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涙と笑いのHIV奮闘記

自分とは無関係と思っていた病気と思いがけなく向かい合い、闘病を続けるオヤジの日記。
仕事に趣味に彼氏との生活に奮闘中。

ノーベル生理学・医学賞:ウイルス発見の独仏3氏に

2008年10月07日 | HIV

ノーベル生理学・医学賞、ウイルス発見の独仏3氏に(読売新聞) - goo ニュース


HIVに対する薬を作った人も、いずれノーベル賞をもらうんだろうか。


やじが大学生の頃に確か、ウイルスが発見されたんですよね。
免疫学の講義で、ウイルスの話を聞いた覚えがあります。
確かそのとき、フランスのパスツール研究所のモンタニエ氏らと、
米国のロバート・ギャロ氏が共に「最初の発見者」と主張して、
論争になっていると聞いたのを覚えています。


当時のノートを繰ってみると、
 モンタニエ:エイズ(SIDA)患者から初めてウイルスを分離。
        そのウイルスを1983年に"LAV"と命名
 ギャロ:1984年、エイズ(AIDS)の原因ウイルスを発見したと発表


結局ギャロらがこのウイルスの培養法を開発し、
さらに検査キットも開発し、
恐らくギャロが発見。


と書いてあります。
でも、やっぱりモンタニエだったんだ。


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ただいま、そして行ってきます:薬を忘れて

2008年05月14日 | HIV

朝確かに薬を冷蔵庫から出したのは覚えているけど、
飲んだ覚えがありません。
午前中の仕事が手につかんかった。

同じ市内の職場ってこういうときに便利かも。

午前の仕事をすばやく終えて、
自転車で自分の部屋へ。

薬はそのまま皿の上にありました。

普段は七時に飲むのですがもう十二時半。
どうしようか、一度パスしたほうがいいのかな?

悩む暇なく、とりあえず食事とらないといずれにせよ薬は飲めない。

あわてて冷蔵庫の中の野菜(キャベツ、人参、もやし)を取り出して、
チャッチャッチャと焼きそばを作りました。

 あまりおいしそうには見えませんね・・・

その隙にたまっていた洗濯物を洗濯機に放り込んで、
帰る頃に仕上がるようにタイマーセット。

今の職場の冷蔵庫、お菓子の山で自分の薬を入れるスペース見つからないんですね。

こっそりだれかのお菓子を食べて、そこに薬を置こうかと思っています。

薬?いちかばちか。飲んでおきました。

では、再び職場へ行ってきま~す

 


たまには病気の事も:東京のすごさに

2008年04月02日 | HIV

HIV感染症について新しい資料をネットで検索してみるのですが、
奈良県のことはあまり見つかりませんね。
国立感染症研究所の資料にわずかに認められるだけ。
探し方が悪いのでしょうか。。。


その点東京都は、勿論患者も多いし、ACCもあるし、
都の
福祉保健局も頑張っていらっしゃるのか、
きちんと統計を出しておられますね。


都の福祉保健局がネットに公表している「AIDS News Letter」の
3月臨時増刊号No.120が先月末にアップされました。
「平成19年東京都のHIV感染者・AIDS患者の動向及び検査・相談事業の実績」
というものです。


同性間性的接触による報告数が増加しており、ここ10年間で約4倍以上の増加となった。


確かにグラフを見るとその伸びはすごいです。
それだけ検査を受けるようになってきた、ということなのでしょうか。
HIV感染者数は増えているのに対して、AIDS報告数は横ばい。
早めに検査を受け、AIDS発症前に感染がわかってきたということでしょうか。


 


 



 


