若人よ過去を振り返るな。

「日々前進是在るのみ」が合言葉の停滞気味ブログ

わたしの平和と戦争論

2009年12月12日 12時43分27秒 | 日常その他
えっと、先日、友人と戦争についてメールを交わしたので、その抜粋を。
いや、抜粋しなくてもいい事なんだけど、なんかさ、戦争と平和って永遠に「正解」のない議論だな、と思って。
決してわたしの意見を押し付けたいわけじゃないんだけど、まあ、こういう考え持ってる人間もいるぞ、っていう。

えっと、メールほぼ原文なんで、読みづらいです。はい。
というか、ただの個人的なメールなので、フリーダムです(笑)
なので、一部誤解を受けてしまう記述があるかも知れませんが、それは個人のメールで交わされた私的なものという事を念頭に置いて、寛容な気持ちで読んでいただければ、と思います。





なんかね、わたしが常々思っている事は、
正しい事を正しいからって盲進しちゃうと、それは新しい暴力に
つながりかねないので恐いな、っていう事。
核放棄ひとつにしても、それは絶対的に正しい事なんだけど、
たとえば「おい、お前、核捨てろよ! おらおら!」ってしちゃうと、
それは新たな火種にもなる。
いそがば回れじゃないけど、正攻法だったり、
あるいは裏から手を回したりってダーティーな手法も時には必要になるかもしれない。

そういう思いがある、という事です。

そのダーティな手法というのは、時には内紛や紛争かも知れない。
わたしは決してそれに賛同したくない。絶対に。
誰かの平和のために誰かが傷付いていいわけが、絶対にない。

多分、人間が武器を持った事が一番いけないんだよね。

一度持ったら、「もしかしたら相手はもっと強力な武器を持っているかもしれない」
そういう疑心暗鬼になって、お互いにエスカレートしてっちゃう。
今の国と国の関係は、まさにそういう事だね。

でも、武器を手放すのって恐いんだよね、きっと。
恐いよ。襲ってくるかもしれない相手に丸腰で立ち向かうのは。
だからどうしても紛争はなくならない。
アメリカから銃はなくならないし、
某国と某国はずっと諍い続けるのかも知れない。
紛争地域にいて自衛している人に、「お前、銃捨てろ」って言えないよ。
「お前死ね」って、言ってるのと同じ意味になってしまう。
それは決して、正しい事じゃないけど。
手を取って連れ出すのが一番正しい事だね。

ちょっと話がそれるのだけど、
職を持てない人は、貧しさからタリバンだとかの武装勢力に
入らざるを得ない現状があるから、
NGOのとある団体が、紛争地域の少年兵士のために、就職できるように、
学校へ通えるように協力してる所があるけど、
先進国は出来ればそういう協力がたくさん出来ればいいと思う。
ただ、非政府団体だからこそ、小回りのきいた支援ができる事もあるだろうけど。

お国になると、表立って一方の国に肩入れすると、
どこかの国が「勝手に何しとんじゃ、われぇ!」と新たな火種を生むから
それはそれで難しくて。


えっと、話がそれました。

みんな、ガンジーがすばらしい人だって分かってるのに、真似出来ない。
でもさ、憧れる事は出来るよね。簡単だ。
憧れとかそういうちっちゃな事から始められたらいい。

だからね、だからこそやっぱり希望は捨ててはいけないとは本当に心底思ってる。
無茶でも無謀でも始めなきゃ何も始まらないんだ。
そうすごく常に思ってる。


だからね、過去の戦争や紛争を正当化しているわけではないよ。決してね。

戦争によってもたらされた分明や技術の発展は、きっと戦争という多面体の一部で、
いや、むしろ網の目みたいに複雑にからみあって
「戦争」というものがあるんだと思う。
一部一部を取り上げて、この部分は正しい事だった、この部分は悪い事だった、
って言ってみても、裏側から見れば、それは正反対の評価になるかも知れない。
(評価、という言葉もちょっと違うけれど)

ノーベルのおいちゃんは、お父ちゃんと協力してダイナマイト作って
がっぽがっぽもうけたのも事実。
そしてそのお金でノーベル賞を提唱たのも事実。
だからノーベルを差して、正しい人か悪人かなんて決めつけられない。

(中略)

少なくとも、「戦争が分明の発展のための必要悪だ」とは思っていません。
卑怯だけど、賛同はせずとも、その側面はあったのかもしれない、
とは思っていますが。
だからね、「皮肉だな」という表現をしたのかも。
今思うと、皮肉という言葉は正しくないね。
でも、そういった現状にはとても複雑な思いがします。



