【Schoenberg:String Quartet No.2;Webern:Langsamer Satz;Berg:Lyrische Suite (Excerpt)】クラシックへの旅(17)音列技法
〘 ルネサンス以来、西洋音楽は、私たちも慣れ親しんでいる「ドレミファソラシド」の音階に基づいて展開される「調性」の原則で作られてきた。
ここでは「ドミソ」「ファラド」「ソシレ」といった協和音こそが、音楽に安定感や終止感をもたらす響きであった。不協和音は、調という脈絡から逸脱するダイナミックな効果として正当化されたけれども、元の調への復帰か、あるいは新しい調への指向(転調)かによって解決される必要があった。
しかし十九世紀のロマン派音楽では、不協和音のより自由な使用により、調性の輪郭は拡大され曖昧になる。二十世紀に入ると調性の崩壊はさらに推し進められ、オーストリアの作曲家シェーンベルクは一九〇八年に「弦楽四重奏曲 第二番」の終楽章で、ついに調性体系の主音(ドレミファソラシドのドに当たる音)が判別できない「無調」に到達した。しかし調性の否定は、それに立脚していたあらゆる作曲技法の否定を意味し、作曲の実践をきわめて困難なものにした。
徹底的な解体の次にやってくるのは、新しい秩序づくりである。当時、多くの作曲家が、一オクターブに含まれる十二の音(ピアノの白鍵と黒鍵を順に数えると、ドから次のドまでに十二の音がある)に新しい秩序を与えようと試みた。中でも大きな影響力をもったのが、シェーンベルクが一九二一年に案出した「十二音技法」である。
十二音技法は、十二の音のすべてを重複のないように一回ずつ用いて並べたセリー(音列)をあらかじめ作っておき、それを音楽の旋律的・和声的な基礎とするものであった。…
…音楽における秩序回復の傾向は、第二次大戦後も継続される。しかし、戦争に至る戦前の状況には戻りたくないという作曲家たちの願いとともに、新古典主義の潮流は断ち切られる。新しい秩序づくりの出発点には十二音技法が据えられ、フランスのブーレーズらによって「ミュジック・セリエル」の技法へと発展した。
十二音技法では、音楽を構成する四つの要素のうち「音高」のみがセリーで規定されるが、それ以外はその埒外(らちがい)であった。ミュジック・セリエルでは音高以外の「音価(持続)」「強度」「音色」にもセリーの方法を適用。その究極の形が、四要素をすべてセリーで秩序づける「全面的セリー音楽(セリー・アンテグラル)」である。
ミュジック・セリエルは五〇年代の前衛音楽の潮流を作ったが、あまりにも数理的な合理性を持ちすぎるために、その結果生み出される表現は規格的になり過ぎることが明らかになり、調性に代わる新しい作曲技法を創出しようとする二十世紀の試みは挫折することになる。
水戸芸術館で三月二十一日に開催する「パトリツィア・コパチンスカヤ ヴァイオリン・リサイタル」では、シェーンベルクとその弟子ウェーベルンの十二音技法による作品が、ベートーヴェンの二つのヴァイオリン・ソナタと共に演奏される。ぜひ、お聴きいただきたい。
チケットの予約や問い合わせは水戸芸術館チケット予約センター=電029(231)8000=へ。(水戸芸術館音楽部門芸術監督・中村晃)=毎月第三日曜日掲載 〙