莫高窟を後にして、玉門関へ。
敦煌市街から玉門関までは約110㎞。
市街地を抜けるとポプラ並木の続く立派な道路、その後七里鎮という集落を通りすぎると、
その先はゴビ砂漠。
敦煌で面白かったのは、敦煌は市街地はともかくゴビ砂漠には土地が余りまくっているわけで、
砂漠には所々、お墓が点在している。
中国では法律で火葬が義務付けられているらしいのだが、敦煌には火葬場がなく(一番近い火葬場まで
350㎞!)、昔ながらの土葬が行われている。
そしてお墓の土地はタダ!である。
別に政府に届け出る必要もなく、広大な砂漠に市民の墓が点在…。土葬なので夜になると人魂が見えることもあるとか。
これは何も今に始まったことではないらしく、古くは前漢時代の豪族の墓も、砂漠に点在している。
私たちもその中の一つを見学したが、砂漠の中にはまだ発掘されておらず埋もれたままの古代の墓がいっぱいあるらしい。
敦煌の困ったところ、それは水不足と砂嵐。
水不足については以前書いたが、砂嵐も相当大変らしい。
特に毎年春先になると、黄砂が吹き荒れて視界ゼロになる日が何日も続くとか。
そんな話をガイドの代さんとしていると、何と雲行きが怪しくなり、向こうに砂嵐のようなものが見えた。
すわ!?砂嵐??
と思って見ていると、一転してスコールのような激しい雨に。
これには私たちも呆然。敦煌は年間降水量たったの40ミリなので、まさかここで雨に遭遇するとは思ってもみなかった。
更に驚いたのが、運転手と代さんのリアクション。
2人とも「今日は天気がいいね!」と言って喜んでいる。
杭州では、と言うか日本でも、「今日は天気がいいね!」と言えば雲一つない快晴のことだが、
ここ敦煌では雨のことらしい。
強風と雨に叩きつけられそうになりながら、玉門関に到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/53/65d0581baaa2965ce5ffabbd4124a798.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/5c/e38972c680c30f5eb59498e1a7cd1cb0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/0c/44879d807f9893bf61f017e812a8a8a7.jpg)
烽火台しか残っていなかった陽関と違って、ここはちゃんと関所が残っている。
強風で吹き飛ばされそうになりながら、建物の中へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/50/3115727c16b5d918900d32d2bd9a9da8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/0d/58d6f0f6cd9743eabb912cd5278a0145.jpg)
昨日陽関から見たのとはまるで違う、砂漠の表情。
三蔵法師こと玄奘は、天竺へ取経の旅に出た時、都長安を出発してこの玉門関から天山北路を通ってゆき、
帰りは天山南路から昨日行った陽関を通って、長安へ帰ってきた。
玉門関を後にして、漢代の長城へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/93/86feb9fc826c06bddb79ffe8ea8f1be4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/11/2763781130a4046d34006b5a2b4b5ccc.jpg)
漢代の長城、もともとは5~6メートルの高さだったらしいが、今土の上から見えるのは2メートルほど。
同じ長城と言っても、明清時代の高い長城ではなく、馬が飛び越えられない高さに作られている。
それに領土からの羊の流出を防ぐ目的もあったというのが面白い。
西方の民族は戦いの時に食料になる羊を連れてくるのだが、現地調達することも多く、
羊が手に入らなければ食料が不足し、やがて撤退するしかなくなってしまう。
最終日は再び莫高窟を見学した後、敦煌市博物館。
そして最後の昼食は、私の希望でラグメン!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/f0/7226a380221aacc9980f29b582b008b5.jpg)
新疆に旅行した人は絶対知っている(と思う)ラグメン!(中国語では拌面、ウイグル語ではラグメン)
甘粛省~新疆にかけて、ほぼ毎日食べられていると言ってもいい、大衆食!
その昔、ここから新疆に行った時は本当に毎日毎日食べ続けた麺だ。
話が新疆のことになると、代さんは表情を曇らせた。
昔は多くの日本人ツアーが敦煌からさらに新疆まで足を延ばしていたのに、今はここから引き返すルートが
多くなったと言う。
やはり近年のウイグルの暴動やテロの影響で、治安が悪化しているのが一番の原因らしい。
ウルムチでは今、デパートに入るのでさえ荷物検査とボディーチェックがあるそうだ。
一番影響を受けているのがやはり観光業で、代さんと長年のつきあいのある新疆の旅行業者は皆
苦境に立たされていて、廃業する人もいるらしい。
「敦煌も、一番多い民族は漢民族ではなく回族の人たちです。私たちは長い間漢民族、少数民族問わず互いに協力して友達としてやってきたのに…」という代さんの言葉が印象的だった。
18年前はここから一晩車に揺られてトルファンに行って、その美しいオアシスの街に随分癒されたのに。
今、新疆はどうなっているんだろう。またいつか、安心して訪れることができる日が来るのだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/36/2385cb4cc03bdafb4d539934e4020db3.jpg)
今回初めて飲んだ、フルーツ味のジンジャーエールのような飲み物。
ラグメンのお伴に最高!
