風、強っ!
そして暑い!
快適な5月、ください・・・。
昨日は比較的過ごしやすいのかな、と思っていたのですが
午後からだんだん風が強くなってきましたもんね。
昨日は天気もよかったので
次女に頼まれていたイルカのイルたんを洗いました。
干されてるイルたんの姿を見てなぜかクスクス笑う次女。
イルたんのお友だちのサメのサニくんも洗って、と頼まれてる(なぜ自分で洗わない?)のですが
干す場所がないので一人(一匹?)ずつです。
また天気がいい日に洗うことにします。
イルたんを干した後は病院へ。
昨日は別の病院から助っ人の整体師さんがこられてましたねー。
昨日もしっかりマッサージしてもらったのに
今日の仕事でまた腰がダメダメになってしまうという・・・。
仕事帰りに見つけたブラシノキ。
今年も咲きましたねー。
あざやか。そしてやっぱりブラシみたい。
・・・とあいかわらず前置きが長くなりましたが
画像は最近読んだ本です。
長田弘さんの詩集です。
長田弘さんの本といえばフェリシモの復刊リクエストでみごと復刊が決まったのですが
まだ手元にないのでほかのものを購入しちゃいました。
(今運ばれてる途中なのでもうすぐ手元に届くとは思うのですが。)
先週だったかな。
仕事に行く準備をしている間に
NHKの「あの人に会いたい」が流れていたのですが
長田弘さんの回でした。
仕事の準備していたので流し見だったのですが
ところどころ、気になるフレーズがでてきていたので
思わず詩集を買ってしまったしだいです。
サイトの説明にはこう記されてあります。
*平成27年5月に亡くなった、詩人の長田弘さん。樹や森・うつろう季節など、
日常の何気ない風景から人間の心を解き明かした詩やエッセーを著し、第一線で活躍を続けた。
長田さんは昭和14年福島市生まれ。戦時中は山村に疎開し、森や木々に親しみを感じて育つ。
早稲田大学在学中、安保闘争で社会が大きく揺れる中で詩を書き始め、
昭和40年、詩集「われら新鮮な旅人」でデビュー。世界各地を旅して見聞を広め、
人間の根源的な生き方について思索を深める。
平成23年、東日本大震災がふるさとを襲い、自身も大病を経験した後、詩集「奇跡」を出版。
平和な日常と感じる力の大切さを言葉にし続けた。*
奥さまを亡くされてかなり悲しみにさいなまれたようですが
ひとつの大切なことに気づかれたようです。
それが
「見えないものは感じればいい」
「見えないけれど在る」
ということです。
そう、目に見えるものだけがすべてではないんですよね。
目には見えないけれど在るのです。
このことばを聞いて浮かんできたのが
鬼太郎の歌だという・・・。(遠い目)
6期の鬼太郎のエンディング、氷川きよしさんの歌が流れてきてしかたない。
「こんなにおるよ おばけたち
見えんけれどもおるんだよ
見えんけれどもおるんだよ
君の近くに」
私の感性って・・・。
んで内容に戻りますが、詩集は「奇跡ーミラクルー」というタイトルです。
あとがきで長田さんはこう書いています。
*「奇跡」というのは、めったにない稀有な出来事というのとはちがうと思う。
それは、存在していないものでさえじつはすべて存在しているのだという感じ方をうながすような、
心の働きの端緒、いとぐちとなるもののことだと、わたしには思える。*
奇跡というのは見えない世界とつながるきっかけとなるような心のことだと長田さんは書かれています。
*日々にごくありふれた、むしろささやかな光景のなかに、
わたし(たち)にとっての、取り換えようのない人生の本質はひそんでいる。
それが、物言わぬものらの声が、
わたしにおしえてくれた「奇跡」の定義だ。*
この詩集の中でひときわ私の胸を打ったのが
「小さな神」という表現。
これはいわゆる八百万の神と同じようなものでしょうね。
目に見えない存在。
けれどもたしかに在る、というもの。
「金色の二枚の落ち葉」に描かれています。
「ときどきハイネのことばを思いだす」にも小さな神々という表現があります。
そして小さきものへの慈しみがそこかしこにあふれています。
冒頭の「幼き子は微笑む」、
さらに「猫のボブ」を読むと
小さきものへの敬虔な思いがうかがえます。
*たとえば、小さな微笑みは「奇跡」である。
小さな微笑みが失われれば、世界はあたたかみを失うからだ。
世界というものは、おそらくそのような仕方で、
いつのときも一人一人にとって存在してきたし、存在しているし、
存在してゆくだろうということを考える。*(あとがきより)
冒頭の「幼き子は微笑む」を受けて
ラストを「奇跡ーミラクルー」という、
この詩集のタイトルにもなっている詩が飾っています。
そこかしこに詩人らしいことばが連なっていて
目を通すだけでもワクワクします。
「花の名には秘密がある。
花の名は花の名を教えてくれた人を
けっして忘れさせないのだ。」(「花の名を教えてくれた人」)
「得たものではなく、
失ったものの総量が、
人の人生とよばれるもののたぶん全部なのではないだろうか。」(空色の街を歩く)
「春宵、人の一生は行路ではないと、
長い帰路だったと、ふかく感じる。」(良寛さんと桃の花と夜の粥)
ことばって不思議ですね。
ことばがすべてではないけれど
しっくりくることばに出会うと喜びに満ちます。
外国を訪れた際の詩や東日本大震災の悲しみに打ちひしがれてる詩もあります。
機会がありましたらぜひご一読ください。
長田弘さんの本って装丁もとっても素敵なんですよね。
「ただにここに在るだけで、
じぶんのすべてを、
損なうことなく、
誇ることなく、みずから
みごとに生きられるということの、
なんという、花の木たちの奇跡。
きみはまず風景を慈しめよ。
すべては、それからだ。」(奇跡ーミラクルー)
見えない世界に想いをはせてみましょう。
小さな神さまも奇跡もそこに隠されているから。