------------------------
というようなメールを友人に送りました。
戦争と平和っていうのは、これという「正解」はないのでしょう。
ないから人は、人を憎み、そして愛するんだと思う。
LOVE & PEACE
大事です。

それから余談になるけど、大好きなミュージカル「RENT」から。

「戦争の反対は平和じゃない。そう、CREATION!」

…本当に、そうだな。
この場合のクリエイションは、「がっつりヤろうぜ」って意味が多分に含まれてますが(笑)

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オバマっち。

2009年12月12日 12時42分51秒 | 日常その他
すでに数日経ってしまいましたが、オバマっちがノーベル平和賞受賞で、演説をしましたね。
その演説の要旨を新聞で読んで、正直…複雑な思いがしました。

なんというか、結果から言うと、私はオバマ大統領と、同意見なんです。
だけど、それって、平和賞の受賞式で言う事か!?
そう感じてしまいました。

オバマ大統領が平和賞を受賞した理由は、「核なき世界」への提言。アメリカ大統領が「みんなで頑張って、核をなくそうぜ!」って言った意味は、すごく大きい。
それを評価しての、受賞でした。

ところがどっこい。オバマ大統領が演説で言ったのは、ものっそい現実主義な言葉だったわけで。
核を廃絶しましょうや、って話だけではなくて、オバマ大統領の言葉を借りると、「平和を維持するためには戦争という手段が演じる役割もあるのだ」(読売新聞から抜粋)という事を述べたんですね。

ちょっとね、誤解をしてもらいたくないので、そういった抜粋の一文だけが一人歩きしてしまうのは嫌なので、出来ればきちんとオバマ大統領の演説の要旨なり全文なりを読んでいただければ、と思います。

で、なぜ、その一文を抜粋したか。
きっと、オバマ大統領としては、本当に「核なき世界」にするためには、夢物語みたいな理想論じゃなくて、現実に即した対応を取らなければならない、という事を伝えたかったと思うんです。
なんていうかな、現実的に考えたら、核廃絶はもちろん、思想や宗教の違い、利権の有無、あらゆる理由の為に、そして何より、生きる為に戦争が起きてしまっている。それを突然、0にするなんて事は到底出来なくて。
つまり、戦争にも「必要悪」としての側面がある、ということ。
誰かが誰かの平和のための犠牲になってしまう事もある、ということ。

そうだよね。現実の世界ではその通りだし、核廃絶なんて夢物語だ。正直十年や二十年でなくせるものじゃない。人間は手にした武器を捨てられない生き物なんだよ。怖いんだよ。

でもさ。
今、オバマさんが訴えなくちゃいけない事って、そういう事か?
あんたの支持率下がってんのって、就任演説の時もそうだけど、「皆で頑張ろうぜ!」じゃなくて、「今ちょっとしんどい時期だよね」って現実突きつけちゃったからなんですけど。
もちろん現実見るのも大事だよ。っていうか、政府は現実見てください。
でも。
あんたにしか出来ないことがあるでしょ。
あんたアメリカ大統領なんだから。
あんたが「核捨てようぜ」って言ってくれたんだから、アメリカ大統領として。
嬉しかったよ。「超それ出来ねえって!」っていうすごく無茶で無謀な事を、アメリカ大統領として言って言ってくれたんだから。オバマ大統領がそれを言った意味というのはすごく大きいよ。

その希望を、もっと前に押し出して欲しかったよ。

あなたが支持された理由考えてみて下さい。あなたが「夢物語」を演出したからあんだけ熱狂的に支持されたんでしょう?
夢見させろよ。見させられる事が出来んの、あんただけなんだぜ?
あんたが平和賞受賞の壇上で訴えるのは、「みんなで核捨てようぜ!」って事でよかったんじゃねえの?


もう一度言うけど、私の平和と戦争論っていうのは、ほとんどオバマさんと同意見で、やっぱどうしたって戦争はなくならないし、さらに世界中は平和に見える地域でだって貧困や飢餓が広がっていて、それは本当の意味の平和じゃない。どこかの平和の為に、どこかで戦争が起きてしまっていて、それは止められない事なのかも知れない。
そういった現実に対して、夢物語は有効手段には決してならないのかも知れない。
紛争地域に行って、さあみんな仲良く手を取り合って戦争やめましょうよ、って呼びかけて誰が賛同するかっていう。


オバマ大統領にはオバマ大統領しての考えがあって、あの演説なんだとは思います。
でも、よりによって平和賞授賞式の壇上で、あんなふうに言わなくったって良かったじゃん。
とにかく…とても複雑な心境がします。

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