってことが、成仏したってことになるわけやね」
「もう一度使える形になるってことね」と。
この夫婦の会話がなんとなく禅問答のようなものを思い起こさせます。
「人が死ぬと純粋な光になる、という考え方がチベット仏教にあるんだ」
「仏教での極楽浄土ってのは十万億土のかなたにあるって云うんだけどね、
その距離を計算した人がいるんだ。それでその距離を四十九日かかって行きつく場合、
どのくらいのスピードで行けばつけるのか、ってね」
「どのくらいのスピードだったと思う?」
「秒速三十万キロ」
「つまり光や電気と同じ速さ。一秒間に地球を七廻り半だよ」
・・・長くなりそうなので、今日はこのへんで。
続きはまた余力のあるときに。