何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

蜘蛛の糸

2021-09-28 07:53:55 | 詩はあいまいな哲学
人間だけが価値を表明できる。
彼にある時間だけが自由に生きる価値。
もし、親なり子供なりと暮らす生活があれば
権利と義務の価値があるものになるのに。

何の役にも立たない権利を主張して喜んでいる人間、
そこには無知と欺瞞と怠惰(たいだ)がある。

自分さえ良ければという意識が根底にあると
利益を独占し、それを「許されている」と定義づけている。
自分の権利を自分で決めて社会に役立つこともなく
寧ろ出資者に行使出来るような状況を許さず、
権利を実行できる保証もしない。

人間が社会的動物である限り
個人の発想も社会に帰属されないのであれば
一体誰がしても良いと、許されるものと認めるだろう?
認める人の不在では権利が悪事の正当化とみなされ非難されてしまう。
ある自由に対して義務も負えくする。
勤労の義務を「働かざるもの食うべからず」と定義すると
現実には勤勉で真面目に働く人より
有限な土地を必要以上に所有し
決して自分で働くこともない人の方が裕福である。

資産家は信用され知的で勤勉だから裕福になったという
不平等推奨の見解があって
もし、働き手を失う事態になった時には
一度自分が貧乏になって事足りるだけの土地で一生懸命働いてみせ
なんなら移動手段は自分の足のみ、
電気水道ガスを使わないぐらいの努力をしてみせ
便利な生活を敢えて否定し自身で裕福になる証明をして見せる。

勤勉さの価値を「裕福」な者と証明するような人が
実際未だ不在であることはなぜなのか。
犯罪に手を染めもせずなら、もはや常人でない仙人

แจ๊ส กระจอกแท้ - ร็อกคงคย ( Cover.แจ๊ส )
2019-11-02 19:41:27に追記






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする