新型インフルエンザが流行りだした。予防ワクチンを打っているから新型も罹らないと油断していると流行してしまう。基本は手洗いや、うがいをする。咳やクシャミから逃げる事。マスクで多少なりとも防ぐ事しか方法が無いと思うのだが不安も大きい。流行病とは昔の様に治らない病気ではなく甘い考えで病人が病気と解っていても無理をして社会行動をしてしまう。大人社会では最近は企業の理解度も高く流行度が低いが何故か子供社会では流行度は高い。これは子供がインフルエンザに罹っていても親が罹っていないから仕事を休む事を避け無理して子供を学校に行かせる。そこで流行度を加速的に高めてしまう。社会生活で重要な事は家族での行動と社会の理解が重要である。子供の具合が悪いけど仕事を休む事は金銭的にも信用度もマイナスになるからと家族全体で無理をする。病院に行かせる事も行く事も病状が悪化した段階で渋々連れて行く事が多い様に見られる。言い方が大袈裟かも知れないがプチ虐待が普通だと思ってしまっている親心が有るのではないだろうか?確かに私が幼少の頃インフルエンザかどうかは解らないが冬には風邪と言う流行病が多かったが調子悪ければ体温計や様子を親が見てくれて病院に連れて行かれ注射や薬を貰い一日中寝かされ3日間位つまらない療養生活を強いられて子供心に遊びたい事を制限され家の中でも一人に隔離され親が接触する位の恐怖が病気だった。確かに親が身体をさすってくれて手当をしてくれ、おじやや水で本当に余り身体は辛くないのに嫌な病気生活と毎日医者に連れて行かれた事を思い出す。現在は解らない事が多いがインフルエンザは確かに数年前に罹ったがタミフルを投与中は熱と苦しさと精神的な可笑しい事で隔離もあるが苦しいので医者には行けない。症状が軽い時には子供は毎日医者に行かせて貰えるのだろうか?薬が3日分出したら無くなるまで登院するなと言う意識が医者にも有るのではないだろうか?治療費が勿体ないから敢えて行かせられないと定義して安堵している親が居ないだろうか?社会施設を作れば解決すると考える事試す事も必要だが本来の家族が面倒見る。昔なら母親が仕事している事が少ないので家族が安心出来た。自由と家族の狭間が変化しているが病気の流行と人間は大きく変化しては居ない。病気によっての家族の取り組みと絆を見いだす事が必要ではないでしょうか?大和民族の歴史は米国文化とも欧州文化とも違う泥臭い事を拭う事は出来ないし、しては行けない事だと思います。最近は病人を敵視する考えが先に有り、無理するな!と、敬う心が先になく毛嫌いする傾向にある。病気に罹ったらとにかく医者に行き社会生活から隔離する事が普通だと社会全体が考える事が先々流行らない事に繋がる事を考えて貰い病気に罹った家族が居るなら手当てして面倒見る事が当たり前と考えて仕事を休み子供を大切にしてあげて下さい。大和民族の心が失われない事を願いたいです。