水川青話 by Yuko Kato

時事ネタやエンタテインメントなどの話題を。タイトルは勝海舟の「氷川清話」のもじりです。

・Tinker Tailor Soldier Spy、原作とドラマ版と映画版

2012-05-30 10:00:48 | Tinker Tailor Soldier Spy

(今年2月末に書いたこの記事は、映画版の日本公開期間中、上の方にあげておきます)

 

ジョン・ル・カレ作、「Tinker Tailor Soldier Spy」。「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」。この原作とBBC製作のドラマを長年、それはそれは熱愛してきました。熱愛するあまり、映画版が公開されるや(日本での公開がいつになるか分からなかったこともあり)、訪英してしまうほどの狂乱ぶり。

昨年秋にイギリスで何度か観て、そしてDVDが出たのを機にこのたび久々にじっくり観ました(日本では邦題『裏切りのサーカス』で4月末から公開)。

そこで、原作やBBC版ドラマがどうだったかを踏まえた上で、いつものようにあれこれコメントしていきたいと思います。ル・カレ自身は公開前からずっと、「映画は映画であって小説の映像化ではない」と言い続けていますし、それが賢明な態度なのでしょうが、ファンというのは語源が「fanatic」だけに賢明な生き物ではなく。ついつい比べてしまうわけですよ。

以下、話の<肝>となる「裏切り者は誰だ」の部分は、はっきりとはネタバレしていません。読みようによっては分かってしまうかもしれませんが。なので、ネタバレがイヤな方はここから引き返した方がいいかもしれません。

 

以降は、at your own risk! There be spoilers here!

 

・原作とBBCドラマ版のOperation Testifyはチェコスロバキア。映画はなぜかハンガリーのブダペスト。なぜだろうと思っていたら、twitterでこちらの記事を教えていただいた。ハンガリーでは近年、映画撮影誘致のため大幅な税控除策を導入と。かなり撮影費用が抑えられるそうだ。これが理由かな?

・小説やドラマを知っていれば、Jim Prideauxが撃たれるまでのこのくだりをこれだけ手短に処理した映画の手腕はすごいと思うのだが、もとの話を知らないと、どれだけついてこれるのだろう。

・それにしても、原作とは全く違うこのJim銃撃の場面、何が気になるってこの赤ちゃん。この赤ちゃんだけは助かった、というのがあとでしっかり映されていたし。まさかSmiley's Peopleに関わってこないよねえ?

・BBC版のJimもとても好きですが、映画版のMark StrongのJimは、ビルが彼について書いたメモの美しい描写そのまま。「ストーンヘンジを作った連中に作られた」とか。あのメモは映画には出てこないけど、原作やドラマでとても大事なものだった。映画では確かに要らないかもしれないけど、ビルという人、ジムという人、そしてあれをああいう形で利用するスマイリーという人を理解するのに、とても大事なものだった。

・かえすがえすも、ControlとSmileyが共にCircusを去る光景を延々と映し出した映画の導入部は素晴らしい。これは原作にもない場面で、こういうことが前史としてあったのだろうなあと想像するしかなかった場面。これを具体的に延々と見せてもらったのは、本当になんというか、映画館で予想しなかったほどグッと来た。

・かえすがえすも、映画のTobyは服装がTobyにしては地味で(これでも)不満だ(笑)。ドラマのTobyの、ぶっといオレンジ縞のシャツに紺色スリーピースは傑作だった。そしてTwitterでも何度も書いてますが、ドラマとその後のル・カレ自身による朗読CDでは「エスタヘイジー」と発音している「Esterhase」が映画では「エスタハース」に。ル・カレは映画にも深く関わってるので(カメオ出演してるほど)、なぜこの発音を変えたのか、興味津々。

・そしてControlの最期の姿、というものを見せたのも映画が初で。これもちょっと、かなり、グッと来た。

・Smiley宅にある「プレゼントの絵」。テイストが、ドラマと映画でまるっきり違う。なぜ。面白い。

・レイコンを演じるのがサイモン・マクバーニーだと知らなかったので、映画館で「へえっ」と声をあげそうになった。ドラマより映画のほうがキャスティングが原作に忠実と思えるケースがいくつかあって、レイコンはその代表格。ドラマのレイコンは派手で立派すぎるので。映画のレイコンのちょっとこの裏ぶれた、洗いざらしな感じが原作ぴったり。

