引き続き、明治大学教授の齋藤孝氏の近著『不機嫌は罪である』(角川新書)において指摘されている、「社会のナイーブ化」について追っていきます。
氏によれば、「若者の傷つきやすさの」話に関連してもう一つ強調しておきたいのが、この10年で言葉の「負の破壊力」が格段に増大しているということです。
例えば、これまでの職場では、部下が仕事で簡単な失敗をしたとき、上司が「先週、指示をしておいたよね」とか「何でやっていないの?」など、「好ましくない」ということを強調して「説教」するのは当たり前の光景だったかもしれません。
しかし今の時代、「説教」ほど危険なものはないと齋藤氏は解説しています。相手が傷つくのみでこちらの真意は伝わらず、その後の関係性がギクシャクしてしまううえ、最悪、保護者などが出てきて周囲を巻き込む問題に発展したりするケースが後を絶たないということです。
リクルートが2012年にアメリカとアジア8カ国(日本、中国、インド、タイ、マレーシア、インドネシア、ベトナム)で行った調査では、「仕事をする上で大切だと思うもの」として、日本を除く8か国では「高い賃金、充実した福利厚生」がトップになったということです。
それに対し、日本でトップの回答になったのは、「職場の良好な人間関係」だった。日本(の特に職場)では、それほどメンバー間の「機嫌の良さ」が求められ、快適な人間関係の価値が(相対的に)高いということでしょう。
さて、一般に、人間関係が良好でない職場には、大きく2種類あるというのが齋藤氏の見解です。
一つは、労働のシステム自体のせいでギスギスしている職場。要求される仕事量は多いのに人員は少なくてつねに残業を強いられていたり、毎月のノルマが厳しくてつねにお互いが競争しあっているとかいった性質の職場だということです。
無論、これは個人個人の心がけではなく、システムを改善してどうにかすべき問題であり、仕事の量ややり方から見直す必要があるのは言うまでもありません。
一方、齋藤氏がここ問題視しているのがもう一つの職場、つまり、慢性的な不機嫌によって支配されている職場です。上司や社内メンバー(の一人)があまりにも慢性的不機嫌なので、なんだか空気が悪い…こうした(ありがちな)職場の存在です。
教室における教師が場のインフルエンサーであるように、職場における上司もまた場の支配者だと氏はここで説明しています。
上司の不機嫌を部下のほうで治すのは容易なことではなく、場全体が不機嫌なままに仕事が回っていく。上司が「なんでこんなこともできないんだ」「もういい、俺がやる」といった物言いをする職場では、部下はたちまち萎縮するということです。
当然、不機嫌をこれ以上刺激しないように、部下たちは報告・連絡・相談に尻込みするようになり、アイデアも提案も上司と共有されることはない。ストレスフルであるがゆえに集中力が落ちて、仕事の効率も下がっていく事例は後を絶たないと氏は説明しています。
勿論これまでは、例えそうした上司であっても部下の方が何とかついてきたかもしれません。また、職場を体育会系的な服従関係で覆うことで動かしてきた職場も(きっと)あったことでしょう。
しかし、働き方改革やハラスメントが問題となる昨今では、仕事の生産性を上げていくためにも、もはやそのような上司による一方的な支配を受け入れる余地は残されていないと言っても過言ではありません。
これからの上司は、まずもって不機嫌でいてはいけないと氏はこの著書に(重ねて)記しています。仕事中の自分自身から、ひいては職場のメンバー全員から不機嫌を排除していくことも(もはや)ビジネスパーソンに求められる能力だという指摘です。
そう、不機嫌な空気が流れる職場は、それだけで生産性を大きく損なうということ。いずれ、不機嫌な顔をしているだけで「管理職として失格だ」とか、「パワハラだ」とか言われる時代が来るかもしれません。
(上司の前ばかりでなく、部下の前でまでも)「そんないつでもニコニコしていられるか!」とお怒りの中間管理職の皆さんもいるかもしれませんが、今の時代「機嫌よくいること」はそれほど重要なことだと心に決めるほか無いということでしょう。