4月26日早朝 父が他界しました。
私たちを待たずに一人で逝ってしまいました。
満83歳でした。
昨年の2月に母が他界してから父にとっては寂しい毎日でした。
今年の2月、ちょうど母の命日に玄関で転んで頭にけがをして入院になりました。
もうダメかと覚悟を決めましたが
本当に奇跡的に命を取りとめました。
そして会話もでき、食事も自分で取れるまでに回復していました。
亡くなる2週間ほど前から急に衰弱し始め
認知症にはあることらしいのですが
口に入れたものを飲みこむことを忘れてしまいました。
弔問客が来るたびに
弟は「こんなに早く逝ってしまうとは・・・」
そう言って大きなため息をつき、無言になりました。
晩年は頑固さが目立ちましたが本当に優しい父でした。
父の兄姉弟はもう他界して残っているのは父だけでした。
弔問に来てくれた従妹たちは口々に
父にいろいろなことを教わったと話してくれました。
学校の宿題、わからない数学の問題。
顕微鏡でいろいろ覗かせてもらったこと。
明るい母とそんな父のところに遊びに来ることが楽しみだったこと。
娘は夜空を眺めながら星の話をしてもらったと。
私は子どもの頃から父にたくさんの物語や歌を聞かせてもらいました。
父の語るお話はわくわくするものだったりドキドキするものだったり
本当に怖い話だったりしましたが
弟や妹に比べたくさんの話を聞けたのは長女の役得だったかもしれません。
田舎の、ほんとうに田舎者の父でしたが物知りな人でした。
葬儀の日、たくさんの人の中にいるのがなんだか耐えられなくなってきて外に出ました。
空を眺めました。
息子がそれにつきあってくれました。
私のそれに気が付いていたのか・・・いえ息子なりの想いがあったのでしょう。
二人で雲ひとつない空を眺めました。
係の方が、「今は煙も出ないのですよ・・・」
そう話してくれました。
この青い空のどこかで父が見ているそんな気がしました。
母の死は壮絶で、どれだけ心残りがあっただろうと思うと、悔しくて仕方がなかった。
父の死は、どこか穏やかで
自ら逝ってしまったのではないかと思えたりするのです。
これでもう父は寂しくないだろうと思うと
母の時と違って、どこか安らいだ気持ちもありながら父を見送りました。
父の初七日の日、父の葬儀のアルバムと母の葬儀のアルバムを見ました。
母のアルバムには父の字で
亡くなった日や喪主や亡くなった場所、お寺の名前などが書き込まれていました。
ようやく読めるくらいの筆圧。
そして、どうしてもわからなかったんだね・・・そんな文字の空白。
認知症の父が思い出せる記憶の精一杯を使った父の母へのレクイエム。
父が亡くなって初めてそれが書かれていることに気がつきました。
誰もいない部屋で一人
思い出し、思い出し書いたのかと思うと涙があふれてきました。
葬儀のあと私は普段通りに過ごしました。
喪に服すこともなく、
この罰あたり娘が!!とは父は絶対言わないだろうと・・・
外出したりわんこと遊んだり満開の花を見に行ったり
双子ちゃんの初節句のお祝いにも行かせて頂きました。
ただこうして夜に一人父のことを想うと
ひとりで逝かせてしまったことの後悔がそして寂しさが無性にに込み上げてくるのです。
二七日が過ぎました。
父のお位牌とお骨の前でお線香が燃え尽きるまで傍にいました。
まっすぐに立ち上るお線香の煙がはっきりと見えるのです。
夫が義母から聞いたという話を思い出しました。
お線香の煙がまっすぐ上っている時は仏様が喜んでいる時だと。
父はこうして私といることを喜んでいてくれるのだろうか。
そして話しながら
まっすぐ上がる煙が時々広がったり渦巻いたり
それは父との会話のようにも思えました。
もう、父も母もいなくなってしまったんだなと・・・
そしていつか私も同じように父と母のところに行くのだなと
静かな気持ちで思います。
それまで、精一杯生きよう。
残りの私の人生をね。
「お父さん、お母さん、本当にありがとうございました」
そうそう、父のところにお線香をあげて
それから母の写真の前にもお線香をあげたら
母の方が燃え尽きるのが早かった。
のんびりな父と何かいつも大騒ぎな母。
生前の二人と同じだわと思わず笑ってしまったのでした。