minto23's blog

田舎の助産師のブログです

産後の弛緩性出血

2015-03-03 10:49:38 | 日記
私のこと。
何十年前の3月11日私の尊敬する先輩の助産院で次男を出産した。
3850gのたまのようなを通り越したジャンボな子だった。

家族が心配していたこともなく無事出産、退院した。
退院して2,3日たって大出血。
病院にいこうかと思ったが、とりあえず産んだ先輩のところに行った。

夜だった。
いろいろ不安なことも、残念なこともあった。
すべて自己責任だと思った。
出血は止まらず、救急車で転送している間に、多分死ぬんだろうなあと思った。
体も動かすのも大儀だった。

先輩が私に収縮剤の注射のことを話した。
かつて勤務していた時それを使っていた。
注射をしている最中に助かったと思えるほど、子宮が収縮した。
その後出血は微量、助かったのだ。
病院に行っていたら多分輸血をしたと思う。
何もせず子供とともに無事退院して今日まで生きて来た。

この前の研修が産後の出血の事だった。

講師の順天堂大学の先生に、控え室で上記の私のことを話した。

私が助けられた薬品は今は使用禁になっている。効果はあると納得された。
使用禁になったのも残念だといわれた。

ずっと抱えているマイナーなことは話さなかったし話せなかった。

先生が
生きていてくれてよかった。
生きて助産師会の会長をしてくれてよかった。
とおっしゃってくださった。

医療行為と線引きをするより、どんなことをしても命は助けねばならない。
医療従事者にはいのちを助ける「使命」があるとも、おっしゃられた。
私もそう思う。
私のことは、事例として、みんなに話して伝えて欲しいともおっしゃられた。
みんなには語れないと思う。先生に話せたのは先輩が亡くなっているからでもある。

あれでよかったんだと、自分に言い聞かせてきたこと、いつでも思い出しずっと抱えている事が、違った角度から捉えて頂いたことで、「生きてくれてよかったと、行きずりの方に言ってもらえたことで、すうっと心の中で消化できた。

私も出会う方にそんな捉え方ができる対応をしたいなあと思った。

生きているといろいろある。

私の家族4人中3人が死に損なって今を生きている。
いや命拾いをさせていただいて、今を生かせて頂いている。

その時々に、一番頼りになる方(医師)の出会い、誠心誠意のことをして頂き
有難いと思っている。


私が命を落とす誘引の立役者?の「次男」だけ何事もなく
人生を謳歌している。これから先ずっと何事もなく生きて欲しいと
願っている。
もうすぐ3月11日が来る。

それが親にとって一番幸せなことだから。


コメント
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