Monologは端壷に

日々感じる事を綴っています。

犠牲者は赤ちゃんアザラシ

2006-05-27 | miniMonologue

ロシアと中国の経済成長は毛皮業界にも影響を及ぼしているようです。カナダ政府は双方の政府からの要望に答えて赤ちゃんアザラシの捕獲量を増やし、捕獲期間を延ばした。

その結果、過去3ヶ月で殺された赤ちゃんアザラシの数は320,000以上。



「もっとお金が作れる」だから「殺す」


「この海は自分達の領域だから捕る」

「この土地は自分達のものだから出て行け」

そんな利用で命が奪われてしまうんですね。

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赤ちゃんアザラシのために何かしたい、という方。

ペティションにサインできます。↓

http://www.thepetitionsite.com/takeaction/566342047

男性性と女性性

2006-05-24 | miniMonologue
今、「ダヴィンチコード」を読んでいます。その内容は聖書やアートヒストリーに詳しくない私にはとても説明できるものではないのでここでは触れませんが、本の著者が投げかけるコンセプトのひとつとして「男性性と女性性の完璧なバランス」が述べられています。

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日本において多くのヒトに軽視されている「男性性と女性性の完璧なバランス」。

たとえば 家庭。これは子供が生まれて成り立つものだと思われている方がほとんどでしょう。その根底にある夫婦愛がその家庭を支えるための必須条件であることを知りながら目をそらしたくなる方が多いでしょう。子供がいなくなったらそこに夫婦愛という基盤がまだ存在するか?

その有無が子供にどんなに大きな影響を与えるか、それを真剣に考えて愛し合っている夫婦はどれくらいいるか。

疑問です。

家庭の中には二つの関係が存在することに気付かなくてはいけません。

夫婦間の関係。親と子の関係。前者は後者に多大な影響を与えます。

親の争いを見て育つ子供の苦しみ。

一つ屋根の下にいながら見えない壁で区切られた空間を子供達は感じています。

愛し合えないのなら、争うのなら、離れる方が子供にとってはいい。

子供は被害者と加害者という夫婦ドラマの目撃者になってはいけない。

親から裏切りを学んではいけない。

まして、子供を鎹や松葉杖として使ってはいけないのです。



男と女。精神でつながり肉体でつながることで生まれるパートナーシップ。その関係を尊重し育ていくことの大切さにもういい加減気付かないといけません。


男と女は違います。生物学的にちがう。脳の働き方も違う。
そして 違う理由は補い合うためだと私は考えます。

「違い」があるのは階級を作るためでなく、助け合うためなのです。影響し合い、教え合うためなのです。

男性へ。心を開いて下さい。感情を感じて下さい。

女性へ。自分の足で立ちましょう。私達にはその強さがあります。


教育心理学、発達心理学、カウンセリング理論。何を学んでも、行く付くところは「愛し合う事の大切さ」だと痛感しています。

恥ずかしがる事ではありません。

男性性と女性性のバランスが完璧なハーモニーを保てる時、この世からあらゆる争いが消えると真剣に信じています。


ピンク

2006-05-13 | miniMonologue

ベイビーピンク

ショッキングピンク


私はピンクという色、けっこう好きです。

そして 仕事場の近くのブラウンストーンに咲いていた

このバラのピンクの美しさには
 
思わずため息がもれました。


自然にかなうアーティストはいないのかもしれないなぁ。

ソウルメート

2006-05-12 | miniMonologue
特極の愛ならそれは

ダライラマのような

仏陀のような

キリストのような

宇宙愛。

そして マザーテレサのような人間愛になります。

でも私は ちっぽけな俗人ですから

気にかかるのは もちろん 

男と女の愛。

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3時間の「ソウルメート講座」なるものを$50払ってとったことがあります。(マジで)

先生のロクザンヌはサイキック。

彼女は言いました。

「ソウルメートとは 2つに引き裂かれたエネルギーがもう一度ひとつにもどること」

おお!

