Monologは端壷に

日々感じる事を綴っています。

私は日本人

2005-10-30 | miniMonologue
昨日の記事で <相対する性質のものを同時にそして同様に受け入れられる灰色の人になれたら>と書きましたが <相反する性質のものを> と書くつもりでありました。訂正します。

日本語難しいです。言葉は奥が深い。私は言葉で表現するのがあまり得意ではありません。こうして自分の感じている事をタラタラと書き連ねることはできても、例えば、情景描写ですとか 今日一日起った事ですとかを文章にしようとすると 苦労します。当然 作文の点はいつも悪かった。だから詩人や作家は凄い。取り入れたあらゆる刺激を 見たり体験したりしたままに言葉にして それを経験していない人にも その言葉を通して経験させてあげることができるというのは 凄いことなんだと思います。

今 ホームシックです。日本が恋しくて仕方ありません。日本を離れてから始めてホームシックにかかっています。15年程の間 一度も日本を恋しく感じた事は無かった私が 最近 郷愁の念に時々ふと涙したりすることがあるのは とても心地の良い驚きです。

これだけ遠く そして長く母国を離れて ようやく 自分がいたい場所が分かってきたような気がしています。

昔から 所属することに異様な恐怖感を抱く私でした。組織やクラブ なんでも 一員になることを毛嫌いしてきました。何かに所属するのは自分を失う事のような気がしていたのだと思います。それはおそらく 自分というものが確立されていなかったからではないかと思っています。

グループの中にいると 境回線を失って どこからどこまでが自分の意志なのか 人のためなのか わからなくなりそうで怖かったので 私はたいがいの場合 俗にいわれる 一匹狼でした。それでも根が陽気な人間なので 友だちはいつもいて 時には非常に親密になる女友達も学生時代を通して何人かいました。でも いつも 友情は突然のように途切れ こっちからは話しかけないまま 相手からも連絡がなくなり終わっていくのがパターンでした。先日書いたように 悲しいとか淋しいとか そんな感情を感じれずにいた私ですから 訳もわからずに終わっていった友情にも なんの感情も示しませんでした。

日本を去った時も同じでした。何も感じなかった。

その私が最近 自分の中の愛国心に目覚めたのがとても新鮮な驚きです。ニューヨークは皆さんも御存知のとおり あらゆる人種が肩を並べて ときに仲良く ときに争いながら生活している独立国のような所ですが 他国人は皆 非常に愛国心が強く 自分の文化を絶対に譲ろうとしない。中国人、韓国人、インド人、エジプト人、フランス人、イタリア人、ベトナム人、アフリカ大陸から来た人々、中近東から来た人々、皆、頑固なまでに自分が生まれた国の文化を生活に持ち込んでいるんです。そのような環境が 私の中に長い間眠っていた私の文化を呼び覚ましたのかもしれません。

私は今 この特別なメンバーシップをとても大切に感じています。愛国心と自己愛と。

文化というのは欲しくて得られるものではないです。生まれて育つ過程で しらないうちに自分の中に根付くものだと思います。そうして根付いた文化は去りません。長い間 他国で外人をやってきて ようやく分かってきました。他人の家では真に安らげない。日本に生まれて育った私が日本に戻るのはとても自然なことのような気がしています。Home Sweet Home です。



Shade of Gray

2005-10-29 | miniMonologue
多義で曖昧な灰色の部分に身を置くのが何とも苦手です。

黒か白か、左りか右か、YESかNOか、 欲しいか欲しくないか、はっきりせーよ、という風に生きてきました。自分に対して、そして人に対してもです。その方が整理整頓されていて 事がスムーズに進む、人生うまくいく と思っていたのです。でも All or Nothing の精神で生きていくことは 逆に 自分も 人のことも追い込んでしまうのだと気付きました。

どこまでを知性で決めて どこまでを感情で決めればいいのか いつも混乱します。頭で考えすぎてぎこちない結果になってしまったり 感情だけで走って恥ずかしい思いをしたり。

相対する性質のものを同時にそして同様に受け入れられる灰色の人になれたら もっと好い事が起こりそうな気がします。楽になれるということかな。力が抜けた良い女になれるということでしょうか。そうしたらきっと好い事起りそうです。

捨ててしまおう

2005-10-28 | miniMonologue
感情に感情的になると感じれない ということを学んでいます。私は今までキメ細やかな感情の機微に蓋をかぶせ その上に怒りという重しをのせてきました。たとえば 悲しみ、不安や恐怖などの感情が挑発されると 押さえ付けられているプレッシャーは出口を探して どっかりと上にあぐらををかいている怒りに伝わり その結果 私が意識して感じることができるのは怒りだけでした。だから私は悲しくて あるいは 淋しくて泣いた事はなったのです。涙は怒りが頂点に達した時にだけ流していました。

