昨日、手話入門講座の通訳に行く途中で、図書館に立ち寄って…
以前naruさんに紹介してもらった、茨木のり子さんの「寄りかからず」を探す。
お目当ての詩集はなかったけれど、「よりかからず」の詩には出会うことができました。
『よりかからず』 茨木のりこ
もはや できあいの思想にはよりかかりたくない
もはや できあいの宗教にはよりかかりたくない
もはや できあいの学問にはよりかかりたくない
もはや いかなる権威にもよりかかりたくない
ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
よりかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ
詩の感じ方ってさまざまですね…
この詩を探すのに、ほかの方のブログを見たら。
茨木さんの詩集は怖くて自分では買えない…と表現されている方がいました。
「ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい」…心に刺さる…って。
なるほど、こんな風に思う方もいらっしゃる…
よりかからないってことは、ある意味、自由になる、解放されるってことだよな…
と、私は昨日、この詩に出会ってそう感じました
縛られないってことでもあるし、なかなか潔い「立ち方」ではないかなと思って
図書館のガラス窓に写る自分の姿を見て、ちょっと背中を伸ばしてみたのでした
以前naruさんに紹介してもらった、茨木のり子さんの「寄りかからず」を探す。
お目当ての詩集はなかったけれど、「よりかからず」の詩には出会うことができました。
『よりかからず』 茨木のりこ
もはや できあいの思想にはよりかかりたくない
もはや できあいの宗教にはよりかかりたくない
もはや できあいの学問にはよりかかりたくない
もはや いかなる権威にもよりかかりたくない
ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
よりかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ
詩の感じ方ってさまざまですね…
この詩を探すのに、ほかの方のブログを見たら。
茨木さんの詩集は怖くて自分では買えない…と表現されている方がいました。
「ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい」…心に刺さる…って。
なるほど、こんな風に思う方もいらっしゃる…
よりかからないってことは、ある意味、自由になる、解放されるってことだよな…
と、私は昨日、この詩に出会ってそう感じました
縛られないってことでもあるし、なかなか潔い「立ち方」ではないかなと思って
図書館のガラス窓に写る自分の姿を見て、ちょっと背中を伸ばしてみたのでした
しかし、ウキペデアによれば
>ただし、日本国内では、未だに精神科医や臨床心理士などが患者理解のために精神分析の概念を援用することはあるし、
>口語版精神分析とも呼ばれる交流分析が心療内科や看護、介護の領域で活用されているという現実もある。
ようするに、「できあいのもの」だけにたよらない、ってことなんでしょうね。
他人がどう感じるか どう考えているか どう見られるか を頼りに生きようとするからふらふらするのであって
自分ひとりくらい責任持って自分で立ってろ。と だからあの詩につながると思ってるの。