そうしたら あの賢者のジョーゼフ=キャンベルまで同じ事を言う。

「結婚とは精神の結びつきです。引き裂かれてふたつになった魂が もう一度ひとつになることです。Yin-Yanのシンボルそのものです」

なんと!

でも、どうしたらその人がソウルメートってわかるんですか?

「ハートが教えてくれます」



私が求めているもの。

足りない言葉

2006-05-11 | miniMonologue
子供の頃から「言葉が足りない」と母に指摘されることが多かったことを思い出します。要点、あるいは、大切なことを伝え忘れることがよくあるのです。(感情的になりやすい性質のせいかしら?などと自分では分析しておりますが...)

例えば、前回の記事は 「痛い言葉です」で終わっている。

全然足りていないのです。

人の目の前に「コレってだめね」とポンと物を置くだけでは なんの生産性もないうえに、その物の価値を自分の見解から判断するなんておごっている。


「間違えている」「正しい」は主観です。ひとの経験は その人の世界においては何ひとつ間違っていないと考える方が正しいのではないでしょうか。

言い訳をする人は、言い訳をすることで今まで自分を守ってきたのでしょう。
他人を責める人は、他人を責める人を見て育ってきたのかもしれない。
人によっては 指摘されることを責められていると感じてしまう理由があるのかもしれない。

さて。

そのような「それぞれの理由、それぞれの主観的世界での経験」を理解したうえで、それでも私は、言い訳を言ったり、人を責めたり、指摘されたことを考慮しない態度は 知性の無駄遣いだと主張します。


なぜなら、それは、その人自身に限界をかけてしまうからなのです。

ジョーゼフ=キャンベルは「神話の力」でこう述べています。

「罪は限界です。それ以上のものではありません。罪は おかした人を限界(limit)してしまうのです」

自分の中の間違いを顧みずにいることは 自分自身に限界をかけてしまうことだということ、これが大切なポイントなのだと思います。

他人様の目や社会的モラルという枠を私は個人的にあまり気にかけません。
でも、自分に限界をかけてしまうこと、これだけは避けたいと常に考えています。



痛い言葉

2006-05-09 | miniMonologue

ある心理学理論を読んでいると、このような言葉が引用されておりました。

"A great deal of intelligence can be invested in ignorance when the need for illusion is deep."
(Saul Bellow)

「錯覚の必要性が高いとき ひとは知性の大半を無知であることに費やす」


カウンセリングの見解から説明すると、「ひとは 自分の内面において知りたくない部分や否定したい部分を正当化するために知性の大半を費やす」ということになると思います。

言い訳したり、ひとを責めたり、指摘されたことに言い返したり。

それは全て知性の間違えた使い方です。

耳に痛いお言葉です。

夕日

2006-05-05 | miniMonologue

キッチンの窓から撮った夕日が沈んでいくところです。

こんなに無機質な街にも太陽は照ってくれてるんだな、

「お疲れさま」と声をかけたくなりました。

愛が降る

2006-05-02 | miniと格言
私がいつもお財布に入れて持ち歩いている愛の詩(格言?)です。



Let your love be like the misty rain,

Coming softly, but

Flooding the river.

-Madagascar Saying



愛を霧雨のように

やさしく降らせなさい

そして川を溢れさせなさい。
         
(マダガスカルの諺より)

エジソン曰く

2006-05-02 | miniMonologue
ある米国経済雑誌の創始者Mr.Fがトマス=エジソンに会った際、質問したそうです。

「なんでまた、電気を発明しようなどと思いついたのですか?」

するとエジソンは言いました。

「私のラボラトリ―がガス代を払えずにいると、ガス会社がラボラトリ―全体のガスを止めたのです。暗闇の中で、ガスなしで明かりを灯す方法を発明することを誓いました。」


現代の生活にかかせない電力が困窮から生まれたなんて。

窮して光りを生むなり。