縁あって瀬戸内寂聴さんの「寂聴 観音経 愛とは」を購入しました。
(いや、単にサイン本がほしかっただけなんですが。(^_^;))
寂聴さんの作品はオトナなイメージの小説が多く、
それほど読まないのですが実在した人物のお話なんかは好きでした。
けれども今回のような仏教・お経のお話は初めてです。
しかもこれがすごくわかりやすくておもしろかったです。
ふつうの恋愛小説よりも断然よかったです。
観音経の本文・訳・解説からなるのですが
寂聴さんが語りかけているような感じで
それはそれはすごくわかりやすい説明になってます。
体験談なども書かれてあるので
まさしく法話を聞いているような感じなのです。
(いや、そもそも法話なんて聞いたことないし。)
観音経では観音さまが主人公。
とにかく信じること。観音さまを信じれば救われる。
簡単に書くとこうなっちゃうんですが。
仏教やらお経など宗教の世界観はすごく好きですね。
楽しくて。
単純に人の思想とかを知ることが好きなだけなんですね、信仰とは別物で。
池澤夏樹さんは「信仰は魂の問題で、宗教は知識の問題だ」とおっしゃっていたのですが
なるほど、って思いました。
宗教=信仰のイメージが強いので
なんとなく敬遠しがちでしたが、
学問だと思うと違いますね。
道徳や倫理学・哲学のようなものだと思うと知識欲がわいてきます。
修行すればするほど自分を磨くことができる、
努力は報われる――、
たとえ報われるのがあの世に行ってからのお話だとしても
がんばりを認めてもらえるのはうれしいものですよね。
この観音経のお話、サブタイトルが「愛とは」になっているので
愛についていろいろと考えてみました。
で、ふと思いついたのですが(BGMは「デジタルスープ」by ユニコーン)
愛も大切ですが、さらに一歩深めてより大切なものというと
それは「慈しみ」の心ではないのでしょうか。
愛というとたしかにすばらしく美しいと思うのですが、
なんとなく自分が中心になっているようなイメージもあります。
へたすれば自分勝手なわがままなものにすりかわってしまうかもしれない。
けれども「慈」のことばをつけるだけで
なんとやさしく愛情あふれた思いやりのあることばになるのでしょうか。
慈愛―観音さまの愛情とはまさにこの慈愛なのでしょうね。
慈愛というより「慈悲」といったほうがふさわしいかもしれません。
(慈悲の悲という字は悲しみの意味ではなく、愛情の意味なので。)
神の愛、アガペーも思い浮かびますね。
大切なものというのは時間も場所も違っても変わらないのでしょうね。
きっと真理というのはそこかしこに満ちあふれているのでしょう。
それに気づくか気づかないか・・・。
どんな人でもただ一心に観音さまの名前を唱えると願いがかなう、
それが観音経の中に書かれてあります。
観音経もおもしろかったので寂聴さんの般若心経のほうも読んでみたくなりました。
(般若心経が第一弾で観音経のほうが第二弾らしい。)
文庫版ででているようなので機会があったらぜひ読んでみようかと思います。
(いや、単にサイン本がほしかっただけなんですが。(^_^;))
寂聴さんの作品はオトナなイメージの小説が多く、
それほど読まないのですが実在した人物のお話なんかは好きでした。
けれども今回のような仏教・お経のお話は初めてです。
しかもこれがすごくわかりやすくておもしろかったです。
ふつうの恋愛小説よりも断然よかったです。
観音経の本文・訳・解説からなるのですが
寂聴さんが語りかけているような感じで
それはそれはすごくわかりやすい説明になってます。
体験談なども書かれてあるので
まさしく法話を聞いているような感じなのです。
(いや、そもそも法話なんて聞いたことないし。)
観音経では観音さまが主人公。
とにかく信じること。観音さまを信じれば救われる。
簡単に書くとこうなっちゃうんですが。
仏教やらお経など宗教の世界観はすごく好きですね。
楽しくて。
単純に人の思想とかを知ることが好きなだけなんですね、信仰とは別物で。
池澤夏樹さんは「信仰は魂の問題で、宗教は知識の問題だ」とおっしゃっていたのですが
なるほど、って思いました。
宗教=信仰のイメージが強いので
なんとなく敬遠しがちでしたが、
学問だと思うと違いますね。
道徳や倫理学・哲学のようなものだと思うと知識欲がわいてきます。
修行すればするほど自分を磨くことができる、
努力は報われる――、
たとえ報われるのがあの世に行ってからのお話だとしても
がんばりを認めてもらえるのはうれしいものですよね。
この観音経のお話、サブタイトルが「愛とは」になっているので
愛についていろいろと考えてみました。
で、ふと思いついたのですが(BGMは「デジタルスープ」by ユニコーン)
愛も大切ですが、さらに一歩深めてより大切なものというと
それは「慈しみ」の心ではないのでしょうか。
愛というとたしかにすばらしく美しいと思うのですが、
なんとなく自分が中心になっているようなイメージもあります。
へたすれば自分勝手なわがままなものにすりかわってしまうかもしれない。
けれども「慈」のことばをつけるだけで
なんとやさしく愛情あふれた思いやりのあることばになるのでしょうか。
慈愛―観音さまの愛情とはまさにこの慈愛なのでしょうね。
慈愛というより「慈悲」といったほうがふさわしいかもしれません。
(慈悲の悲という字は悲しみの意味ではなく、愛情の意味なので。)
神の愛、アガペーも思い浮かびますね。
大切なものというのは時間も場所も違っても変わらないのでしょうね。
きっと真理というのはそこかしこに満ちあふれているのでしょう。
それに気づくか気づかないか・・・。
どんな人でもただ一心に観音さまの名前を唱えると願いがかなう、
それが観音経の中に書かれてあります。
観音経もおもしろかったので寂聴さんの般若心経のほうも読んでみたくなりました。
(般若心経が第一弾で観音経のほうが第二弾らしい。)
文庫版ででているようなので機会があったらぜひ読んでみようかと思います。