昨夜、うまくいかなければいいのに、と思った途端、私ってなんて厭なやつ とその考えを押し退けようとしました。そうしていつも通り自分への不快感に蓋をしかかった時 ふと、ここで価値判断をしてしまうのは自分に対して不公平だと感じたのです。そこで どうしてそんな事を思ったのか 自分にきちんと感じ切るチャンスを与えてみることにしました。なんでそんな事思うの? すると、うまくいかなければ私の方をもう一度見てくれるかもしれないから って私は切ないことを言っている。なーるほど。別に嫌なやつで あんな事思ってしまったわけではない、まだ乗り越えられていないからのようです。時間の問題ではないでしょうか。

そして再びハッとしたんです。今なんて言った? うまくいかなければ私の方をもう一度見てくれるかもしれない って言いました。 ....もう一度 .....もう一度? いつその人が私を好きだったのか 過去にその記録も記憶もない。

昔から 決め付けたり、思い込みの激しい所があることは気付いていましたが それがこんなに無意識に私の願望の中に当たり前の顔をしてはびこっていたとは と怖くなりました。 これは 自己暗示です。

再び言葉の持つ力に圧倒されました。今まで どれくらいの自己暗示をこうやって無意識のうちにかけてきたのでしょうか。

どうせ というのが口癖です。どうせ うまくいかない、どうせ ダメに決まってる。どうせ そう思ってるんでしょう。どうせ 私なんか。非常に否定的な言葉です。今までこの言葉でかけてきた自己暗示は数限りないと思います。もう捨ててしまおうと思います。

失恋

2005-10-27 | miniMonologue
私の心の痛みの中に入れるのは私だけです。友だちはそこに居てくれることはできますが この痛みの中に入ってくることは 例え望んでも できません。これは私の中にある痛みだからです。目を閉じて ただじっと感じながら向かいあっていると すこーしずつ薄れていくのが分かります。呼吸を取り戻して また 日常に戻ります。普段なら何でもない小さな出来事や記憶が また シミのようにじわりと心に痛みを浮かび上がらせる時 そしてまた呼吸困難に陥る時、再び目を閉じて じっと 一人で痛みと向き合うのです。その痛みを感じるために 全神経を寄せ集めて 静かに深く痛みの中に身をおきます。すると そうして向かい合っているうちに痛みは薄れていくのです。 

あと何度 こんな事をくり返せばこの痛みが消えて ニ度と私の中に現れなくなるのか それは 私にも分かりません。現われる度に向かい合って これで最後でありますようにと願いながら そのつど抹消させることしかできません。

私にとって初めての失恋です。今までさんざん 経験しないために逃げてきました。10代の時も20代の時も。今度は逃げ切れなかったようです。あるいは もう 逃げたくなかったのかもしれません。

想いを寄せてくれる人や 私を知りたいと思ってくれる人を 私は今まで 無表情にあしらったりしていました。好きだと言ってくれた人の前で 笑いとばしたこともあります。離婚を一方的に決心した途端に引っ越し屋を呼んで まるで嵐のように荷物をまとめ 5年間を共にした部屋を出ました。何も言えずに凍り付いている彼の目の前で です。感情の波が押し寄せてくるのを感じると いつでも逃げるように背中を向けてきました。

自分の感情を感じる事が出来なかった私ですから 他人の心の痛みなど想像もつかなかった。感情で気持ちを交わすことができないから肉体でだけで愛情表現していました。でも いつも どこかで 何かが違うな、足りないな と感じていたんです。

そして 正直に言うと、男の人は感情を交わすことになど興味が無いのだと ずっと信じていました。

失恋で終わったけれど その人を好きになって良かったと思います。男の人もこんなに自分の感情と向き合ったりするんだ、と その人にふれてみて知りました。

私もそんな人と向き合って生きていければ、と思います。

もう二度と逃げたくないです。今度誰かが私を想ってくれる時、逃げたりしたくないです。また今度私が誰かを好きになった時 私は逃げません。


友だち

2005-10-27 | miniMonologue
辛い時 いつもそこに居てくれるのは友だちです。
なによりの宝です。
今度は私がそこにいてあげたいから、
だから 末永くよろしく。
ありがとう。

ありがとう!