HIVウイルス:こいつが役に立つかも

2008年03月14日 | HIV

今日のニュースからです。

「1リットルの涙」の難病、遺伝子治療で改善…群馬大

 群馬大大学院医学系研究科の平井宏和教授(43)は14日、難病の脊髄小脳変性症を、遺伝子治療で改善するマウス実験に成功したと発表した。
 研究成果は、専門誌「欧州分子生物学機構機関誌」のネット版で公開される。この病気にかかると、脊髄や小脳の神経細胞が徐々に破壊され、歩行などが困難になる。根治療法は見つかっていない。平井教授は今後、サルを使った実験に取り組み、患者への応用を探るという。
 平井教授は3年前に、HIVウイルスから病原性を除去したベクター(遺伝子の運び屋)を作製。昨春、このベクターに「CRAG」と呼ばれる治療用の遺伝子を組み込んで、同変性症を発症させた生後21~25日のマウスの小脳に注入したところ、よろよろしたり転んだりしていたマウスが約2か月後には正常に歩けるほど回復したという。
 同変性症は、遺伝が原因の場合、神経細胞内に毒性のあるたんぱく質の塊が蓄積して発症すると考えられている。「CRAG」には塊を溶かす働きがあることが、培養細胞を使った実験ですでに確認されていた。しかし、生体細胞に注入する方法が確立されておらず、今回の研究で初めて、生体での効果が確認された。
 平井教授の話「サルでの実験は治療用遺伝子の量を増やせばうまくいくと思う。ベクターの安全性が確認されれば、人の臨床試験も行いたい」

 ◆脊髄小脳変性症◆ 患者の4割は遺伝性とされるが、それ以外は原因不明の神経疾患。歩行がふらつく、話すとき舌がもつれるなどの運動失調が主な症状で10、20年という長い期間をかけて進行する。国内の患者は約2万人。実在の女性患者の日記を基にした「1リットルの涙」はテレビドラマや映画にもなった。

「1リットルの涙」といえば、映画で涙した思い出があります。
テレビドラマでは沢尻エリカが演じたわけですが、
こちらはラブストーリー調で、ちょっと拍子抜けでした。
 
手足が動かなくなってゆくのに、意識は正常。
そんな悲しい難病脊髄小脳変性症。
その治療にHIVウイルスが役立つとは・・・。
 

新薬etravirine:また新しい薬が登場

2008年03月09日 | HIV

アメリカで新しいHIV治療薬「etravirine」が承認されたそうです。

〔米メリーランド州ロックビル〕米食品医薬品局(FDA)は、他の抗ウイルス薬が奏効しなかった成人のHIV感染者の治療薬としてetravirine錠(Intelence)を承認した。同薬はHIVの増殖に必要な酵素を阻害する非ヌクレオシド系逆転写酵素阻害薬(NNRTI)で、他の抗HIV薬との併用薬として優先審査を通過した。

NNRTI耐性患者で効果を期待

 Etravirineの開発は,NNRTI耐性HIV変異株に対して抗HIV活性を有することがin vitroで観察されたことを契機に開始された。 FDA抗ウイルス製品部長のDebra B. Birnkrant博士は「NNRTIに耐性となり,既存の治療薬が奏効しない多くのHIV感染者にとって,これは素晴らしい新薬だ」と述べた。 Etravirineは,既存の他の抗HIV薬と併用すると血中のHIV量を減らし,感染と戦う白血球数を増やす。さらに同薬は死亡リスク,あるいは免疫力低下による感染症リスクを低下させる可能性も示唆されている。 今回のFDAの承認は,おもに2 件のランダム化プラセボ対照二重盲検試験に参加した599例のデータに基づいて行われた。24週間の治療後,既存薬を用いた通常療法とetravirineを併用した群のほうが,通常療法とプラセボを服用した群よりも血中HIV量の減少度が大きかった。

今だHIVウイルスを完全に消失させる薬は無いのですが、こうして新薬が開発されるのを読むと、少しは望みを持っていいのかな、って嬉しくなりますね。


米MSの篤志家:日本にはいない?

