そもそも、学校の役割とは何だろうか。
どこまでが学校の守備範囲なのだろうか。
教科指導は当然、学校の本務である。これは間違いない。
しかし、たとえば音楽教育。
今の制度では、一般的な音楽教育は学校の守備範囲とされている。だが、ピアノや電子オルガンのレッスンまでは学校教育に求められていない。それらは家庭の責任でレッスン料を払って私的になされている。
今回問題となった桜宮高校の体罰事件。
クラブ活動を本当に学校で行う必要があるのかどうかを問ういい機会ともいえる。クラブ活動は本来、学校から切り離されたところでなされるべきものではないのか。ピアノのレッスン、サッカーチーム、スイミングスクール、囲碁教室、華道教室など、学校外で行われている有料の「クラブ活動」はたくさんある。そもそも、学校の教員のほとんどは、こうしたクラブ活動の指導については素人だ。中には指導者として立派な人もいるが、私の知っている限り、それは少数派だ。クラブ活動を学校から切り離せば、たとえば体罰があって嫌になればいつでもその「クラブ」をやめることができる。
今の教員はクラブ活動のために放課後の時間を取られ、土日を奪われ、夏休み冬休みの研修時間も奪われている。しかも、手当といえば丸1日付き添っても3000円にもならない。ほとんどボランティアに近い。クラブ活動に奪われているこうした時間を、授業準備に充てることが可能になれば、もっともっと魅力的な授業を展開することもできる。
都市化が進み、核家族化が進み、家庭も地域も昔のような教育力を持たなくなった。その結果、それらの負担はすべて学校教育にかかってきている。マスメディアも、そうした根本的な問題にまで踏み込んで報道してもらいたいと思う。今のマスコミには、購読者を敵には回せないから、とりあえず公権力をたたいておけばそれでよしとする安直な姿勢が見られる。
どこまでが学校の守備範囲なのだろうか。
教科指導は当然、学校の本務である。これは間違いない。
しかし、たとえば音楽教育。
今の制度では、一般的な音楽教育は学校の守備範囲とされている。だが、ピアノや電子オルガンのレッスンまでは学校教育に求められていない。それらは家庭の責任でレッスン料を払って私的になされている。
今回問題となった桜宮高校の体罰事件。
クラブ活動を本当に学校で行う必要があるのかどうかを問ういい機会ともいえる。クラブ活動は本来、学校から切り離されたところでなされるべきものではないのか。ピアノのレッスン、サッカーチーム、スイミングスクール、囲碁教室、華道教室など、学校外で行われている有料の「クラブ活動」はたくさんある。そもそも、学校の教員のほとんどは、こうしたクラブ活動の指導については素人だ。中には指導者として立派な人もいるが、私の知っている限り、それは少数派だ。クラブ活動を学校から切り離せば、たとえば体罰があって嫌になればいつでもその「クラブ」をやめることができる。
今の教員はクラブ活動のために放課後の時間を取られ、土日を奪われ、夏休み冬休みの研修時間も奪われている。しかも、手当といえば丸1日付き添っても3000円にもならない。ほとんどボランティアに近い。クラブ活動に奪われているこうした時間を、授業準備に充てることが可能になれば、もっともっと魅力的な授業を展開することもできる。
都市化が進み、核家族化が進み、家庭も地域も昔のような教育力を持たなくなった。その結果、それらの負担はすべて学校教育にかかってきている。マスメディアも、そうした根本的な問題にまで踏み込んで報道してもらいたいと思う。今のマスコミには、購読者を敵には回せないから、とりあえず公権力をたたいておけばそれでよしとする安直な姿勢が見られる。