はと@杭州便り

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「大事化小、小事化了 」

2012-07-27 11:25:10 | その他
あの鉄道事故から1年が経った。

列車同士が衝突し、高架橋から転落し、死者40人を出した痛ましい事故から一年。
事故に対する政府や鉄道省の対応について、一時はネットやマスコミがかつてないほど批判的な記事や論調でその責任を糾弾しようとしたけれど、結局当局からの厳しい弾圧にあって次第にフェードアウトしていった。
TVで政府に批判的な発言をしたアナウンサーは更迭され、批判的な記事を書いた記者も多くが停職処分や移動になった。
真相の究明を求める遺族たちは強引に補償金を渡され、それによってこの問題はもう解決したとされ、それ以上の声をあげようとする人たちには脅迫電話がかかってきて、口を封じられた。

1年が経った今、マスコミはこの事件に触れることはなく、事故現場には慰霊式典はおろか慰霊碑、献花台すらない。
事故車両は今も近くの車庫に放置されたまま、警察の捜査はおろか遺留品の回収さえ行われず朽ち果てようとしている。
現場で手をあわせたいという遺族のささやかな願いすら脅迫電話で制止され、現場を取材しようとする海外のメディアは私服警官に遮られた。
そんな中、勇気ある数人の大学生や地元の人たちが現場を訪れ、静かに花を手向け手を合わせていったというニュースが、ほんの少しの救いになるだけだ。

忘れてはいけないと思う。

事故後、政府は鉄道省の管理職の役人たちを更迭し、速度を下げる通達を出したが、
1年経った今、まるで何事もなかったかのように再び鉄道の速度を上げ、秋の共産党大会に向け去年以上のスピードで鉄道の新規拡大事業着工を推し進め、さらに「中国オリジナル技術」の高速鉄道をカンボジアなど海外へ輸出する計画を着々と進めている。
事故の真摯な反省や犠牲者への哀悼の意など微塵も見られないことは、この1年の節目の日に慰霊祭はおろか、一人の鉄道省の職員も、一人の政府関係者も現場へ足を運ばなかったことからもはっきりわかるだろう。

そして今も事故による死者とさえ見なされず、消されてしまった「行方不明」の人が大勢いること。この国では死者の数に入るにも政府の許可がいるらしい。
いつか自分や自分の大切な人たちが事故や災害に巻き込まれても、「行方不明」として片付けられてしまうかもしれない。そういう国に自分が住んでいるということ。
それでも外国人はまだいい。
政府にどんなに非人道的なことをされても声をあげることもできず、ただあきらめて泣き寝入りするしかない普通の中国人の悲しみ、怒り、悔しさはとても言葉では言い表せないだろう。

折しも北京で起こった豪雨災害、郊外の村ではその村だけで遺体が200以上あがっているらしい。全体では1000人を超えると言う人もいるのに、政府の発表は「37人」。
この国では死者が40人を超えると誰かエライさんのクビが飛ぶらしいと、もっぱらの噂である。
今日になって死者数は「77人」になった。
多分40人を超えると飛んだエライさんの、その上のエライ人のクビが飛ばない基準が80人以下なんじゃないだろうか?
こんな数字、永遠に最高気温40度を超えない中国の天気予報と同じである。

中国語には「大事化小事、小事化了」ということわざがある。
「大きな問題を小さな事として済ませ、小さな問題は無かったことにして済ませてしまった方がよい」という意味である。これは本来親戚や村の中の狭い付き合いの中でうまくやっていく処世術の一つとして生まれたことわざではないかと思うが、
それをこの21世紀の情報社会で、世界の注目を集める国の大事にもあてはめようとしていないだろうか?



日本では福島第一原発の事故後作成が進められていた、国会、政府、民間事故調の最終調査報告書が出揃ったらしい。
先日のNHKスペシャルでそれらの内容を一部知ることができたのだが、
事故発生後日本政府が出した住民避難要請、指示について
「政府は国民の生命、身体の安全を預かる責任を放棄したと断じざるを得ない。」という報告書の文章を見て、涙が出そうになった。

日本国内にいる人たちは「今さらこんな文章」と冷めた目で見ているかもしれない。
でも「政府は国民の生命、身体の安全を預かる責任を持っている」という概念すら存在しない中国の恐ろしい現実を見てしまった私には、本当に救いの言葉に見える。
中国の人たちが仮にも政府からこんな言葉をかけてもらえる望みは、まずないのだから。

もちろん報告書はまだ一つの出発点であって、どうすればあのような悲惨な事故を二度と繰り返さないようにできるのか、今後真摯に考え行動しなければ意味がないと思う。でも日本人にはその希望はまだあると信じている。

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2 コメント

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Unknown (Rikorin)
2012-07-30 18:07:22
結構以前から、ブログ読まさせていただいていたのですが
今回初、カキコです。

津波の災害があった後、海上保安部の捜索潜水隊の
人たちが必死になって行方不明の人たちを
探しているいる報道番組を見ました。
東北の海は、まだ冷たく、海中水温は4度、
視界が3 メートルしかない海中で5人が
1本のロープを持って、 海底を探し回ります。

1ヶ月以上経っているので
もう、亡くなっている方の捜索ですね。

でも、捜索隊の人たちは
この人が探している人がみつかればいい。
この人の元に返してあげたい。
と思ってるっていっていました。

1年前、あたしも中国の鉄道事故の際の
写真などを見て、
ここで行方不明になったら
永遠に家族の元へも帰れない
行方不明者のままになってしまうんだなぁと
すごく、命の重みの軽さを感じましたね。
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Unknown (はとぽっぽ)
2012-07-31 16:53:36
>Rikorinさま

コメントありがとうございます。

私は中国人の夫と結婚するとき、実家の父から「中国人は外見や共有する文化が似ていて楽な面もあるけど、中国独自のルールや常識があるから、アメリカ人やイギリス人と結婚するより大変なことが起こるかも知れないよ」と言われました。

普段無事に(?)生活していればそれ程問題にならなくても、災害、事故、病気、裁判に訴えなければならない問題などが発生したときに、日本を含む他の先進国では守ってもらえるであろう最低限の人権は、この国には守ってもらえないと思います。
第一、相手に過ちを認めさせることすら至難の技です。

日本とは国民や人権に対する考え方が根本的に違うこの国で、もし何かの災害や事故で死んだら、私は骨だけでも日本に帰りたいですがそれも叶うかどうか。そして被害者であっても泣き寝入りするしかない覚悟ができるかどうか。

鉄道事故から一年、色んなことを考えてしまいます。
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