北京時間とすっかりズレているため、夜9時半でもまるで5時半のような明るさだった敦煌。
4日間でしたが、充実した旅でした。
敦煌市街から玉門関までは約110㎞。
市街地を抜けるとポプラ並木の続く立派な道路、その後七里鎮という集落を通りすぎると、
その先はゴビ砂漠。
敦煌で面白かったのは、敦煌は市街地はともかくゴビ砂漠には土地が余りまくっているわけで、
砂漠には所々、お墓が点在している。
中国では法律で火葬が義務付けられているらしいのだが、敦煌には火葬場がなく(一番近い火葬場まで
350㎞!)、昔ながらの土葬が行われている。
そしてお墓の土地はタダ!である。
別に政府に届け出る必要もなく、広大な砂漠に市民の墓が点在…。土葬なので夜になると人魂が見えることもあるとか。
これは何も今に始まったことではないらしく、古くは前漢時代の豪族の墓も、砂漠に点在している。
私たちもその中の一つを見学したが、砂漠の中にはまだ発掘されておらず埋もれたままの古代の墓がいっぱいあるらしい。
敦煌の困ったところ、それは水不足と砂嵐。
水不足については以前書いたが、砂嵐も相当大変らしい。
特に毎年春先になると、黄砂が吹き荒れて視界ゼロになる日が何日も続くとか。
そんな話をガイドの代さんとしていると、何と雲行きが怪しくなり、向こうに砂嵐のようなものが見えた。
すわ!?砂嵐??
と思って見ていると、一転してスコールのような激しい雨に。
これには私たちも呆然。敦煌は年間降水量たったの40ミリなので、まさかここで雨に遭遇するとは思ってもみなかった。
更に驚いたのが、運転手と代さんのリアクション。
2人とも「今日は天気がいいね!」と言って喜んでいる。
杭州では、と言うか日本でも、「今日は天気がいいね!」と言えば雲一つない快晴のことだが、
ここ敦煌では雨のことらしい。
強風と雨に叩きつけられそうになりながら、玉門関に到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/53/65d0581baaa2965ce5ffabbd4124a798.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/5c/e38972c680c30f5eb59498e1a7cd1cb0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/0c/44879d807f9893bf61f017e812a8a8a7.jpg)
烽火台しか残っていなかった陽関と違って、ここはちゃんと関所が残っている。
強風で吹き飛ばされそうになりながら、建物の中へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/50/3115727c16b5d918900d32d2bd9a9da8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/0d/58d6f0f6cd9743eabb912cd5278a0145.jpg)
昨日陽関から見たのとはまるで違う、砂漠の表情。
三蔵法師こと玄奘は、天竺へ取経の旅に出た時、都長安を出発してこの玉門関から天山北路を通ってゆき、
帰りは天山南路から昨日行った陽関を通って、長安へ帰ってきた。
玉門関を後にして、漢代の長城へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/93/86feb9fc826c06bddb79ffe8ea8f1be4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/11/2763781130a4046d34006b5a2b4b5ccc.jpg)
漢代の長城、もともとは5~6メートルの高さだったらしいが、今土の上から見えるのは2メートルほど。
同じ長城と言っても、明清時代の高い長城ではなく、馬が飛び越えられない高さに作られている。
それに領土からの羊の流出を防ぐ目的もあったというのが面白い。
西方の民族は戦いの時に食料になる羊を連れてくるのだが、現地調達することも多く、
羊が手に入らなければ食料が不足し、やがて撤退するしかなくなってしまう。
最終日は再び莫高窟を見学した後、敦煌市博物館。
そして最後の昼食は、私の希望でラグメン!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/f0/7226a380221aacc9980f29b582b008b5.jpg)
新疆に旅行した人は絶対知っている(と思う)ラグメン!(中国語では拌面、ウイグル語ではラグメン)
甘粛省~新疆にかけて、ほぼ毎日食べられていると言ってもいい、大衆食!
その昔、ここから新疆に行った時は本当に毎日毎日食べ続けた麺だ。
話が新疆のことになると、代さんは表情を曇らせた。
昔は多くの日本人ツアーが敦煌からさらに新疆まで足を延ばしていたのに、今はここから引き返すルートが
多くなったと言う。
やはり近年のウイグルの暴動やテロの影響で、治安が悪化しているのが一番の原因らしい。
ウルムチでは今、デパートに入るのでさえ荷物検査とボディーチェックがあるそうだ。
一番影響を受けているのがやはり観光業で、代さんと長年のつきあいのある新疆の旅行業者は皆
苦境に立たされていて、廃業する人もいるらしい。
「敦煌も、一番多い民族は漢民族ではなく回族の人たちです。私たちは長い間漢民族、少数民族問わず互いに協力して友達としてやってきたのに…」という代さんの言葉が印象的だった。
18年前はここから一晩車に揺られてトルファンに行って、その美しいオアシスの街に随分癒されたのに。
今、新疆はどうなっているんだろう。またいつか、安心して訪れることができる日が来るのだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/36/2385cb4cc03bdafb4d539934e4020db3.jpg)
今回初めて飲んだ、フルーツ味のジンジャーエールのような飲み物。
ラグメンのお伴に最高!
北京時間とすっかりズレているため、夜9時半でもまるで5時半のような明るさだった敦煌。
4日間でしたが、充実した旅でした。
おお、MWNさまもシルクロードに行かれていたんですね!あの頃は中高年だけでなく若い人も、シルクロードに関心を持つ人が多かった気がします。18年前、私は敦煌から先もトルファン、クチャ、カシュガル、ウルムチを回っていますが、行く先々で日本人のツアーやバックパッカーに会いました。トルファン、カシュガルはとても居心地のいい街でした。
新疆は数年前の暴動以来特に締め付けが厳しくなっているようで心配です。ちなみに18年前の私の感想も、「どう考えてもここ、外国でしょ。」でした(大失言?)その外国に中国人がどんどん入ってきて、少数民族を追い出して金稼ぎしてるんですから、もめない方がおかしいかも知れませんが…。いつかまた訪れることができたらと思います。