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雪降る街 カムイラピットの楽園 こな雪 ぼた雪 あられ雪

けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

カムイラビット どう どうしたの? 長いお休みでしたね!

2017-10-30 18:19:47 | 記録

「カムイラビット どう どうしたの? 長いお休みでしたね」

16日(10月)朝、札幌東区の某病院へ・・・。

即、入院宣告・・・ です。

今日、30日まで入院しておりました。その間ゆっくり休んで下さいとの神様のお計らいです。

その間ブログも休ませてもらいました。

何人もから、「心配している」とのお電話をいただき、恐縮に思っております。有難うございました。

前までの元気には戻ってはいませんが、家での生活ができる様になりました。

居心地の良い病院で、15日間も居たのに退屈しないで過ごせました。別世界での生活でした。

でも、来週末再入院し治療します。その時もブログは休ませていただきます。

ともあれ、これからも健康に気を付けますので、引き続き「カムイラビットの楽園」を発信します。見てください。

 

 


平尾昌晃さん死去 作曲家、79才

2017-07-26 10:41:38 | 記録

「平尾昌晃(ひらおまさあき)さん死去」

2017年7月21日、作曲家の平尾昌晃さんが肺炎のため亡くなられました。79才。東京都出身。

昭和を彩るヒット曲を連発した方です。

歌手から作曲家に変身(60年代半ばから)しました。

「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子さん)「霧の摩周湖」(布施明さん)「夜空」(布施明さん)「私の城下町」(小柳ルミ子さん)「よこはま・たそがれ」(五木ひろしさん)

「二人でお酒を」(梓みちよさん)「恋のしずく」(伊東ゆかりさん)「カナダからの手紙」(平尾昌晃・畑中葉子)など心に残る歌を数多く作曲されました。

知っている方が毎年亡くなられて行きます。それだけ私も年齢を重ねていると言えるのですね。

すすきのの料理屋で偶然隣り合わせの席に、平尾昌晃さんがいて話しかけたことがありましたが、私もむかしはよく飲みに出ていたのでした。

 


浅田真央選手 引退表明

2017-04-11 17:57:06 | 記録

「浅田真央選手 フィギュアスケート女子 引退」

各スポーツ紙は一面で浅田真央選手の引退の記事を掲載していました。

若い選手が次々に出てくる中で、真央選手がテレビにさっぱり出なくなり、次の大会には持ち直して優勝するのではないかと期待し、案じてはいたのでしたが、とうとう昨日の発表となりました。

真央選手の刺激を受け、日本の女子フィギュアスケート会の世界的な格上げとなり、大きな影響を与えていたことに感謝します。

真央選手いなくては今の日本女子フィギュアスケートはなかったのです。

 