2005-10-26 | miniMonologue
私は独り言が多くて 昔結婚していた時も また一人で話してるの? とよく指摘されていました。無意識のうちに それも大きな声で 誰かに話し掛けるようにいろいろ話していた様です。頭おかしいのかな、と自分で怖くなったりもしました。基本的に頭がおしゃべりなんだと思います。

アメリカには Writing Therapy というのがあります。自分の感じることをありのままに書きだすセラピーです。私の母はうつを長い間わずらっていまして 薬を2種類飲んでいますが 効かない といつも愚痴をこぼしていました。うつは薬で治る病ではないですから、薬は気持ちを安定させるため そして自殺をさけるために処方されることがほとんどです。そんな母が最近 症状がひどくて家から出れなくなったのをきっかけに うつと戦う決心をしたのです。 底をついてもう一歩も動きがとれなくなって出された底力というやつだと思います。気の合うセラピストとの出会いも母がやる気になった理由の一つかもしれません。そのセラピストさんから母に出された宿題が 毎日自分の感じること書き出す、というもので 私は電話で話を聞いていて 私もやってみようと思い付いたのです。

基本的に いつも何か言いたいことがある人なので 自分にとってもこれは 心や頭の浄化に最適な方法だと思っています。しかし ただ書いているだけでは 私のような内向的な人間は 自分の世界にますますこもっていきがちです。そこで欠かせないのが 誰かが読んでくれるという意識と認識なのです。セラピーにおいては読んでくれるのはセラピスト、私にとっては 今読んで下さっている皆さんが 無くてはならない存在なのです。そこに本当の癒しの効果があるわけです。ですから 忙しい時間をさいて読んで下さっている方々にお礼を言いたいです。どうも有難う。

冬の人さん、こんな所でごあいさつ ごめんなさい。コンピューターを家に持っていない私はいつも会社からブログ書いてます。そして会社のサーバーのせいで日本語でe-mailを書くと文字化けするんです。日本語でいただいたe-mailは 読めます、大丈夫です。

日本社会って 私 思うのですが 壊れたものや傷ついたものを処理したがる、隠したがる。臭いものには蓋をしろ、の精神です。ですから 蓋をかぶされてしまう壊れたものや傷ついたもの、あるいは 臭いものは 自分には価値がなくて 価値が無いから存在してても意味が無いと信じてしまいがちなんです。でも なんで 自分の価値を社会に決めてもらう必要があるのでしょうか。

たとえば 内向的な人は外交的な人より損だとか社会はいうかもしれません。私にはただ単に 違うものにうつるんです。そう、内向的と外交的は違う。それだけです。

価値って相対的に決められがちですが それも おそらく 社会がつくり上げたものさしです。存在する者や 物は ひとつひとつ違います。違うモノを比べて価値判断しようとするのは意味の無い事だと思います。

そして 存在する者や物は ひとつひとつ違いますから 全部 存在価値があるんです、きっと。こうやって毎日ただ書いていることにも意味はあるし価値があります。少なくとも私にとっては大変な価値がある。

誰かや社会が私の価値判断をしてくれる時、私は Thank you, but no thank you. って言います。有難う、でも結構です、ということです。自分の価値くらい自分で決めますから。

思いやりでいただくアドバイスと 押し付けられる価値判断って明らかに違いますよね。

冬の人さん、いただいたコメントメールで私は今日一日嬉しい気分になれました。有難う。

そして今日もまたながながと書きました。読んで下さった方 有難う!


知ってしまった以上は

2005-10-25 | miniMonologue
彼女ともチャットする とその人から聞いたとき もし私が快晴の秋空のようなパリッとクールな女だったら なーンだ、彼女いるんだあ、じゃ いい友だちでいようよ ね、とカラっと大人になれただろうし、あるいは もし私が与謝野晶子さんや宇野千代さんのような情熱的な女だったら それでもいいの、かまわない、あなたを奪ってみせる!なんて火の輪もくぐっていくような恋に今 身を焦がしているのでしょう。しかし私はそのどちらでもない。では私はなにかといえば まあ、操作のきかないエレベーターのようなものです。一人で勝手に上がったり下がったりしてるんです。

彼女がいる人を好きになるってやっぱりよくない気がします。これが道徳的な観念から発しているのか あるいは罪の意識からなのか、あるいは恐怖感かもしれません。今度自分に彼ができた時 同じことが起るかもしれないというような。だってやっぱり嫌ですよ。自分の彼のことをうじうじ思っている女の子が他にいるって 気持ちのいいことではないです。知らなかったらまだしも 知っている以上やはり一線引かないと。

