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対自然散歩(蝉・鳥・蛙)

ウォーキングしたときに自然の小生き物を観察する。蝉の鳴き声・ウグイスのさえずり・メジロの鳴き声・蛙の声などに関心がある。

天才ボクサー、カシアス・クレイのこと(何度も戦った、相手の名前を間違えたので訂正+文中加筆)

2012-09-18 14:08:53 | 思い出される過去の見聞(人それぞれ)
 五十年も前のこと。
 カシアス・クレイがソニー・リストンを倒して世界ヘビー級チャンピョンになり、世界中のテレビを見ていた人々にデビューしたのは私が21、2才の頃だった。ボクシングを見て興奮するのが大好きな私は、もちろん、この試合を見てとても興奮した。筋肉が2倍もあるようなソニー・リストンを無名の若い男性が倒したのだから。
 半年後にリターンマッチが行われた。世界中の誰もが、今度はカシアス・クレイが倒され、ソニーリストンが勝つと思って見ていた。ところが予想を裏切ってソニー・リストンがリングに長々と寝たのである。世界中は呆気に取られた。カシアス・クレイが世界中に認められた日である。
 その後、カシアス・クレイは何度も何度もチャンピョンを防衛した。
 中でも私が、すごいと思って思い出せるのは、オリンピック金メダルのジョージ・フォアマン(名前を突然思い出した、ジョー・フレイザー。あとで確認します。→ 間違っていた。ジョージ・フォアマンが正しい)、との数度にわたる防衛戦です。カシアス・クレイはもう下り坂だったはず。でも、全部、カシアス・クレイが勝った。この頃は、カシアス・クレイは名前を変えてモハメド・アリと名乗っていた。
 カシアス・クレイの戦術は際立っていた。試合中に口汚く相手を罵るのである。
「お前みたいなウスノロは俺が蝶のように舞い蜂のように刺してやる」とか何とか。
 冷静に戦おう、と思っている相手が思わずカッとなって冷静さを失い、カシアス・クレイの術中にはまってしまうのである。
 モハメド・アリは防御もうまかった。ジョージ・フォアマンが打っても打っても、アリの新ブロック(寒い寒いと両手を胸に巻きつける格好。検索して見たが、このシーンはカットされており、なかった。残念)、に阻まれてしまう。口汚く罵られ、最後の最後に強烈なアリの反撃を食ってしまう。
 防戦一方のアリはパンチが出ない。だが、左右のショートパンチを顎にもらってリングに倒れたのはジョージ・フォアマンだった。フォアマンは倒れているのが自分で両手を高々と上げているのがアリであることが信じられなかった。
 天才的だった。あんなに打たれて、当ってなかったのか? 効いてなかったのか? 見ている人の目を疑わせる、そういうことも出来る天才だった。
 でも、後年のアリを見ていると、やはり打たれていたのだ。
 前々回のオリンピックの開会式だったか、それとも前々前回のオリンピックだったか、アリは震える手でアメリカを代表して登場した。あの震える手に世界は驚いた。
 そして今回のイギリスのオリンピックでは、パーキンソン病のために盲目になったアリが登場した。リングの中を蝶のように飛び回り相手を口汚くののしってカッとさせ、蜂のように刺す黒い若者が盲目の老人になった。若き日の面影はどこにもなかった。

一芸に秀でた老人

2009-06-15 08:03:04 | 思い出される過去の見聞(人それぞれ)
 今から18年ぐらい前、平成3年ごろの話。
 京浜急行・横須賀中央駅で降りて用事を済まし、再び駅のほうへ戻ってきたのが午後2時ごろ。すると人通りの多い歩道の一角で人だかりがしている。近寄ってみると、お爺さんが表札書きをしているのだった。20人くらいの人が取り囲んで見ているのだった。
 表札書きとは珍しい。私も見物客の一人になった。お爺さんは80才ぐらいだろうか。マイペースで少しも急がず、墨を磨(す)ったり、その墨に膠(にかわ)を混ぜて火で焙り(あぶり)溶かし込んだり、その間、口は絶えず何か喋っているのだった。
 そのト-クも急がずあわてず、うまいものだった。
 散々、人を待たせてから、やっと木の札に苗字を書き始めた。絶えずしゃべくりながら、一画書くごとに筆を硯に漬け、次の一画を目でイメージし気息を整える。一本、立てに引いた線がぐにゃりと曲った。
 書道に強い劣等感を持っている私は、(ヤロー、失敗しないかな)と思いながら見ている。
 全部の画を入れた。あらためて表札を眺める。行書であるが、調和がとれていて、どこも失敗してない。(やっぱり段持ちだな)。
 それから、その苗字の客から1,000円(もっと安かったかもしれない)を受け取り、あらかじめ半紙に書いてある、例えば「笑う門には福来る」とか書いてある半紙をサービスに付けて、おもしろい能書きを言いながら商売する。
 10人くらいの予約客が順番を待っていた。私は頭の中で計算してみて、いい商売だなあ、と思った。
 一回ぐらい失敗しないかと2時間以上見ていたが、その爺さんはただの一回も失敗しなかった。

