みやびのまなび

インディゴの子をさずかり、幸せなご縁に恵まれ、真実を学ばせていただいている。
みやびと子供の成長のきろく。

みやびの成長 ⑯

2008-03-29 08:58:59 | みやびの成長 ( 親になるために )
先日、目にとまった本がありました。読みかけの本もありましたが、どうしても気になったので、その本をお借りして先に読むことにしました。

ゆるしの法則?ゆるすねぇ…。

タイトルは
『 ゆるすということ―もう、過去にはとらわれない 』
です。ぜひお勧めします。

本はとても読みやすいのですが、仕事に追われ、ゆっくり読書をする時間もなかったので、その本を読み終えるのに数日間ほどかかりました。
でも、そのことも意味があったのか、大切なことを気づかせていただきました。

本には過去、他人、自分、すべてをゆるすことの素晴らしさ、必要性が書かれていました。逆に、「ゆるさない」という思いについてもどうなるかが書いてありました。

他人はゆるせるけど、自分をゆるすということはむずかしいなぁと感じました。
すると、急に10年ほど前の父のことを思い出しました。
私が大学4年生のころ、自営業の父は仕事で大変な思いをしました。それは、私たち家族にも影響しました。
私は家族でいつも一人意見が合わず、浮いているように思っていました。
反発心もあって、家族に対して「私の人生の邪魔をしないで」とよく言っていました。

でも、その被害者意識をもっている私が、父に対してそうなることを小さい時に願ったことがあったことを思い出しました。

姉に比べられ、トップクラスの成績を期待された私は、父にいつか見返してやるという、なんともひどい心を持ち続けていたのでした。
私の大学時代にふりかかった大変な出来事は、結局は私が願ったものとも言えるわけです。それが実際に起こると自分を最大な被害者だと思ったわけですから最低です。

父は人生を通して、愛情深く、私に気づけるようにしてくれたのかもしれないと思いました。
私は、父に本当に申し訳なく、そして今は父にただ感謝しています。

自分をゆるすことはやっぱり簡単じゃないなぁと感じていましたら、つぎに一番自分にとって触れたくない感情に気が付きました。

嫉妬心でした。

私は何か自分にとって面白くないことがあると、友達のところににげるという流れがありました。普通結婚してこんな歳になりますと、一切友人関係が変わるものだと思いますが、私は全く変わっていません。高校時代からの男友達で、大学も会社も同じで、幼なじみのような友達もいます。 会社の仲間でつくったサークルもあります。

私たち夫婦には隠し事はありません。
私が主人に一番感謝していることは、私を信じてくれていることです。

書きたくないことなのですが、本題に戻ります。

先日、主人の教え子が4月から大学生になるので、現代健康研究所へ一緒に連れて行ってあげることになりました。
真実を知りたいという、とても勉強家のかわいい子です。
高橋先生にも褒めていただきました。

主人はいつも良いご主人だと褒められ、その子も褒められ、私もうれしいです。

私は、高橋先生に多くを教わって、おかげさまでダメダメ人間から成長している最中です。死ぬまで成長し続けたいと思っています。

ですから、寛希が褒められ、主人が褒められ、連れていった教え子が褒められて、自分がダメ出しされても、ちょっと凹むけれど、成長することができていること、今回の人生でたくさん成長できるご縁をいただいたことに感謝して、しっかり成長できるように勉強するのみとすぐに思えるようになりました。

以前の私だったら、とりあえず競争心をわかして、プリプリしていたと思います。

それが…教え子をお家に送って、自宅に戻る際中に出来事がやってまいりました。
いえ、道中からスタートでした。

普通なら「よ~し、私も勉強するぞー!」となるとことが、本当に久しぶりにカチンときました。

褒められ気分上々の主人は、褒められグループ、ダメグループと言わんばかりに、「ねぇ、変なこと言うでしょう?」「俺と、○○(教え子のあだ名)は、みやびと考え方が違う」、まぁーいろいろと言ってきます。しかもその日は、私は小学校の同窓会帰りに治療へ行きました。
先に行っていいよという私に対しても、なんか変な返事をします。教え子には、私への印象を「同窓会帰りだからね。不器用だからその雰囲気のままで、いつもと違う。なかなか戻らないんだよ。」、変声期のように2週間もハスキー声の私に「本当は、声だけは美しい」その他いろいろ。

高橋先生が私をネタとしてお話に出されるのは今では何も気になりませんが、初対面の教え子に自分の目の前で主人からそこまで言われるのかと思うと、悲しくなりました。(私は昔から他人には主人の悪いことは言いません。ケンカしても私は他人に言いません。)

たしかに昔の私だったら、しばらくの間は同窓会の雰囲気にのまれていたかもしれません。
しかし、今の私は20年ぶりの小学校の同窓会でも、きっちり1次会の会食中でも切り上げてくるように、自分らしくいられるようになってきているので、言われ放題なのもムカついてきました。

そして、「俺たちと、みやびは価値観違うんだ」まで言われ、「そうですか。そうですか。次元が高いんですから、正しいかもしれませんね。私はダメダメですね。顔にも出ているかもしれませんね。」 と昔の私なら言い返しているところですが、声も出ないことだし、そうムッと思いながらも、適当にながしておきました。

その日の夜中に気づきました。私は、今まで主人を同じように孤独にさせていたことを思い出しました。私は家族から逃げて、都合よく仕事仲間のところに行っていました。

主人は、自分が20代のときにやられたことを高橋先生がみやびにやり返してくれているとも言っていました。

ですから、言われたこともただ受けいれるだけです。

私が主人にやったことは、自分のその時の価値観、概念、3次元の人間社会で無難にこなすこと、人間社会の常識を押し付けたことだと思います。

ですから、主人をゆるすことは私自身をゆるすことでした。
主人が過去の私をゆるしてくれていたように、私もゆるすことが必要でした。

本には、もうひとつ重要なことが書いてありました。
「裁くことをすべてやめただけよ」

裁くのは神様で、私はしなくて良いんです。
意味があって物事があるのですから、そこから何かを学ぶだけで良いのだと気が付きました。
ようやく穏やかな気持ちになってきました。

最近、ママ友、結婚している友人に、「いいご主人だよね」とよく言われます。
感謝することを気づかせてくれているのかと思うと気にならないのですが、それだけでもないことも感じます。 でも、その感覚をなんとなく気づくことができました。

私は嫉妬心とともに孤独感を味わいました。また、それらの感情と比例して主人を拒絶する気持ちが膨らんできているのに驚き、そのことにも苦しみました。

どうやってこの思いを乗り越えられたかというと、私は高橋先生の何気ない言葉を1つ1つ思い出すことができたからでした。とても愛情深いものです。
課題ができるように、支えられていることに気がつき、支えられているあたたかさを感じました。
ハスキーな声になったころから、今思うと記憶に残る絶妙なタイミングで、ぼそっと「だいぶ立派になった。だいぶ成長した」と声をかけてくださいました。その言葉を思い出せたので、私は今回の人生でたくさん成長していけば良いんだ。次元がどうのとか、まわりがどう思おうが関係ない。自分だ!自分を成長させることが目的だ。愛だけを信じようと思いました。

そのためにも、『ゆるす』が重要になってきました。
他人をゆるす。自分をゆるす。裁くのをやめる。怖れではなく、愛に従う。
すると、拒絶心もどれぐらい続くかなぁと実験みたいにもとらえていましたが、2日たって、すっかり落ち着きました。
その間、何度も涙がじんわりでてきました。

この本では、愛とエゴについても書いてあります。面白いです。
ぜひ、みなさんも読んでみてください。