優しい人だから 私にも親切にしてくれて 私も時々それに甘えたりしましたが でも そんな時でも 彼女がいる人なんだから という声が私にブレーキをふませていた気がします。アクセルとブレーキを同時にふむと摩擦が起りますよね、ちょうどあんな感じです。厚い摩擦感がいつもどこかにあって 良い友だちにもなれなそうでしたから。今でも友だちだと思います。ただ私の中でバランスが崩れてしまったから 少し変な気がしている時です。その人もきっと まだ友だちだと感じてくれていると思います。だから そのうちまた元気に どうしてる? って声かけれたら少しは成長できるかなあ。

好きな気持ちは オセロのようにひっくり返して黒から白へは変わりませんが 毎日忙しいのがこういう時の救いですね。とにかく今やらなければいけない事に集中しているうちに 気持ちに処理が付くと思います。

それにしても ずいぶん事務的な表現ですよね、気持ちに処理が付くと思います、って。机の上を片付けてるんじゃないんだから。でも これもきっと デフェンスメカニズムですね、これ以上事を感情的にしないように選んだ言葉ですよ、きっと。

言葉って凄い力を持っている道具だと思います。だから使いこなすのは非常に難しい。いくらでも無駄に使えてしまうから タラタラと垂れ流しているうちに なんだか実も味も栄養も無い状態になり そんな言葉を発しているこっちの心の空しさの表れのような気がしてくるのです。

書き言葉は訂正がきくけれど 会話ってリズムがあって だから気の合う女友だちとの会話は本当に楽しい、でも好きな人との会話ってパニックに陥ってしまったりするのです。上手に乗れてるかな、気がきくこと言えてるかな、と。

その人はあまり無駄な言葉を発しないひとです。どちらかというと 言葉が足りないほうです。 でも それは 沢山感じることがありすぎて心の中が一杯だから容易に言葉がすり抜けて出てこない、そういう感じの人です。....そんなとこも良いなあ。

身体がそばにあれば 好きな気持ちって案外表現しやすかったと思います。

コミュニケーション

2005-10-24 | miniMonologue
それでは自分は無条件で自分を好きか といえば... これって難しいです。一年ちょっと前 セラピーに通っていたときセラピストに言われました。セラピーのゴールは簡単に言うと、自分の嫌いなところや否定したい部分を受け入れてお友だちになる事なのよ、って。それ以来 自分で見たくない所や気付きたくないことと直面してきたわけです。まず、気付くことから始まるのです。

1)感情的で短気。すぐムキになる。
2)人間付き合いが未熟。あまり好きでないな、と思うと相手を知るチャンスを作ろうとしない。
3)やりたくないことはなるべく避ける、怠ける。(言い訳作りに費やすエネルギーはある)
4)いい格好したがり。自分が正しいといつでも信じたい。
5)全てを黒か白に分けたがる。灰色の状態に身を置くのが非常に苦手。
6)壁にぶつかるとすぐあきらめようとする。忍耐力に乏しい。
7)自分の非を認めたくない。

ざっと今思い付くだけでもこれくらい欠点は見つかりますから もっと腰を据えて自分と向き合えば とんでもないのが出てくると思います。

とてつもない期待を自分に持っていて 私って選ばれた人間に違いない、なんて思う反面 自分は誰からも真に愛される価値のないゴミ同様の人間だ と感じていたりするのですが、これって一体どこから発しているのでしょうか。だって どっちの信念にも確固たる証拠も根拠もないんですから。

あ、もうひとつ 自分でどうしても改めたいところがあります。私はひとを好きになるとその人を喜ばそうとするんです。好きなひとを喜ばすことの何処が悪いか、それはその裏の動機です。私が相手を喜こばそうとする時 私の心にあるのは 見捨てられたく無い、嫌われたくない などという否定的なびくびくした自分で 相手の顔色を伺ういやらしさがあるのです。そういう動機からくる褒め言葉とかって 本当には相手の人の心に伝わらない と思います。なんか すがすがしさがないですよね。そう 好きな人のことは すがすがしく喜ばしたいものです。好い事も悪い事も 正直さをストレートにぶつけあえれば いつでもさわやかな風の吹く関係でいられるんだろうなあ、と憧れます。私ってこんな人なんです、って好きな人に伝えられたら、楽になれるんでしょうね。

一番自分が人間的に成長できるのは男女の関係の中だね、とお友だちに言われて イテって 思いました。なんたって 一番苦手ですから。仕事や趣味や学問は自己満足で充たされますが、男女の関係においては いつでも自分の欲求と相手の人の欲求を同時に充たす努力と思いやりが必要だから難しいと他の友だちが言ってました。だからいつでも正直なコミュニケーションを取ることが必要なのだろうと思います。