腰の曲ったお婆さん、懸命に駆ける

2009-04-30 16:59:17 | 思い出される過去の見聞(人それぞれ)
  今から10年ほど前、三浦マラソンに応援に行っていたことがある。三浦マラソンの開催日は3月第一日曜日と決まっている。初めて応援に行った年は、朝早く京急線の臨時列車に乗ってみて少々びっくりした。一目でわかる出で立ちの人ばかりが乗っていた。トレーニングウェア・トレーニングパンツ・スニーカー、そして皆リュックを持っている。皆にこやかな顔つきで雑談している。お祭り気分の華やかな車内だった。
 さて、三浦マラソンは5キロ・10キロ・20キロの3部門であり、5キロの部が一番先にスタートして一定の時間が過ぎると大部分の人たちはゴールに戻ってきているから、そこでタイムリミットとなり、それまでにゴールに戻って来てない人たちは、走ることを止めて道路の左側へドロップアウトすることになっている。花火や進行車のスピーカーなどにより、ランナーにわかる仕組みになっている。
 私はゴールから500mぐらいの地点で見ていた。5キロの部は主に小中学生が参加しており、先頭集団は帰って来るのを見ても、全速力で走っているように私には見えた。最後尾のランナーもゴール目指して走り去り、10キロのスタートが始まるまでの空白の時間があった。
 ランナーが一人も居ない道路に、一人の腰の曲ったお婆さんが懸命に速歩してやってきた。ドロップアウトの前だったか後だったか思い出せない。しかしドロップアウトの後に走ることは出来ないのだから、前だったはずだが??・・・最後尾監視車は付いていなかったと思うが・・・
その腰は90度曲っており、お婆さんの顔はまっすぐ前を見ることができない。その顔は1m~2m先の道路を見ており、早足で懸命にかけている。私も周りの人もあっけにとられ、息を呑んで見ていたのだろうか。私のおぼろげな記憶では誰も声をかけなかったような気もする。(声を掛けようか掛けまいか、何と声を掛けたらいいのだろうか)お婆さんが見えなくなるまで、とにかく私は黙って見ていた。
 次の年も私は見に行ったが、このお婆さんを見ることはなかった。
 ここから先は私の空想です。
 まず、このお婆さんは、三浦マラソンが簡単に見える近場に住んでいるに違いない。お婆さんは思った。あたしも一度、出てみたい。あんな風に、あたしも若いときに、駆けてみればよかった。あたしはもう○○才になる。爺は○年前に亡くなっている。こんなに腰が曲るまで、働きづめに働いてきた。そして遂に、死ぬ前に一度でいいから冥土の土産に駆けてみたいと、気持ちが高じた。周囲は反対したがお婆さんの決心は固かった。走ったために体が壊れてもあたしは後悔しない。どうせ先は短いのだ。あたしもあんな風に、一度でいいから駆けてみたい。そして数ヶ月前から、それなりに練習してきたに違いない。
 でも結局、走ったためにお婆さんは体を壊したが、達成感の海にどっぷり浸かって満足した。

クールな白人(海兵隊?)Young man

2009-04-25 10:05:46 | 思い出される過去の見聞(人それぞれ)
 2年前のこと。朝6時、高尾山。
 琵琶滝コースを登って行くと上から駆け下りてくる人がいた。
(ん! こんなに早い時間に?)
 白人、20代、海兵隊のような頑丈な体つき。鳶職が履く、膝回りがダブンダブンのニッカーズボン、短髪。すれ違って後ろ姿を見ると地下足袋の足裏・ゴム引きの凹凸が、みぎひだりみぎひだり、と見えた。かっこい~い。
その数日後、テレビで知ったが、アメリカ人は この出で立ちにあこがれており、〈かっこいい〉はクールと言う由。
今、思い出してもホントにクールだった。

こびり付いてしまった悲しそうな顔

2009-04-23 09:15:40 | 思い出される過去の見聞(人それぞれ)
 今から7~8年前のこと。その当時、私は神奈川県の海の近く、丘の上に住んでいた。
 夏のある日。珍しく朝の6時にウォーキングに出かけた。住宅団地の角々を曲がって行くと、前方から来たご婦人が右へ曲がり私も右へ曲がった。お互いに一目でウォーキングしているのがわかる。私と大差ない熟年のご年令であり、お早うございますと挨拶した。
 話し好きの私は、すぐにうちとけて、そのご主人が寝たきりであること、大酒飲みであったこと、深夜に閉店した飲み屋から電話が掛かってきて酔いつぶれて寝込んでいるご主人を何度となく迎えに行ったこと、自分は酒で倒れるなら本望だと言っていたこと、などを聞いた。
 そして脳溢血で倒れ、寝たきりになってしまった。三度の食事も下のお世話もすべて奥様が面倒みている。
「何年ぐらい、寝ているんですか?」
「7年です」
 そして、たった今さっき、知り合ったばかりの私にこう言った。
「なかなか死なないもんですね」
 この言葉に、私は内心、驚いた。さぞかし、つらい毎日なのだろう。思わず本音が出たのだろう。
 あらためて顔を見ると、悲しそうな顔をしている。7年間もの長年月、毎日つらい思いをしているうちに、悲しい表情が顔にこびり付いてしまったのだ、と私は思った。
 その後、二~三度、お見かけしたことがある。相変わらず、悲しい顔をしている。私が挨拶しても、(はぁ、どなたかしら?)と憶えていない。