Monologは端壷に

日々感じる事を綴っています。

足りない言葉

2006-05-11 | miniMonologue
子供の頃から「言葉が足りない」と母に指摘されることが多かったことを思い出します。要点、あるいは、大切なことを伝え忘れることがよくあるのです。(感情的になりやすい性質のせいかしら?などと自分では分析しておりますが...)

例えば、前回の記事は 「痛い言葉です」で終わっている。

全然足りていないのです。

人の目の前に「コレってだめね」とポンと物を置くだけでは なんの生産性もないうえに、その物の価値を自分の見解から判断するなんておごっている。


「間違えている」「正しい」は主観です。ひとの経験は その人の世界においては何ひとつ間違っていないと考える方が正しいのではないでしょうか。

言い訳をする人は、言い訳をすることで今まで自分を守ってきたのでしょう。
他人を責める人は、他人を責める人を見て育ってきたのかもしれない。
人によっては 指摘されることを責められていると感じてしまう理由があるのかもしれない。

さて。

そのような「それぞれの理由、それぞれの主観的世界での経験」を理解したうえで、それでも私は、言い訳を言ったり、人を責めたり、指摘されたことを考慮しない態度は 知性の無駄遣いだと主張します。


なぜなら、それは、その人自身に限界をかけてしまうからなのです。

ジョーゼフ=キャンベルは「神話の力」でこう述べています。

「罪は限界です。それ以上のものではありません。罪は おかした人を限界(limit)してしまうのです」

自分の中の間違いを顧みずにいることは 自分自身に限界をかけてしまうことだということ、これが大切なポイントなのだと思います。

他人様の目や社会的モラルという枠を私は個人的にあまり気にかけません。
でも、自分に限界をかけてしまうこと、これだけは避けたいと常に考えています。




最新の画像もっと見る