こんなふうに独り言ばかり言ってる場合じゃないですね。コミュニケーションの仕方を学ばないと。

パッケージで好き

2005-10-22 | miniMonologue
中途半端に終わってます、昨日の記事。ちょっと疲れて思考が途切れたようです。

要するに 私は 自信て自分を無条件に好きでいられる事だと思うわけです。その商社マンの彼のように自分で自分に条件をつけるようであれば 当然他のひとからの条件は何だろうって いつでも心配していなければならなくなります。そのような状態で自信なんて感じれるわけがないと思うのです。それどころか いつでも不安なのではないでしょうか。次の条件はなんだろうって限りが無いから。そして もっと悲しいことに 条件つきでしか人を好きになれなくなると思います。このコのここは良いな、あ でも ここはちょっとダメ、なんて。だから未だに女の子を軟派してるわけです。条件を充たすひとを探しているんでしょうね。終わりのない旅ですよね きっと。だって 100%自分の条件を充たすひとなんて存在しませんから。

私の好きな人、頭に来ることするんですよ、ときどき。え、それって意地悪なんじゃない? なんて思うようなことするんです。でも好きなんです、パッケージとして。そう、全パッケージで好きなんです。ここを改めてくれたらもっと良くなるのに、ではなくて そのままでいいんです。こんなに好きなのに 分かってないよ、あのひとは。そこだけ直して欲しいかな。

しかし あれですね、IMって不思議な世界ですよね。相手はラインの向こう側にいるけれど 何が起っているのか全く把握できないですから。もしかしたら全然違う人と話してた、なんて事もあり得るわけですし。コミュニケーション取れてるようで取れてないような。そこに居るようで居ないような。近いんだか遠いんだか..... 時々混乱します。

自信てつくの?

2005-10-21 | miniMonologue
自信は何処からくるのでしょうか。もし自信をつける という表現が正しいのであれば それは自分の外にあり 何かしらの物事やら出来事やらを通り過ぎて得るものだということです。それならどうして ルックスgoodだったり高給取りだったりするのにコンプレックスが強くて自信の無い人がいるかと思えば, 別にとりたてて秀でるものが無くてもゆるぎの無い自己愛に溢れている自信家がいたりするのでしょうか。

.....私はこう思います。自信は 外界から得るものではなくて 皆がもともと持って生まれてきているものなのです。それを生きているうちに失っていく。だってほら 小さい子供って自信家ですよね、何にでもなれるし なんでもできる、と信じて疑わないではないですか。もちろん 認識する能力がまだきちんと発達していないから恐いもの知らずである というのはそうなんですが、しかし、なせば成る というあの信念、全ての人間が理解でき認識できる(たとえ 自分は無理だけど、なんて思う人でも)というのは じつは 皆一度経験しているからだと思うのです。...でも。親がいる、学校がある、そして仕事場があり社会がそこにある。そして 私達の自信はすこーしずつ蝕まれていく.... こうして失われていった自信て取り戻せるものなのでしょうか。一生懸命勉強して大手の会社に就職して出世して 大きい家だとか高級車だとか安定だとかを手にすれば取り戻せるものなのでしょうか。

十年程昔 カラオケバーでホステスさんのバイトをしていた頃、(働くビザを持っていなかったのでキャッシュで払っていただけるお仕事が必要でした。)お客さんで 店の女の子に 俺さ、早稲田を自分で働いて卒業したんだよ、という口説き文句を使う方がいました。大手の商社で働いていてNYに駐在員として派遣されてきたエリートさんです。そして昨年 ある日本人オンリーのバーべキューパーテイーで がつがつと頬張っていると 後ろで聞こえる口説き文句。俺さ、早稲田を自分で働いて卒業したんだよ。まさか、と振り向くと紛れもない同一人物。しかし カビた口説き文句で一生懸命女の子を印象づけようとしている彼には 十年間のエリート商社マンとしての輝きは無く それどころか そんな彼を見ていて 苦しそうだな と感じたのを覚えています。きっと 彼がどこかで失ってしまった自信は ステータスでは取りもどせない種類のものなんだと思います。

では 彼はどんな自信を失ってしまったのでしょうか。自己愛なのではないでしょうか。早稲田卒のエリート商社マンなら愛され、求められると彼は信じているけれど きっとそれは 彼自信が自分を愛するために必要としている自分につけた条件なのではないかと思うのです。

今日も 私が好きな人からの連絡は無しです。悲しいなあ。こんな時には自分が一番可愛く映る鏡を見つめながら 私だってまだ結構いけてるし大丈夫 と自分に言い聞かせるんです。

英語で ふられてしまった友だちを励ます時 It's his loss. と言うことがあります。あなたを選ばないなんて損したのは彼の方よ ということです。あ、でも 私はまだふられたわけじゃないし.... それにしても 恋しいなあ。