MIKANの日記

ココチイイ話を探していたら、毎日がチョ~ハッピー!

12年

2007-01-16 23:39:17 | DIARY
私の人生での何度かのリセット。
たぶん最大のリセットだっだと思う、ていうか最大であってほしい。

12年前のこの日が人生観も、仕事観も、価値観も変えたような・・
その後の数年、超大爆走してひと通り生き急いで、やっと落ち着いたか?

1995年1.17.AM5:46。阪神淡路大震災

あの日、生き抜けて本当に良かったと思う。
せめて毎年、年初めの17日はあの日の事を思い出す事に。






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6 コメント

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ありがとう。 (KOBEっ子)
2007-01-17 15:08:22
12年前、mikanさんには励まされました(感謝)!!

震災の日、揺れるベビーベッドに眠っていた息子が
12歳です。
早いものです。

また今日からリッセトしてがんばります!!!
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えらいよ! (mikan)
2007-01-17 19:12:53
この12年でアータはプロの母親になったんだもんね~
ワタシは未だにナ~んのプロにもなっとらん

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12年。 (gizmo)
2007-01-18 00:18:51
私はTVなどで流れるニュースを見てた。
身近な人にも実際にその中に居た人はいなかったし。
ほんとにただただ日々のニュースを見守るだけだったなぁ。

今もその中にいる人はたくさんいるのよね。

自然は時に恐ろしい。

でも。時に素晴らしい。

おねーさまに出会えたことに感謝
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はやいね・・ (etty)
2007-01-18 01:21:12
えてぃはそのときの会社の中で
体験者が何人かいました。

直後に地震の爪あと診断に出張に行った人の
レポートも釘付けでした。

毎週大阪に帰っている単身赴任の人もいました。
社誌に記事を書いてもらい(えてぃは編集委員もやってたの)
それを読んで泣きました。

遠回りしたり、つまづいたりいっぱいしてきたけど
無駄だと思ったことはないです。

生きてるっていいねー
出会いも時間をおいて急に発展したりするし
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to gizmo (mikan)
2007-01-18 08:34:39
私も直接の知り合いで命を落とした人がいなかったから、こうやって平然と話ができるのかもしれないよ。

でもあの朝の、滝のように割れて行くガラスの音や、目を開けているのに家の中も外も真っ暗で目が見えなくなったような感覚、家の外に出た後に通りを漂ったガスの匂い、手の平くらいの大きさの灰が雪のように降ってきたこと・・・
 頭に焼きついてます。

自然の力って凄いよ・・・

 P.S.gizmoとmikanの出会いは地震的???
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to etty (mikan)
2007-01-18 08:41:32
瓦礫の下で動けなくなった家族が生きたまま炎に包まれていくのを、どうすることもできずに見ていた遺族の手記はいつくか読みました。
今でも泣けます。

さんまさんじゃないけど
 「生きてるだけでまるもうけ」・・・だな。
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