2008年02月25日 | HIV

(リック=ウェイランド氏です)

同性愛者擁護へ70億円 米MS創業メンバーが遺言

米マイクロソフト(MS)設立に加わり、06年に死去したリック・ウェイランド氏=当時(53)=が遺言で、同性愛者の権利擁護などに取り組む米国の非政府組織(NGO)に6500万ドル(約70億円)を寄付していたことが24日、分かった。米シアトルのNGO「プライドファンデーション」が同日発表した。寄付金はエイズウイルス(HIV)感染防止活動にも使われる。



70億円を同性愛者の権利擁護に取り組むNGOに寄付、すごいですね。

日本でも様々な団体がHIV関係の仕事にかかわっているようですが、
どこかの企業、あるいは個人がこれだけの額を寄付することがあるのでしょうか。

やじは個人的に寄付をしたりしていますが、
ほんの数万円です・・・


今日も寒い一日でした。
三寒四温ですね。

朝早く起きて弁当を作ったんですが、
家に忘れてきまいました・・・
仕方がないのでコンビニでサンドイッチと野菜ジュースを購入です。

やはり一日ひとつは忘れ物をするようです。



HIV:感染者増加とまらず

2008年02月12日 | HIV

HIV感染者増加とまらず、初の年間1千人越え

2008年02月12日21時06分

 厚生労働省のエイズ動向委員会は12日、07年に新たに報告されたエイズウイルス(HIV)の感染者数(速報値)が、前年より96人増えて過去最多の1048人だったと発表した。1000人を超えたのは初めて。新たに発症が確認されたエイズ患者も400人で過去2番目に多かった。

 委員長の岩本愛吉・東大医科研教授は、国内では男性間の性的接触による感染が7割を占めると指摘。「同性間感染を少なくする努力が必要だ」と話した。

 保健所などのHIV抗体検査は約15万4000件で、前年に比べ約3万7000件増えた。岩本委員長は「検査数の増加が、感染者の報告数の増加につながっている」との見方を示した。

「同性間感染を少なくする努力が必要だ」

さて、どのような努力が考えられるのでしょうか。


たまにはHIVの記事も書いてみる:献血とHIV

2008年01月23日 | HIV

大学生の時に初めて献血に行きました。

三十三間堂の前にある京都日赤センター。
大学のボランティアで400ml献血をしました。

献血が終わると、看護婦さんから
「ねえ、あなた。体大きいから次から成分献血していただけませんか?」
そう誘われて20回くらい成分献血や血小板献血をしました。

その当時は「献血手帳」でしたが、今は「献血カード」になっているようですね。

こんな手帳何枚も持っていました。

血小板献血をすると、HLAっていう遺伝子(?)を調べるらしいのですが、
時々電話がかかってきて、
急に血小板がいるんです、とか、白血病の人が輸血を必要としているのですが、とか
要請が来るんですよね。

今は昔の懐かしい思い出・・・

今日のニュース

献血でHIV判明100人超 日赤「検査目的やめて」

 献血時にエイズウイルス(HIV)感染が判明した人が07年に
初めて100人を超えたことが23日、日本赤十字社の調べで分かった。
感染者増に加え、検査目的で献血をする人が後を絶たないためとみられる。
日赤は「感染直後は検査をすり抜けて輸血で感染してしまう恐れがある。
検査目的の献血はやめてほしい
」と呼びかけている。

 07年の献血者総数延べ493万人のうち、
HIVが検出されたのは102人で前年比15人増。
献血者10万人あたり2.065人で、初めて2人を超えた。

ちょうど一年前のニュースでは

HIV陽性率が17年ぶりに減…献血用血液

 献血された血液のエイズウイルス(HIV)検査で、
陽性となる割合が昨年、1988年以来、17年ぶりに減少に転じたことが、
26日にわかった。

 厚生労働省の薬事・食品衛生審議会血液事業部会で報告された。
日本赤十字社の報告によると、昨年の献血件数約531万件のうち、
HIVの遺伝子や抗体が見つかったのは78件。
献血10万件中の陽性率は1・468で、前年の1・681を下回った。
背景には、献血時の問診強化などがあると見られる。

