MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1283 クルマのデザインに求められるもの

2019年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム


 どうしても欲しい…そう思えるような車が見当たらない最近の国産車の「つまらなさ」をつらつらと考えていたところ、総合情報サイト『GQ JAPAN』(2018.7.23)に掲載されていた「日本車とドイツ車-デザインの決定的な差」と題する記事が目に留まりました。

 2016年に行われた、自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏と、デザイナーとして日産やアウディで活躍しA5のデザインで数々のアワードを獲得した和田智(わだ・とも)氏の(プロダクトデザインの在り方に関する)対談をまとめたものです。

 和田氏はこの対談において、イタリアのカーデザイナーG・ジウジアーロのすごさをフィアット・パンダの4×4に見たと語っています。

 何がすごいかというと、ジウジアーロの作品は数が増えて街にあふれても、カッコよくて全然嫌みがないこと。埋没するわけでもなく、作品を街に溶け込ませながら自己表現もできているところに天才の技があるということです。

 和田氏は、マスプロダクションの時代であればこそ、増えるほどに街がきれいになるようなデザインこそがデザイナーに求められる仕事であることを、彼の作品から学んだということです。

 和田氏はこの対談において、日産とアウディで仕事をした個人の経験から、車の開発を取り仕切るディレクターの考えが日本とヨーロッパとではまったく違うことに驚かされたと話しています。

 日産時代には「売れるクルマを作れ」というようなことをよく言われたが、アウディではそのようなことは一度も言われたことがない。デザイナーは皆、とにかく美しいデザインを描くことだけに専念していたということです。

 美しい車は自ずと売れる。「売らんかな」のデザインではないピュアなものであるからこそ売れるというのが、プロダクトデザインのあるべき姿ではないかと氏は述べています。

 一方、例えば最近のプリウスのデザインやクラウンのフロントグリルのデザインを見ると、先にあったものを受けて、それを”もっともっと”という感じでふくらませているように見えると和田氏は指摘しています。

 オリジナルであることは本来非常に重要かもしれないが、オリジナルの”もっと”化を進めていくと、女子高生が友達とメイク競争しているうちに気づけばふたりともヤマンバみたいになりかねない。最近のモーターショーを見ていると、仮装大賞のようなノリのものまで見受けられるという話もされています。

 最近のトヨタ車の場合、退屈なおとなしいデザインにならないように努めるあまり、奇抜なモチーフを多用しているような感じがしていると和田氏は指摘しています。そこには、トヨタ車はかつて「80点主義」だとか、デザインがおとなしいとか言われてきたことへの反動があるのかもしれないということです。

 そうした中で、これからは「愛されるクルマかどうか」というのが大事な視点になるというのが、多くのヨーロッパ社のデザインを手掛けてきた和田氏の認識です。

 クルマは人間に最も近い道具であり、人の愛情の対象となりうるもの。例え「クルマ離れ」などと言われても、この先は「いかに愛されるデザインにするか」というのがデザイナーの仕事になるということです。

 和田氏は、クルマは街角を映す鏡だと説明しています。ガレージから出てきたクルマがパブリックな場所に出ていって、社会を映す鏡になる。社会の時代的な美意識を可視化するものであり、実際に景色がボディに映り込むという意味でも鏡だということです。

 一方、トヨタ車や日産車のボディサイドにはたくさんのラインがあって、面をねじりまくっている。そうなると、映し出される風景も当然歪んでいて、社会を反映しているデザインなのかなと思ったりすると和田氏は笑って解説しています。

 さらに氏は、日本車のデザインは「新しさ」にとらわれすぎているのではないかと指摘しています。

 トヨタにも日産にもホンダにもせっかく素晴らしいヘリテージ(過去の遺産)があるにもかかわらず、それを使おうとしない。インパクトのあるデザインばかりを追求し、過去を振り返りつつ、長いスパンでデザインを育て進化させていこうという発想が見えないということです。

 結局、日本車のデザインを変えるためには、メーカー全体、特に経営陣の意識を変える必要があると、和田氏はこの対談をまとめています。

 車のデザインは、それが走り回り使われる街角や自然と一体化して初めて本当のデザインとして完成するもの。そこのところをきちんと意識し独善性を排除しなければ、決して人に愛されないし、社会にも受け入れらないということでしょう。

 和田氏はこの対談を、デザイナーの社内での地位も含め、国産メーカーはとにかく目新しさばかりにとらわれないでほしいとのコメントで結んでいます。

 普通であることを恐れず、社会や時代、そしてユーザーと共に歩む感覚を持つことが車のデザインにも求められるのではないかと考える和田氏の指摘を、私も改めて興味深く受け止めたところです。



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