・コリン・ファースのビル。この登場の仕方はとてもビルらしくて、見事ですね。そしてベネディクトのピーター・グウィラムの、まあなんてきれい(笑)。ちなみにこだわってますが、Peter Guillamは「ピーター・グウィラム」ないしは「グイラム」です。「ギラム」ではありません。Allelineもアレリンではなく、アレライン。

・Control失脚以前のSmileyと、作中現在のSmileyを、メガネの違いで表現した映画。これは見事でした。そしてそれを知らずに最初観ていると、「え、このメガネじゃスマイリーらしくないなあ」と懸念するんだけど、その分だけSmileyがあの horn-rimmedなメガネをかけたところで、「はい、完成!」と思う。「はい、スマイリーできましたー!」というか。そしてまたそこのショットで、John le Carréの名前が画面右にテロップで出るのが、なんとも絶妙。

・Circusにさっそうと歩いていくベネディクトのPeter Guillam。コメンタリーでGaryがわざわざ「Benedict Cumberbatch. Marvelous young actor」と。嬉しい。

・それにしてもペースが早い早い。もうレイコン邸だ。しかもぜんぜんteetotal millionaireが建てたように見えないw お嬢さんたちが庭で乗馬の練習をできるような豪邸に見えない。

・それにしても本当にごめんなさい。私は本当にコリン・ファースが大好きですが、それでも観れば観るほど、ドラマでビルを演じたIan Richardsonの素晴らしさが何倍にも迫ってきます。彼のあの輝かくgolden boyぶり。あの、mercurialで華麗な不安定さ。あの、薄皮一枚の向こうにあらゆる血管が透けて見えているような生々しさ。あの、世界と歴史に裏切られたことをこれでもかと悟っているアンニュイ。あの空虚な傲慢。軽薄。己の虚ろや軽薄を承知している自己嫌悪と自己正当化。厭世観。

 そうした諸々を全て表現しているIan Richardsonは本当に、実に、Bill Haydonそのもので、もしかして私はAlec GuinnessのSmiley以上にIan RichardsonのBillを決定的な決定版と思っているのかもしれない。イアン・リチャードソンのビルを決定版と思っているせいで、本当にコリンには悪いけど、彼はミスキャストだったんじゃないかとさえ言いたくなる。コリン、本当に好きなので、こんなこと言いたくないけど。それに、そこはさすがにコリン・ファースなので、この映画世界の中では十分に役所を満たしているし、深い内面性を表現している。それでも決定版と比較されてしまうのが、コリンの不幸。では誰がビルだったら私は満足したんだろう? デビッド・テナントはまだ若すぎるし。いっそのこと、ヒュー・グラント? うーん……。(追記:これを書いてから一夜開けて、はたと「ヒューはヒューでもヒュー・ローリーでいいじゃないか! 大事なヒューを忘れちゃダメじゃん!」と思い至りました。でもやっぱり、イアン・リチャードソンが決定的。ぐるぐるっとそこに戻ってしまう)。

・映画オリジナルの、車内の蜂の場面。見事。ジタバタする前の二人と対照的に、じっと観察してからスッと速やかに窓から出す、あの実に映画ならではの描写が、実に見事に「スマイリー」を表現していた。

・GuillamとRoy Bland。"Where're you off to?" "Lunch." "Want some company?" で場面が切れて、そのあとがないのは残念だなあと思っていたら、実はちゃんと撮ってたんですね。DVD発売を機にその未公開場面が公表された。居心地悪そうに緊張し警戒し怯えつつ、疲弊し倦怠しているGuillamを表現するベネディクトが素晴らしい。

・Roy Blandと言えば、ドラマで原作通りにSmileyとHampstead Heath で不毛な語らいをするあの場面がとても好きなので(pigs in clover云々)、尺の関係で削られてるのは仕方がないが、残念。原作の通りに、東欧の衛星国を次々と担当させられてバーンアウトしてしまった男の燃え尽き具合が絶妙に描かれていて。ああいう場面がちゃんとあるから、ドラマはいいんだよなあ。