この一年間でまた増えたんですよね。

どうもHIVの検査はしていても、HIVの結果は当人には知らせていないそうです。
検査目的の献血が増えるのを防ぐために。

でも、結果が陽性であることがわかっていても、放っておく、
ちょっとそれもどうかな~と思っちゃいます。

B型肝炎、C型肝炎、梅毒、HTLV-1は教えてくれるらしいですけれど。


HIV感染症「治療の手引き」:第11版

2007年12月27日 | HIV

欧米で公表されたガイドラインや2007年11月までに得られた臨床知見をもとに、
国内のHIV診療医師がそれぞれの経験に基づいてまとめた資料が
『HIV感染症「治療の手引き」:』です。


主に治療に携わる人向けの資料ですが、
大阪医療センターの患者情報室においてあります。


毎年治療の進歩にあわせて改定版がでますが、
今日第11版がネット上に公開されました。
http://www.hivjp.org/guidebook/hiv_11r.pdf


この前のエイズ学会の初日のイブニングセミナーで公表され、配布されていました。


上記のリンクでは前回からの改定箇所が赤字で示されています。


なお、主要改訂箇所サマリーは→http://www.hivjp.org/guidebook/hiv_11s.pdf


ま、とりあえずのご参考にと思って。


blog忘年会:5人で鍋

2007年12月09日 | HIV

そんなわけで、今日の夜はOosaka Gay bloggers(勝手に命名)の忘年会。


テニスとウクレレともうちょっと」の伊右衛門さんの音頭で、
手をつないで一緒に歩こう」のケンさん、じんさん、
そしてやじときたの五人での忘年会でした。


余裕を持って部屋を出た予定なのですが、
忘れ物大王のやじは、財布を忘れたり、携帯を忘れたり、で、
なんとか遅刻しないような時間で。


日本橋で降りたら早いのはわかっていながら、
「御堂筋の公孫樹はもう散ったのかな?」
なんて思って、難波まで電車に乗って御堂筋へ。


パレード以来の御堂筋です。


  


奇しくもライトアップされたような御堂筋で、
まだまだ公孫樹の黄色い葉は健在です。
二人で肩を寄せ合って、道頓堀まで歩き、
「水掛不動さんも見てみたいよね。」
「ねえ、途中でクレープかシュークリーム食べない?」
「えっ、この後すぐにうどんすきなんですけど」
そういいながら、法善寺横町から水掛不動へ。
でも、お参りの長い列にお参りはあきらめて、不動様の横からお参りです。


「昔この表に『中座』があってね、閉館後火事でこの一体も焼けたんだよ。」


そんな話をしながら宗右衛門町の「つるとんたん」へ。


どうも我々二人が一番のりだったようです。


二人は、他のお三人とは全く面識がありませんので、軽い緊張状態で待っていました。


最初に現れたのは伊右衛門さん、そして、少し遅れてケンさん&じんさん。


皆から「謎のやじさんとようやく会えました」と言われました。
謎、ですか?
謎でもなんでもないんですけれどね。


伊右衛門さんは渋い大人の感じで、
ケンさんはしっかりもの、うん、その通り。
じんさんはキュートな感じの人のよさそうな感じで。


伊右衛門さんからはスピーカー研修のお話や、
食べ物の話、brass-mixの話、音楽の話が弾丸のように次々と。


「東京ばっかり忘年会して」
とか、
「東京チームだけ「謎のやじさん」に会って悔しい」
なんて話もあって。
謎の外国人の話もあったりして。


ケンさんとやじの主治医が一緒だった話や、
病院ネタで盛り上がってね。
そういえばみな、同じ病院の患者やったことに改めて気づきました。
今度受診日をあわせてみようとか!


伊右衛門さんはケンさんじんさんが来る前から、
写真を撮っています。
みんなも、いつもなら食事の写真を撮るのに、それも忘れて?
盛り上がっていました。
途中まで食べて、「あっ、写真わすれてた!」っていうノリで写真を。

やじもご他聞にもれず唯一取った写真がこれ。
うどんすきに入れる、生きた海老です。



つるとんたんの地下の唯一の個室は熱気むんむんで、
結局6時から11時まで熱い忘年会となりました。


またお会いしましょう!


ケンさんから参加者にサプライズプレゼント。
大根の漬物に、柚子ケーキ。
可愛い袋に入れられて。



彼の人柄のあふれる美味しいケーキでした。