goo blog サービス終了のお知らせ 

水川青話 by Yuko Kato

時事ネタやエンタテインメントなどの話題を。タイトルは勝海舟の「氷川清話」のもじりです。

「原発から速やかに逃れることができるのか?」 「レベル7」の日本で読む三原順の『Die Energie』

2011-05-19 20:30:40 | ニュースあれこれ

1980年代に漫画を読む「少女」だった人の多くは、三原順を読んでいるはずだ。と、断言する。もちろん『はみだしっ子』が紛れもない代表作だが、同時に描いていた『ルーとソロモン』も好きだったし、『はみだしっ子』の後の『ムーン・ライティング』や『SONS』も傑作だった。

そして『Die Energie 5.2☆11.8』。およびその続編といえる『X-Day』。共に原子力を扱っている(「X-Day」はほかにもたくさんのテーマがてんこもりだが)。『Die Energie』は、原発テロに対応する電力会社の社員ルドルフの話だ。それが「少女マンガ」雑誌に掲載されたのだ。

『Die Energie』に話を絞る。発表されたのは1982年。当時おそらく少女漫画界の最先端を行っていた雑誌『LaLa』に確か二カ月にわたって掲載された。今では文庫版『三原順傑作選 '80s』に収録されていて、簡単に手に入るし読めるので、内容については深く説明しない。今のこの日本に生きている自分が久々に再読して、グサグサと突き刺さるネームのオンパレードだったので、それを列挙したくなっだだけだ。

 


 

ルドルフ「オレはマーフィーの法則を信じてるんでな…。"もし問題の起こる余地があればそれは必ず起こる”ってのをね」

ルドルフ「消費者は送られてくる電気を憎みをしないが、いかなる種類の発電所でもそれを憎む人々は必ずいる。それは食卓に並んだ料理は好んでも場は好まない人々が多いのにどこか似ている。そして……けれど現在、発電所は自然を破壊し人々に害をなす事に、ゆるしを与えてくれる宗教を持っていない」

ルドルフ(環境保護派の隣人ロザリンに対して)「目下の所、君達がつくる事を許そうと思っている発電所はどういう種類のものなんだい? 何ならば…電気を受けとる代わりに失ってもいいと思っているんだい? 君らはいつでもどんな発電所にでも反対してきたじゃないか。火力も地熱も。最もきれいなエネルギーと言われる水力も環境破壊を理由に反対する。だが…太陽熱発電には広大な土地が必要だし、風力だって景観上の問題はどうしようもないだろう(中略)何の問題もない方法などありはしないんだ。だから…もし君がそれを覚悟の上でAなら我慢するがBは認めないと言うならばそれもいいだろう。だが、何も譲りたくないが分け前は欲しいと言うならオレは、何も話したくない」

ルドルフ「ひとりで生きてゆけるなら…この世界に養われずにいられるなら、何ももったいないとは思わないよロザリン。けれど何もせずに生きてゆける程、自然は優しくはないし何もせずに死を待つ程には人間の寿命は短くもない」

ルドルフ(疲れて会社を辞めるという部下について)「テッドはどこへ逃げるつもりなんだろう? 速やかに逃れる事ができるのだろうか? 原子力発電から。そして…電気を使う今の生活から…速やかに? どこへ?」

ルドルフ「誰かがクーラーのスイッチをいれたがる時には他の多くの人々もスイッチを入れたがる。(電力会社は順番待ちしてくれとは言えない。そして年に数回のパーティの為に客の数を予想し食器を用意しておく様な具合に、ピーク時の需要をまかなえるだけの発電所を建てておかなければならない)。誰かが原発はグズでマヌケだと言いだす。(確かに需要の減る時間帯でも原発はその燃料を保護する為、全出力の60%程度迄しか出力を絞る事ができないし、調整に要する時間も長く、これが停止状態から全出力運転迄となると数日から10日近くもかかってしまうのだけれど…)。それに原発はとても危険だ! と言う。他の発電所にしても自然を破壊し、環境を悪化させる乱暴者だし! と言う。(それでも消費者のもとへ送られる電気は扱い易く安全性が高く臭いも煙りも出さず邪魔者扱いされる程スペースをくいもしない)。何故、利益の追求にばかり血道をあげ 危険を顧みないのか!? と議論を始める。高まる反対運動と厳しくなる規制。(新しい発電所の建設を申請しても何年後に許可がおり 着工できるかさえ判らないまま 老朽化した発電所に頼り乍ら議論は続く)」

ルドルフ「年々利用地から遠ざけられる発電所。頭打ち状態の送・発電設備の改善。引きのばされるリード・タイム。発電所が老朽化する程悪化する変換効率。ピーク時の需要の増加。年負荷率の低下」

ネタバレになるので誰かは書かないが、とある人「私は…本当は飢えさせてみたかったんだが。たっぷりと電気を使って生活しながら発電所を非難する連中に、電気の足りない生活をさせてやりたかった!」

ルドルフ「(かつてテロで)デパートを燃やした連中は自分達を犠牲者だと言った。銀行を襲っても…人質を殺しても、彼らは犠牲者だった。その立場にいれば、何をしても許される。全ての責任は彼らを犠牲とした者たちが負うべき事だと思っていたのか。それとも掠奪しなければ、犠牲者を生まなければ、人は…自分が犠牲者である事から離陸できないのだともわからせたかったのか。今更そんな事、わざわざ教わりたいとも思わない!」

原発担当であることに疲れて電力会社を辞めようと思っていた矢先に事故死した先輩レイクに、かつてのルドルフが「なぁレイク、オレもこんな仕事より環境保護団体にでも入りたいよ! 彼らなら…唱道者なら、選択や決定の責任を負う事もなく『公益に反している』と言うだけでいいんだ! 『公益』の定義も競合する他の価値観との調整も知った事じゃないんだよ! あれなら楽しくて爽やかな気分になれると思うよ!」

 

ルドルフ「オレは加害者でいい! ただの加害者でいい」

 


 

……Twitter上では、ロザリンが電力会社を批判するページがスキャンされて流れていた(「コラか?」とか言われながら・笑。はい、今の漫画だったら不自然なほどのあの大量のネームが、三原順の三原順たる所以です)。けれども、この作品は単純な反電力会社・反原発の作品ではない。それも、三原順の三原順たる所以。

これを初めて読んだとき私は高校生で、おそらく「原発」なるものについて初めて考えさせられたのがこの作品だ。それでも当時の私はおそらくルドルフの言っていることがほとんど理解できず、むしろ環境保護団体の人たちがロザリンに言う「『もうすぐ石油はなくなる』とか『原始生活に戻りたいのか』とかの電力会社の脅しに負けない事よ!」という台詞に一番共感していたのかもしれない。

そのロザリンのところから隣のルドルフのマンションに入り込んでいついてしまう子猫がいる。あどけなく戯れるその猫は、ロザリンの家では温かいステレオの上、ルドルフの家では温かいテレビの上が大好きだ。電気で暖められた電化製品の上でぬくぬくと眠りをむさぼる子猫。まさに、私たちだ。その猫の姿を繰り返し差し挟みながら、ことさら何の言及もしない。ただ、テレビの上で楽しそうに暴れる子猫に向かって、ルドルフが言う。

「それはおまえ用の暖房機器じゃないんだぞ!」と。

そしてそこから、「それが化学燃料の非能率的な利用法だと知ってか知らずか…家庭用の暖房にまでさかんに電気を用い始めたのはいつの頃なのか…」という思索に続くわけだ。

これもやはり、三原順の三原順たる所以。