・そしてコニー! ああコニー! 大変申し訳ないですが、映画のこれはこれでいいと思うのですが、ドラマ版のコニーとスマイリーのシーンはあまりに素晴らしくて、ちょっとごめんなさい。コニーが大柄で、というのは映画の方が原作の描写どおりなんですが、それでも。コニーの「I hate the real world!」という、こんなにもあの世界の住人を端的に描く、胸をえぐる台詞があるだろうかという台詞が、映画はなかったし。そして原作で最も大事な台詞のひとつ、コニーが口にして、最後の最後に「モグラ」の動機を説明する際にもリフレインする大事な台詞が、映画ではなぜか登場せず。

 "Poor loves. Born to empire. Born to rule the waves. All gone. All taken away." (可哀想な子たち。帝国に生まれて。世界の海を支配するよう生まれて。なのに全部もうない。全部もってかれちゃった) このコニーの台詞が、この作品の通奏低音だと思うのですよ。なぜGeraldが裏切ったのか。Geraldの裏切りを誰もが感じ取りながら、なぜ誰も何もできず、ただひたすら腐食するに任せていたのか。その根底にはこの喪失があったと思うのです。喪失、もしくは裏切り。帝国を支配するために生まれて来たのに、気がついたら帝国はもうなかったという。理想を抱き、この世をよりよい場所にするのだと希望に燃えていたのに、それはまったくかなわなかった。世界は、歴史は自分を裏切った。裏切られた自分は、裏切りしか最早知らない。それが彼の、そして彼らの行動原理になっている。

 私は『裏切りのサーカス』という邦題にまだ馴染めずにいるのだけれど、「裏切り」というこの作品の一大キーワードをずばり抜き取った点はとても評価している。Tinker Tailor Soldier Spyは、まさにあらゆる人による、あらゆる意味での裏切りの物語だから。モグラによる裏切りだけでなく。国を、仲間を、夫を、妻を、友人を、子供を、最愛の人を、信念を、信頼を、誠を、それぞれに裏切った人たちの話であり、同時に、国や歴史や愛する人に裏切られた人たちの話なので。

・ちょっと先走るけれども、映画でもドラマでもあまりはっきり語られていなかった裏切り。それが、ビルとジムの関係。これをビルとジムの物語として注目して、そういう目で発端と最終章を読んだとき、ジムの最後の「We were new boys together」にひたすら涙する、そういう物語。

 Tinker Tailorをジムの物語として規定したとき、映画はBill Roach少年に与えられた時間が少なすぎた。それに、子役の子の演技が固くて、ローチ少年にどれほどの意味合いが託されているのか(「ビル」という名前しかり、生い立ちがル・カレ自身の投影であることしかり)を受け止め切れていないのが、かなり残念。ビル・ローチは実はものすごく大事な役回り。作者ル・カレの投影であり、傷ついた者の「救済」を担っている役回りで、それはつまりめぐりめぐって、ル・カレ自身の救済をも担っている存在なので。

 ル・カレが幼いころに母親に捨てられ、詐欺罪で投獄されるほどのひどい父親に育てられたことは、本人が何度も語っている(小説「パーフェクト・スパイ」はそういう意味で自伝的な作品)。そうしたことを知っていても尚、DVD特典に入っているインタビューでル・カレが「女っていうのは、いなくなるものだと思っていた」と放り投げるように言うその様子に、胸が痛んだ。ちなみにル・カレはスマイリーについては「I think I created in Smiley, in part, the father I never had (もつことのできなかった父親像を一部投影してスマイリーを創った)」と話している。そして戦争体験に裏切られたという思い、自分自身の厭世観をもスマイリーに投影したと。