昨日、NHKテレビの深夜のニュースで繰り返して報道していましたが、これほど何度も同じことを流していたことにびっくりです。

インタビューを受けていた人たちの感想も本当に立派でした。

最後の決断に至るまで、心身とも疲れたことと思います。大変ご苦労様でした。


大相撲より 学ぶ 人生「七転び八起」 稀勢の里横綱誕生おめでとう

2017-01-28 17:42:39 | 記録

「大相撲で、一月は盛り上がり」

大相撲が始まると、私は15日間忙しくなります。

東京で行われているのに、生活のリズムを相撲放送時間に合わせるのですから、忙しくなるのです。

相撲が始まって私の関心ごとは、稀勢の里がどれほど勝ち星を上げれるか! また、琴奨菊が大関に留まれる8勝以上を上げれるのか!この二つでした。

東京だけあって、15日間大入り満員で相撲人気が高まっていました。

多くの人が日本人横綱の誕生を待っていて、今場所か来場所にと稀勢の里の横綱を期待していたのです。

他の相撲取りの星勘定もききこもごもです。相撲界でも同じで「八勝」すれば番付で上にあがれて、勝ち越すことが出来なければ、番付が下がります。

毎日一番一番が大切なのです。

各相撲取りが全力で努力している中で、勝ち越すのはなかなかのことです。

私の心の中に人生「七転び八起」というのがあって、勝ち越すことが生き方のモットーとしているからなのです。

初場所の大相撲は若手が台頭してきて、相撲を面白くさせました。逸ノ城、貴ノ岩、高安などの力が戻り見せ場を作りました。

稀勢の里が琴奨菊に敗れ一敗となった9日目の日、貴ノ岩が白鵬をやぶった時も驚きました。

横綱、大関陣が総崩れの中にあって、稀勢の里だけが15勝1敗で、横綱昇進を果たしたのでした。

稀勢の里、横綱になられおめでとうございます。

★ タイ・バンコクでのこと。ガイドは本当に日本語の上手な女の方でしたが、よく日本の相撲放送を見ている方で、横綱に日本人がいなくてつまらないなどと話していましたが、日本の国技でありながらガイドのいう言葉通り日本人がいつも思っているのを代弁してくれているそのままでした。

大相撲を見ていて、時折バンコクのガイドさんの言葉を思い浮かべていたのです。

 


札幌50年ぶりの大雪 今日は朝から雪除け

2016-12-24 22:04:38 | 記録

「札幌50年ぶりの大雪」

今年の異常気候には多くの人が泣かされました。北海道を襲った台風しかり、そして昨日の大雪です。

22日より降り積もった雪は、どんどん積もり続け市民は雪除けに追われました。

札幌では50年ぶりの大雪と言われますから、恐ろしい降り方です。24日は大雪で、札幌発着のすべての列車が運休となりました。札幌発着の汽車が止まるという事は北海道の心臓が止まったという事なのです。

雪のお城 我が家。雪に埋まっているのは我が愛車。

雪運びのトラックが何台も家の前の雪を運び出していました。雪もただでは持って行ってくれません。

新千歳空港では60本もの飛行機が飛ばなくなり、空港では「6000人もの人」が空港で足止めとなり、中には3日間も空港で寝泊まりした人もいたと言います。滑走路の雪除けが追いつかなくなり、飛行機は飛べないから仕方ありません。

旅行先で足止めになると、その間何もしないで飛行機の飛び立つのをただただ待つばかりとなり、大変なことなのです。

空港での足止めは、無駄な日を過ごしていたとなります。

モエレ山も雪に覆われました。黒い点みたいなのは登山している人です。

我が家では24日は朝から雪除けです。今日はどうしても車を使う必要がありましたのでしたので、車の使用のための雪除けを余儀なくさせられました。

車の上の60㌢ほど積もった雪は、雪を乗せたまま近くの雪投げが出来るところまでそのまま行き雪を投げてから家に戻ります。

24日朝、ナナカマドの実に降り積もった雪、見事な積もり方です。

今日行われた、モエレ陽だまりのクリスマスイブ・キャンドルナイトの催し。モエレ沼公園(札幌市)にて。

大雪の後は、4車線の道路が使用可能な道が2車線となり、車ものろのろ運転で、時間がかかるばかりです。

 

 


「十勝岳のナキウサギ」 

2016-12-10 22:04:25 | 記録

「十勝岳のナキウサギ」

毎年のように上富良野町の吹上温泉の銀嶺壮に泊りがけで出かけていました。空気も良く景色も良いので我が家の愛する年間の行事としていました。

しかし、近年では襟裳岬行きが多くなり気持ち的に忙しくなって、吹上温泉に行きたい気持ちはあるのですがいつの間にか月日が流れ、「今年も行けなかったね」ということが多くなりました。

ある年の事、ナキウサギの写真を撮りに来ていた人と温泉で親しくなり、車がないのでナキウサギのいる場所まで行ってほしいとラビ妻に頼み込まれ、こちらもナキウサギをぜひ見たいと車にて同行しました。

