私が今、使っている俳句手帳は伊勢のおかげ横丁で買ってきた誓子手帳です。豚捨てのコロッケを買う列があまりに長すぎて、夫に順番を待ってもらい、一人で近くにあった山口誓子俳句館にふらふらと入って買いました。
山口誓子さんは、中学校の教科書に次の一句が出ていたのを鮮烈に覚えています。
夏の河赤き鉄鎖のはし浸る
どうということのない都会の風景を詠んだものですが、田舎育ちのわが身にとって、「河」というのも「赤き鉄鎖」というのも、ああ、夏の都会の河ってこんな感じなんだ~と感慨にふけったものです。今、読むと、現在の都会にある河とはまたちょっと違う河が思い出される、ノスタルジーにひたれる句ですね。
でもこんな俳句をよんでも何の感慨もないという人がたくさんいるのも知っています。(例:私の母)
かつて私は文学を研究するということの意味も分からぬままに研究に手を染めたこともあり、その際に、シェイクスピア研究一筋の先生に恐れなく「一体文学の研究って何ですか。どういう意義があるんですか」などと、発言していたものですが、確かな答えは得られませんでした。
しかし、俳句をしだしてやっと自分なりに意味が分かりました。
つまり、作者と読者のコミュニケーションで作品は成り立っている。その橋渡しが文学研究の意義だとわかりました。
作者が投げかけたものに、読者が応答する。
読者に、応答の耳がなければ、馬に念仏。
作者と読者のやりとりを、交通整理して、あれはこっち、これはあっち、と分けたり、あっちに分けたものからどうも違うものが出てきた、じゃこれはまた新たな分類箱に、とかやって、書くのが文学論文かな~と、書いた後から分かることもありました。
で、分け方は、分ける人の感性や個性に大きく関わっているんですね。だから文学研究とは、ある意味、自分研究でもあります。
俳句は、作者と読者の、一番原始的なやり取りができる、おもしろいコミュニケーション方法だと思います。
山口誓子は、生涯に一万句の俳句を作ったそうです。私の今のペースで換算したら、あと133年ほどかかることがわかりました。
急がなくっちゃ~!!
山口誓子さんは、中学校の教科書に次の一句が出ていたのを鮮烈に覚えています。
夏の河赤き鉄鎖のはし浸る
どうということのない都会の風景を詠んだものですが、田舎育ちのわが身にとって、「河」というのも「赤き鉄鎖」というのも、ああ、夏の都会の河ってこんな感じなんだ~と感慨にふけったものです。今、読むと、現在の都会にある河とはまたちょっと違う河が思い出される、ノスタルジーにひたれる句ですね。
でもこんな俳句をよんでも何の感慨もないという人がたくさんいるのも知っています。(例:私の母)
かつて私は文学を研究するということの意味も分からぬままに研究に手を染めたこともあり、その際に、シェイクスピア研究一筋の先生に恐れなく「一体文学の研究って何ですか。どういう意義があるんですか」などと、発言していたものですが、確かな答えは得られませんでした。
しかし、俳句をしだしてやっと自分なりに意味が分かりました。
つまり、作者と読者のコミュニケーションで作品は成り立っている。その橋渡しが文学研究の意義だとわかりました。
作者が投げかけたものに、読者が応答する。
読者に、応答の耳がなければ、馬に念仏。
作者と読者のやりとりを、交通整理して、あれはこっち、これはあっち、と分けたり、あっちに分けたものからどうも違うものが出てきた、じゃこれはまた新たな分類箱に、とかやって、書くのが文学論文かな~と、書いた後から分かることもありました。
で、分け方は、分ける人の感性や個性に大きく関わっているんですね。だから文学研究とは、ある意味、自分研究でもあります。
俳句は、作者と読者の、一番原始的なやり取りができる、おもしろいコミュニケーション方法だと思います。
山口誓子は、生涯に一万句の俳句を作ったそうです。私の今のペースで換算したら、あと133年ほどかかることがわかりました。
急がなくっちゃ~!!