・これはtwitterでも何度か書きましたが、Ricky とIrinaが映画では美男美女になっているのが、とても良かったと思う。おかげでとても切ない悲恋になっていて。"I've done a lot of things in my life, Mr. Smiley, but I just can't stop thinking about her. She wasn't even my type."のこの場面が、素晴らしいですな。ドラマ版のRickyでは考えられない切なさ。 RickyがIrinaの救済にこだわり続けているのも、悲恋ものの情感を高めているし。やっぱり物語の発端となっている不幸な男女は、美男美女であって欲しいと思うのが、古今東西を貫くお約束の力。ドラマのRicky とIrinaには悪いけど、感情移入できないのよ。その割には時間がかかるので、ドラマはあの辺が一時ダレる。

・しかし良くわかんないなー。なんでSmileyがなんども泳ぐの? これがE.M. Forsterものだったら「水」は「魂の解放」を意味したりするわけですが、これ、ル・カレだし。コメンタリーのGaryによると、撮影は10月! 死ぬほど寒かったけど、まわりでは90代のお年寄りたちが泳いでいたので、自分は文句が言えなかったと。かわいそーーー。

・Guillamの鮮やかな水色のネクタイはいいですな。ただし、GuillamにしろRickyにしろ、スパイにしてはハンサムすぎて目立ちすぎでしょw Billはもちろん。ただBillは原作でもそうだから仕方なし。

・そしてドラマと映画の大きな違い。映画のCircusはでかい! 広い! ドラマのはいかにもロンドンのtownhouseを改造しました風のせまーい廊下やオフィスの感じが、いかにもCambridge Circusのあそこにありそうだよねーとリアルでした。映画のCircusは、これがそこにあるのがあまり想像できない。

・しかし。シャーロックとしての彼をアホほど、ほんとうに自分でも呆れるほど観ているわけだけど、Peter Guillamとしてのベネディクトを観ていて、欠片たりともシャーロックを連想しない。すごいねえ。辛うじて共通するといえば、キツキツにタイトなシルエットのジャケットくらいか。

・なんでだろう。映画館ではそうでもなかったんだけど、DVDで観てる今、ピーターの鮮やかな水色のネクタイが妙に目を引くな。

・カーラとの邂逅とライターの因縁を語るSmiley。この映画でGary Oldmanに与えられた、観客に向かって役を「開く」唯一の場面。見事。ドラマと違って、Smileyの語り以外なにも見せない。見事だ。

・テレビドラマはテレビドラマだから仕方がないし、Karlaを演じるのがCaptain Picardになるずっと以前のPatrick Stewartだというのは、実に興味深い(もしSmiley's Peopleを映画にするなら、ぜひともKarlaはPatrickに!)。ついでに言えばドラマ版はAnnもはっきり出していた。このどちらも私は「見せない方が良かったなあ、いらんかったなあ」と思うので(特にAnnは)、それは映画の方にきっぱり軍配。

・ちなみに映画を何度目かに観て、これでAnnをしっかり出すなら、ケイト・ブランシェットがいいなあと思った。私は女性の役所ならたいがいその年齢によって、ケイト・ブランシェットがいいなあ、あるいはヘレン・ミレンがいいなあ、ジュディ・デンチがいいなあと思いがちなわけですが。

・Gary OldmanのSmileyについては、スーツの着こなしにしろ立ち居振る舞いにしろ、dapperすぎて、原作やアレック・ギネスのSmileyのもっさり感が乏しい。ゆえになぜAnnが彼を裏切り続けるのかが伝わらない。そこが残念。

・しかしSmileyのもっさり感と言えば、撮っていないわけではなかったのね。DVD特典に入ってる未公開場面では、Hotel Islayのわびしい部屋で、よれよれの変なエプロンをつけたスマイリーがひとり、目玉焼きをじゅーっと焼いて、ひとりもそもそ食べる姿があった。これはGary Oldmanファンにはたまらないのでは? そして上述のHampstead Pondでスマイリーが泳ぐ場面、映画では彼の裸体をはっきり見せてないんだけど、未公開場面では、たるんだお腹をどさっとたるませてぼてっと座ってる姿を映している。でも、目玉焼きをわびしく焼いてもそもそ食べてるSmileyや、たるんでぼてっとしたSmileyを、撮っても使わなかったというのは、映画製作陣の判断なのかな、と思う。原作やアレック・ギネスのSmileyとしてはそれはまったくふさわしい姿なんだけど、この映画のSmileyには不要な姿と判断したのかな(……とこう書いてその直後に、あのHampstead Pondで水着姿でボテッと座ってるスマイリーのショットは使われていたことに気づいた。しかしほんの一瞬。ゆっくりまばたきしたら見落とすくらい。なので、とりあえず、わびしく目玉焼きをもそもそ、は使わなかったんだな、と)。