そこは十勝岳の登山口の望岳台の近く、危険そうな橋を渡り、ナキウサギの住んでいる地域に行くのです。撮影地では結構なナキウサギが姿を見せ、いたるところからナキウサギの「キェッキェツ」「キッキッ」の鳴き声が聞こえるのです。

その時私は交換レンズの150ミリしか持ち合わせていなかったので、2本のフイルムを使ったのですが、豆粒ほどのナキウサギの姿しかキャッチできず、引き延ばしもあきらめてしまっていたのです。

それでも方々から聞こえるナキウサギの鳴き声に経験したことの無い自然界を感じたのでした。

その後、富良野岳の安政火口の登山道にて聞こえる鳴き声がナキウサギの声であることに気づいたのです。望岳台近くでナキウサギの撮影をしていなかったら、分からない事でした。

望岳台近くの橋は古くなり、今では撮影地まで行けなくなっています。

えりも町の豊似湖周辺にもナキウサギが居るとして撮影に来ている人が居ますが、その人たちに聞いてもその時は撮影に成功したと聞いておりません。

ナキウサギの生息地に案内して下さった方から、額に入れたナキウサギの写真が送られてきていて、我が家の廊下に飾ってありますが、驚いたのですが、この暮れ喪中のはがきが浦上さんの奥様から届き、今年亡くなられたとのことでした。ご冥福をお祈りいたします。

年とともに悲しい便りも多くなり、嘆かわしく思っています。


短命ヒマワリ 畑の肥料に 「当別町農家」

2016-10-16 19:51:03 | 記録

「短命ヒマワリ 陽に映えて美しく 石狩・当別町]

昨日(15日=土)、今日(16日=日)と当別町に出向きました。

途中の太美温泉過ぎてのまもなく畑でヒマワリが綺麗に咲いていました。真っ黄色のヒマワリで、朝の太陽に向かって咲いていました。

この黄色さが、通常見るヒマワリより魅力があります。

道路側から見るとヒマワリはすべて背を向けています。朝の太陽に顔を向けているので、多分帰りの午後になれば、こちら側に顔を向けて咲くのだろうなあと思われました。

気づくとヒマワリ畑の外側をトラックターが動いています。近くの畑を起こしているのだろうと思ったのですが、それは違うのです。

トラックターは外側からヒマワリを畑にすきこんでいるのでした。

まだ綺麗に咲いているのに畑の肥料にとしているのです。これらのヒマワリはまだ若いのに可愛そうにさえ思えるのでした。

例年当別町の別な畑にヒマワリが植えられていて、順繰りに肥料にとすきこんでいるようなのです。

「美人短命」と言われますが、畑の黄色の綺麗なヒマワリは短命あつかいなのです。

このヒマワリを見ていると心が洗われる風景です。農道沿いに咲いているのですが、誰に見せるという物でもなくそそと咲いて花盛りでした。

 ★10月16日は笹刈りから帰ってきて、野球をテレビで観戦。ラビ妻も熱心に応援、日ハムが中田、大谷の活躍で快勝し日本シリーズに進出決定しました。道民全体が大騒ぎです。

大河ドラマ「真田丸」を楽しみにしていたのですが、睡魔に襲われ見ないまま終わりとなりました。

 

 

 

 


なごり雪 寒さが逆戻り

2016-04-11 17:41:36 | 記録

「大寒む、小寒む 寒気が舞い戻る」

 4月11日と云うのに今日はぼた雪が降り出し、寒さが舞い戻った感じです。車の作業が遅れていてタイヤをまだ履き替えていなかったので、さあ作業にかかろうと思っていたのですが、10時過ぎから雪が降り出し、とうとうできずじまいでした。

寒い日に作業をすると事故も起こりやすいので、今日は中止の決定です。

なごり雪というのでしょうか、かなりの寒さになりました。4月のこの季節に雪が降るのは珍しい事です。

夕方になってもまだ降り続いていました。寒気が上空に張り出し、全国的に寒いそうです。

今日みたいな雪降りが戻った日に、芽吹いたばかりの植物の写真撮影も面白い作品が出来そうですが、野に出掛ける元気もです。野に出ている自分を頭で描いてこの無精ぶりを反省しています。

