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CubとSRと

ただの日記

あ!

2023年02月04日 | 日々の暮らし
 こんな日記を書いていた。

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 「昨日は節分」
              2019年02月04日 | 重箱の隅

 昨日は、節分だったということを夜十時近くまで失念していた。
 
 今日は立春。
 考えてみれば「節分」と言うのは「季節を分ける」「季節の分かれ目」ということだから、春夏秋冬、みんな節分があるわけだ。
 冬の終わりに節分があって、翌日は立春。
 ならば春の終わりも節分があって、翌日が立夏。次が立秋、そして立冬。
 なのに、暦を見ても敢えて「節分」と掲げてあるのは2月3日だけ。
 これはやっぱり翌日の「立春」が、一年の中でも特別な日、ということなんだろう。だから立春だけ依怙贔屓。
 暦が本来、農事暦であることを思うとそれも何となしに得心がいく。

 「恵方巻」なんてのも正月の昆布、海老、数の子などの縁起担ぎのための語呂合わせと一緒で、「縁を切らないよう巻きずしを切らずに」なんてこじつけを「恵方」という占星の考え方に重ねて始めたものに違いない。
 だから本来の形はただの巻きずし、それも新香巻きが案出された程度だろう。
 今の人は知らないけど、本来海苔は大変高価なもので、とてもじゃないけど庶民の手に入るようなものじゃなかった。今だって天然の岩海苔は高価だし、それを板海苔にしたものは目が飛び出るほど(は言い過ぎだけど)高い。
 そんなものを、養殖することによって安く生産することができるようになる。みんな喜んで買い求める。
 もっと売ろうと養殖海苔の問屋連が、バレンタインデーのチョコレートの如くに恵方巻の流行を仕掛ける。(おそらくバレンタインデーより早い)

 元々の恵方巻は商家などでは当たり前に食べていても、一般の家庭には浸透していなかった(行われる必然性が全くない)。商家の決まりごとの方が先か、商家の旦那衆の花街での遊びが先か、今となっては分からない。
 まあ、旦那衆の下衆な遊びが商家の決まりごとになる、なんてことはあり得ないだろうから、初めは普通の新香巻きか胡瓜巻きを階段に腰掛けて、ってのが妥当なところだろう。それを旦那衆が悪ふざけして太巻きにして芸者遊びの席で(以下略)。

 しかし、少なくとも今のような「太巻き」ではなかったと思われる。
 「出自が悪いから駄目」、と言う考え方からすれば、恵方巻はともかく、太巻きなんかあり得ない。
 そうなると、ベリーダンスだって、ポールダンスだってみんな駄目、ということになる。最近はポールダンスを習いに小学生が通ったりしているらしいけど。
 「まあ!なんてお下品な。あれは○○で酔っぱらった男の人にだけ見せる(以下略)」
 そう言えば、昔、尊敬する音楽家に
 「ダンサーって、能く鍛錬しててすごいと思うけど、何だか下品な感じがして」
 と言ったら
 「そりゃあ、そうや。ジゴロがするもんやから」
 と。
 だからと言って今、ダンスが軽蔑されることはない。
 妖艶なダンスを子孫繁栄のための気分を盛り上げるために活用しようが、太巻きを恵方巻と称してまるかぶりするのを家族そろっての一大イベントとして楽しもうが、それは個々人、各家庭の勝手。
 これもまた日本の文化として受け入れて、換骨奪胎でも何でもしてしまえばいいのかも。軽トラ一台引っ繰り返して大ニュースになるハロウィンもすぐにお祭り好きの日本人の文化になってしまうのかもしれない。
 この頃、そんな風に思う。

 やっぱり、「問題だから」と根元から切り倒したって、次が思い通りにいくわけじゃない。それよりも根元の気持ちを忘れず、枝を矯め、不要なところを削っていく、その時の思い(遣り)を続けていくことの方が大事なんだろう。




コメント
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