Monologは端壷に

日々感じる事を綴っています。

Achiever から Doer へ

2005-11-19 | mini心理学
Achiever(アチーバー)とは達成する人であり Doer(ドウーアー)とはする人 です。

私は何かに達成しなければいけないのだ、という脅迫観念にかられて生きてきました。

基本的に 私のようなタイプのAchieverはいつもせっぱ詰まっている人たちです。何かをやる時には良い結果を出さなければいけない、という信念にがんじがらめにされている人たちです。さもなければ 評価されない、価値のない人間だと思われる、その結果、自分を好きになれない、そのような人達です。

親から非現実的な期待をかけられて育った人に多くみられる心理的傾向です。案外このタイプのAchieverは多いと思います。親からの期待を 内面化して いつのまにか自分自身に同じような非現実的な期待をかけてしまうのです。

しかし、普通の人には限界がある。向き、不向きがある。人生において全ての事に100点を取るのは 単純に不可能なのです。それでも頑張る。その結果 期待通りに達成できないと 自分を責める。自分が劣っているのだと感じて、自信を失い、自分はダメな人間なのだと信じてしまう。ウツになる人にもよく見られる傾向ではないかと私は思います。

そのような心理状態では 本当は自分に何が向いているのか、何をしたいのかを見極めることは難しく、最悪の場合、全てのことにやる気を失ってしまう恐れもあると思います。

このタイプのAchieverは人生を楽しめません。何をやっていても、出来栄えの良さや 人にどう評価されるかばかりを気にしてしまうからです。友だちとただ遊んでいるだけでも 自分のほうが上にならなければ 良くなければいけないという病理的心理が付きまとうからです。

一方、Doerは問題解決に取り組むタイプの人達です。何かがうまく行かない時には 自分を責めたりせず 原因をさがして状況を良くすることに労力を費やす人です。

このようなタイプには一般的に心が健康な人が多い。親から ありのままの自分を受入れられ愛された人達です。非現実的な完璧さや期待など 他人にも自分にもかけたりせず、そのつど そのつど 問題を解決し 前に進んでいく現実的な力を持っている人達です。そして その結果、現実的な自信を宿すことのできる人達です。

Doerは 問題が起きた時にはその場に応じて解決できる自信がありますから リラックスして人生を楽しむことができます。出来栄えが悪ければ(そして自分で望めば)改良すればいいのさ、という余裕のある態度で生きていますから 全ての事にカリカリしたりしない。自分をよく知る柔軟さが心にある人です。

このような人にとって 人生は楽しく そして同時にチャレンジでもあり 従って、心理的にもバランスの取れた状態を保ち安いのです。

以上は 今までAchieverで生きてきた私が観察と発達心理学の見解を通して作ったAchieverとDoerの行動心理の定義です。最近ギアを Doerに入れ換えようとしています。長年の習慣で自分の一部となっている考え方や行動パターンを変えるのには時間がかかりますが、どう考えても Doerの方が良いですよ。ね。

もしかしたら自分にもAchieverの傾向が....と思う方は Doerの行動パターンを心の片隅に意識して置いてみて下さい。新しい自分と出会えるかもしれません。


発達

2005-10-06 | mini心理学
何やら偉そうに 私は成長心理学を学んでいます、なんて何度も書いてきました。実は日本語では 発達心理学 なのだということを先日初めて知りました。本当に分かって学んでンのかなあ と自分でも不安になります。凹む自分を、こうやって恥ずかしい思いをしながら成長していくんだよ、と慰めているところです。

Resilience という言葉があります。跳ね返る力、弾力のことです。発達心理学では 逆境においても それをバネにして突き進む事 を指します。貧しかったり、親に暴力を振るわれるような環境にいても前向きな子供達などを対象に研究されているひとつの能力です。持って生まれてくるのか、あとで発達するものなのか、だとしたらいつ頃からどのようにしてどのような過程で発達するのか、など あらゆる仮説をたてながら研究し理論をたてていくわけです。おそらく 誰も本当のことは分からない、でも この Resilience、 生きていくうえでの必需の力だと思います。

正気と狂気の境目

2005-08-19 | mini心理学
正気と狂気に境目は無い、と最初のクラスで教授が強調しました。2004年の春の学期でした。その教授は昔 ニューヨーク警視庁で探偵として働いていた方ですが、彼は 心に病を負った人々、それは市民だけで無く警察官たち いえ、主に警察官達、に深い感情移入を覚え 心理学者としての資格を取り、現在はセラピストとして病んだ精神を持った様々な人々をカウンセリングしています。正気と狂気に境目が無いのは ちょうど 赤が紫に変わる過程において はっきりと ここから赤で ここからが紫 と見極めることが不可能な状態に例えられます。ニューヨークの街などは 歩いただけで おかしいな、と思わされる人間に毎日多数出くわします。私の仕事場にすら アルコール中毒を抱えながら日々なんとか狂気を押さえながら仕事をこなしている男性もいます。このような方にとっては 仕事場だけが 自分の中の狂気から逃れられる 唯一の隠れ家なのでしょう。仕事場から離れると 自分の中毒と翌日の出社時まで戦う毎日であると 私は予想しています。ひとがなぜ 愛する人を求め、その関係の中に安らぎを探すのか ここに答えがあるのでは無いかと感じています。結局のところ 仕事などは 狂気の沙汰においてもこなせてしまうのが人間なのです。ニューヨークの警察官達のように 私の仕事場のアルコール中毒の編集長のように 仕事に必要なのは 正気では無く やる気なのです。それでは ひとはどこで自分の正気をはかり、自分のこころの標準石を何処に置くのでしょうか。私が思うに 二人の人間が向かい合うことによって繋がりあった時にのみ うまれる関係、そして その関係を育てていくための努力を惜しまない強い意志の中に 私達は始めて 自分の中にある正気を確認するのではないでしょうか。セラピーに通う人々は まず殆どが 愛すること そして 愛されることができない精神の病を負っています。ダーウインは種の保存が人間に於ける 愛を求める主な理由であると言いました。私は個人的に そこに 正気の保存 を付け加えたいと思います。