 

★ 昨日、10日は「食と文化のフォーラム」(毎日新聞社主催)に出掛けました。こういう講演を聞いていると、食べる物が無くなります。これは健康に悪い、あれは添加物だらけだなどと言われれば困ってしまいます。何せ続けて食べないとか、大食いしないことが大切だとか。コンビニの食品、安くて、保存が長く、綺麗に作られているのは用心だとか。自然のままの物を手作り料理が何よりだとか。

★ そして同じ昨日、道新ギャラリーで展示中の写真展を見て来ました。文化教室の受講生の作品展でしたが、会場も広く、出展数も多く、作品も魅力のあるものが多く見応えがありました。写真展は今月12日までです。見てよかったと思っています。

  

 


道内人口12万人減 538万人 2015年国勢調査

2016-03-15 20:29:15 | 記録

「人口問題にカムイラビットは大関心」

道内の人口は?

と聞かれて 答えられる人は何人いるでしょうか。答えは「538万人」です。

更に問います。札幌の人口は?

答えは[195万人」です。

さあて この人口は増えているのでしょうか。減っているいるのでしょうか? 道内は12万人減。

札幌は4万239人増となっています。

よくこの頃の話題は人口減少問題で、市町村がどう対策するかという事です。

田舎に行けば行くほど人口減少がひどいのです。

札幌市では女性一人が一生涯に産む数は全国でも非常に少なく、今後1.5人までにしたいと高橋はるみ知事は打ち出しているが、言葉に表せないくらい世の中が変わってきています。

だいたい、結婚しない若者が周りに沢山いるのです。

また、結婚していても、一人ぐらいは育てますが、二人だと今後の子育てに、経済的にも苦しくなると一人の子供だけで我慢する家庭が多いからで、1.5人にはそう簡単ではないのです。

道内の経済が極度に上向かない限り、目標達成にいたらないでしょう。

 

 


人生には「代打もリリーフ」もない 桑田真澄さん語る

2016-02-05 21:53:34 | 記録

この頃、毎日繰り返されるテレビに、もとプロ野球選手の清原和博ともと経済再生担当相の甘利明氏の二人の画面が出てきます。二人とも人生に大失敗した人です。

人生をこのような失敗で終わりたくありませんね。

PL学園で甲子園を沸かせた清原と桑田真澄さんとは生き方に大きな違いがあったようです。桑田真澄さんの講演会を聞いたことがありますが、人の生活には三つ目の気構えが必要と話していました。

桑田さんは体が大きくなかったせいもあるのでしょう。野球生活の中で高校時代に三つ目の取組として、人が目向きもしないトイレの清掃を一人でしていたと言います。こうした生活が桑田真澄さんを大きく育てたものと思われます。この話を聞いて立派な人だと思ったのです。その点清原は体が大きく恵まれていたわけで、桑田さんほどの苦労はしていなかったのではないでしょうか。

清原がダイヤのピアスをしたり、タトゥーをしたりと、通常の日本人らしからぬことをしていた姿を報道画面で見るにつけ、あの野球界を沸かせた清原がなぜこうまでしなければならなかったのか不思議です。

今回清原和博の覚せい剤所持容疑について桑田氏は「野球はピンチになれば、代打もリリーフもあるが、人生には代打もリリーフもない」「人生でもきれいな放物線を描く逆転満塁ホームランを打ってほしい」と話しています。

「人生には代打もリリーフもない」の言葉に本当にそうだと思うのでした。

甘利明氏は安倍内閣を支える重鎮が賄賂(?)を気安く受け取るなんて考えられない事でした。

人生に何が起こるかわかりませんが、潔癖な毎日の生活が大切なのです。