・DVD特典のインタビューでル・カレ。オールドマンのスマイリーについて。"With Oldman, I think you share the pain more, the danger of life more, the danger of being who he is; that is much more acute. It's a much tougher Smiley, with here and there, as it is in most of us, a little cruelty which comes with solitude, which he also radiates. It's still a Smiley I recognize. Very much so, yes." 「オールドマンの場合、彼の痛みをより共有できると思う。生きることの危うさを、彼が彼でいることの危険を、より共有できると思う。それは彼のスマイリーの方が顕著だ。彼のスマイリーの方がずっとタフで、あちこちに残酷な側面が散らばっている。それは私たちもそうだと思うんだが。その残酷さというのは孤独と背中合わせで、その孤独感も彼は放っている。ああこれはスマイリーだと私も思えるスマイリーだった。それは実に」

・Peterの恋人をこういう設定にしたこと。原作ともドラマともまったく違うけど、私はこれはいいと思った。ビルとジムの関係をはっきり書けない分(ネタバレにもなっちゃうし)、この時代のスパイにとってこういう恋人関係は、もっとも敵にねらわれやすいものだったという、その辺がよく出ていると思う。この映画の作中現在は1973~75年くらいのようだけど、Peterのこの恋愛はイギリスでは1967年まで違法だったし。

・そうかコメンタリーでアルフレッドソン監督とGaryの話すのを聞いて初めて気づいたけど、ピーターはこの秘密があったから、サーカスではことさらに女の子と可愛くflirtして、ミニスカートを振り返ったりしていたんだ! 

・それにしても原作では、あらゆる裏切りに囲まれて常にグラグラしながらも、大事な人を裏切らなかったのがピーター。その彼が映画ではこうなってしまい、そして別れの場面のベネディクトの演技があまりに静かで胸をえぐるので、より悲しみが深い(コメンタリーではここを見終わったGaryが「Lovely...!」と。感動)。

・ああ、クリスマス・パーティの場面! ああああ、ル・カレ!!!! 

・そしてCircusのクリスマスパーティでみんなしてソ連国歌(=ロシア国歌)を歌ってるという、なんという皮肉。UKのこの人たちならいかにもやりそうで、これは映画館で口元を抑えながら爆笑した。スマイリーにとってはあんなに辛い場面なのに。

・原作とドラマのGerry Westerbyがとても好きだったので、映画では名前だけを残して、Sam Collinsの役に合体させられていたのが、尺からして致し方ないとはいえ、残念。

・そしてごめん、コリン。Operation Testifyが大失敗に終わったこの運命の夜、駆けつけて来てたちまち全てを掌握して指揮をとったビル・ヘイドンとしての説得力がね、ドラマと比べてしまうとね……。

・Tinker, Tailor, Soldier, Sailor, Rich man, Poor man, Beggarman, Thief. Smiley が beggarman。 Smileyまで疑う。あるいはSmileyへの疑いをも可能性として残しておく。これもまた、ひとつの裏切りだろう。Controlによる。彼の葬儀にはSmileyしか立ち会わなかった、そういう関係なのに。

・煙突から教室に迷いこんできてしまったフクロウを、ジムは躊躇なく殺す。安楽死とも。苦しませないための、愛の行為とも。そういうことができる男だと言う描写は、後々に生きてくる。そしてあの時のフクロウが、剥製にされて教室に飾ってあり、それをスマイリーが眺める。

・そういえば映画はKarlaやAnnははっきり見せなかったけど、Irinaの処刑ははっきり見せた。原作やドラマと違って。あまりにあっけなく、あっけない分だけひどい処刑。けれどもそれはそれで、その分だけ、上述したRickyの切なさ、悲恋の度合いが高まるというもので、効果的。

