謹賀新年
神戸に暮らすようになって、はや43年。
六甲山の尾根に棲んで20年余り。
御存じの通り、六甲山は神戸市の南端部に東西に延び、主要市街地はその南麓に同じく細長く延びる。
海と山は近い。
窓からは海が見え、海の向こうには淡路島が見える。
空気が澄んでいる日は小豆島も見える。
正月一日、日付が変わると、港では船の汽笛が一斉に鳴らされるのだそうだが、いくら山から見えるし海は近いと言っても、やはりそれなりの距離はあるから零時に鳴らされる汽笛というやつをちゃんと聞いたことがなかった。
今日はちゃんと聞いてみようと、寒いけど窓を開けて外を見ていた。
幸い、風はない。冷え込みも思ったほどではない。
しかし、はっきりとした汽笛は聞こえない。
ただ、風の加減か、数回汽笛らしいものが聞こえたように思う。
汽笛を鳴らすのは日本の船だけではない。外国船も鳴らすのだそうだ。
万国共通で新年を祝ってくれる。
己の在り方を保ちつつ、相手のことを思いやる。当たり前のことのようだが、なかなかできない。
しかし「社会」は大小にかかわらず「理」で立てられているのだから、それを守るための「建前」「儀礼」「ルール」を破るようでは社会は成り立たない。
と言うより、そう言う奴を「社会」は受け入れることができない。社会に「度量」などはないのだ。
年明け早々何を書いてるんだろう?
交通ルール、国家間のルール共、横紙破りをして
「自分(自国)だけは社会の中で良い位置を占めよう」
なんて勝手は許されない。
神戸に暮らすようになって、はや43年。
六甲山の尾根に棲んで20年余り。
御存じの通り、六甲山は神戸市の南端部に東西に延び、主要市街地はその南麓に同じく細長く延びる。
海と山は近い。
窓からは海が見え、海の向こうには淡路島が見える。
空気が澄んでいる日は小豆島も見える。
正月一日、日付が変わると、港では船の汽笛が一斉に鳴らされるのだそうだが、いくら山から見えるし海は近いと言っても、やはりそれなりの距離はあるから零時に鳴らされる汽笛というやつをちゃんと聞いたことがなかった。
今日はちゃんと聞いてみようと、寒いけど窓を開けて外を見ていた。
幸い、風はない。冷え込みも思ったほどではない。
しかし、はっきりとした汽笛は聞こえない。
ただ、風の加減か、数回汽笛らしいものが聞こえたように思う。
汽笛を鳴らすのは日本の船だけではない。外国船も鳴らすのだそうだ。
万国共通で新年を祝ってくれる。
己の在り方を保ちつつ、相手のことを思いやる。当たり前のことのようだが、なかなかできない。
しかし「社会」は大小にかかわらず「理」で立てられているのだから、それを守るための「建前」「儀礼」「ルール」を破るようでは社会は成り立たない。
と言うより、そう言う奴を「社会」は受け入れることができない。社会に「度量」などはないのだ。
年明け早々何を書いてるんだろう?
交通ルール、国家間のルール共、横紙破りをして
「自分(自国)だけは社会の中で良い位置を占めよう」
なんて勝手は許されない。