・そしてその一方で、JimからIrinaの処刑について聞かされているSmileyが、「彼女を必ず取り戻すと約束してください」と畳み掛けるリッキーに、「できるだけのことはするよ」と。このときの表情! Smileyの残酷さが、ここにも。

・Jimのあの場面にKarlaがいたとはねえ。尚のこと、あの赤ちゃんが気になる。

・Esterhaseを追い込む場面、映画のは派手で怖いねw

・原作とドラマで、Guillamは録音機器のテストにOld Man Riverを歌う。ベネディクトでそれを期待していたので、残念w まさか「Old man =Oldman」だから止めたとかじゃないよね。

・物語の予備知識なく観ていた人は、モグラのGeraldが誰か明かされたあの瞬間、どう思ったんだろう?

・そして本当に○○○○○ごめん。与えれたscreentime が短すぎたんだとつくづく思うけど、SarratでSmileyとやりとりする場面は、ドラマのファンには物足りなかった。というか、ドラマのが見事すぎるのだと思う。演技もそうだし、あと「I hate America, very deeply」というあの動機説明がなくて。映画の「The West has become very ugly」では今ひとつインパクトが弱くて。そしてドラマの彼のあの演技が見事で! 要するに歴史に自分は裏切られたのだという、その疲弊した憤慨、「sense of having been wronged」がドラマの方が強くて。ごめんなさい。ドラマを見ていなければ、引き込まれたのかもしれない。○○○○○の表情はとても深いし、Garyが作中ただ一回だけ声を荒げるところは、おおおおと思ったし。でも観ていない人には、ドラマを観て!と言いたい。強く言いたい!

・誰より裏切られた男が、自分を裏切った相手に危険を警告しに行っていた。なんて切ないんだ。そして二人がパーティで交わす目線の、微笑みの、なんて切ないんだ。なのでそれだけに、二人の最後は、なんだか距離があって、うーんと。触れず、というあれは、あれでいいのかなあ。いずれにしろ、復讐なのか、制裁なのか、苦しみや辱めを与えないための愛の行為なのか。いかようにでも解釈できる、あの素晴らしさ。

・原作の最後で、スマイリーはアンに会いに行く。遠目に彼女を見つけて、見つめて、消えて行く彼女を見送る。彼女はスマイリーを迎えに来たのだけれど。それでもスマイリーは美しいアンを「別の男の女だ」と見送る。ドラマ版でもスマイリーはアンに会いに行く。会って語らう。そして映画。最後まではっきり映らなかったアンが、おぼろげな影のようにして居間にいるのが遠目にかすかに見える。アンが家に帰って来たのを見つけて、スマイリーの全身から力が抜ける様子を私たちは背後から観る。この情感豊かなこと。この映画では、スマイリーも最後に救われる。ただしもちろん、原作のアンを知っていると、この救済も一時のものでしかないのだろうなと諦めてはいるのだけれど。

・しかし映画終幕の音楽は、選曲が素晴らしい。ドラマの少年聖歌隊の聖歌は、原作的には意味のあるものなんだけど、映画の終わり方としてはこのフリオ・イグレシアスの"La Mer"が、すごく時代の空気を出していて。若干「はい、私たちが悪者を追い出しました」的おめでたい感が強い気もしなくもないけど、2時間あまりずっと緊張してきたんだから、最後はアップビートな音楽で解放されて、Smileyの凱旋と戴冠にみんな拍手で終わってもいいだろうと。

・それでも何度でもいいます。この映画で「へえ、面白いね」と思った方は、(日本語で観られないのが悔やまれますが)BBC版のドラマを観てください観てください観てください! そして原作も読んでください。映画がより、ますます、ぐっと面白くなること確実です。(恥も外聞もなく書きますが、BBCドラマ版を日本で出そうという配給会社・制作会社さんがいらしたら、翻訳のご用命を。ぜひ!)

 

・おまけ。DVD特典のル・カレのインタビュー。カメオ出演したクリスマス・パーティーの場面について。自分はどういう人間としてあのパーティーにいるんだろうと考えて「昔を懐かしんで、酔っぱらいたくてやってきた、ゲイで年寄りの図書係」という設定にしたと。爆笑。